あやまってばかりの

 後ろできゃあきゃあ騒ぐ子供をなんとかして振り切り、やっと声も通行人の視線も気にならなくなったあたりで速度を緩めた。ふう、と軽く上がってしまった息を整えて、やっと本題に思考を切り替える。

(この《街》は《旅人》に対してさほど嫌悪感を抱いてるって訳じゃないのは助かるが……元観光地とか、大都市って訳じゃないから、宿泊施設なんぞないだろう)

 空き家でも借りられればと思うのだが、勝手に空き家に入り浸るのは単なる付保侵入である。都合よく空き家の管理人でも現れれば話は別なのだが、そう都合よく現れるわけもない。

 今回も野営かな、ととりあえず開けた場所を探す方向にシフトする。公園で野営ができたらいいのだが、住人に煙たがられる可能性があるので、可能であれば目立たないところがいい。

 キャンプ場があった《街》は何も考えなくても野営ができて楽だったな、と思い出しつつ歩を進める。普通の住宅街といった様子の《街》は、賑やかではなかったが静かすぎるというわけでもなかった。

 ひとまずは《街》の端にでも行ってみようか、と適当に歩く。《崩壊》の境目に近い《街》の端は、当然ながら人があまり近寄らない。野営の候補地の一つだった。

「あの」

 伺うような声がかけられて、トオルは思考を中断して足を止める。

 振り返れば、気弱そうな男性が中途半端にこちらに手を伸ばして突っ立っていた。

 男性は宙ぶらりんになった手に気づいたのか、そそくさと胸の前に持って行って、落ち着かなさそうに手をいじっている。肩でもたたこうと思ったのだろう。あえてそこに触れることはせずに、何か用ですかと訊ねてみた。

「あ、あの……突然、申し訳ありません。ええと、私は小林裕哉と申します」

「はじめまして、俺はトオル=カガリ……ああ、篝透といいます」

 先ほどの子供たちをふと思い出したのは、礼儀正しく自己紹介をされたせいだろう。おいおまえ、と指を指されたた先ほどの記憶になんとなく笑ってしまう。

 裕哉の言葉が続かない。どうかしたのかと思ってから、自分が突然小さく笑い出したせいだと思い至った。思い出し笑いです、と小さく補足する。なんとなく気恥ずかしかった。

 裕哉は、いえ、と眉尻を下げて笑みを浮かべた。気弱そうであると同時に、どこか優しげな雰囲気をまとっているのだと今更気づく。

「その、先ほどは申し訳ありません。愚息がご迷惑をおかけしたようで」

「迷惑」

「……その、子供たちが貴方を囲んでいるのが目に入りまして」

 なるほど、とうなずく。

 言われてみれば、なんとなく似ているかもしれない。その、偉そうに腕を組んで、トオルに「うちにこい!」と命令したあの少年と。

 いや、さすがにそれは失礼に当たるか、とぐるぐる考え始めたあたりで、裕哉は申し訳なさそうに縮こまってしまった。

「いや、そこまで気にしていませんから」

「本当に申し訳ない……裕樹には、よく言い聞かせておきますので」

 今にも顔を覆ってしまいそうな空気にトオルも思わず目をそらしてしまう。確かに通行人の目は痛かったし、きゃあきゃあと騒がしかったが、あの少年――もとい裕樹だけの行動ではないのだ。

 それに、もとよりトオルをはじめとした《旅人》はこういう反応には多少なれている。物珍しいものを見たときの反応など、多少は似通うものだ。

 どちらかと言えば、裕哉がどうして話しかけてきたかの方が気になるのだ。

 トオルのような流れ者に、わざわざ詫びを入れるためだけに話しかけてきたとは思えない。何か頼まれごとだろうか。《旅人》は何でも屋のようなことをしている人間も少なくない。トオルは違うのだが、まあ報酬があるのなら――そんなことを考えていれば、裕哉がゆっくりと口を開いたのが見えた。

