どんな心をしているの?

 彼女がトオルを連れてきたのは《街》の端だった。そこに裕樹がいたものだから、トオルは思わず二度見してしまった。この時間は学校のはずである。

 さぼったのか、という心の声が聞こえたのか、裕樹はそっぽを向いてしまった。

「いやー、私たちってばワル仲間ですので」

「だれがワル仲間だよ!おれは今日しかさぼってねーし」

「サボった時点でよくはないな」

「うるせー」

 じろりとにらまれて、トオルはそっと口を閉じた。下手に突っ込むのもよくないだろう。その様が裕樹にトオルが言い負かされたように見えたのだろう、ホシノは心底おかしそうに声を上げて笑った。

「でもほら、ここなら人目を気にせずに話せますから」

 レンガが雑に重ねてあり、腰をかけるのにちょうど良さそうだ。何かを建設しようとして、結局取りやめになった空き地のような場所だった。あるいは、単に余った資材をためておいてあるだけの場所かもしれない。

 それは別にどちらでもいいか、とトオルはいたずらっぽい顔のホシノとランドセルを背負ったままの裕樹に目を向けた。

「何が知りたいんだ」

 わかりきったことを聞けば、裕樹とホシノは声をそろえて言う。

「《崩壊》した後の世界について」

 トオルは嘆息して、つまらない話だぞと念押しした。聞きたくて聞いてるんだぞ、と裕樹が不満げに言うから、トオルは諦めて口を開くことにした。

「ホシノにはもう話した通りだが」

 口にして、灰色の世界の光景を、主に裕樹に向けてもう一度口にする。

 埃の舞う、瓦礫だらけの終末世界の光景を。ただそこに居るだけで拒絶感を味わう羽目になる、異質で恐ろしくて、そのくせどこか美しい世界を話す。

 トオルはポケットに突っ込んだままのロケットペンダントをズボンの上から握りしめた。対して口を開いていないくせに、喉が渇いて仕方がなかった。

「そういえば、これは純粋な疑問なんですけど、《運び屋》も《旅人》も若い人ばっかですよね。

なんでです?」

 ホシノが不意に口を挟んだから、トオルは酷く不思議そうな顔をしてしまった。彼ら《旅人》の間では当たり前の常識だったからだ。

「死ぬからに決まってるだろ」

 《崩壊》した後の世界に生命の存在は許されない。《街》はまだ生命の支配する場所だからなんともないが、《崩壊》した後の場所ともなれば話は別だった。

「散々習っただろう、《崩壊》した後の土地は文明を、命を拒絶する。まさか、《崩壊》後の土地を歩いてもなんともないって思ってたのか」

「ま、まってよ!」

 耐えきれなくなったように裕樹が叫んだ。少年の顔は真っ青だった。

「なら、なら、トオルは?トオルも死んじゃうのかよ」

「いやそんなすぐには死なないが」

「さっきといってることがちがう」

「若いやつしかいないってホシノが言ってただろ。その答えだよ」

 ホシノを見れば、苦笑いを浮かべていた。裕樹はトオルの言葉をそのままに受け止めてしまったらしい。

「俺が知る限り、一番長生きした《旅人》は四十過ぎで死んだはずだ。まあ、《街》で死ねれば御の字ってところだな」

 少なくとも生物として死ぬことができるから。

 その言葉は飲み込んだ。彼らに伝える必要はない。

「理由は知らんがな。元大都市の《街》にいる学者先生なら何か知ってるんじゃないか」

「うわあ、まだ《崩壊》の研究って諦められてなかったんですね」

「勉強不足だな、水留せんぱい。ちゃーんと教科書にのってるぞ!」

「その教科書だって全然改訂されてないじゃないですか」

「今年かいていされたって先生言ってたぞ!」

「え、嘘だ……ずるい……」

 心の底から絶望した声に、裕樹は勝ち誇ったように腕を組んだ。おれのほうがかしこい、と胸を張る裕樹にホシノは大人げなくうなっている。

 仲がいいわけだ、とトオルは納得してしまった。どこか精神年齢が一緒な嫌いがある。

「……諦めたのは事実だからなあ」

 ホシノの言葉も無理もない。かつて《崩壊》を前に無力だった人類は、ただそれに飲み込まれるしかなかった。

 心が折れてしまったのだろう。その末路が今だ。トオルたち現代の人間は、数百年――数千年と前のツケを払わされている。

「お前たちの繁栄は間違っていた、と突きつけられたら、そりゃ心も折れますよねー」

「なにがおもしろいの?」

「いえ、皮肉です。気にしないでください」

「ふーん」

 ホシノの吐く毒がゆらりと揺らめいた。黒い髪が悪戯っぽく揺れている。トオルはその毒にも、この間の純粋そうな言葉にも触れなかった。

「とりあえず、篝はまだしなないんだよな?」

 裕樹がのぞき込むようにトオルの顔を見る。それがなんともくすぐったくて、トオルは口角を上げて頷いた。

「さすがに二十代で死んだやつは少ない。死んだとしても、大抵病気か事故だ」

 明らかにほっとした空気が満ちて、トオルは眉を下げて苦笑いを浮かべた。よそ者に随分と肩入れするものだと思って、しかし彼らはいつかの『普通』の人間なのだろうな、とも思った。

