(13)法学と文化人類学

 九時前に始まったインターンシッププログラム初日午前の部は、二階堂主任の講義と質疑応答で概ね二時間、あとは消費者啓発のパンフレットや映像素材などを観る自習時間に充てた。二階堂も通常業務と並行してのインターンシップ対応なので、フルタイムでみなもたちに付き合うことはできない。

 昼前に二階堂が戻ってきた。

「ここまではインプット、午後からアウトプット準備に移ります。ちょっと早いけど、一時まで昼休みということで自由にしてていいよ。あ、二人はお弁当持って来てたりする?」

 二階堂の問いかけに、みなもと小室はほぼ同時に「いえ」と首を振った。

「そっか。この近くはコンビニ不毛地帯なんだよね。本庁舎まで戻れば地下に売店と食堂があるけど、このビル周辺にも飲食店がたくさんあるから、外食で良ければ選択肢はよりどりみどりかな。どこかに連れて行ってあげられるといいんだけど、やらないといけない仕事があって、申し訳ない。一番近いのは」二階堂は胸の前に手を上げ、真下を指さす。「ここの一階にあるGONごんてお店。七百円前後で定食やカレーが食べられる」

 学生にとっては学食より高いが、官公庁や大手企業の集まるこの地区のサラメシ相場としては抑え気味の価格帯だ。

「美味しいんですか?」

 さらっと尋ねた小室の質問に、二階堂は「価格相応のお味ね」と笑った。

 ガラス張りのエレベーターを一階まで降りると、GONは南側すぐに見つかった。入り口前のメニューを確認する。いくつかの定食類とカレー、うどん類。

「どうする?」とみなも。

「ぼくはここでいいよ」と小室。

 この流れで単独行動するほどの食のこだわりは二人ともなく、そのまま入店する。少し早い時間帯が幸いしてかそれほど混んではおらず、外窓に面したテーブル席を陣取ることができた。

 半日一緒にいたけれど、だからといって途端に気心が知れる筈もない。こういう時の話題は「敢えて作る」ものだ。必然、午前中のプログラムの所感が入り口になる。

「知らない話ばかりで面白かったなあ。小室君はもしかすると、割と知ってる知識だった?」

「そんなことないよ。専攻は民事法だから、行政法や行政学の話になると一年の法学総合で聴いたくらいで覚えてないし」

 民事法、行政法、行政学。みなももすま大法文学部生として、学科は違うけどなんとなく分かるというか、なんとなくしか分からないのが正直なところだ。民事法(私法)と行政法(公法)は法学の枝分野、行政学は政治学の枝。学問分野はその成立由来と性質によって分化する。いわば学問の都合だ。行政現場にとって必要なデータや知見の総体は、単一の学問分野に収まるものではない。必然、あるひとつの現場に関係する学問分野は多岐にわたることになる。

「私はどれもちんぷんかんぷんだからなあ」

「香守さんは、どうして澄舞県庁のインターンシップに応募したの?」

「えっ……あー、まあ、知らない世界を見たかったというか」

 咄嗟に適切な応答が見つからず、言葉を濁す。エントリーシートに適当に書いた作文をなぞっても仕方がないし、さすがに「役所に関心はないけれど彼氏の職場を見てみたかった」なんてぶっちゃけ話は言えない。

 無意識に左薬指の指輪を右手で触れていたのだろう、小室の目線がみなもの指輪に向かうのに気付いた。みなもにとって少し気まずい一・五秒。

「おまたせしましたーっ! ハンバーグカレーはどちら?」

 不意に元気な男の声が響いた。細面の小柄な店員がプレートを手にしている。歳の頃は四十代半ば。胸元から膝上までのモスグリーンのエプロンには、彼にそっくりの顔のイラストとGONの文字。

「あ、私です」とみなもが小さく手を挙げると「はい、どーぞ」とプレートが前に置かれた。

「じゃあこちらはソースカツ丼ね。ごゆっくり!」

 もうひとつのプレートを小室の前におくと、店員はくるりと華麗に踵を返した。そこへ別のテーブルの馴染み客らしい男性から「ゴンちゃん、次いつ釣り行くの」と声が掛かったことから、彼がここの店主と知れた。

 カレーの香りが鼻腔をくすぐる。みなもは合掌して「いただきます」と小さく頭を下げた。

「……なんかいいね、それ」と小室。

「え?」

「『いただきます』って。最近見かけないから」

「そう、あんまり意識したことないや」

 合掌して、いただきます、ごちそうさま。香守家では空気のように当たり前のこの習慣は、おそらくおばあちゃん由来だ。でもそういえば、家族以外の人のやっているところをあまり見ない。みんな小学校の給食で六年間やってた筈なのに。

