第二十九話 緑渦の聖殿・地下二階

 地下二階。ここからが本番なのかもしれない。


「前方の床に罠発見。解除しますので警戒の方よろしくお願いします」

「ああ」

 一階では全く見なかった罠が、あちこちに設置されているのだ。

 自動発動型の魔方陣による、殺傷系魔法をぶつけてくるタイプの罠が主、らしい。

 らしいというのは、発動する前にラセリアが全て解除しているので、どういったものか俺が見る機会がないからである。

 後学のためにと、無理して発動状態を見る気もない。

 初探索で無駄なリスクを背負うなんて真似はしないのである。

 あとは敵の数と種類も増えた。

 一定間隔で配置されているゴーレムは一階と同じだが、巨大な蜘蛛や飛蝗など、強くはないが数の多い、虫系の魔物が出現するようになったのである。

 登録した後にレーダーで調べたら、数えるのもうんざりする数だった。まず全滅させるのは無理な量。出来るだけ無視することにした。

 だがこいつらはフロア全体に潜んでいる。

 迷宮の奥へと進んでいけば必然的に、多くの虫を相手にすることとなった。

 現在も俺達の臭いだか音だかを察知して、後ろから何匹か近付いてきている。

「また来たか。ビッグ・スパイダーが十七匹接近中。俺が駆除するから、ラセリアはそのまま作業を進めてくれ――ウインド・スフィア。その結界から出ないようにな」

 指先から魔力で出来た光の線を何本も出して、罠の解除をしているラセリア。その周りを風の障壁で囲む。虫程度の攻撃ならこれで完璧に防げる。

 俺にも彼女にも、一切敵を近付けさせる気はないが、念のためである。

 こういう備えは怠らないようにしておく。

「ありがとうございます。お気を付けて」

「すぐに終わらせる」

 長い八本の足をワサワサと動かしながら、人間の子供くらい大きさをした蜘蛛が、床や壁や天井を這って大量に現れた。

 毒だか消化液の滴る大顎と、細かい体毛に覆われた茶色い身体。

 視覚的にも近付きたくない相手だ。こんな時に、自分は魔法が使えて良かったと思う。

 俺達の後方ということは、財宝や情報がないか探索済みの場所にいるということである。

 つまり大事なものを破壊する心配が無いので、火属性の高火力魔法で一掃することにした。

 尚、ここまでの探索では、銀製の小物くらいしか発見していない。

「フレイム・ウェーブ」

 前にかざした手の先から、通路に隙間無く広がる青い炎が放射される。

 それは炎で出来た蛇のように長く尾を引きながら突き進み、通路全体を満遍なく高熱で焼いていった。途中で蜘蛛の集団も飲み込んで。

 そして炎が去った後には、小さな燃えかすが、いくつか転がっているだけであった。

「よし全部燃えた。ラセリアそっちはどうだ?」

「はい、こちらも終わりましたよ。強制転移の罠でしたが、二度と反応しないようにしましたので、もう安心です」

 転移の罠か。きっと虫が沢山いる部屋に飛ばされたりするのだろうな。

「それでは先に進みましょうか」

「ああ、そうしよう」

 この遣り取りも何度目だろうか? 息が合ってきたというか、ルーチンワーク化してきたというか、緊張感が無くなるくらい順調に探索は進む。

「いかんな。気を引き締め直さないと。慣れてきたせいか最初の緊張感が無くなってきた」

「いえいえ、サトル様なら、それくらいでよろしいと思いますよ」

「え? なんでだ?」

「狭い場所での活動は、気付かない内にストレスを抱えて消耗が激しくなっています。なので、常に気を張っているのも、あまり良いことではないのですよ」

「そんなものか……」

「サトル様は、慎重というか心配性過ぎるところがあります。それが悪いとは思いませんが、時には思い切った行動を取ってみるのも必要ですよ。例えば私と結婚してみるとか」

「はいはい。そういう冗談は家に帰ってからしような」

 そういうオチかよと、俺は本気で受け取らず先へ進もうとした。

 場所が場所だ。そう思っても仕方がないだろう。

 彼女はそれを許してはくれなかったが。

 俺の腕を掴んで振り向かせると、真剣な声でもう一度言った。

「……本気ですよ。私と結婚してくれませんか?」

「お、え? まじで、言ってるのか?」

「はい。結婚して下さい」

 目を見ればそれが冗談ではないのが分かる。

 まさか、こんところでラセリアにプロポーズされるとは思わなかった。

「な、なんで今そんなことを?」

「だって、ここで言わないと最後になるかもしれないから……」

 瞳を潤ませ不安げな表情でラセリア。

「不吉なことを言うなよ。近い内に、どちらかが死ぬみたいに」

「いえ、そういう意味ではなくてですね。……その、もし召喚アイテムで帰る手段が見付かったら、サトル様は帰ってしまわれるのでしょう?」

