第二話 目覚めたら森の中
どれくらい、気を失っていたのかは分からない。
最初に感じたのは頬に当る土の感触。
俯せになった身体に、下から伝わる大地の冷たさ。
「う……冷た……は!?」
次第に意識がハッキリしてくると同時に、先程の光景を思い出し、素早く立ち上がる。
何が起こったのか分からないが、明らかに緊急事態だ。直ぐに状況を確かめる。
身体は自由に動かせる。特に拘束もされてはいない。
目覚めたばかりにしては頭もスッキリとしている。思考もクリア。
意識を失っていた時間は、少しだったのかも知れない。
そんな事を考えつつ、周囲の状況を確認しようと辺りを見回した。
そして固まった。
理解が追い付かなかったからである。
「こ、ここは……どこだ?」
周りは生い茂った緑の草木。恐らくは森の中。少なくとも廃屋ではない。
そんな森の中を通る、あぜ道に、俺は倒れていたのである。
周りに人影はない。
太陽は真上。時間は昼頃だと思われる。
「いやまて、それはおかしい」
俺があの男を殺したのは夕方だった。と言うことは丸一日経過していることになる。そんなに長く寝ていた感覚はないのだが、その感覚自体が間違いなのだろうか?
ふと気付いて腕時計を見る。
文明の利器は素晴らしい。これを見れば事実確認は一発だった。
結果として、俺の感覚が正しいことが証明された。
日付は変っていない。時間だってそんなに経っていなかったのである。
つまりは時間が巻き戻ったのである。
「て、そんなわけがない。可能性としては、そう思わせるために時計を細工された? う~ん弱いな。まあ、それは後で考えよう。今は重要じゃない」
重要なのは、誰が、何の目的で、俺をこの状況に陥らせているのかだ。
まずは、もう一度、自分の身体を調べてみる。
「服装はそのままで、ナイフは二本とも……ある」
血まみれのシャツに、ジャンパーとジーンズ。履いてる靴はスニーカー。身体に何かを仕掛けられた様子もなし。武装の解除もされてはいなかった。
何者かの関与があったとした場合は、警察に突き出す、監禁する、殺す、それくらいしかする事は無い筈である。
何もせずに森に放置する意味は無い。
こうする意図が全く見えないのだ。
そもそも、あの光は何だったのだろうか?
俺が思い付くものと言ったら、スタングレネードくらいである。
閃光と爆音で対象を数秒間、行動不能にする、非殺傷武器だ。
あの時に逃げた女が通報して、現場に駆けつけた警察や特殊部隊が使ったのだろうか?
「いや、無いな」
初っ端からスタングレネードを用意して来るとは思えない。
脳内がお花畑の自称人権派が五月蠅い日本において、警告も無しで、いきなり制圧というのは考えられない。
大体あの時は、気を失わせるような音や衝撃も無かった。
思い付いといてなんだが、とてもあれがスタングレネードだったとは思えない。
意識を失った理由も分からないし、そこから現在までの繋がりも分からない。
分からなすぎて、仮説を立てようがないというのも、困ったものである。
そんな情報不足に悩む俺に、神様がプレゼントをしてくれたのかもしれない。
森の茂みから『そいつ』が姿を現したのである。
「……落ち着けよ、俺」
距離は約十メートル。俺の目の前に現れたのは二足歩行の生物だった。
だがしかし、それは断じて人間と呼ばれるものではなかった。
「幸い武器はある。冷静に、だ。そう、冷静にいこう」
心を落ち着けるために、サバイバルナイフを握り直しながら『そいつを』観察する。
体毛は少なく頭髪もない。緑色の肌で、猿と人間の中間にあるような顔。短いがそれなりに引き締まった手足。体長は小柄、百五十センチくらいか。
素足で腰に動物の皮。右手には錆びた小剣を持っていた。
テレビゲームで見たことがあるような生き物だった。それが二匹現れたのである。
もっと観察しようと目を凝らして『そいつ』を見た瞬間、不思議な感覚が俺を襲った。
――――選定します――――。
「は? 選、定? 何を、選ぶんだ?」
脈絡もなく、謎の言葉が頭に浮かんだのである。
一体何だと思う間もなく、次に頭へと浮かんだのは、笑えるくらい明確な情報だった。
ゴブリン:個体名無し(レベル3)
正にゲーム。名前と強さを見る事が出来たのである。
厄介なのは、俺自身が、これを勝手な妄想ではなく、正しい情報だと認識していたことだ。
