(9)撮影の舞台裏
平日十八時十二分、澄舞テレビの番組がキー局の全国ニュースから自局のローカルニュースに切り替わる。「夕方すまいル」の名称は、夕方の放送であること、澄舞のニュースであること、そして英語の「You gotta smile=笑顔でいてよ」に掛けたものだという。
澄舞県の地上波放送は、NHKを除くと三波しかない。そのいずれもが、澄舞と東隣の
松映市に本社を置く澄舞テレビは、本社地が魚居県の他二社に比べれば澄舞寄りだと、少なくとも県民の目からは見えていた。地元のニュースや最新情報を伝える「夕方すまいル」が、澄舞県内の同時刻視聴率で他局に抜きん出ていることからも、その様子は窺える。
その番組スタッフから消費生活安全室にテレビ取材に入りたいとの打診があったのは、先週金曜日の午後だった。
その日の午前中、トラブルが多発していた詐欺的な定期購入通信販売事業者に対して澄舞県が行政処分を行った旨の報道発表が行われた。「発表」といっても記者会見を行うことは稀で、今回も県庁記者室への資料提供、いわゆる「投げ込み」だ。ほぼ同時に同じ資料が県ホームページにも掲載される。
発表を受けて、午後にはいくつかの新聞社・テレビ局から電話で補足取材があり、担当の二階堂主任がその都度に対応していた。それらは、テレビなら二分前後、新聞も相応の小さな扱いになる。それでも、県内の出来事や県庁各課から日々大量に投げ込まれる情報の中からこの事件を取り上げてくれるのだから、消費生活安全室としては御の字だ。
しかし「夕方すまいル」は一歩踏み込んで、消費生活安全室職員のインタビューを撮影したいという。小手先の扱いで発表当日のニュースに間に合わせるのではなく、週末を跨いでも、5分前後かそれ以上の丁寧な報道をしてくれるという意図の表れだ。今回摘発した悪質商法の情報を少しでも広めたい二階堂としては、大歓迎という他はない。
二階堂は通話口を手で押さえて野田に尋ねた。
「室長、月曜十時に取材に来たいそうですが、いいですか?」
野田が予定表を確認して、指でO.K.を作る。二階堂は頷いて電話の相手に「その時間で対応可能です、よろしくお願いします」と伝え、通話を終えた。
この四月に異動してきたばかりの二階堂にとって、テレビカメラの入る取材は初めてだ。対応する室長のためにどのような準備が必要か、と少し考えて、口を開いた。
「何か原稿作っておいた方がいいですか?」
二階堂の言葉に野田はきょとんとした表情を返す。
「うん、まあ、きみが必要なら」
「え?」
「え?」
「室長がインタビューを受けるのでは?」
「担当者のきみが受けるんだよ?」
「今、ご自分のスケジュールを確認されたのでは?」
「二階堂君の出張や会議がないか確認したんだよ?」
「え?」
「え?」
澄舞県庁では、所属によって取材対応の考え方が異なる。二階堂が三月までいた保健医療福祉部では、簡単な事実説明を別として、報道対応は管理職の役割とされていた。だから、テレビ取材は室長が受けるものだとばかり思い込んでいたのだ。
「消費生活センターでは、職員全員が広報担当の心構えでいて欲しいな。今回の事件に想いを持って取り組んできたのは、二階堂君、きみだよ。その想いをテレビカメラにぶつければいいんだ。……カメラの前で喋ったこと、ある?」
ふるふるふるふる、と二階堂が首を左右に振るのを見て、野田はにっこりと笑っていった。
「じゃあこれがデビュー戦だね。なあに、すぐに慣れるさ。こういうのは場数を踏むのが一番だよ。幸い取材まで時間がある。何を話すか頭を整理しておくといい」
こうして二階堂麻美主任のテレビデビューが決まった。
土日は閉庁日だが、澄舞県消費生活センターは日曜日も電話相談を受け付けている。そのため消費生活相談員と一般行政職員がそれぞれ当番制で日曜出勤をする。次の日曜日はたまたま二階堂が当番の一人に当たっていた。相談電話は基本的に相談員が担当するので、行政職員の役割はいざ何かあった時のサポートで、後は通常業務をこなすことになる。
日曜当番の利点は、所属内外の雑多な電話に邪魔をされず、自分の仕事に集中できることだ。二階堂はしっかりと原稿を作って、月曜日の取材に臨んだ。
やって来たすまテレスタッフは、カメラマンと記者の二人組。記者は時折テレビでレポーターとして見かける顔で、名刺には柳楽修とあった。
