(14)おばあちゃん

 ちょうどレジでお金を払い終えたタイミングで、みなものバッグの中でスマホが振動した。店の外に出て画面を確認する。茂乃からの着信だ。

「電話に出るね。一時までに上に戻るから」

 そう小室に告げて、ホールを見渡す。東側が広い開放ラウンジになっていて、設置されたファブリックスツールの周りに人影はない。みなもはそちらに歩きながら受信ボタンをタップした。

「はい、みなもです」

「おばあちゃんです。今、電話いいかいね?」

「いいよ」

 ガラス張りの壁面に背を向けて、スツールに腰を下ろす。小室がビルの外に出て行くのが見えた。まだ昼休みは三十分あるから、一人で上に戻るよりは近隣の散歩を選んだのだろう。

「お父さんに電話したあもん繋がらんでねえ」

「今日は魚居ととおりに出張だから。運転中かも」

「ああ、そげかあ。別に用事がああだないだあもんねえあるわけじやないんだけどね

 出張自体は嘘じゃない。ただ、父しゃんはおばあちゃんからの電話を無視することがある。決して仲が悪いわけじゃないけれど、父しゃんがおばあちゃんから少し距離を置いているように、みなもは感じていた。もしかすると、八杉の広い家を出て比嘉今に移り住んだこととも関係するのかも知れない。だから今日のおばあちゃんの電話も、父しゃんはわざと出なかった可能性があると思った。もちろんそんなこと、おばあちゃんには言えない。

 実の母親なんだから、もっと優しくすればいいのに。その分、私がおばあちゃんの話を聞いてあげよう。

「みなもちゃん、あのね、おばあちゃん今日ね、とてもいい事をしたの。老人ホームのパンフレットが届いた話は、しちょったが」

「うん、夕べ聞いたよ」

「私は元気だけん老人ホームの入居権なんていらんだあもん、震災で身寄りを無くした可哀想な人がおなって、その人に譲ってあげえ事にしただがん」

 入居権、震災、かわいそうな人、譲る。話が見えない。

 おばあちゃんの話は長い。行きつ戻りつループしながら、午前中にあった電話の概要が分かるまでに三分半かかった。

 みなもは昼前に、消費者向けの広報啓発素材をいくつも眺めていた。その多くは、悪質商法や特殊詐欺に関するものだ。世の中には本当に悪い連中がいて、平気で嘘をついてお金を騙し取ろうとしている。たまにニュースでそういうのは見ていたけれど、平和に生きてきたみなもには遠い世界の出来事のようだった。けれども午前中のプログラムで澄舞県内でも多数の被害が発生している事実を知り、あらためて世間は油断ならないなと感じていたところだ。

「おばあちゃん、それ、詐欺だったりしない?」

「最初は疑ったわね。おばあちゃん用心深いけんね。だあもん、五百島市役所だけんお金を払えとかパンフレットを買い取るとかそげな話じゃないって。お金はなんもかからんて。だけん、詐欺じゃないわ」

「そう、ならいいけど」

 確かにお金が絡む話でなければ、詐欺の余地はなさそうに思えた。

「困っちょおなあ人のお役に立てえなら、有り難いことだわ。ぜんごんどくは自分に返ってくうけん。みなもちゃんも優しい子だけん、きっと幸せんなあで」

「うん、ありがとう」

 みなもは五歳までおばあちゃんと一緒に暮らしてきた。父しゃんは一人っ子だ。おばあちゃんは初孫のみなもを可愛がり、たくさん抱っこや添い寝をしてくれた。みなもたち三人の孫を、おばあちゃんは本当に思ってくれている。

みちるちゃんもあゆむちゃんも、優しい子だ。お父さんも小さい頃から優しかった。お母さんも良くしてごしなあ。香守の家のもんは、みんないい子だけん、みんな幸せだわ。みんなが幸せだと、おばあちゃんも幸せになあわ」

 おばあちゃんの真っ直ぐな愛情が、自分たち家族に向けられている。少し涙が滲んで、みなもは指先で目尻を拭いた。昨夜の電話は、認知症の始まりを窺わせる不穏なものだった。おばあちゃんは少しずつ、確実に年老いている。

「おばあちゃんも、長生きしてよ?」

「ひ孫を抱っこすうまで、元気でおるけんね」

「あはは、願いを叶えてあげるのに、私も頑張らなきゃね」

「そげだで?」

 祖母と孫は、電話と心を通じ合わせて、共に笑った。幸福は今、ここにあるよ。みなもはそう思った。

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