魂の奥底で理解したと言えばいいのか、言語化できない領域での確信があった。
レベル3が、どのくらいの強さなのかは分からないが。
「あるいは先の殺人行為で、精神に異常をきたした俺の、幻覚や妄想かもしれんな」
だとしたら、どんなに状況の整理は楽だろうか。
けれども残念ながら、その可能性は低い。あの屑を殺した程度で壊れるような、軟弱な精神はしていないからだ。
因みに情報が分かるのは、最初に注視した方の一匹のみである。
理由は分からない。
「細かい検証は後にして、と……ゴブリンね。まじで本物か?」
邪悪な妖精といわれるゴブリン。
空想上の生き物であり、ロールプレイングゲームなどで、雑魚敵として登場する、とても有名な魔物であった。
生々しい肌の質感。生物として確固たる意志を感じる動作。野生動物が持つ張りのある筋肉の脈動。
出来の良い着ぐるみや、映像機器によるホログラムとかでもなさそうである。
「意思の疎通は――うん、無理のようだな」
これまでの平穏とはいえない人生において、荒事もそれなりにこなしてきた俺は、話し合いが通じる相手かどうかは、一目見ればだいたい分かる。
明らかに敵意がある。あれは餌を見る目だ。知性も低そうである。
話し合いによる平和的な解決は期待できそうにない。
二匹のゴブリンは剣を構えながら、じりじりと近づいて来ている。
「いくらゲームみたいな情報が提示されても、これはゲームじゃない。あんなもんで斬られたら、当たり所に因っては一撃で死ぬ。舐めて掛からずにいくか。基本的に野生で暮らす人型生物が雑魚なわけないし」
迷っている時間は無い。早々に方針を決める。
対話は一切諦めて殲滅すると。
そうと決まればやることは一つ。
「奇襲で一気に決める」
真剣を持った相手に、二対一で様子見なんてしない。俺はそこまで自分の強さに自信は持っていないからだ。
不意を突いて先制攻撃。まずは数を減らす。
ナイフを振りかぶりながら、いきなり走って間合いを詰める。
すると俺の行動に驚いて、一瞬足を止めるゴブリン達。
「ちょいと一匹は死んでろ!」
片方めがけて、思い切りナイフを投げ付けた。
手に入れられない拳銃の代用品として、磨いた投擲術。結局、仇相手に披露することはなかったが、敵を討ったからと言って技術は無くなったりはしない。
それなりに重量のある鉄の切っ先は狙い通りに命中。
投擲したサバイバルナイフは、ゴブリンの胸元に深く刺さった。
何が起こったのか分かっていない表情で、一匹がゆっくりと後ろに倒れていく。
初手を外していたら、方向転換して速攻で逃げるつもりだったのだが、どうやら賭には勝ったようである。
俺は直ぐさま予備のナイフを手に取り、残り一匹に向かって走る。
最後の一本なので、これは投げない。直接攻撃で仕留めるつもりだ。
「グギャギャー!」
「おっと、以外と速いな」
しゃがれた叫び声と共に、斜めから振り下ろされた錆びた剣。殺すのに躊躇いがない攻撃というのは怖い。中々の鋭さを持っていた。
「けど、技術はないか」
それを斜め後ろに飛びながら躱して、剣の振り終わりの隙に、脇腹めがけて蹴りを放つ。
「グギャッ!?」
相手は小柄。体格差もあり、俺の蹴りで容易く転倒するゴブリン。立ち上がる前に側に駆け寄り、剣を持った腕を力一杯踏み付けた。
するとバキリという音と、靴の裏からは何かが折れる感触。
言うまでもなく、ゴブリンの腕の骨が折れたのである。
「ギゥッ、ギャーッ!!」
「痛いか? すまんな。いま楽にしてやるよ」
腕は踏み付けたまま、胸の真ん中にナイフを突き刺す。
「ッ――」
大きな抵抗も無く刃は根本まで埋り、ゴブリンは口を大きく開けたまま動かなくなった。
「ふう、上手くいったな。お互い不意の遭遇だったのも良かったな。茂みから襲い掛かられてたらヤバかっただろうしな」
それこそゲームでもあるまいし、正面から会敵なんてそうそうあり得ない。
闘争は初手が肝心。その運が良かったから無傷で二匹のゴブリンを仕留めることができた。
「ん、んん?」
そして何かで心が満たされる。これまで味わったことのない不思議な感覚だった。
「なん、だ?」
決して殺しの悦びではない。というか俺は、そんなものに快楽は覚えない。と、思う。
そういった感情的なものではなく、明確な何かの力を感じるのである。
またもや謎の確信だ。本当に自分はどうしてしまったのだろうか?
