変わり者とはぐれ者

 《旅人》は大抵何かしらの特技を持っていることが多い。トオルの場合は機械修理にたけていて、時計やら給湯器やらの簡単な物であれば大抵見ることができる。小さな頃から機械が好きで、隙があればリモコンや携帯を分解しては叱られていた。

 トオルの友人の場合は、彼はどこで身につけたのか随分と博識で、語り部をしたり教師のまねごとをしていたはずだ。元の頭がいいからか、創作の話を作っては語り、日銭を稼いでいるらしい。本人の申告のため、真実かどうかは分からないが。

 旅に持ち歩く鞄よりも随分小さくなった手提げ鞄を持ち歩きながら散策する。背の高くない家が建ち並ぶ住宅街を抜けると、途端に空が広くなった。道路よりも一段低い位置に、緑色の絨毯が広がっている。田んぼだろう。所々道路と総高さが変わらない位置にあるのは何かの畑か。

 田舎町だなあ、と静かな道路を歩きながら思う。車なんて産物は通るわけもなく、時折すれ違う通行人は堂々と道路の真ん中を歩いていた。

「……《旅人》だ」

 静かだったから、そんなつぶやきもよく響く。トオルはそれを木描かなかったふりをしてそのまま足を動かした。それに、慌てたような足音が後ろから迫ってくる。用があったらしい、とトオルはそこでやっと足を止めた。

 軽く息を弾ませて駆け寄ってきたのは、トオルと同じくらいの年の女性だった。黒い長い髪はきっちりと後ろで一つにまとめられている。化粧っ気の薄い顔は、しかし一般的に見て整っている部類だろうか。柔らかな印象を与える丸い黒い目が、迷ったようにふらふらと視線をさまよわせていた。

「何か?」

「あっ、ご、ごめんなさい、急に呼び止めて」

 彼女はもじもじと下を向くと、大きく息を吸って、吐いて、それから自分を落ち着かせるように手を胸に置いた。

「あの、きちんと報酬はお支払いするので、わたしに外のお話を聞かせてくれませんか」

「外」

「はい。私、本当は《旅人》になりたかったんですけど、親に大反対されて、なれなくて」

 ああ、とトオルはうなずいた。こういう人間は実のところ少なくない。別に構いませんよ、と答える。報酬までもらえるのであれば願ったり叶ったりだ。

「やった!……あ」

 ガッツポーズをしてから、彼女は赤面して、あはは、と照れ隠しをするように笑った。余程うれしかったらしい。トオルはあえて何か反応することはしなかった。

 こほん、と咳払いをして、女性は改めましてと会釈をした。黒い髪が動作に合わせてふわりとゆれる。

「私、みず……ホシノ=ミズトメといいます」

 そこに、ほんの少しの憧れを見た気がして、トオルは口角を上げた。

「トオル=カガリです」

「トオルさん!よろしくお願いしますね。あ、今日はもう時間ってないですか?も、もしよければ歩きながらでも」

 そんなに早く聞きたいのか。聞きたいのだろうな。

 頬を紅潮させ、期待に目を輝かせるホシノがいっそまぶしい。トオルはつい緩んだ口元を引き締めて、構いませんよと口にした。

 元から今日はふらつくだけのつもりだったし、と内心で付け足す。

「やった!じゃあ歩きましょう。《旅人》は《街》についたらまず《街》を散策するって聞きました」

 ホシノはそう言ってトオルの半歩前にでる。見覚えがあるな、とその距離を崩さないように足を動かした。

 のどかな田園風景だ。住宅街を抜けたらすぐにこの光景が広がるような、普通の町であることがうかがえる。

 何百年前かだったら――

 そんな、あり得ないもしもを空想しては息苦しくなっている。

(今は、関係ない。関係ないんだ。どうしようもない)

