(19)デート商法
デート商法は、異性を誘惑して商品を買うよう仕向ける手口だ。SNSや街頭アンケートなどをきっかけに近づき、数回デートを重ねてカモを感情移入させた後、プレゼントとして絵画やアクセサリーといった高額商品を買わせる。もちろん販売店はグルだ。これ以上は金を絞れないとみたら、その時点で誘惑者は姿を消す。販売店は表向き無関係を装っているから、文句の言いようもない。
押井は、高校卒業直前に配られた消費者トラブル防止パンフレットで、デート商法のことは知っていた。受験の終わった三年生が講堂に集められ、パンフレットを見ながら、消費生活センターの職員から一時間ほど話を聴いた。内容は若者に多い消費生活トラブルについて。その半分以上を悪質商法の話が占めていた。その時は「世の中は恐いことがあるものだな」と思ったくらいで、すぐに忘れてしまった。
自分が今まさにデート商法にはめられようとしていると気付いたのは、宝石店の応接室に軟禁状態で二時間ほど勧誘が続いた頃だった。
「これ、デート商法ですか?」
「デート商法? なんですか、それ。聴いたことないなあ」
社長を名乗る橋本はそう
部屋の中には、ハシモトジュエルオフィスの男性社員3名がいた。橋本が押井の対面でソファに腰を下ろし、押井の背後に一人、もう一人はドアの前に仁王立ちで腕組みをしている。橋本以外はいかついタイプではないが、ただそこに居るだけで圧迫を感じさせる布陣だ。
サトミレイコは、お手洗いに行くといって十五前に席を立ったまま、戻ってこない。これは追い込みが終盤戦に入ったことを意味するが、その時の押井に知る術はなかった。
橋本は、ずい、と巨体を乗り出して、押井の目を真っ直ぐに見た。視線を受け止められずに押井の目が泳ぐ。その様子に、橋本はタメ口に切り替えるタイミングと踏んだ。
「お兄さんさあ、いちゃもんつけてもらっちゃ、困るよ。もう二時間も、こっちは説明してるんだよ? いや、まだ二時間、かな。先日のお客さん、何時間頑張ったっけ? ああ、そうそう十時間な。最後はうちの商品の素晴らしさを心から納得してくれて、契約書にサインしてくださったよ。うちもさ、品質に自信があるから、社員全員が熱心にお客様と向き合えるんだ。何時間でもね。まあ、早くにご決断いただいた方が、お互いに時間を有効に使える。で、お兄さん」
橋本はさらに顔を近づけた。呼吸が荒く、鼻息が押井の頬に吹き付ける勢いだ。その圧で、押井の呼吸は浅くなる。
「どうすんの」
押井は体を強ばらせたまま返事をしない。目の前の現実から切り離された意識に、ぐるぐると呪詛が渦を巻く。
クソだ。世の中は、クソだ──。
その時、ドアが開いて前に立っていた男に当たり、男がよろめいた。
「あ、ごめんなさい!」
入ってきたのはサトミレイコだ。彼女は部屋の空気を読むことなく、明るい笑顔で押井の隣に腰を下ろす。二人掛けソファなので自然と上腕と腿が密着し、体温を感じる。同時に橋本も押井から離れ、上体を戻してソファに体を預けた。
押井の呼吸が、少し楽になる。
緊張と緩和。
追い込んだ先に、逃げ道を作る。そうすれば自然と相手はそちらに向かう。
「私、思いついたんですけど」
サトミレイコが橋本に言った。
「こういう時に、お金の代わりに買う方法があるって、友達に聞いたことが」
「ああ……アレね」橋本は思い当たることがある素振りを見せた。サトミレイコより演技は自然だ。
「じゃあ、お兄さん、こうしましょう。五十万円で購入する代わりに、三万円+αで買える方法があります。普通のお客さんには言わないんですけど、お兄さんはお金に困ってらっしゃるようなので、特別にその方法をお知らせします。それなら大丈夫でしょう?」
「あの……αが四十七万円なら何も変わりません」
押井が真面目な顔でそう主張した。言っていることは正しい。でも今この流れで普通はそうは考えないし、言わない。対抗するなら、そこじゃないだろ。こいつ少しネジが足りないんじゃないか、と橋本は思った。
「大丈夫ですよ。少し手間がかかるのと、あとは印鑑を三本作ってもらう分の数千円ですね。それぞれ違う銀行、違う印鑑で口座を三つ作って、一万円ずつ入れておいてください。それからキャッシュカード。それを渡していただければ、ネックレスの代金は完済ということで」
押井に向けた橋本の言葉を、サトミレイコが代わりに引き取って反応した。
「えーっ、じゃあ三万数千円で五十万円の価値あるネックレスが買えるんですか!? これはお得ですねえ」
お前はテレビショッピングの司会者の相方かっ、と橋本は内心で突っ込んだ。この試用期間の一ヶ月で確信した。サトミレイコは、この仕事に向いていない。
前任者が抜ける時に同じ劇団ということで紹介され、見た目が可愛いから適任と考え採用した。しかし訓練しても演技が全然ダメなのだ。全然客を捕まえられない。デート商法は見た目よりもコミュニケーション能力が重要だ。カモに惚れさせ、高額な物でも買おうと思わせるには、それだけの手管が必要になる。こいつにそれはない。セリフが全部浮ついている。役者にも向いてねえわ。
そもそも今日の展開も強引すぎる。普通は数回デートを重ねて体の関係を期待させてから、店に連れてくるもんだろ。それを当日いきなり連れてきた。ふらりと立ち寄ってプレゼントをねだっているのか、「私がデザインしたジュエリーなんですよ、助けると思って買ってください」という流れなのか、その辺りもグダグダのまま商談に突入されたら対応に困る。普通はここでカモを逃がしてしまう。
しかし──。
そんな状況でも橋本が強引な追い込みに入ったのには理由がある。深網社のネットワークで回ってきたカモリストの押井の報告書にはK2、つまり「「候補者」候補」を示す符牒が付いていた。優先的にカタにはめ、哲さんの面談を受ける「候補者」に相応しいかどうか、支社長クラスの査定に回す必要があることを意味していた。
橋本は余裕を装いながら、押井の反応を見守った。首を縦に振るまで、何時間でも追い込み続けることになる。手間を掛けさせるなよ。
「……分かりました。じゃあ、それで」
橋本の内心が伝わったわけではないだろうが、押井は屈した。
この時、今日に至るレールが敷かれた。
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