「じゃあ、次はおれ!」

 ぴんと伸ばされた手は彼の行儀の良さを表している。悪ぶっていても、そういう育ちの良さはにじみ出るものらしい。

「篝はなんで《街》にすまないの?」

 それは純粋な疑問だったからこそ、トオルの心を深く深く抉る質問だった。身体がこわばって、息が浅くなる。異変に気づいたらしいホシノが裕樹を止めようと腰を浮かせたが、トオルはそれを制止した。

 話さなければならないことだ。

 知らなければならないことだ。

 外に出たいと――今の世界のあり方を肯定できないなら、その心は大切にしなければならないと思った。

 いつか、友人がトオルをあざ笑ったように。

「裕樹には話したが、ホシノには話してなかったな?」

「あ、えーっと、その、故郷の《街》のお話、ですよね」

「聞いてるならいいんだが」

「ちょっと申し訳ないです……」

 別に気にしないが、と表情を変えずに行ってみたが、ホシノは気まずそうに顔をそらしたままだ。確かに、トオルが同じ立場だったらかなり気まずい。

 ちらりと裕樹を見れば、よく空気が飲み込めていないようだった。ただ何かいけないことをしゃべってしまったのかと、なんとなくそわそわしているように見えた。

「なら知ってる前提で話を進めるぞ」

 一つ息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。じわりとポケットのロケットペンダントが熱を持った気がした。気のせいだろう。

「俺の住んでた《街》は避難を選ばなかった」

 事実、あの《街》の生存者はトオルとその友人だけだ。

 当時トオルたちは子供で、大人の意思決定には参加できなかった。覚えているのは、結局逃げることを選ばなかったと言うことだけ。

「《崩壊》を見つけたやつも、あっさりあきらめてしまったから、ついに俺は友人と飛び出すしかなかったんだ」

「周りはだーれも逃げようなんてしなかったのに?」

「そうだ」

 ホシノは首をかしげている。裕樹はいつかと同じように、一言も聞き逃すまいとじっと耳を傾けていた。

「俺たちは受け入れられなかったんだ」

 灰色の世界を見たのだ。あの《街》で、多分二人だけが、あの終末世界に足を踏み入れていた。

 がらがらと崩れた小屋が、いずれお前たちの《街》も終わるのだと嘲っているように思えた。

「誰も置いていきたくなかった」

 友人がそうなのかは知らないが、少なくともトオルはそうだった。

 ――お兄ちゃんみたいにつよくはなれないよ。

 いたいなあ、と目を閉じる。柔らかな暗闇が視界を占拠して、やっぱり恐ろしくなって目を開けた。

「でも、誰も彼もが諦めてしまった」

 あの灰色の小屋を見て、同級生は嫌なほど冷静だった。焦っていたのはトオルの方だったはずだ。大人たちだって、誰も焦っていなかった。少なくとも子供のトオルにはそう見えた。

「あの終末世界の片鱗を見て、心が折れたんだろう」

 ホシノは唇をかみしめて下を向いた。裕樹は首をかしげている。

(やっぱり、彼は強い子だ)

 知らず、口元が緩む。見たことのない柔らかな笑みに、裕樹はますます首をかしげるばかりだったが、トオルはそれには気がつかなかった。

「なけなしの荷物をまとめて、俺と友人は外に飛び出した。隣の《街》についたときは、二人して惨憺たる有様だったな」

 何せ子供だ。隣の《街》が近かったのと、持っていた地図が正確だったことだけが幸いだった。

 やっと命の領域に入れた二人の子供は、《崩壊》した後の世界から抜け出せた事実に緊張の糸が切れ、パタリと倒れ込んでしまった。

(いや、あの時はめちゃくちゃ迷惑をかけたな……)

 崩壊した《街》のたった二人の生き残り。そんな複雑な境遇の少年二人の面倒をよく見てくれたものだと思う。

「むずかしい言葉ばっか使うやつは馬鹿なんだぞ」

「す、すまない」

 鋭く飛んだ裕樹の言葉にトオルはそっと顔を覆った。恥ずかしいことこの上ない。先ほどまでの話を砕いた言葉でもう一度話せば、何かおかしかったらしく、ホシノがくすくすと笑っていた。

 話している内に過去に浸ってしまっていたらしい。よくないな、とトオルは反省しつつ、なんとか口を開く。昼を過ぎて、太陽は徐々に西へ傾いていったが、腹はあまり空いていなかった。