「なるほど、そういう事か」

 確かに今日、帰還の手段が見付かる可能性もゼロではない。

「サトル様と、お別れなんてしたくありません。ですが私に止める権利は……だったら繋がりだけでも……残しておきたいな、と」

 そうすれば、いつの日か俺が帰ってくるかもしれない。

 所帯を持てば、帰還を諦めて、こちらに留まるかもしれないと思ったみたいだ。

 俺は現在誰かとそういう関係になるつもりはないが、彼女には自分の考えを話しておくか。

「別に帰還の方法が見付かっても直ぐには帰らないぞ。それに俺は、向こうでは犯罪者だからな。こっちに戻ってこれる手段が見付からない限りは、元の世界に帰るつもりもない」

「そうなのですか!」

 暗い表情から一転、ぱぁと光が見えるくらい嬉しそうな表情で、俺を見るラセリア。

 自身の恋愛感情は抜きにしても、ここまで想われて悪い気はしない。

「仮に方法を見付けたとしても、安全性を確かめるまで使う気にはならないしな。心配しなくても、今日明日いなくなるってことはないさ」

 命懸けで異世界転移なんてするつもりはない。そして危険性がないかを確かめるには、それなりの時間が必要になるだろう。何にせよ帰還も復讐も先の話だ。

 この世界を知らなかった頃の俺なら兎も角、今の俺は、復讐に人生の全てを賭ける気なんてさらさらないのである。

 決して、怒りや憎しみが薄れたわけではない。

 屑のために、これ以上自分の人生を無駄にするのは、癪だと思うようになったのである。

 方法があるのなら復讐を諦めるつもりはない。

 奴を殺して、そして裁かれずに、この世界で自由に生きてやる。

 殺り逃げさせて貰う。その力があるのだから。

 それが最大の復讐になる筈だ。

 これが今の目標である。

「良かった。絶対、急にいなくなったりしないで下さいね」

「ああ分かった。約束するよ」

「あと、結婚して下さい」

 もう、なんというか、大胆とかそういう言葉では表せないレベルだな。

 相変わらず、物静かで控え目なのは、見た目だけである。

 ここまで何度も言われたら、俺も真剣に返事をしないといけない。

「ラセリア……すまないが、今は誰とも――」

「知っています。でもそれは、今は、ですよね? だから予約です。他に好きな女性がいるわけではないのですよね?」

 なんと! お断りの台詞をキャンセルされてしまった。

 俺の拒絶の意志など、ねじ伏せるつもりで求婚してくる。

「駄目……ですか?」

「将来の保証は出来ないぞ?」

 あまりのアグレッシブさに、つい、予約くらいならと頷いてしまった。

「はい! 何年だって待ちますから大丈夫です!」

「……他に好きな男が出来たら言えよ。直ぐに解消してやるから」

「それはないです。私一途ですから」

「さいですか」

「うふふ、これで私はサトル様の婚約者ですよね!」

「そう、なるのか?」

 言葉にされると何か重いな。早まったか俺?

 彼女の事が嫌いなわけではない。むしろ、この世界で最も仲の良い女性だ。

 だから、そういう感情を持てるようになる可能性も高い。

 だったら別に良いのか?

「出来れば、私が若い内に結婚して下さいね」

「あーはいはい。気が向いたら、その内な」

 早速、早く私を貰ってねとプレッシャーが。

「むー、どれくらいで気が向くのですか?」

「安全な帰還の方法が見付かった頃じゃないかね」

 などと誤魔化しながら俺は先へ進む。

 そして三体のゴーレムと二十匹の虫を倒した後に、地下三階へと続く階段を発見した。

 階段を前に暫し考える。

「今日のところはここまでにしておかないか? 面倒かもしれないが、明日また来て探索しようと思うんだが」

 体力に余裕はあるのだが、一旦戻らないかと俺は提案した。

 順調に進んではきたが、俺は迷宮初体験なのだ。

 少し前にラセリアにも言われたが、見えない疲労が大分溜まっているはずである。

 ゲームみたいに、生き返りやセーブなんてないのだ。

 ワンミスで人生終了が当たり前。

 その場所にいるのだということを忘れてはいけない。

 臆病なくらい慎重にいくのが正解なのである。

「その方が安全かもしれませんね。罠も全部解除して道筋も完璧に分かってますから、直ぐにここまで戻ってこれるでしょうし。それに、この規模の迷宮を二フロアも完全調査できたのなら、一日の成果としては十分ですからね」

 ラセリアも賛成してくれた。

 なので地下二階までの探索で、今日は切り上げることにした。


 精神的にとっても疲れた。

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