(16)魔術師・龍神ズメウ

 三週間ほど前に遡る。

 池袋西口公園にほど近い路地の雑居ビル。一階一番奥に占い師が店を構えていた。屋号はAngolmois(アンゴルモア)。オーナーの龍神たつがみズメウは、日本人で初めてルーマニアの伝統ある魔術師養成施設ショロマンツァに入校を許され、主席で卒業したという。

 もちろん全て嘘だ。彼はルーマニアはもとより外国に行ったことはなく、生まれて以来三十九年間、埼玉県以外に住んだこともない。

 アンゴルモアは深網社グループの末端店舗のひとつだ。ただ、グッドネス物産のように純然たる詐欺集団ではなく、アヤシゲながら一応は表の顔を保っている。ただし、占い目的でここを訪れる客のうち条件に当てはまる人間──心が弱っている、他人に操作されやすい、金払いに躊躇がないなど──には、さらに様々な罠が仕掛けられる場合がある。表の商売をしながら詐欺のカモを探す、いわばセンサーの役割を果たしていた。

 そのセンサーに青年が探知されたのは、SNSに出稿した広告経由のメールマガジン登録からだった。広告バナーには「神秘の力で邪気を祓う!」「日本人唯一の東欧魔術正式伝承者」「初回相談(十五分)無料」の言葉が躍る。メルマガ登録すると特典として初回無料相談が1時間に延長され、申込フォーマットには個人情報に加えて簡単な相談内容を記すようになっていた。

 広告表示回数に対するクリック率は〇・七%程度。SNS広告はユーザーの興味関心に応じて配信される仕組みだが、それでも大半の人はスルーしていることになる。逆に言えば、クリックする者、さらにメルマガ登録まで至る者は、間違いなくこうした内容に強く興味を示す人間だ。広告が効率の良いスクリーニング機能を担っているわけだ。

 押井から偽名で──「押井」とて本名ではないのだが──相談予約があり、すぐにアンゴルモアスタッフの仕事が始まった。提供された情報をもとにネットを検索し、当日までに相談者の情報をできる限り集める。それが「占い」に必要だから。

 アンゴルモアのようなインチキ占いの生命線は情報だ。事前に調べ上げた個人情報を、あたかも神秘的な力で言い当てたかのように相手に告げる。相談者はあらかじめスクリーニングされたスピリチュアルビリーバーであり、境遇をズバズバ言い当てる奇跡を見せれば、ハマる。こうした手法をホットリーディングという。

 しかし、その青年の情報は目ぼしいものが見つからなかった。住所は空欄で氏名もデタラメだから無理もない。しかし、メールアドレスを流出個人情報と照合してくれるダークウェブの有料検索サービスに掛けたところ、実名・住所・電話番号が判明した。それ以上の情報は更に高額料金が必要になるが、そこまでコストをかけるかどうかは面談した後に判断すればいい。個人情報をこちらが探知したと相手は知らない、これだけで、はったりをかますには十分だ。

「妙だな。あなたの名前の波動と、目の前にいるあなたの発している波動が、全然違うんですよ。これ、偽名ですよね? あなたの真の名前は……コウ……コウマ……いや違う。本当は」

 ゆったりしたグレーの道服に紫のガウンを羽織った龍神ズメウは、青年の前でタロットカードに掌をかざして眉に皺を寄せ、少し勿体をつけてから青年の本名をずばり言い当てて見せた。恐怖と驚愕の入り交じった青年の表情を観て、龍神は内心(よし、ハマった)と拳を握った。

 しかし、そこまでだった。

 事前に個人情報を調べるホットリーディングに対して、現場で相手の反応からその人間性を推察し内心を言い当てる手法を、コールドリーディングという。最初はぼんやりとした、誰にでも当てはまるようなことを言っていればいい。もともと占いを信じて来店した客は、占い師の霊感に見透かされたと思い、喜んで自分からいろいろと喋ってくれる。その反応を見ながら、少しずつ話に具体性を盛っていく。コミュニケーションを通じてパズルを組み合わせ相手の信頼感を構築する心理誘導技術であり、カウンセラーや探偵、もちろん占い師にも必須の技能だ。龍神はこの業界に足を踏み入れて十年近い。それなりの自信とキャリアの裏付けがあった。

