(25)六十点の行政

「白熱してるねえ」

 野太い声と共に、ぬっ、と野田室長が大きな顔をパーティションの隙間から覗かせた。これもまた大きな手が差し込まれる。その掌には、淡色の紙に包まれたものが四つ乗っていた。

「飴、食べる?」

「あ……いただきます」

 みなもは戸惑いながら答えた。いたたまれない空気に違う風が吹き込まれたようで、正直、ほっとした。

「じゃあ、二個ずつ好きなのを取って」

 野田は協議スペースに入ってきて、二人の目の前に掌を差し出した。小室とみなもはアイコンタクトで先を譲り合い、結局みなもが先に練乳とリンゴを選び、小室は残るイチゴとレモンを手にした。二人とも、自分の手と野田の手の大きさは、子供と大人くらい違うように思えた。実のところ、五十代半ばの野田の子供と二人は同年代だ。

「いやあ、眩しいなあ」

 野田は優しくいいながから、二人の向かいの椅子に腰を下ろす。ぎしっ、とフレームの軋む音がした。

「自分の学生時代を思い出すよ。こういう真っ直ぐな議論を戦わすことができるのは、学生の特権みたいなものだからね」

「県庁でも政策議論は行われるんじゃないですか?」

 小室の問いに、野田は(そのとおり!)と言わんばかりに目を大きく見開いて頷いた。

「うん。行政実務の少なからぬ割合を調整作業が占めているね。組織内部の意思決定にしても、外部とのすり合わせにしても、協議は欠かせない。でもね、大学での議論とは、ちょっと違うんだ。いや、随分違うといっていい。午前中に、事務分掌制について聞いた?」

 二人は首を横に振る。

「澄舞県庁では、職員一人ひとりに担当事務が割り振られている。一応はひとつの事務に主担当・副担当と二人を充てる形を取ってるけど、実質的には主担当者が一人でその事務に責任を持っている。だから、大勢であれこれ議論をするようなことは、ないんだ。もちろん、上司や利害関係他課とは協議することになる。その時、自由闊達な意見交換で徹底的に理想を追求するのかといえば、そうじゃあない。限られた予算、人員、日程の中で、実現すべきことを実現すること。それが公務員の仕事なんだ。

「例えばエシカル消費というテーマは、地方自治体から見れば、中央つまり消費者庁から降って湧いたものなんだ。もちろん啓発を強制されているわけではない。でも、中央で旗を振っていることを地方が無視するなんて、一定の覚悟がなければできない。事柄自体は、とても正しく、美しい。啓発しないより、した方がいいに決まってる。そこにどのような課題や矛盾があるのか、本質的なことをじっくり考える余裕のないままに、啓発活動に取り組むことになる。どうしてもね、良くも悪くも、上っ面になってしまうんだ。

「広報啓発に限らず、行政活動に百点の理想は求めようがない。六十点ですらそう簡単に実現できない。誤解を生みそうな言い方だけど、多くの事業は理想に対して六十点。〇の状態から行政施策によって六十点でも前へ進めたなら、それは当面の成功なんだ」

 六十点。予想より低い点数で、小室もみなももリアクションのしようがなかった。二人の戸惑う様子に野田は慌てて両手を振り

「誤解しないでね、公務員が手を抜いて六十点の仕事しかしてないということじゃないよ。組織というのは現実の人間の集まりで、そのような人間集団で一人ひとりが懸命に頑張っても、理想には遥かに手が届かない現実に打ちのめされるばかりだ。そういうね、なんというか、もどかしい気持ちがあるのさ」

 そこまでいうと、野田は頭をぽりぽりとかいた。

「ごめんね、誤解を生みやすい表現だったかも。役所に幻滅しないでね。それだけ二人の議論が眩しかったんだよ。うんと議論して、でも明後日には、形にしてね。それが君たちの今の『仕事』だから」

 はい、と二人は小さく答えて頷いた。

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