ゴブリンに刺さったナイフを回収しながら、無理矢理仮説を立てる。
まずは、人工生物を作り出せるほどの科学力を持った、秘密の組織があったとする説。
そいつらが作り出した箱庭に、何らかの人体実験を施されて放り込まれた。
その場合は、どういう基準で俺が選ばれたかという話になる。
人体実験しても良心が痛まない殺人犯だからか?
だとしても、人殺しになってから拉致るまでが早過ぎる。
次に思い付いたのが、別世界に迷い込んだ説。
普段なら一笑に付すような仮説だが、ファンタジー世界の生き物と遭遇した後だと笑えない。
随分とおめでたい発想だが、これだと第三者の関与や、殺人犯としての身の振り方について悩まなくて済む。
最後はリアル殺人者に、盛大なドッキリを仕掛ける酔狂な奴がいるという説。
「流石にそれはないな」
取り敢えず、考え付く説はこれくらいか。全てが非常識なものだとは理解している。
人を殺して法を逸脱した身とはいえ、俺も最低限人の常識は捨てたくない。
だというのに、それを捨てるかどうかの選択を、今すぐに迫られる事になった。
今度は警戒していたから気付けた。新たな敵が出現したのである。
ガサリと小さな音、茂みに小さな人影。
ゴブリンシャーマン:個体名無し(レベル8)
頭や腕などに羽根飾りを付けた、少し豪華な格好をしたゴブリンだった。
そいつは剣ではなく、シンプルな造りの木の杖を持っている。
一匹だけだが、先程のゴブリンよりも、かなりレベルが高い。
けれども気になるのはそんな事ではない。重要なのは、こちらに向けてかざした杖の先。
空中に浮かぶ、こぶし大の火の塊である。
唯でさえ脆くなっていた俺の常識を、止めとばかりに揺るがす現象だった。
「さて問題です。一体アレはなんなのでしょうか?」
自問する。糸で吊っているようにも見えない。
シャーマン……つまり巫女か呪術者……の職に就くゴブリン。
「だとすると、あの炎はやっぱり……魔法か?」
見たままを素直に捉えると、そんな答えが出てくる。
少なくとも、俺に分かるような種や仕掛けは見当たらない。
理解出来るのは、こちらに危害を与えるために、あいつが生み出したもの。それだけである。
そんな殺意を形にしたものを、こちらに撃ち出してきた。
一般人が手でボールを投げるような速度だった。避けられないことはない。
「っと、ファイヤーボールってか!」
なので当然避ける。
俺の傍らを通り過ぎた炎は、背後の地面に着弾。
ボシュッという音と共に、小さく地面を焦がして消えた。
あまり威力があるようには見えないが、その身で受けたいと思えるものでもない。
視線を前に戻すと、ゴブリンシャーマンは既に次の炎を生み出していた。
「またナイフを投げてみるか?」
ただし、外したら逃げるという戦法は却下だ。
この遭遇率である。逃げた先で、別の敵対生物が出ないという保証がない。
それが分かったので、安易に逃亡の選択はしない方が良いと思ったのだ。
安易に戦闘行為を選択するのも問題なのだろうが、この場合は仕方が無いと割り切る。
魔法やレベル差による強さの違い等、今後どう動くべきかの指針とするためにも、情報は可能な限り集めておきたい。
「何発か貰うのを覚悟で接近するか……」
距離が近くなれば、向こうの攻撃も命中率が上がるのだから危険だ。
けれども先の展開を考えるのならば、接近戦に慣れておくべきだろう。