「そこで中学までは教育を受けさせてもらったから、そのまま住まないかとは言われたな」

 思い出すように口にすれば、うんうんと裕樹が頷いた。その先を聞きたいのだと目が訴えている。

 ホシノはといえば、先ほどから目に陰を落としながらじっと聞いていた。何かふれるものがあったのかもしれない。

 それならばそれでいいことなのだろう、とトオルは思う。

「嫌だと言ったのは友人が先だった。俺は……」

 そこまで言って、言葉が止まる。俺は、と裕樹が反芻して続きを促してくる。

 ――先生、先生は《崩壊》が迫ったら、どうしますか。

 記憶の蓋が、ぱかり、と開いた。

 ――え?《崩壊》が迫ったらって……変なことを聞くなあ。

 教師の声はどこまでもふざけていて、真剣さの欠片もなかったのをよく覚えている。トオルの《街》は、隣の《街》は《崩壊》したのだ。それだというのに、どうして自分たちの《街》はそうならないと言い切れるのか。

 ――そんなこわいこと、考えたくないし、そのときにならないとわからないかもな。ははは。

 いつの間にか堅く握ってしまった手をほどく。手汗が空気に触れて、ひんやりとした。

「《街》の空気が合わなかったんだ」

 やっと絞り出したのは、そんな言葉だった。裕樹は少しの間じっと黙って、それから心底不思議そうに首をかしげた。

「それだけ?」

「ああ」

「嘘だあ」

「ほんとうだ」

 ホシノが足を遊ばせている。とんとんとリズミカルな音が場違いに響いていた。

「俺たちは確かに《崩壊》を見たんだ。だから、怖くてたまらない。あんなものに巻き込まれたくない。《街》で生きるのはいい。でも、いざ《崩壊》が起きたらどうすればいい?」

 息を弾ませて、訳も分からず逃げ出した日を覚えている。精神的な外傷となったその記憶が、今でもトオルの頭の底に焼き付いて消えてくれない。

「諦めたく、なかったのかもな」

 今の世界は、諦めた世界だ。

「誰も死なせたくなかった。子供だったけれど、きっと皆救えたはずなんだと、今でも思えて仕方がない」

 ロケットペンダントには、家族写真が入っている。

 母と、父と、妹とトオルが映った、セピア色の写真。もらったときは、どんな反応を返したのだったか。恥ずかしいと突っぱねようとして、無理矢理つけられた気がする。

 時代遅れの色あせた写真が、今のトオルにとってただ一つの家族の存在証明だった。

「だから、《街》とは相容れない」

「……だから、トオルさんはトオルさんの父さんたちを置いていったんですか?」

 裕樹が勢いよく立ち上がって、ホシノの胸ぐらをつかんだ。小学生とはいえ、思い切りつかめば女性の身体もぐらりと動く。

 裕樹の顔は怒りに染まっていた。燃え盛る火のようだとトオルは呆然と眺めていた。

「いっていいことと、わるいことがあるだろ!」

 すり切れそうな怒鳴り声だ。そんな声を出すと喉を痛めそうで、トオルはなんとか裕樹をホシノから引き剥がす。

 ホシノは、不気味なほどに表情を変えずに笑っていた。

「ホシノの言うことは正しい。だから裕樹がそんなに怒る必要はない。俺は傷ついてないから――」

「傷ついたじかくがないだけだろ!」

 裕樹は今にも泣きそうだった。顔を真っ赤にして、ホシノを鋭くにらみつける。

「水留なんて、しるか!いこう、篝」

「えっ、いや話の続きは」

「あんなやつにしてやる話なんかない!」

 それはトオルが決めることなのではないかと思ったが、あまりの剣幕に気圧されてしまった。後ろ髪を引かれる思いで振り返れば、ホシノは表情をすこんとおとして、ただその場に座っていた。

 それが、どうにも気になってしまったから、トオルはぴたりと足を止めた。ぐい、と力強く腕を引かれたが、そこはさすがに成人男性の力で踏ん張った。裕樹は納得いかない様子でトオルを見上げている。目にはうっすらと透明な幕が張られているように見えた。

「一緒に逃げようと説得したよ」

 家族だったから、捨てたくなかった。友人よりも優先度は高かったから、子供だったトオルはなんとかして家族を《街》からだそうと必死だった。

「お前みたいに強くなれない、と断られてしまったが」

 ホシノがぴくりと反応した。

「今思えば、それも無理はないだろうな。今まで生きてきた痕跡がもうすぐ消えるとなれば、一周回って諦めてしまうのかもしれない。この世界は、そうやって生きることを決めてしまったから」

 それがトオルには耐えられなかった。

 ホシノはゆっくりと顔を上げて、雲一つない青空を見上げる。黒い髪がさわさわと揺れている。その場を沈黙が支配して、大きなため息がそれを打ち破った。

「《旅人》も、《運び屋》も、本当そういう人ばっかなんですねー」

 私が会ったのは《旅人》だけなんですけど、とホシノは付け加える。

「そっか。折れなかったんだ」

 きゅ、と手に圧力がかかった。裕樹の小さな手が、所々傷跡の残るトオルの手を握っている。

 泣きそうな声が雨のように落ちて、それきりホシノは何もしゃべらなかった。

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