(10)管理する者の視点

 その頃相談室では、河上直生活環境総務課課長補佐による野田彌消費生活相談室長へのヒアリングが行われていた。案件は二階堂麻美主任の想像のとおりだ。

 相談室は六畳ほどの正方形のスペースだ。奥の壁に一辺を接する形で白テーブルがひとつ、その左右に椅子が二つずつ設えられている。壁は建物の一部ではなく、後付けのパーティションだから、薄い。それでも扉を閉めて小さな声で話せば、外から話の内容を窺うことは難しい。

 消費生活センターは消費者からのトラブル相談対応を業務の柱とする。相談内容は相談者の個人情報の塊、相手方事業者の営業情報の塊のようなものなので、開放空間で対応するわけにはいかない。そのために相談室が設けられているわけだ。そうした本来用務以外にも、人事情報など一般職員に聞かせられない電話や密談にも使われる。今回がまさにそれだ。

「柳楽記者にはその場で明確に『映像を使うな』と伝えてあった、ということですか」

 テーブルを挟んで対面する二人。河上の確認に、野田は頷いた。

「確かに言ってたよ、ひとことだけどね。ただ、相手の返事は聞こえなかったな。二階堂君によると、頷いたような違うような曖昧なボディアクションで、有耶無耶だったらしい」 

「その時に、きちんと相手の言質を取るべきでしたね。後ろで聞いていらしたなら、室長がフォローすることもできたのではないですか?」

 河上はメモの手を止め、まっすぐに野田の目を見た。河上に非難の色はない、ごく素朴に疑問を尋ねる体だ。

「相手が映像を使うと言ったなら、そうしたさ。でも、そのような反応はなかった。カメラが回っていたこと自体、偶然だったんだよ。狙って撮ったものじゃない。だから局側もそれを使う筈がないと思ったんだ。二階堂君も、僕もね」

 柳楽記者の口元に一瞬笑みが浮かんだ、もしかすると意図的に撮影したのかも知れない──そんな二階堂主任の証言については言わないことにした。主観的印象を交えると事実認定を歪ませることになる。仮に確信犯だったとしたなら、その場で「使わない」という言質を取っても意味がなかっただろう。

 河上はペンを擱き、一呼吸ついて、口をひらいた。

「小峠課長は、すまテレに厳重抗議すべきとのご意見です。これは県とすまテレとの信頼関係を損なうものだと」

「柳楽氏には僕からたしなめておくつもりだよ」

「いや、広報課長から向こうの役員に、ということです」

 わお、と声を出さずに野田は口を動かした。県庁の一所属と報道記者個人の関係ではなく、澄舞県と澄舞テレビの組織対組織の抗議申し入れ。その重さは、広報課経験のない野田にも容易に察せられた。

「そこまでしなくても、いいんじゃないかなあ。放送された映像では多少強い言葉を使ったけれど、特定商取引法担当者としての偽らざる想いだからね。僕も事前に彼女に「想いをぶつければいい」とアドバイスしたし、発言内容がそこまで問題とは、思ってないよ」

「そうですね、私も個人的には、内容そのものの問題は小さいと感じてます。庁内で何人か感想を聞きましたが、小峠課長以外にネガティブに捉えている人は今のところいません」

「だろ? なら」

「問題はそこじゃないんです」

 河上は野田の発言に被せるように言葉を繋いだ。

「使うなといった映像を使った約束違反には、きちんとペナルティを課さなければならない。そうでなければ、澄舞県庁が軽んじられてしまう。やらかしても許されると相手が学習して、同じこと、もっとまずいことが繰り返されるかもしれない。それを防ぐために、締めるべき場面なんです」

「うーん、それ、課長の意見?」

「そこまで確認した訳ではありません。課長の意向の正当性を私はそう理解している、ということです」

 河上の言葉に、野田は息を吐いて腕組をした。

 課長補佐の職務は、文字通り課長の権限執行を実務的にサポートするものだ。それぞれの部局を統括する主管課──多くは部局名を頭に冠して「○○総務課」の所属名がつく──の課長には、部局全体の人事と財政を司る強大な権限が付与されている。多方面にわたる調整実務の多くを課長補佐が担うことで、課長は「判断」に自らの知的リソースを振り向けることができる。その必要から、全部局の主管課と一部の枢要課に課長補佐が置かれる訳だ。

 言い換えれば、将来の上級管理職を嘱望される者のキャリアパスの要所が、課長補佐というポストだった。間違いなく優秀な者が配置され、組織管理実務に当たるとともに、その手腕を「上」から観察されている。その期待に応えることが将来の県庁幹部への道を開く。

 野田は河上の言葉を、そのようなポジションにいる者の見識として受け止めた。同意はせずとも、理解はできた。

「広報課には相談してるの?」

「先ほど課長から広報課長に電話で一報を入れました。この後私が行って、話をしてきます。どうも、柳楽記者に関しては別の案件もあるようですね」

 ふむ、と軽く首をひねって、野田は話の先をうながした。

「昨日の朝のニュースです」

「運動公園のリポートだね? 見てたよ、でも特に問題には気づかなかったけど」

「すまいぬにマイクを向けて喋らせようとしてたでしょう。あれ、広報課的にはダメだそうですよ」

「そうなの?」

 澄舞県マスコットキャラクターとして十年前にデビューして以来、すまいぬは「とぼけた可愛い犬キャラ」として活動してきた。声は出さないことが多かったが、イベントによって異なる職員が声をあてる場合もあって、設定が安定しない時期が続いたことになる。

 変化が現れたのは昨年のことだ。広報課がキャラクター強化を打ち出し、すまいぬに少年のような──おそらくは女性の──声が固定された。同時に、それまで「ゆるい」だけだったすまいぬの動きにキレが現れ、さまざまなスポーツやアクションに挑んで、時に驚異的な身体操作を見せつけるようになった。間違いなくスーツアクターが交代していたが、広報課の部外秘事項で、詳しい事情を知る者は庁内にもほとんどいない。なにしろ「すまいぬに中の人などいない」のだから。

 ともあれ、すまいぬの存在感が増したことで、県民だけでなくネットを通じて固定ファンが付くようになった。広報課の戦術変更は一定の成功を収めたといえる。

 しかし──ひと月ほど前、SNSですまいぬの言動が軽くバズった。いわゆる「大きなおともだち」、子供向けに作られた作品を真剣に楽しむ大人のアニメーションファンの琴線に何か触れたものらしい、ということは野田も耳にしていた。何故かその時期を境に、すまいぬは喋らなくなった。

「広報効果を考えれば、むしろ積極的に喋らせる場面だろうにね」

「そう単純な話ではないらしいですよ」

 おや、と野田は河上を見た。何か事情を知っているのだろうか。野田の視線の意味に気づいて河上は慌てて

「いや、私も詳しくは知りませんけどね。すまいぬ問題は広報課マターですから、うちの関与する話ではありません。生活環境総務課としての見解を伝えた上で、広報課の判断を待ちますよ。結果はまたご報告します」

 そういうと、河上は椅子から腰を上げた。予告どおり所要時間は十分。本当に几帳面な男だ、と野田は思った。

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