匂いに釣られた孤児。
「……………………おなか、へった」
少年は薄暗い路地で呟いた。
エントリーは港町であり、船によって運ばれてくる荷は都市の発展に大きく寄与する。そのため、国でも有数の経済都市として相応の賑わいを見せる。
金の動きが大きいほどに都市の光は強く、そして光が強ければその分だけ影も濃くなる。スラムにてボロ布を纏って両手で腹を押さえる少年も、そんな影の一部に過ぎない。
毎日、必死に食べ物を探しては明日まで生き延びる事を考える。ただそうやって毎日を重ね、今日まで生きてきた。
少年は孤児である。幼くして両親を失って生き方を学べなかった孤児である。成り上がり方など知らず、今日も明日も変わらず残飯を漁って生きるのだろう。
「…………いい匂い」
ふと、少年の鼻腔を擽る匂いがした。この都市ではお馴染みとも言える、魚を焼いた匂いだ。良く乗った脂が火によって気化して空気へと混ざるその香りは、常に空腹である少年には辛すぎるもの。
裕福な都市であるから探す残飯には困らないエントリーだが、しかし焼きたての魚なんてものは流石に口にする機会が無い。
今よりもずっと幼き日には、まだ両親が健在だった頃には食べた事もあるのだろうが、生憎と少年の記憶には残ってない。
「……あっちかな?」
普段ならば、この匂いを避けて遠くへと逃げる少年であるが、今日ばかりは何故か匂いの方へと足を進めてしまう。どうせ近くに行ってもそれが食べれるわけじゃないのだから、近寄っても辛いだけ。だからいつもは逃げるのに、今日の少年はこの匂いに逆らえなかった。
匂い立つ土を裸足で踏みしめ、幽鬼のごとくふらふらと進む少年の周りには誰もいない。きっと普段の少年と同じく、匂いに耐えられず遠くへと逃げたのだろう。
エントリーは頭の弱さに反比例してお人好しな領主が治める都市なので、他と比べても孤児や浮浪者が格段に少ない。だが、少ないだけで居ない訳じゃない。
はるか遠く、地球の先進国ですらホームレスが存在するのだから、ネットも無い世界で全てを救うなどそもそもが無理な話である。
「…………あ」
そして、少年は見つけた。匂いの元を。
「ああああああ、〆のタイ茶漬けうめぇ!」
「……茶漬け? いや、そぼろ丼にタイのお刺身乗せて出汁そそいだものは茶漬けと呼ぶの? ポロには分からない」
「美味しければなんでも良いですぅ!」
少年が見付けたのは、仲が良さそうな三人組。
唯一の男である青年は、この辺りじゃ見ない顔付きで外国人に見える。乳白色でふわふわした髪の女の子は捻れた角が特徴的で牙羊族とすぐ分かり、ですです言ってる巨乳で桃髪の女はこの国の人間だろう。
港のすみっこ。漁師の邪魔にならない場所に陣取ってなぜかその場で食事をしている三人組。漁師も特に彼らを邪険にはせず、むしろ敬意を表して頭を下げてから通り過ぎる者もいる程だ。
少年は気が付くと、ふらふらとまた匂いの元に近付いてしまう。
いつもなら、こんなことはしない。表で生きてる人間に近付いても、嫌な顔をされて追い払われる。空腹は紛れず、ただ嫌な思いをする。
なのに今日はなぜか、近付いてしまった。
「──────ん? なんだ、何か用か?」
近付き過ぎたのか、三人組の一人に気が付かれた。黒髪の青年だ。
聞かれ、言葉に詰まった孤児は出てこない言葉の代わりに、腹の虫で答える。ぐぅ〜と鳴る腹はいつもの事なのに、なんでか少年はとても恥ずかしくなった。
「なんだ、腹減ってんのか? こっち来い、食わせてやる」
ニカッと笑う青年に、少年は驚いた。食わせてやる? それはつまり、食べ物をくれると言ってるのか。
「……たべて、いいの?」
「おう。そんな物欲しそうな顔してる奴の前で自分だけ腹を満たせるほど、図太くねぇんだよ俺は」
なぜかは分からないが、少年は胸の奥がむずむずした。嘘かもしれないのに、近寄ったら殴られるかもしれないのに、不思議と相手を疑う気にはなれなかった。
よたよたと覚束無い足取りで青年の元まで行くと、焼いた魚の身を
「胃がビックリすると良くないから、よく噛んで食べろよ」
言われた通りに噛み締めると、少年はそれ以上動けなくなった。人生で味わった事の無い旨味を脳が理解しきれず、処理落ちしたのだ。
ハーブとスパイスによって彩られたそれは、普段食べてる残飯ではけっして有り得ない高みにある。あまりにも遠い頂きを見せられた少年は意識もふわふわと定まらなくなって、最後は「かみさまの食べ物かな」と益体もない事を考えた。
「……おにいちゃんは、かみさま?」
「もちろん違うぞ?」
「でも、かみさまの食べ物……」
「神様はもっとすごいもん食べてるよ。竜の肉とか」
竜の肉。そう聞いた少年は少し前にあった事を思い出した。この都市で竜が討伐され、その肉が神様に捧げられたと噂になった事がある。
少年は、神様は食べ物だって好きに出来るんだから、わざわざ捧げるくらいなら自分たちにくれたら良いのにと、そう思っていた。
竜の肉とはいったいどんな味なのか。ずっと妄想でしかなかったそれは、しかしたった今食べた魚の方が妄想よりもずっと美味しい。ならば、本物の竜の肉なんてどれだけ美味しいのか。この魚よりも美味しいのか。少年にはとても想像が出来ない。
「竜のお肉…………」
「食いたいか? 仔竜の肉ならあるぞ」
「────────えっ!?」
思わず呟いたら、思わぬ声を返されて驚く少年。竜の肉とはそんな簡単に出てきて良いものなのか、常識が壊されそうになっている。
「三人分の飯から分けてやっても良いが、それじゃ足りねぇだろ。ちょっと待ってろ。チビドラの唐揚げ作ってやるから」
そう言って青年は、どこからともなく現れた深緑色の箱から何かしらの生肉が詰まった透明な袋を取り出し、ささっと調理をする。
あっという間に唐揚げを作って見せた青年を、少年は目を見開いて見つめる。あの箱はどこから出したのか、やはりこの人は神様なんじゃないか。少年は美味しそうな匂いと深まる謎によって混乱した。
そして驚いて固まってる間に、口へと放り込まれる熱々の肉塊は信じられない程の美味しさで、少年は目がチカチカする。これは本当に自分みたいな孤児が口にして良いものなのか。本当は、誰か偉い人が食べるための料理じゃないのか。段々と不安になってきた。
「チビドラの肉はまだ残ってるから、気にせず食えよ。足りなかったらまた釣れば良いんだし」
やっぱり、このお兄さんは神様だ。少年は味わった事の無い旨味にチカチカする頭でそんな事を考えながら、促されるままに唐揚げを頬張った。
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