 灰色の目が下がっていく。青から、緑、灰色へと視界に移る色が変わっていく。

「あの、大丈夫ですか?」

「……ええ」

 ふっ、と息を吐く。

「何から聞きたいですか」

 口にした言葉は、思っていたより柔らかい響きをおびていた。それに自分でも驚いていれば、ぱっと華やぐような笑顔を浮かべて、勢いよくホシノが振り返った。

「いいんですか!」

 食い気味だった。トオルはあまりの勢いで軽くのけぞって、ええ、と短く答えた。

「えーっと、じゃあですね」

 ホシノは悩むように上を向いて、ぱん、と一つ手を合わせた。

「じゃあ、やっぱり《崩壊》した後の場所の話が聞きたいです」

「最初から重たい話振ってくるな」

「ひえっ、申し訳ない」

「いや、俺は構わないんですが」

 トオルは苦笑して、記憶の中から灰の色をしたそれを引っ張り出す。

「つまらない話ですよ」

「聞きたくて聞いてますから」

 ホシノははにかむように笑って、トオルの隣に並ぶ。色彩豊かな《街》の景色がまぶしく思えて、なんとなく目を細めた。

「空は常に曇り空で、地面は瓦礫だらけ。土……は、なくはないが、水分を失ってさらさらだったし、なにより色がない。空気も常に埃か何かが舞ってて汚い」

「ほほう。ちなみに、《崩壊》後って昼も夜もないって聞いたんですが、本当ですか?」

「いや、あるよ……ありますよ。ただ、《崩壊》直後はちょっと目に痛いから、そう見えただけかと」

 くすり、とホシノが笑った。敬語苦手なんですか、とからかうような声がかけられる。なんとなく恥ずかしくて、トオルはそっとホシノから顔を背けた。

「あまり人と話さないもので」

「《旅人》だからですか?」

「人によります」

 口やかましい、黒い髪の彼は人好きする振る舞いを好んでいた。

「あ、敬語はいいですよ」

「えっと……」

「私は好きで敬語をしゃべっていますので。トオルさんも話しやすいようにお願いします」

 黒い髪がぴょんぴょんと踊る。快活そうな仕草にトオルも笑って、それなら、と小さくうなずいた。気を遣われたのはさすがに恥ずかしかったのだ。

「けど、やっぱり《崩壊》した後も夜はあるんですね。常に曇ってるってことは、やっぱり星も見えないんですか?」

「見えない。だから方位磁石は欠かせないな」

「迷子になっちゃいますもんね」

「そしてそのまま野垂れ死ぬからな」

 うひゃあ、と変な声を出して大げさなリアクションをとる。ホシノは、こわいですね、とわかりきったことを言いながら楽しそうだ。

 トオルはずっと内心で首をかしげていた。てっきりほかの《街》について聞かれる物だと思っていたのだ。

 他の《旅人》も、他の《街》を知りたくてそうなる人間が多いと聞く。彼女もそうだと思ったのだが、と不思議に思った。

(別にいいか。俺に何か関係あるわけでもないし、それに)

 苦い物を飲み込んで思う。

(ほんとうの、俺たちが見た《崩壊》を知れば、少しでも……)

「となると、やっぱり《崩壊》した後の世界って何にもなくて、元の面影とかなくなっちゃうんですね」

 ホシノの声で思考が引き戻される。そうだな、と取り繕うようにうなずいて、しかし変わり者には違いないなと思った。

 そんなトオルの内心に気づいたのか、ホシノは照れ隠しをするように眉を下げて笑う。変ですかねえ、とごまかすような声音が落ちた。

「まあ、あまり居ないが」

「ですよねえ」

「全くいない訳ではないな」

 そういう物好きも全く居ないわけではない。トオルは淡々と述べて、ホシノが《崩壊》後の話をせがむ理由については聞かなかった。ホシノもまた、何も言わなかった。

「話は戻るんですけど、《崩壊》後って元の町の面影ってきれいさっぱり消える感じなんですか?や、なんか話聞くとそんな感じだとは思うんですけど、やっぱり改めて聞いてみたくて」