 けれども、押井に対してはうまくいかなかった。面談を始めた最初から、どうにも会話のリズムが噛み合わず、コミュニケーションが取れる感じがしないのだ。開始十分ほどで早くも「本当の名前を言い当てる」大はったりを繰り出したのは、龍神の側に場の空気を持てあます居心地の悪さがあったからだ。それが結果的に失策だった。

 押井の様子はみるみるひどいものに変化した。頬が震え、目が泳ぎ、息が上がる。

 大丈夫か、こいつ。何か持病でもあるのか。倒れられたら面倒だ。

「どうかリラックスしてください。この魔術空間には、私とあなたしかいません。あなたの秘密を知る人は、他に誰もいません。あなたの苦しみは私の苦しみです。どうか、落ち着いて深呼吸を」

 促されて押井は息を吸うが、胸が動いていない。体が強張って深い呼吸ができないのだ。

 押井が予約の際に記した相談内容は、「子供の頃からずっと無神経な人々に傷付けられてきた、人生は地獄だ」という趣旨の、深刻な色を帯びていた。明確にそう表現していたわけではないが、これはいじめだな、と龍神は当たりをつけていた。相当に深い心の傷が、こうした異常な反応の要因なのだろう。

 少し気分転換させるか、と龍神が頭を巡らせ始めた時、突然押井が立ち上がった。

「ももっ、もういいです! ごめんなさい、帰ります?」

 押井はくるりと踵を返し、部屋の入口にかかったサテンの暗幕に手を掛ける。

「ちょっと待って」

 龍神はそういったものの、振り返った押井の表情を見て、これは止めない方がいいなと判断した。

 それでも最後に、言わなければならない台詞がある。

「ひとつだけ、伝えておきたい。いまに、あなたを助けてくれる人物が現れる。きっと女性だ。その人の願いを叶えてあげる生き方を選びなさい。それがあなたを地獄から救ってくれるから」

 二秒押井は固まっていた。そのままぺこりと頭を下げて、ビルの廊下を足早に歩き出す。

 龍神は入口から顔を出して、押井の背中に向けて声を掛けた。

「ごめんね、今日は星の巡りがあなたの波動と合わなかったみたいだ。無料相談は次回も有効てことにしとくから、気が向いたらまた来てよ」

 占い師としての構えを解いた、龍神の素の言葉だった。押井はこちらに体を向けて、ゆっくりと深いお辞儀をした。その仕草に、育ちは良さそうだな、と龍神は思った。

 押井がビルを出て行くのを確認して、龍神は頭をかいて大きく溜め息をつく。

「……悪い事したかもしれないなあ」

 最後の「預言」は、詐欺への罠だ。つい勢いで言ってしまったけれど、地獄から救うどころか更なる地獄へと向かう道かもしれない。弱い者いじめのようでなんだか後味が悪い。もっとも、その罠を駆動させるかどうかは別のグループの判断になる。

 占い師としての素性はインチキだが、十年近く、困っている人の悩み事相談に応じてきた。グループとしてのノルマがあるので、今回のように罠を仕掛ける場面も避けられない。しかし、自分なりに親身に考えたアドバイスが「先生のおかげで救われました」と心から感謝されることが、年に数回はあった。そんな時、龍神は素直に嬉しかった。要するに、龍神はこの仕事が嫌いではないのだ。

 青年の苦しみの深さを想う。人によって、置かれた状況は異なるし、同じような状況でも感じ方は異なる。自分より二十歳近く年下の青年は、自分の知らない地獄を知っているのだろう。

 ああいうタイプが、哲さんの探している「候補者」かも知れないな。

 報告書を書かねばならない。龍神は再び暗幕の内側へ潜った。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る