「あ、原稿読むのは無しで」
撮影場所に選んだ協議スペース。テーブルの上に原稿を拡げた二階堂に対して、柳楽がいきなりダメ出しをした。
「インタビューはライブ感がないと、視聴者に響きませんから。大丈夫、私が質問をするので、それに答える感じでやってみてください。目線は私の方へ、私に対して説明するつもりでお願いします」
やるしかない。原稿は何度も推敲したので流れは頭に入っている。そもそも、この半年間をかけて悪質業者を追い詰めた法執行担当者はこの私だ。事件を私以上に知っている者は、他にいない。室長のいうとおりだ。やれる。やろう。
原稿を読まないと決めたことで、かえって肝が座った。
照明がセットされ、頑丈な三脚に据えられたテレビカメラの大きなレンズが二階堂を捉えた。柳楽の位置から角度を取っているので、二階堂の目線もまたカメラに対して斜めになる。
「とちっても大丈夫ですからね、いくつかのテイクからベストの箇所だけを繋ぎます」
二階堂は無言で頷く。
「じゃあまず最初に、今回の発端となった相談内容から教えてください」
「はい。六月に高齢者の方から、あー、七十代の女性の方からお電話がありました」
二階堂は、目線を柳楽に向けたまま脳を巡らせ、言葉を継いでいった。若干行きつ戻りつし、たまにとちりながらも概ね説明すべきことは説明しきって、二階堂は小さく息をついた。
「……はい、ありがとうございます。んー、何箇所か詰まりましたね」
すみません、と二階堂は小さく頭を下げた。
「もう何回かやってみましょう。ちょっと説明が長いので、半分くらいに縮められますか」
ぎょっとした。今の内容を、半分に。情報を大きく削ぎ落とす必要がある。話の幹と枝葉を見分けなければ。
「わかりました、やってみます」
五秒ほど脳内で再構築し、第二テイク。終了。
「内容はいいですね。大事なところで目線が彷徨ってしまったので、私をじっくり見てもう一度、行きましょう」
内容はクリア、目線に気をつける。二秒自分に言い聞かせて、第三テイク。終了。
「パーフェクト! 念のためにもう一回」
即座に第四テイク。終了。
「おっけーです。じゃあ次は」
テレビ局の取材とはこのようなものだったのか、と二階堂は新鮮な驚きを覚えた。
その後も柳楽の誘導に従って、調査の結果判明した事業者の手口、特定商取引法に違反するポイント、民事手続で返金を求めるのは難しく迅速な行政処分が被害拡大防止のために必要だったことなどを話した。緊張がほぐれてきたせいか、後半はほぼワンテイクでO.K.になった。
「じゃあ最後に、テレビを見ている県民に向けて、こうした被害に遭わないよう気をつけるポイントを、ひとことでお願いします」
テレビカメラが二階堂の正面に移動した。二階堂は澄ました顔で締めの言葉を口にした。
「一番のトラブル予防としては、契約の前に広告の説明をよく読んで、慎重に判断すること。これに尽きます」
「……オッケーです。じゃあ撮影終了、お疲れさまでした」
その声を聞いて、二階堂の顔から笑みがこぼれ、そのまま大きく伸びをした。柳楽はそれを見て、機材を片付け始めていたカメラマンを後ろ手で軽くつつき、二階堂に向かって言った。
「ああ、いい表情になった。やっぱり撮影の間は、緊張してました?」
「まあ、こういうインタビューは初めてなので。でも、いい経験させてもらいました。次回はもうちょっと上手くやれるかも。次回があれば、ですけど」
「あはは。でも初めてとは思えない、アナウンサーみたいにわかりやすい説明だったと思います。ただ全部を使うと間伸びするので、局で用意する説明と組み合わせます。編集はこちらに任せてくださいね。あなた方は行政のプロ、私たちは報道のプロですから。尺は全体で五分ほどになると思いますが、県民に伝わるニュースにしますよ」
二階堂は椅子に腰を下ろしたまま、立っている柳楽の芯のある眼差しを受け止めた。ああ、この人は信頼できる。そう思った。
柳楽は続けた。
「行政処分に漕ぎ着けるまで、半年近く頑張ったんですよね。いろんな苦労があったんじゃないですか?」
「そりゃあもう!」と二階堂の声のトーンが一瞬上がり、すぐに下がる。「まあ、テレビじゃ話せないんですけどね」
「なんだか語り足りない感じですね」
「今回の事件に限らず、他のいろいろな事案で、悪質業者には腹に据えかねることがたくさんありますから」
