《街》

口下手な《旅人》の来訪

 トオル=カガリは《旅人》と呼ばれる青年である。特定の《街》に住むことはなく、各地の《街》を渡り歩く物好きの一人だ。

 一般に、《旅人》は他の《街》を知りたいだとか、単に冒険好きだとか、そういった理由を持つ人間が多い。しかしトオルはその中でも、主立った理由をもたずに放浪する変わり者だ。

 そんな彼は、ちょうど次の《街》に到着したところだった。

 古びた木造建築、白い塗装がはげてしまったアスファルトの地面。元はさほど賑やかではなかったであろう町並みを彷彿とさせて、この《街》がごく普通の物であることを物語っていた。

「おい、おまえ!」

 不意に、高い声が響いた。ぼうっとしていた物だから、頭に響いて思わず眉を寄せる。

 声は下からしているらしく、子供だろうかと目を向ける。案の定、まだ六、七歳ほどの少年少女がトオルの足下に群がっていた。

 そのうちのリーダー格らしい少年がビシッとトオルを指さして、おまえだぞ、と勇ましく声を上げた。

「そこのぼーっとしてるおまえだぞ!」

「そのでかい鞄なに?」

「ちょ、ちょっと失礼だよ……」

「ねえねえ、もしかして《旅人》?本物?」

 右から左から子供特有の高い声が飛び交っていく。トオルはそのやかましさに内心苦笑しつつ、順番に言えと眉を寄せた。

 生来口下手な彼は、同じように表情のコントロールも下手くそであった。

 幸い子供たちは気にしなかったらしい。はいはいと手を挙げて、「じゃあおれから!」「ずるいよ、ぼくから」「わ、わたしも聞きたい……」と順番争いを始めている。

 ちらりと通りの方へ目を向ければ、楽しそうなことだと笑う者や、うるささに眉をひそめる者が通り過ぎていった。

(ああ、いや)

 きゃんきゃんと騒がしい声を聞きながら思い直す。

(《旅人》を煙たがる目か、あれは)

 なんとなく寂しい気持ちになっていれば、よしおれから、などとやかましく声が耳に刺さった。

「おまえ、《旅人》ってやつか?」

 きらきらと好奇心に満ちた目を向けられて、トオルはなんとなく目をそらした。別に偽る理由もない。素直に答えていいとは思うのだが、と口を開いて、しかし言葉にするのをためらってしまう。

 嫌そうな顔。煙たがる目。好奇心に彩られた声――哀れむような言葉。記憶の底の底に沈めておいたはずのそれらが、ぶくぶくと泡を立てながら浮いてくる。

「無視はいけないんだぞ!」

「ねえねえ、そのかばんって旅行かばん?トランクってやつじゃないの?」

「あっ、おまえ、おれが先に質問してるんだけど!」

「だって答えないじゃない!こたえにくい質問はよくないって、先生も言ってたでしょ」

「はあー?そんなん知らねーし」

 悩んでいるうちに口論が始まってしまった。

「……はあ」

 これはさっさと答えた方が身のためだな、とトオルは嘆息する。おろおろとしている子供は、トオルのことを伺うように見上げていた。機嫌を損ねてしまったとでも思っているのだろう。

 生憎と愛想笑いを浮かべられるほど器用な質ではなかったから、トオルはとりあえずしゃがんで、子供たちと目線を合わせてみることにした。

「俺は確かに《旅人》だ。この鞄は旅行鞄。トランクは外を歩くには不便だから使ってない。同じ《旅人》でも、トランクを使っているってやつは見たことないな」

 ぱっ、と子供たちの表情が明るくなる。なら、じゃあ、と次の質問が飛びそうになるのを察して、トオルは素早く立ち上がった。あっ、という声が聞こえて、多少の罪悪感を覚えつつ口を開く。

「《旅人》は寝るところを探さないといけないから、また今度な」

 どうせ、少なくとも数日はこの《街》に滞在するのだ。見たところ、そこまで広い作りはしていないようだし、彼らが探そうと思えば異邦の《旅人》ぐらいあっさりと見つかるだろう。

 《旅人》は特定の《街》を持たない人間を指す言葉だ。《崩壊》した後の世界を渡り歩き、《街》から《街》へと旅をする根無し草。

 要は、《街》についても寝床がないのである。《旅人》たちは《街》についたらまず寝床探しをする。可能であれば屋根のある場所が望ましいが、どうにもならない場合は野営ができる場所を探す必要があるのだ。

 つまり、時間との勝負。ただでさえ《崩壊》した後の土地を歩くのは疲れてしまうのだ。なるべく早く腰を落ち着かせる場所を探したいと思うのは普通だろう。

 トオルは鞄を肩にかけ直し、子供たちを振り切るように早足で立ち去る。まて、という声が後ろから降りかかるが、なるべく気にしないように更に歩調を早めようとした。

「まてー!おまえ、《旅人》なら、うちにこい!」

 ぴたりと足が止まる。

 灰色の目が疑いをはらんだ視線を少年に向けられた。少年は、ふんっと鼻を鳴らすと、実に偉そうに腕を組んだ。

「父さんと母さんが言ってたんだ。もしこの《街》に《旅人》が来るなら、是非泊まってほしいって」

 いいなあ、と子供の声が重なる。どうだとでも言わんばかりの少年の様子に、トオルは思わず頭を押さえてため息をついた。

(子供だしな……)

 その言葉を信用して「それじゃあお世話になろうかな」などとついて行く大人が一体この世のどこに居るのか。居たとしても、それこそろくな人間でないことだけは間違いない。

「結構だ。そら、俺はしばらくこの《街》にいるんだから、質問は後にしてくれ」

 ブーイングが子供たちから飛んだ。いい加減通行人の視線が痛い。トオルは今度こそ鞄をしっかりと肩にかけて、足早にその場を立ち去った。大人げなく、少し駆け足気味に。

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