投擲物を必ず回収できるとは限らないからである。常に遠距離線は望めない。
武器を失うリスクは、極力減らさないといけないのだ。
となると武器を手に持って戦うほかない。
武器について考えた際に、倒したゴブリンが使っていた錆びた剣に目が行った。が、使い慣れていない武器を手にする必要は無いと判断して放置する。
「リーチも威力も、ナイフより上なんだろうが、今はいらん」
何度も言うがゲームではない。性能だけ見てドロップ品を装備するような真似はしない。
「よし決めた。躱して近付いて殺す」
様々な立ち回り方を脳内で想定して、結論はシンプルに。前へと駆ける。
だが、それらが活かされることはなかった。
手を下すまでもなく、ゴブリンシャーマンが息絶えたからである。
ドサリと音を立て倒れるゴブリンシャーマン。
その頭には、矢が突き刺さっていた。
「狙撃!? やばい、隠れろ!」
目の前の敵が死ぬと同時に、またも心が満たされる謎の感覚が俺を襲う。しかし今それを気にしている余裕はない。
この結果を見て、射手が味方だと思うほどおめでたくはない。
敵の敵は味方ではなく、十中八九が赤の他人である。
他人の約九割は無責任で冷酷である。
俺は素早く近くの木に身を隠して周囲を見渡す。が、射手の姿は見えない。
「次から次へと……ったく」
つい、そんな愚痴がこぼれるが、状況が悪化したのかどうかは、まだ分からない。
敵意のない存在なら、姿を見せるかもしれないと思い、何もせずに、じっと待つ。
そして、遠い茂みの向こう側から現れたのは人間だった。
真っ白な髪と口髭を蓄えた男性。五十歳を優に過ぎたであろう老人である。
顔の彫りを見る限り日本人ではない。
身長は俺と同じ百七十後半か百八十センチくらいか。体付きは俺よりもガッチリしていた。
茶色い布で出来た服の上に革鎧を着けている。自然に溶け込んでいて、ファンタジーのコスプレ感はない。
他に仲間はいない。どうやら彼一人のようである。
弓を携えている事から、この老人がゴブリンシャーマンに矢を放ったのは間違い無い。
「山賊とかの悪人には見えないが」
猟師だろうか? 木の陰から様子を窺う。
人間:ミゲル=ソートラン(レベル64)
「……敵に回したら終わりだな」
いまだレベルによる強さの基準がよく分らないが、64という数字がやばいのは分かる。
明らかに俺よりも強いだろう。
そんなミゲルという名前の老人は、こちらに気付いていた。俺の隠れている木をじっと見ている。
どう逆立ちしても勝てない存在。
ここで警戒させるのは悪手。
そう短い時間で判断して、行動も素早く。
俺はナイフを後ろ腰の鞘にしまうと、敵意がないのを示すように両腕を広げて、老人の前に姿を現すのであった。
今の俺は人殺しで返り血塗れの酷い格好だが、幸い向こうはそれを気にした様子はない。
ゴブリンや動物の返り血と思っているのかも知れない。
特に身構えたりはせず、老人はこちらへと近付いてくる。
微妙な緊張感の中で互いの距離は縮む。
そして、ついには言葉を交わせる距離になり、老人が口を開く。
「――――&%&%$#」
「は?」
彼が何を言っているのか、俺には全く分からなかった。
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