(35)親子の形
食事を終え、二十時半頃から家族会議が始まった。まずはみなもから、おばあちゃんちで見聞きした概要を説明する。
おばあちゃんちの座敷・居間から廊下にまで溢れ出していた段ボールは全部で三十五箱。ナチュラリズム健康革命協会を筆頭に複数の業者。全て代金は支払い済、一方で商品パッケージはほとんど未開封のままだ。
「
おばあちゃんはどこか申し訳なさそうにみなもに語った。
二階堂が箱の中の書類をひととおり確認した。先日行政処分をしたばかりの悪質定期購入の手口とは違うようだが、以前から送りつけ商法も問題になっている。注文実態の有無は慎重に判断しなければならない。
これ以上注文する気はないこと。可能なら返品したいこと。そうしたおばあちゃんの意思を聴き取り、関係書類を預かって、二階堂とみなもは茂乃宅を後にした。
八杉から松映に戻るロシナンテの中で、二階堂が解説してくれた。
「次々販売の鍵は名簿なのよ。認知症とか性格で『この客は断れずに商品を購入する』という情報は、悪質業者にとっては有望なカモ候補。だから情報はリスト化されて、高額で販売される。例えば百人分の名簿に三万円払っても、そのうち買わせるのに成功するのが十人として、一人平均二十万円計二百万円の売り上げが生まれたら、大成功よね。悪質業者の商品は利益率がむちゃくちゃ高く設定されてるし、もっと多額の被害も当たり前に発生してる。
「推測だけど、数の多いナチュラリズム健康革命協会が最初におばあちゃんに健康食品を売りつけたんじゃないかな。その情報を名簿屋に売って、別の業者が参入し始めた。または、同じ業者が別名義で畳み掛けている可能性もある。ここでケリをつけておかないと、被害が膨らむよ」
こうした話をみなもはかいつまんで説明した。朗の表情が次第に険しくなる。
「年寄りをよってたかって食い物にする連中が、世の中にはいるんだな。おばあちゃんはどのくらい払ったんだろう」
「さあ、そこまでは」みなもは言葉を濁した。みなもが数枚確認した伝票はどれも二万円前後。仮に二万円×三十五個なら……この数字は迂闊に言えない。もっと多いかも知れないし、少ないかも知れない。
「明日、消費生活センターで何ができるか、検討してくれるって。その結果を待つしかないよ」
ふう、と朗が大きく溜息をつく。
「自分は警戒心が強いから絶対オレオレ詐欺には騙されないなんていってたけど、結局騙されてるんだよなあ。見え見えの嘘を信じたり、到底食べきれない量の健康食品を買い込んだり」
また不機嫌のトーンが混じり始めた朗の言葉を、和水が受け止める。
「お年寄りはそういうものよ? お義母さんは八十歳、判断も行動も若い頃のようにはいかなくて仕方ない年齢と思わなきゃ」
「うん、分かってる」
朗は憮然とした表情で、言葉とは裏腹に今ひとつ納得いかない様子だ。
高齢者介護の初期段階、とりわけ認知症高齢者とその家族の間で、こうしたことはよく見られる。幼い頃に自分を育ててくれた、なんでもできる大人だと思っていた親が、年老いて様々なことが不如意となる。子供はそれを受け入れられず、イライラしたり叱責したりする。その先に、高齢者虐待も起こり得る。
高齢者に老化現象の回復を期待するのは難しいし、往々にして酷だ。大切なのはむしろ、家族の側の認識の変容で、老いの現実を受け止める必要がある。「できる筈だ」と思っている限り「なのに怠けている」という思いが拭えない。「できない状況なのだ」と事態を受け入れることで「ならばどうするか」に発想は展開する。
「私たちがお義母さんをほっておき過ぎたのよ。もう少し頻繁に様子を見に行ったり、場合によっては同居も必要なんじゃない?」
「そうは思うよ。でもさ、お母さんの方が、俺たちが構うことを歓迎しないじゃないか。生活のことにあれこれ言われるのが嫌なものだから、一人がいいって。同居なんて、余程のことがなければ、向こうが首を縦に振らないよ」