「その、ぶしつけな願いになってしまうのは承知の上なのですが」

 そらきた、とトオルは内心微妙な気持ちになりながら口を閉ざす。報酬がもらえるなら、まあ頼まれごとでもいいかなあ、などと思いつつ続きを待つ。

「《旅人》であるのなら、まだ宿を探しているかと思ったのですが」

 しかし、彼の口から出てきたのは意外な言葉だった。内心首をかしげながら、そうですね、と返す。その返事を聞いて、裕哉は心底安心したような表情を浮かべた。

「それならば、我が家を宿にしていただけませんか。部屋以外にも、食事もご用意します」

「は……?」

 心の底から困惑した声が漏れてしまった。口はぽっかりと空いて、さぞ間抜けな顔をしていたことだろう。

「ああ、いえ、その、訳もありまして!その、息子……裕樹が、将来は《旅人》になると言ってきかなくて。私も家内も裕樹には普通に大人になって、幸せになってほしいのですが、なかなか話を聞いてもらえず……」

 慌てたように早口でまくし立てて、裕哉はふと疲れたようにうつむいた。黒い髪の中に白髪が何本か混じっているのが見えて、トオルはただ口を結んで言葉の続きを待っていた。

「《旅人》である貴方にこんなことを頼むのは、気が引けるのですが」

 声は僅かに震えていた。申し訳なさと、息子のために動かなければならないという義務感に挟まれて、酷く息苦しそうに聞こえる。

 トオルは眉を下げて口角を少しだけ上げて見せた。その気持ちは分からなくもなかった。

「《旅人》の実情について話してほしい、というところですか」

「……はい」

「そういう話であれば。寝床を用意してもらえるのなら、むしろありがたい」

 なるべく穏やかに返答する。

 裕哉はほっとしたように息を吐いて、両手を軽く握ったり開いたりしていた。緊張で堅く拳を作ってしまっていたのだろう。ちらりと見えた指先は白くなっていた。

 やっと裕哉の様子が落ち着いたあたりで、可能であれば荷物を置きたいと説明する。裕哉はそれを二つ返事で快諾し、トオルの半歩前を歩きだした。

「仕事は紹介した方がいいでしょうか」

「いえ、仕事は特に――ああ、いや。腕のいい修理屋がきたと触れ回ってもらえると助かります。主に、機械系であれば扱えると思うので」

「分かりました。急なお願いを聞いてもらえて、助かります。同僚に、お気に入りの腕時計が壊れたって言ってたやつがいたので、彼にも紹介しておきますね」

「助かります」

 日銭を稼ぐ手段まで提供してもらえた、と内心ほくほくである。今回の《街》はあたりかもしれないな、と肩からずり落ちかけた鞄をかけ直す。

 裕哉はいたって普通のサラリーマンといった様子で、面白みのない黒いスーツに身を包んでいた。親か、とトオルは裕哉を見て、少しばかり苦いものを飲み込んだ。

「ついでに、というには重い話ですが」

 裕哉が口を開く。穏やかそうな声ではあったが、値踏みをするような気配の混じった声だった。

「貴方のご両親は、貴方が《旅人》となることに反対はされなかったのでしょうか」

「ええ、まあ……」

 曖昧に返す。トオルの場合、そもそもの話になってしまうからだ。裕哉はトオルを振り返って表情を確認している。もっと口がうまければなあ、とない才能をうらやみつつ、言葉を探して口に乗せた。

「なりゆきでならざるを得なかっただけですので」

「なりゆき……?」

「俺の住んでいた《街》は十数年も前に《崩壊》しています。そのあとに《旅人》として生きることを決めたのは俺の意思ですが」

 なるべく淡々と、さもなんとも思っていない体を装って答えた。裕哉は息をのんで、申し訳ありません、と小さく詫びを口にした。心なしか小さく見えたのは気のせいではないだろう。こんな話をされたら誰だって気にする、とトオルは内心でため息をついた。