 小室もみなもの真似をして合掌し「いただきます」と呟いた。なんだ、素直な良い奴じゃん。

「小室君は、公務員志望?」

 先ほど曖昧に中断した話題を継ぐ、ただし、ボールは手放す。そういう問いだ。

「まあね。国か地方かは迷ってる。できれば国の総合職で東京に出たいと思うけど、難関だからね」

 国家公務員採用総合職試験は、いわゆるキャリア官僚への道だ。大卒枠は例年十倍を超え、東大京大早稲田慶応が合格者の半分近くを占める。とはいえ五百島大学も旧帝大に迫る数十人の合格者を出すから、いお大生にとって手の届かない門ではない。あとは本人の努力にかかっている。

「ふーん、澄舞に帰るわけじゃないんだ」

「あんまり帰る気はないなあ。ぼくの地元は木梳きすき、知ってる? 人口一万人を切る小さな町だよ。そこで十八年過ごして、大きな街は松映と美雲みぐもくらいしか馴染みがなかった。それにしたって人口は都会とは比較にならない。進学で五百島に出て、当たり前だけど、世界は澄舞だけじゃないと実感したよ。だから、もし能力がかなうなら国家公務員として東京に出たい。地方公務員を選ぶなら、五百島県庁か五百島市を考えてる」

 ならどうして澄舞県庁のインターンシップを受けたのか、とは聴かなかった。人にはいろいろな事情がある。インターンシップ生の三日間だけの繋がりは、決して不躾な深追いをしていい間柄じゃない。

 みなもは生まれてから二十一年間、澄舞以外で暮らしたことはない。暮らしたいと夢想したこともない。それでも、ダー子をはじめ遠い都市部に進学した友人たちもいるから、小室の気持ちはわかる気がした。みちるもそうだ。どうしても東京の大学に行きたいといい、結果的にダー子と同じ紫峰大学に進学した。家計の事情はよく知らないけれど、父しゃん母しゃんが充の願いを叶えてやりたいと苦労する様子は間近に見ていた。

「小室くんは、偉いなあ」

 みなもの口から自然と言葉が漏れた。小室は将来の道をしっかりと考えている。比べて自分には何もない気がした。卒業後の進路は、まだ何もイメージできない。

「別に偉くはないよ。将来も田舎から出たいと足掻いてるだけ。そのために法学専攻を選んだんだ。就職浪人する余裕はないから、司法試験は諦めた。公務員として都市部で働きたい。それだけの話だよ」

 みなもは話を継ぎあぐねた。応答できるだけの蓄積が自分の内側にないと自覚したからだ。その内心は分からなくとも、沈黙するみなもをしばらく眺めていた小室が、キャッチしやすいボールを放った。

「香守さんの文化人類学って、人文科学だよね。同じ文系でも僕は社会科学だから、人文系のやってることは想像つかないよ」

「そこはお互い様だよね。文化人類学は、どう説明すればいいのかなあ。フィールドワークが中心で、どんなフィールドでも研究対象になるって、うちの先生はいってる」

「香守さんは何を?」

 小室の問いに何か言葉を発しようと口で息を吸った瞬間──。

「あぁえほえほっえほっ」

 みなもが奇妙な声を上げて咽せたものだから、近くにいたゴン店長が「どうしました、料理に何か?」と俊敏に歩み寄る。いやなんでもないですごめんなさい、と早口に弁解して、みなもはコップの水をひと口飲んだ。その様子を少しだけ見守って、店長は再び華麗にターン、カウンターの向こうへ早足で戻っていった。

「どしたの。大丈夫?」

「うん、気管にカレーが入りかけた」

「うわ、そりゃあ……大変だ」

 小室が引き気味に哀れみの目を向ける。もうひと口水を含んで、喉の刺激が治るのを待って、みなもはあらためて説明した。

「週明けに卒論構想の発表会があるんだ。まだ全然手をつけてないのを思い出したら、せた」

 昨夜は実家のパソコンを借りて作業を始めようと思っていたのに、結局漫画を読んで過ごしてしまった。今週昼間はインターンシップで丸三日つぶれ、夜は他の科目の予習もある。三回生になると履修科目数に余裕の生まれる学生が多いが、みなもは四回生で楽をするためにそれなりの密度で詰め込んでいた。だから、構想発表会まで六日あるとはいえ、時間的余裕が十分にあるとはいえない状況だ。

「へえ、三年の今の時期に、もう? 僕らは四年になってからだよ」

「すま大でも普通はそうだね、これはうちのゼミの特徴みたい。就活が忙しくなる前にフィールドワークを始めた方がいいってことで」

 卒業論文は文献調査五+フィールドワーク三+執筆一+推敲一と心得よ。みなもの指導教官である石川准教授の教訓だ。つまり実際に論文を書き出す前の段階が極めて重要な役割を果たす。そのため文化人類学ゼミでは三年生の秋に自分の研究テーマとモチーフを宣言し、準備を始めるのだ。もちろん、その後にテーマは変わって構わない。むしろ、考えが深まるにつれて変化して当たり前と見做されていた。