 トオルは今まで通った灰色の世界を思い出して、小さくうなった。何をもって「きれいさっぱり」とするかによるのだ。

 確かに、《崩壊》した後の土地はその原型をとどめない。物質として、概念として死を迎えたその場所は、もはや命が定着できる場所ではなくなってしまう。

 住むための建物は崩れ落ち、コミュニティを保つための道は埋まり、生きるために必要な物は消え失せる。それが《崩壊》現象と呼ばれる物だ。

 とはいえ、崩れ落ちた元は見ることができるし、色彩を失ったとはいえ、場合によっては元の建物の用途を推測することができる場合もある。

 例えば学校がそれに当たる。土地の使い方と、崩れ落ちた校舎とおぼしき瓦礫に埋まる備品でそうだと分かる場合もあるのだ。

「まあ……都市機能は完全に失われるし、道は埋まるし、面影がないと言えばないか」

 へえーっ、と感心した声。こういったときばかりは自分の言葉足らずさに罪悪感を覚える。友人であれば、すらすらと語って見せたことだろう。

 でも口やかましいのは柄じゃないし、とトオルは内心でそっと首を振った。

 明らかに説明不足かつ口下手なトオルの説明には触れずに、あくまでホシノは楽しそうに聞いている。別に楽しい話ではないと思うのだが、望んで聞いてくるくらいだから本人は楽しいのだろう。

 空の色がだんだんと茜色に色づいていく。青から赤色へのグラデーションが美しい。泊まっているようにしか見えない雲の輪郭が際立っているように見えた。

 ぱらぱらと通行人が増えてきた。時刻にして十五時過ぎ頃、学校も仕事も終わる頃だ。

「次は――」

「あ、あそこが溜め池公園ですよ。ほら、最初にトオルさんが小学生たちに囲まれてた場所です」

 トオルは一瞬言葉に詰まったが、変な名前だな、となんとか返した。

 ホシノは一瞬だけ悲しそうな顔をして、しかし次の瞬間にはにこにこと人好きする笑顔を浮かべていた。トオルはそんなホシノの様子が酷く気になったが、今言及するべきではないと判断して、あえて何も言わなかった。

「公園の中央に池があって、本当にそれが汚いんですよ。多分他にちゃんとした名前があるんですけどみんな『溜め池公園』って呼んでるんです」

 ホシノの視線が変な方向へ泳いで、トオルもそれを追う。視線の先には崩れた石碑があった。

「昔、誰かが壊しちゃったって聞きました」

 声は酷く寂しげだった。声量もそこまであるわけではなかったから、きゃあきゃあと下校中の子供の声が被さって聞き取りにくい。そのくせ、夕日に照らされた表情ははっきりと見えてしまう。(ああ)

 黒い髪が揺れている。ころころと変わる表情は、急に話題が変わった瞬間から一つに固定されてしまっていた。

(泣きたくなるほどの、笑顔だ)

 トオルはせめて何も言わず、表情も変えず、残念だ、とだけ述べた。そうですねえ、とホシノの声がぽつりと落ちていく。

「あ、トオルさん、そういえば泊まる場所って」

「小林さんの家に世話になることになった」

「ぐっ、先を越されてしまいました。いえ、構いません。お金を払えばトオルさんの時間は変えますから」

 言い方。

「それじゃあ、明日もいいですか?できれば十三……いえ、十四時くらいがいいんですが」

 ホシノは指を二本立てて提案する。別に構わない、と答えれば、ホシノははにかむように笑って見せた。目に痛くない笑顔だった。

「やった!それじゃあ、また明日」

 右手が頭上に掲げられる。そのまま左右に二、三度動かされた。

「ああ、また明日」

 トオルも同じように右手を挙げて左右に揺らす。胸の奥がきゅうっとしまって痛かったような気がしたが、トオルはそれに気がつかないふりをした。

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