「色々とありましたから、貴方方親の気持ちも分からないわけではないんです」

「あ、いえ」

「ご子息にお話するときはきちんと話しますので、ご心配なく」

「――いいえ」

 思いの外、しっかりとした否定が返ってきた。トオルは首をかしげて、何か、と口にした。何かを間違えたらしいことだけは分かったが、それ以上は何も分からなかった。

 裕哉は眉を下げて困ったような笑みを浮かべた。これは私のエゴになりますが、という前置きをしてから彼は前を向いた。

「子供たちには《街》の外に出てほしくないと思っています。ですが同時に、私たちが諦めてしまったものを手放してほしくはないとも思ってしまうんです」

 故に、求めるのは夢を砕くような絶望ではなくて。

「どうか、貴方の知る話を、ありのまま子供たちにしてほしい。……妻には、怒られてしまいそうですが」

 トオルは何度か瞬きをして、それから無言で頷いた。裕哉はそれで満足らしかった。

 裕哉はそれからも小林家につくまでの間、ぽつぽつと話題を振ってくれていた。もっとも、トオルの方が会話維持能力がなさ過ぎてすぐに沈黙が漂っていたのだが。

「ああ、ついた。今家内に話してきますから、申し訳ないのですが、外で待っててもらえますか」

「分かりました」

 至って普通の一軒家だ。あの少年にきょうだいが居るのかは知らないが、二階建ての、小さな家だ。窓からのぞくぬいぐるみやおもちゃが生活感を醸し出している。

 屋根がある寝床が確保できるのはいいことだ、と不意に刺激された記憶の蓋を固く閉じるように思考をそらす。

 トオルの柔らかな部分。《崩壊》した世界を歩くことになった、始まりの記憶。

 ひりひりと焼き付くような痛みを覚えて、今は関係ないのだと言い聞かせるように目を閉じる。真っ暗な視界が余計に不安をあおって、ため息をついた。

 ――つくづく不器用極まりねえな、お前。

 嘲るような、しかし案じるような声が耳をかすめて消えていく。口やかましい友人が苦言を呈しているのがありありと想像できて、自然と気が楽になった。

 玄関ががちゃりと音を立てた。戸が開いて、裕哉とは対照的に気の強そうな女性が顔をだす。

「はじめまして、こんにちは。急なお願いを聞いてくださってありがとうございます。私は裕哉の妻の有希と申します」

 有希は玄関から出てくると、ぺこりと礼をして来客用の笑顔を浮かべてトオルを歓迎した。篝透です、と短く名乗れば、お疲れでしょうと有希は急かすように中へ入るように促した。

 お言葉に甘えて、と荷物を抱えて家屋の中へ入る。安っぽい玄関マットが敷かれた廊下は少し狭かった。

「部屋は二階になるんですけど……」

「わかりました」

 ほう、と安堵の表情を浮かべた裕哉とは対照的に、有希はにこにこと笑みを浮かべたまま、せわしなく二階へ上がっていった。ちらりと裕哉の方を確認すれば、どうぞとうなずかれたので、鞄を壁にぶつけないよう注意しながら階段を上がる。

 二階には小さな個室がいくつか用意されているだけだった。そのうちの一つのドアノブに有希は手をかけて、かちゃりと軽い音を立てて扉を開ける。

「簡素な部屋になってしまうのですが」

「いえ、本当に気にしないでください。屋根とベッドがあるだけでかなり助かるので」

 その言葉が面白かったのか、有希はくすくすと肩をふるわせた。慌てる裕哉の様子がいっそ面白い。

 部屋自体はシンプルなもので、空き部屋ながらもベッドと机、クローゼットが置かれていた。元は誰かがこの部屋に入る予定だったのか、あるいは――そんなことを考えて、トオルは思考を止める。そこから先は、自分には関係のない話だ。

 余計な同情は、ただ心を重たくするだけ。

 ごぽりと水底で息を吐くような重さを感じた気がして、トオルは鞄を肩にかけ直した。気のせいだ。人の良さそうな夫婦を視界に納めて、軽く頭を下げた。

 重たい鞄を置く。がちゃがちゃと金属のすれる音が思っていたよりも響いて、思わず動きを止めてしまう。野営道具ですか、とのんきそうな有希の声に、ええ、と短く答えた。

「……申し訳ないです」

 有希が一階へ降りた後、裕哉は独り言のようにこぼした。トオルは裕哉を一瞥すると、床に置いた鞄を開ける。ごちゃごちゃとした鞄の中から必要なものだけを探して取り出すべく、探るように手を鞄の中に突っ込んだ。