「そういえば今回の事業者も、高齢者を威嚇してたんでしょ。ひどいなあ」
「そう、そこ! 自分のおじいちゃんおばあちゃんみたいな歳の人を、どんなつもりで追い込んでいたのか。まったく腹立たしい」
二階堂はだんだんテンションが上がってきた。
「悪質業者に対する二階堂さんの気持ちを素直に表現すると、どんな感じになるんだろう。興味あるなあ。試しにカメラに向かって、やってみてくださいよ」
カメラは三脚に据えられ、二階堂を正面から捉えたままだ。カメラマンは少し離れてケーブルをまとめているので、回ってはいないようだ。
「悪質業者を行政処分しても、相手が確信犯だと民事交渉で返金を期待するのは難しいというお話でしたが、泣き寝入りしている人も多いのでは」
そこまで言って、柳楽はレンズを指差し、キューを出す。面白い、と二階堂は思ってしまった。中腰に立ち上がり、テーブルから身を乗り出すと、レンズを真っ直ぐに見据えた。
「でも、そこで諦めちゃダメ! 法律の隙間を縫ってずるい商売をする連中はたくさんいる。間違いは、間違いだ。事業者の不公正は、苦情を言って改めさせなきゃいけない。今の法律で被害者を救えないなら、法律を変えればいい。皆さんの小さな声が集まれば、社会を改善する力、法律を変える大きな力になるんです。黙って泣き寝入りはやめよう。消費生活センターは正義の味方、困った時は電話番号一八八、『だまされるのは「いやや」』まで!」
一気に吼えると、大きく肩で息をつき、椅子にすとんと腰を下ろす。
「って、言えたら気持ちいいんだろうなあ」
「言えば良いじゃないですか。二階堂さんの思いが籠った言葉で、伝わるものがありましたよ」
二階堂は顔の前で手を振った。
「無理ですよ。公務員ですからね。今回行政処分をした事業者だって、特殊詐欺を働く連中みたいな犯罪者じゃなくて、一応ちゃんとした企業なんだから。違法行為は法に則って厳正に処分するけれど、それ以上のネガティブな論評は控えないと。本音では苦々しく思っていてもね」
「さっきのは本音?」
「本音ですねえ、それは間違いない」
二階堂はもう一度カメラを一瞥した。
「カメラ、停まってますよね?」
どうだろ、と呟きながら柳楽がカメラマンの方を振り向く。その口元に笑みが含まれているような気がした。カメラマンが機材に近づいて
「さっき停めましたよ……あ、ごめんなさい、動いてた」
え゛ぁっ、と奇妙な声が二階堂の口から漏れた。
「今の映像は使わないでくださいよ?」
二階堂の言葉に、柳楽は曖昧に頷いて微笑んだ。
「帰ったらすぐ編集しますね。突発的なニュースさえなければ、今日の夕方すまいルで取り上げます。楽しみにしていてください」
澄舞県庁の業務終了は十七時十五分だ。しかし定時で帰れるかどうかは、部署により時期により異なってくる。消費生活安全室の場合、相談員を除く一般行政職員は残業が多い。その日も夕方すまいルが始まる十八時十二分には、野田室長・二階堂主任を含めて四人が残っていた。
勤務中は基本的にテレビは点けないが、ニュースや業務に直接関連する番組は別だ。いくつかのヘッドラインニュースの後、いよいよ今回の事件の報道が始まった。スタジオ、市町村プラザ、そして二階堂麻美主任の登場だ。
「うわ、映ってる」
二階堂は両手で頬を挟み、小さく身を捩る。
「落ち着いた語り口だね」
野田は太い声で印象を口にした。
コンパクトにまとまった二階堂の説明と、放送局側で用意したイラストとナレーションで、今回の事案のポイントがよく分かる。いくつもテイクを重ねた中からベストのものを素材にして編集しているので、極めて自然だ。なるほどこれが報道のプロというものか。二階堂は感心しながら画面に観入っていた。
しかし次の瞬間。
「でも、そこで諦めちゃだめ!」
突然自分の顔がアップになり、息を呑んだ。画面の中の二階堂がテーブルから身を乗り出し、強い視線が画面を見る者を貫く。
吼える、吼える、吼える。そして最後の決め台詞。
「消費生活センターは正義の味方、困った時は電話番号一八八、『だまされるのは「いやや」』まで!」
画面がスタジオに切り替わった。二階堂はよろめいてデスクに両手をついた。
「えー、使わないでって言ったのに!」
信頼できると思った私の乙女心を返せ! 乙女じゃないけど!