「文化人類学をひとことでいうと、どう表現できる?」

「えー、ひとこと?」

「そう。自分なりで良いから」

「難しいなあ。先に法学を表現してみてよ」

「いいよ。僕は法学を『現実を調整するための人工のルール』だと思ってる」

「う、よく分かんない」

「それでいいんだよ。誰かに理解してもらおうとあれこれ考える前の、自分の感覚で。さ、香守さんの番」

「……無理!」

 みなもはあっさり白旗を揚げた。思う所はあっても簡単に言えそうになかったから。


 文化人類学をひとことで表すのは難しい。「ひとこと」とは多様な研究蓄積全体の共通項を言い当てることだからだ。敢えて言えば「人間のあらゆる文化現象を」「比較して」「理解する」学問、という漠然としたものになる。対象・手法・目的のどのフレーズも、単語自体は平易で素朴だ。しかしそれぞれ複雑な概念と多様な論点が織り込まれているため、この「ひとこと」から文化人類学を的確に把握できる部外者は、おそらくいない。

 文化人類学は「民族学」と呼ばれることもある。特に昭和期までは、民族学の呼称の方が一般的だった。民俗学と同じ音で紛らわしいことから、当時の文化系学生は前者をエスノ(エスノロジー)、後者をフォーク(フォークロア)と呼び分けていた。

 狭義(日本語の字面的語義)の民族学と民俗学の違いを単純にいえば、前者が「異文化」を、後者が「自文化」を対象とする点にある。わかりやすい例を挙げるならば、大阪の国立民族学博物館(民博)は世界各地の文物・模型を展示し、千葉の国立歴史民俗博物館(歴博)の展示内容は国内のそれだ。どちらも単なる展示施設ではなく、それぞれの学問の研究機関でもある。展示はその研究成果を社会に還元する営みといえる。

 外国の文化であれ自国の文化であれ、研究者が研究対象に密着参加して祭祀・家族・労働・貨幣・相互扶助などのテーマを観察し考察する手法は、ふたつの学問分野に共通する。ただし、民族学の場合は必然的に「比較」ということが問題になる。なぜなら研究対象が異文化、つまり研究者自身の所属するものとは異なる文化だからだ。

 異なる民族の文化習俗を理解すること。それは異文化が接する場面で必ず生じるものであり、その意味では古代から行われてきた営みだ。それが近代的学問として成立するのは十九世紀半ば、植民地主義の時代に欧米の研究者がアフリカ・アジア・オセアニアの文化習俗を記録したことによる。この記録こそ民族誌エスノグラフィと呼ばれるものだ。

 エッセイや報道などあらゆる記録的記事がそうであるように、民族誌もまた完全な意味で「事実の客観的な記録」ではあり得ない。書き手の価値観や先入観を排除することは、ある程度までは可能だ。しかし、言葉の選択、描写の浅深、エピソードの採否など、さまざまな面で書き手の主観の下支えがある。こうした原理的問題に自覚的である時、民族誌は「書き手の文化」と「観察対象の文化」の接点に生まれる比較表現と受け止められる。言い換えればそれは他者を理解する営みであり、反射的に自己を理解する営みということだ。

 白い箱は、黒い紙を背景に置いた時に、よく判る。比較することで初めて白い箱の特徴、黒い紙の特徴がそれぞれに浮かび上がる。これが、他者理解の手法としての比較のアドバンテージだ。

 民族学は、百数十年の歴史の中で、他者理解の理論と技術そして倫理を磨き上げてきた。そのように洗練された学問は、既存の哲学・美学・社会学などの枠組みに収まることなく、対象を総合的に把握することを指向する。それは単に異なる民族文化の理解にとどまらず、さまざまな集団の理解に有効なものだ。

 ここに、狭義の民族学を包含しながらその対象領域を超えた文化カルチユラル人類学アンソロポロジーが成立する理由がある。実際に文化人類学は、研究者個人にとって「異文化」と捉えられる様々なもの──例えば暴走族、精神障害者ケア施設、アイドルコミュニティ──を幅広く研究対象としてきた。その多様性が文化人類学という学問の説明を難しくする要因でもある。

 ──というような小難しい話を、みなもは二回生の時に入華教授の講義で聴いていた。ただ、それを理解し消化して自分なりの「ひとこと」で表現するような芸当を求めるのは、研究者志望でない学部生には酷というものかも知れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る