「先ほどからその言葉ばかりですね」

 気配が僅かにこわばった感覚があった。思ったことをそのまま返してから、トオルは裕哉を見上げる。うっすらと青くなった表情に浮かんだ感情は何だろうか。恐怖か、後悔か。

 いずれにせよ、馬鹿なことだなあ、とトオルは思うのだ。

「なれてますから」

 息をのんだ音がした。それをあえて無視するようにトオルは裕哉から視線を外した。

「この《街》はまだ寛容だと思いますよ。何せ、入った瞬間に石を投げてこない」

「は、話は聞いたことはありますが……誇張された話ではなかったのですね」

「まあ。実際、《旅人》のせいで《崩壊》が終わらないと信じている人間もいるようですから」

 げらげらとやかましい笑い声が脳裏をかすめた。ばっかじゃねえの、と煽るように笑って、怒鳴って、中指を突き立てた友人の顔をよく覚えている。

「だから、そんなに謝られるほど傷ついているわけでも、気にしているわけでもない、です」

 外れかけた敬語を無理矢理つけて、トオルは大きくため息をついた。罪悪感を抱くのは結構なことであるが、過剰なそれはただただ息苦しさを押しつけているだけだ。

 裕哉は言葉に詰まったように息を飲み込んで、それから眉を下げて力なく笑った。

「なら、最後に一度だけ」

「はあ」

「申し訳ありません」

 トオルの眉間にしわができる。裕哉は眉を下げたまま、会釈をして部屋を出た。ととと、と階段を降りる軽い音が聞こえて、消える。

 なんともまあ、とトオルはあきれたように口を開いて、言葉を飲み込んだ。聞かせる相手は居ないし、言ったところでどうにもならない。

 我ながらなかなか面倒な性格をしている。心の内にたまった鬱屈とした感情は、ただ底に溜まっていくだけで発散されることはない。

 がちゃがちゃと音を立てて、必要ない物とそうでない物を分けていく。テントはこの《街》では使わない、工具は仕事に必要だから出した方がいいだろう。

(《街》か。何が楽しくてこんな場所に)

 手が止まる。灰色の目がぼんやりと工具を映していた。

 柔らかな記憶が揺れている。この《街》は穏やかだから、そんな記憶を思い出してしまうのだろう。

 最初の記憶。幼い頃の記憶は人格の基礎にこびりついて消えてくれない。灰色の瓦礫が崩れていく姿を見た。その中で、色を失っていく誰かを確かに見たのだ。

 がちゃん、と金属のぶつかる大きな音にはっとする。鞄の中でバランスが崩れたらしい。後で夫妻に一言詫びを入れておこうと頭に留めつつ、トオルは鞄の内ポケットにしまい込んだロケットペンダントを取り出した。ロケットを開こうとして、手が止まる。

 情けないことだと自嘲した。どうやらまだ恐ろしいらしい。

 降りるか、と一通り片付いた荷物を眺めてから息をつく。小さな鞄に工具と貴重品を詰めて、ゆっくりと一階に降りた。

「おまえーっ!あいたっ!」

「お前じゃない!失礼だろう」

「すいません、旦那からさっき聞いて……公園で失礼を」

 トオルは思わず笑って、いえ、と短く言った。

「言うほど迷惑ではなかったので」

「本当に申し訳ありません……」

 首を振って、少年に目を向ける。確か、裕樹といったはずだ。

 びしりと指を指した裕樹は素早く裕哉に手をたたき落とされ説教を食らっている。気弱そうだと思ったが、親としての顔はまた違う物らしい。

 有希は苦笑を浮かべて裕哉と裕樹を見てからトオルに向き直る。

「お出かけですか?」

「ええ、軽く見て回ろうかと」

「なら、十九時くらいに戻ってきてもらえればと思います。ちょうど夕飯の時間なので」

 今は十六時。時間にして三時間程度といったところか、とトオルはうなずいた。もともと長くふらつくつもりもなかったから、ちょうどいいともいえる。

「まてーっ!」

 甲高い少年の声が後頭部に突き刺さった。あまりの声量に眉間にしわができて、後ろを見てみる。

 裕哉がたしなめるように押さえているのが見えて、眉間のしわが消えた。じたばたとこちらに接近しようともがく裕樹の姿はいささか滑稽だ。

「それでは、また後で。十九時を目安に戻ります」

 きゃんきゃんと騒ぎ立てる裕樹を無視するように玄関の戸を開ける。ぱたんと閉じたにもかかわらず、子供の声は消えなかった。

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