報道の最後は「一番のトラブル予防として、契約はくれぐれも慎重に、とのことです」との女性アナの言葉で締めくくられていた。二階堂の本来の締めを、アナウンサーが代読した形だ。
「あのテイク、使ったんだねえ」
野田がにやりと笑って二階堂の顔を見た。野田は椅子に腰を下ろしているが、大柄なので中腰の二階堂より少し目線が上だ。
「撮影の声、聴こえてました? まずいですよね、テレビであんな飛ばしたら」
「いいんじゃないかな。ちょっと言葉は強いけど、伝わる広報として、僕はこのくらいインパクトがあっていいと思うよ」
「ほんとですかあ」
その時、室長席の電話が鳴った。短く2回。庁内線コールだ。野田が受話器を上げた。
「はい、野田です。ああ、お疲れ様です。観てましたよ。はい。ああ、いやそれは違いますね。あれは放送しない予定の試験テイクで」
自席に戻りかけていた二階堂は、うっ、と固まって野田の方をみた。電話はきっと小峠課長からだ。二階堂はどうも課長とソリが合わない。
「ええ。まあ、そういうことになりますね。いや、そこまでかどうか。二階堂君は──」野田はちらりと二階堂を見た。「まだいますよ。でも定時を過ぎているので緊急性がないなら、ええ、明日に。彼女はインターンシップの担当をしてもらうことになっているので、朝イチで僕が事情を詳しく聞いておきますから。はい。では」
受話器を置いた野田室長に、二階堂主任は恐る恐る尋ねた。
「……課長でした?」
「うん、怒ってた」
野田が満面に笑みを浮かべて不穏なことをいう。この男はいつもそうだ。苦しい時ほど楽しそうな顔をする。
「電話では事情を聞くっていったけど、あれはただの時間稼ぎ。状況は大体分かってるから、いいよ」
怪訝な顔をする二階堂に、野田が言葉を継いだ。
「実はね、広報資料の整理をしながら、パーティションの裏で聞き耳を立ててたんだよ。なんだろう、ほら、我が子の初めてのお使いを隠れて見守る親みたいな感じ?」
言い得て妙の表現に、二階堂は素直に笑った。金曜日のやりとりが脳裏に蘇る。意図せず初めてテレビ取材を受けることになった自分を、内心案じてくれていたのだろう。
二階堂麻美は現在三十四歳、入庁して十二年目だ。澄舞県職員として経験する職場は消費生活安全室が五箇所目、つくづく職場環境は同僚に恵まれるかどうかに左右されると感じる。直属の上司かどうかを問わず、良い先輩に恵まれれば、難しい仕事でもどうにかやっていける。そうでなければ、心をすり減らす。十二年の経験の中で、野田は二番目に頼れる先輩であり良き上司だと思っていた。一番の先輩は、もう庁内にいない。
「ひとつだけ、聴かせてよ。堅苦しいあるべき論は置いといて、あの台詞は広く県民に伝えたいあなた自身の本当の言葉だったということで、いいよね?」
「はい」それは間違いない。二階堂は頷いた。
「わかった。課長には僕からちゃんと説明しておくから。今日は早めに切り上げて、明日からのインターンシップにしっかり臨んでください」
「というわけなのよね」
二階堂麻美は、昨日の顛末を十五秒の情報量で説明した。
「でも、結果的には良かったんじゃないですか?」とみなも。「説明だけだと耳から入ってもすぐに忘れちゃうけど、あのインパクトは残りますよ」
「ぼくも香守さんと同じ意見ですね」と小室が言葉を継ぐ。「一視聴者として、公務員が言ってはいけない言葉だったとは感じません」
二階堂は二人の顔を交互に見た。
「ほんと?」
二人がそれぞれに頷く。
「そっか。そういって貰えるなら、少しは気が楽になるかな」
少しは、だ。課長が怒っている。そう思うと、昨夜は寝つきが悪かった(眠れなかったわけではない)。きっと今、相談室では河上補佐と野田室長がその件を話しているのだろう。
考え出すと気は重くなるばかりだ。目の前にやらねばならない仕事があるのはありがたかった。
「じゃあ、最初は座学ね。消費者行政の概要について説明します」
そういいながら二階堂はプロジェクタのスイッチを入れた。
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