第十一話 壁は壊すタイプ

 夕飯は、パンと野菜のスープ。


 そしてミゲルさんが狩ってきた、兎の肉を使った料理だった。

 ラセリアが言うには、この村で最もポピュラーな献立だそうだ。

 豊かな食生活を送っている村でよかった。

 食べ物だけではない。生活に魔法という要素が組み込まれているからか、物の加工技術、衛生管理、村全体の汚水処理等、インフラも整っている。

 進歩の方向が違うだけ。この世界オルティナは、決して俺のいた世界と比べて、文明レベルが劣っている訳ではない。

 そもそもが、個人が持つ力でも地球人類を遥かに超えている。なのに、そんな人達が築く文明が地球より劣っていると判断するのはアホである。


 それはさて置き、一日中、森の中を駆け回り空腹だった俺は、それを大変美味しく頂いた。

 なお、料理は全てラセリアが作ったものである。

 美人でスタイルも良く、清楚で知的で料理が上手い、村長の孫娘。

 普通に考えれば男が放って置くはずがない。

 恋人や許嫁がいてもおかしくないと思うのだが、どうなのだろうか?

 夜、俺の部屋。彼女と二人で行われる勉強の時間に、そのことを聞いてみた。

「ラセリアには、恋人とか将来を誓い合った人とかはいないんですか?」

「あら? うふふ、私に興味がおありですか?」

 質問する俺に、彼女は色っぽいというか、からかうような目線を向けてくる。

「あ、いえ、誤解しないで下さいね。ちょっと気になっただけでして……」

 何か勘違いさせたかも知れないので、慌てて誤解を解くための説明をする。

 本当に彼女に気があるとか、そういう訳ではない。

「その場合は勉強時間を、日の明るい内に変える必要があるかなと思いまして」

「え!?」

「やましい事は何一つ無いとはいえ、どのような噂が立つとも限りませんから。変に疑われたら、その人にも悪いですしね」

 もし彼女に、そういう人がいるのなら、スケジュールを調整しないといけない。

 夜中に男女二人きりというのは、周囲に要らぬ誤解を与えるからだ。

 慎重に考えて行動してるつもりで、俺もぬけていた。

 今更ながら、それに気付いたのである。

 後ろから包丁で刺されるどころか、堂々と剣で斬られかねない世界にいるのだ。

 厄介事は可能な限り避けておきたい。

「……つまり、私に聞いたのは」

「はい、恋人さんがいるのなら、気をつかうべきかなと思いまして。だから、恋人の有無を聞いているわけです」

「そう、ですか……。はあ、別にそういう人はいませんよぅ」

 少し拗ねたように言う彼女。

 そりゃまあ、彼氏がいないと胸を張って答える女性はいないか。

 何にせよ意外だった。少ないとはいえ、村に若い男がいないわけでもなかろうに。

「サトル様……立候補してみますか?」

 恋人の座を狙ってみますかとラセリア。

 冗談だとは思うが、本気で言っているようにも見える目が厄介だ。

 彼女は偶に、こんな目で、こんな質問をしてくるのだ。困ったものである。

 もう一月以上も一緒に暮らしている。毎日二人きりで話もしている。

 なので彼女とは随分仲良くなったとは思う。

 けれども、恋愛感情を抱かれるような出来事が、あったわけでもない。

 というわけで、彼女から送られてくる秋波が、本気のものだとは思えないのである。

 試されているのだろうと予想している。

 浮ついた男かどうかを見るために。

 だから俺の出す答えは決まっていた。

「遠慮しておきますよ。貴女を口説こうとか、そんな気はありませんので」

 教えを請う身で、そんな失礼な真似はしませんよ。と言っておく。

 しかし彼女は、俺の言葉に安心するどころか、不満げであった。

「む。それでは私に全く興味が無いのですか? それはそれで寂しいですし、失礼ですよ?」

 予想は外したようだ。

「なんですかそれは……節操なく女を口説くような男が好みなんですか?」

「まさか。そのような男性は願い下げです」

「えー?」

 俺に、どうしろというのだ? 彼女が何を言いたいのか分からない。

「もっとこう、他人に興味を持ちませんかと言いたいのです。私だけではなく村の人達にも。サトル様には、とても分厚い壁を感じるのですよ」

 ああ、腹の内を見せろということか。

「俺の立場では仕方がないでしょう? まあ時間を掛けて、壁を無くすように努力はしていきますよ」

 当たり障りのない言葉を返しておく。

 正直、意図して作っている壁なので、まだ取っ払うつもりはない。

「信じられません。未だに私に対しても他人行儀な言葉遣いですし。それだけでも何とかなりませんか?」

 けれども引かないラセリア。壁を削ってこようとする。

「と言われても、急には変えられないのですが。それに、それを言ったらラセリアも、俺なんかよりずっと丁寧な口調でしょうに」

「私はこれが素だからいいのです。サトル様は違いますでしょう?」

「そうですけど、でも」

「まずは、そこから直していきましょうか」

「直すって別に……」

「それでは、はい、使い慣れた言葉遣いで、私に話し掛けて下さい」

「いや、あの、ですね……」

「さあ、どうぞ」

 目をじっと見詰めて催促してくる。子供か。

「……」

「さあ、どうぞ」

「……」

「さあ、どうぞ」

 何時まででも続ける気らしい。

「……分かったよラセリア。これでいいか?」

「はい!」

 結局、俺は根負けした。

 ラセリアは清楚な見た目とは違って、前にぐいぐい押してくる性格であった。

 これまでの付き合いで何となくは察してはいたが、ここに来て完全に遠慮がなくなったようである。

「気が楽といえば楽だが、なんだかなあ」

「うふふふ。サトル様の壁が低くなったのを感じます」

 断じて違うと言いたい。

 俺が壁の高さを下げたのではない。壁に穴を開けられたのだと。

 まあ、本人が望んでいるのなら、無理に丁寧語で通す理由もない。

 本日から普通に話すことにする。

「それじゃラセリア。勉強の続きをしようか」

「ふふ。はい、サトル様。そうしましょう」

 さて勉強の方だが、粗方の基本的な知識は既に頭に入っていた。

 最近の勉強内容は。文字を覚える事である。

 スキルの効果で会話をする分には問題ないのだが、この世界の文字が、半分くらいしか理解出来ないのである。

 使い方によって、解釈の変る単語が多く存在し、それが全く読めないのだ。

 そんな俺のために、ラセリアが取った勉強方法は、実に簡単なものであった。

 先に、よく使う単語を覚えて、後は、ひたすら読書である。

 本を読んで、分からないところがあったら聞く。その繰り返し。

 その度にラセリアは丁寧に説明してくれた。

 お陰で今は、殆どの書物を一人で読めるようになったのである。

 現在は質問も少なくなり、お互い静かに読書するだけという状態だ。

 もうそろそろ、この勉強会自体を終わりにしてもいいだろう。

 あんまり彼女の手を煩わせるのも悪い。


 本を手に取りながら、そんな事を考えるのであった。

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