「客観的には、その『余程のこと』がもう起きてるんだと思うな」
和水の言葉に、朗は考え込んでしまう。
朗と茂乃の仲は決して険悪ではないのだけれど、顔を合わせる度、朗は何かしら小言を言うことが多かった。茂乃にとってそれは煩わしく、一人息子への愛情はあっても、一定の距離を置きたいと態度が示していた。かつて八杉で同居していた朗たちがローンを組んで比嘉今に家を建てることになったのも、当時の二人の大喧嘩が発端だったのだ。
実の親子だからこその、互いに遠慮のない関係が、母子の間に溝を作っていた。
明日は茂乃宅で八杉署の事情聴取がある。朗は仕事を休んでそれに同席することにしていた。そこでまた妙な諍いが起きないか、和水はそれを案じていた。
「お義母さんに判断のおかしなところがあっても、それは歳のせいで仕方のないことなの。私たちだって、いまにヨボヨボになって、にゃもちゃんたちにお世話にならなきゃいけない。今はまだ、私たちは若くて元気でしょ。だから、こちらが折れるのよ。お義母さんに受け入れてもらえるように」
朗は項垂れたまま応えない。それが正しいと頭で分かっていても、感情が拒否していた。
両親の会話を聞いていたみなもが、ここで口を開いた。
「父しゃんがおばあちゃんくらいの歳になって、にゃもが辛く当たったらどうする?」
「それは泣く!」
父しゃんならほんとに泣きそうだな、と思ってみんな少し笑った。その笑いに交えて、みなもは一番伝えたいことを言葉にした。
「じゃあ、今はおばあちゃんを泣かさないようにしなきゃね」
朗はテーブルに肘をつき、両手で頭を抱えた。
「努力は、するよ。……親子関係ってのは、一筋縄ではいかないもんだなあ」
ふっと顔を上げて、みなもを見る。
「にゃもたちもさあ、ちっちゃい頃は父しゃん母しゃんと毎日笑ってもぎゅって、楽しかったよな。でも今もぎゅったら」
「あ、それは勘弁。セクハラとはいわんけど抵抗ある」
いいながらみなもは父しゃんに掌を向けた。朗は笑いながら、分かってるよ、と応えた。
「充なんか、俺を嫌ってるみたいだもんな。父親としては凹むよ」
「そんなことないわよ」と和水。「ちょっと邪険にされてるだけよ」
「邪険じゃけん、ぷふっ。──まあ、邪険にされる親の気持ちがいたたまれないのは、よく分かるよ。お母さんへの態度は、気をつける」
朗はふいに立ち上がって、側にいた歩を正面から抱きしめて頬擦りを始めた。
「もうもぎゅらせてくれる子供はあゆたんだけだよー!」
歩は、うわあああと小さな声を挙げるが、抵抗はしない。中学三年生の末っ子は溺愛され慣れている。されるがままの様子は、諦めているといってもいいかも知れない。
「ああ、でかい。ゴツい。あのちっちゃくて柔らかかったあゆたんはどこに。でもかわええ。末っ子さいこー」
ひとしきり堪能した後、朗は歩を解放した。
「家族って、時間と共に関係が変わるものだな。ほんと寂しいな」
和水が応える。
「関係が変わっても、離ればなれになっても、大切な家族であることは変わらないよ」
「うん──そうだな」
少しだけ、誰も言葉を発することのない間が開いた。空白を埋めるように朗自身が言葉を継いだ。
「充は元気にしてるかなあ。最近連絡ないんじゃないか?」
「もう後期の授業も始まって、忙しいのよ、きっと」
自分の人生は自分で決めたい。そういって自ら東京の大学を志望し現役合格した充。線の細い子だった。いろいろなことがあった。それだけに、朗と和水は充自身の前向きな選択を全力で応援して、この春に東京に送り出していた。
「あの子は、大丈夫。私たちが信じてあげなきゃ」
「ああ」
充の話題には、朗と和水は言葉少なになる。二人の脳裏にはきっと、姉弟の知らない充の姿があるのだろう、親とはそういうものなのだろう。二人の様子を見ながら、みなもはそう感じていた。
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