さかさま現象

リウクス

さかさま現象について

 私が中学生のとき、世界同時多発的に「上下さかさま現象」という集団幻覚が発生した。この現象は、世界中のプライドの高い人間が文字通り上下さかさまになって見えるというもので、その見た目の分かりやすさから、身近な人間はもちろんのこと、テレビの有名人や政治家などたくさんの人たちが影響を受けた。


 初期に甚大な被害を被ったのは公に顔を出す人間、とりわけその中でも謙虚なイメージを売りにして人気を得ていた人たちだ。プライドというのは基本的に他人より勝っている、もしくはいくらかマシであるというような感情から生まれるものがほとんどで、それは傲慢といって差し支えなかった。だから、今まで腰を低くして良い顔していた人たちは、内心他人を見下していたのだと暴かれることで、信頼を失うに至ったのだった。


 さかさま現象は最初の事例から十年以上続いたわけだが、その間たくさんの人間が公の場から姿を消し、体裁を保つことができたのはさかさまでない真人間だけだった。

 そして、顔の広い人間が潰れていくにしたがって、さかさま人間たちへの悪評は社会の至る所に流布していった。病院ではさかさま状態で診察する医師に対して患者が不信感を抱き、家庭や職場では人間関係の不和が起こりやすくなっていった。


 私自身がさかさま現象の悪影響に苛まれたのは高校生のときだ。私は中学の頃からさかさま人間で、発生当時はただ物珍しさで注目を集めていたが、「さかさま=悪」という分かりやすいコンセプトが浸透していた高校時代には確実に否定的な目で見られるようになっていたのだ。しかも、さかさま生徒への配慮としてスカートが上から覗かれているように思われないように(さかさまのように見えるだけなので実際に覗かれることはないのだが)、制服がパンツスタイルになるなど、さかさま人間とそうでない人間の区別はより一層明確になっていた。


 私は元々内向的な性格で、教室の隅で特定の少数としかコミュニケーションを取らないタイプの生徒だったがゆえに、「あんな顔して陰でみんなのこと見下していたんだ」と勝手な先入観を抱かれてしまい、避けられるようになってしまっていた。時にはプライドの欠片もない頭空っぽの人たちに嫌がらせを受けることもあった。背は低いのにプライドだけは高いんだな、というのは何度も言われた悪口だ。家でも酷い扱いを受けた。親に向ってなんだその態度は、と。


 何もしていないのに、ただ自分のことを大切にしたいだけなのに、プライドが高いだけで勝手に人のことを馬鹿にしていると思われて、非道徳な下種だと格付けされて。


 結局真人間が社会を支配しても、謙虚で誠実な人間が正当に活躍する社会になるわけでもなかった。さっきも言ったように、理不尽なさかさま差別は蔓延したし、自尊心もなく自分の体裁なんて気にしないような人たちは様々な不祥事を起こしていった。無論プライドがないからといって理性がないというわけではなく、真人間たちの中にも歪な社会の違和感に気づく人たちは大勢いた。だから五、六年年経つ頃にはさかさま人間と真人間の平等を訴えるような運動が各地で相次いで行われていた。しかし、やはりそれは功を奏さなかったのだ。さかさま差別は場合によっては理不尽だが、私のように自分を大切にしたいという意味でのプライドではなく、他人と比較しての優越感を軸にしたプライドのように、表面上蔑まれてしかるべきケースもあるからだ。


 疑わしきはとりあえず罰する。それがさかさま現象下の社会における暗黙のルールとなった。私はよく理由もなく生徒指導室に呼び出されていた。そして、それを見た生徒が悪い噂を広めていく悪循環。


 私は当時受験を控えていたし、大学卒業後の就職についても、さかさまだからというだけで落とされるのではないかと、かなり憂慮していた。実際、受験で面接のある大学は不合格だった。


 しかし、私が大学生の頃、そんな社会を揺るがすような出来事が起こった。それが第二次さかさま現象だ。さかさま人間が真人間になり、真人間がさかさま人間になるといったような変化が、世界各地で観測されるようになったのだ。それによって少しばかりさかさま人間たちへの信用が回復すると同時に、今度は真人間同士で疑念を向けるようにもなっていた。「こいつは真人間だけど、真人間らしくない。今にさかさまになるぞ」というように。人々は私怨を現象のせいにした。


 一方さかさま人間たちは、真人間となって人から信頼してもらうために自分を卑下するようになり、自己肯定感をどんどん下げていった。その結果が前年と比較したうつ病発症件数の十パーセント増加と、自殺件数の五パーセント増加である。


 真人間はさかさま人間に、さかさま人間は真人間に、人々の形態は目まぐるしく変化していき、世界は混沌を極めていった。


 そして、最初の現象から十数年が経過し、私が細々とフリーターをしていた頃、ついに上下さかさま現象に終止符が打たれることとなった。世界から集団幻覚がパタリと消え去ってしまったのだ。全員が顔を向かい合わせて話すことができるようになり、世界の見た目だけはすっかり元通りに戻ったのだ。具体的な原因についてはまだ解明されていないが、恐らくこれも世界情勢や社会の風向きの微かな変化が人々の価値観に影響をもたらしたことによるものだと推測されている。


 ただ未だ余波による社会的不安は消えることなく、人々の心に大きな傷を残していた。私は自分への自信をなくしてしまっていたし、他人の視線にいつもおびえていた。何かを成し遂げても調子に乗ってはいけないとセーブがかかり、物事を素直に喜ぶことができなくなっていた。恐らく他のさかさま人間たちも似たようなことを経験したと思う


 真人間たちに関しても、すべてがさかさま現象以前の状態に戻ったわけではなかった。自分たちは誠実で、さかさま人間とは違うのだと信じていたからこそ、傲慢な感情が芽生え、さかさまになってしまい、彼らも自分自身を信じることができなくなっていた。


 さかさま現象の消失から数年、世界は疑念と不信感に満ち溢れていた。もしもまだあの現象が続いていたらあの人はさかさまなのだろうかと、誰もが想像した。


 特定層の就職難や差別は大きく軽減されたが、疑う分だけ基準は高くなり、特に新卒採用に応募する大学生は、かつて類をみないほど苦行を強いられている。プライドが持てず、自信はなく、キャリアもない。そんな学生が大半だ。


 たった十数年程度で、人間の持つ価値観は大きく様変わりしてしまった。振り返ってみれば、人間の歴史は身勝手な行動ばかりで、けれどもそれが数々の進歩を助長してきたわけで。プライドがなければ何かを創造する勇気は生まれず、他人を蹴落とすような傲慢さがなければ進化しようとも思わなかっただろう。もしかすると現状の人類はただ衰退を待つばかりで、もはや動物以下の存在に成り下がってしまったのかもしれない。


 かつて控えめながらも自分を大切にし、人間としての誇りを持っていた私が今こんなことを言ってしまえるのが何よりの証拠だ。


 きっともう、この先の未来で、上下さかさま現象が再発することは二度とないのだろう。



 人類の歴史はここで終わってしまったのだ。

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