15話 GW初日の夜

「さてさて、私はそろそろご飯の準備しよっかな」


 深玖流の声につられ外を見てみると、いつの間にか夕方となっていてリビングに差し込む陽の光がオレンジ色に染まってきていた。

 ソファから起き上がった深玖流の傍には読み終わった分の漫画が積まれていて、どうやら残りは三分の一程度というところまでは読んだらしい。


「手伝いはいらないよな?」

「まあねー。そのままゲームして待っててくれていいよー」

「昼前からずっとやりっぱなしで頭が疲れたし、ゲーム以外のことで暇潰しだな」

「あ、それならさ。ゲームの代わりの暇潰しに連休中の課題やって答え教えてよ」

「それくらい自分でやれ。あとな、頭が疲れたって言ってるのになんで頭使わせようとしてるんだ」

「えー、ご飯代だと思ってさー。予定がない連休後半に真っ白な課題見たくないもん」

「まあ、明日から忙しいのはたしかだけどな」


 結局、連休中の予定は明日が前に伊吹さんにお願いされた女子会への男よけとしての参加。

 明後日は深玖流と元々から計画していたものを実行というスケジュールとなった。


「でしょー?やれる間にやってよ」

「…………はぁ、どうせ連休のどこかではやるしかないからやるか。ただし、わからないところを見せるだけだからな」


 口に出して本人に伝えはしないが、深玖流が家事をやってくれるから課題をする時間が確保できるのは事実だ。

 それなら多少の礼くらいはしてもいいだろうし、二人で連休終盤に慌てて課題を終わらせようとするなんてことも正直考えたくはない。


「やった!彩人のご機嫌取って全部見せてもらおっと」

「それは企んでも口に出すなよ……とりあえず、リビングのテーブルでやるから何かあったら呼んでくれ」

「はいはーい」

「じゃあ、課題取ってくる」

「いってらっしゃーい」


 片付けのついでにと深玖流の読んでいた漫画を持って自分の部屋へと行き、その代わりに課題とそれに必要な物を持ってリビングへと戻ってくる。

 そのついでにキッチンにいる深玖流の様子を見てみると、エプロンをつけて野菜を切っているところだった。


「そういえば、深玖流。今日のメニューって何になったんだ?」

「んー、優香ちゃんから聞いてないの?カレーと唐揚げだけど」

「またすごい組み合わせを出したな優香のやつ……」

「どっちかで悩んでたから、いっそのこと両方って言い出したのは私だけどね」


 深玖流の口から出てきた今日の食事のメニューはどちらか単体だけでも十分だというのに、まさかのそれの合わせ技だった。

 しかも深玖流の調理の様子を見るに一緒に食べるから両方ともいい感じに量を減らすというわけではなく、普通の分量でどちらも作る気らしい。


「なあ、組合せのわりに量多くないか?」

「カレーは明日になっても大丈夫だし、唐揚げはほら……多少多くても彩人がいるしいけるかなって」

「いけるかなって……お前なぁ。加減はしてくれよ」

「わかってるって。その辺何年の付き合いだと思ってるの」

「その結果毎回ギリギリを攻めてくるから抑えてくれって言ってるんだよ」

「はいはーい、善処しまーす」


 相変わらず欠片も改善する気を見せない深玖流の返事に呆れつつ俺は勉強に手をつける。


 そうして課題を始めて体感で一時間くらい経った頃だろうか、キッチンを離れた深玖流が背中越しに俺の課題の様子を覗き込みながら話しかけてきた。


「ねえ、彩人ー」

「ん、どうかしたか?」


 いきなり後ろから話しかけられて多少驚きはしたものの、深玖流がこういうことをするのはよくあることなので手を止めることなく返事をする。


「優香ちゃんの様子見に行ってきてくれない?ご飯もうすぐできるし」

「今やってるところだけ終わらせたらな。そろそろ起きてきてもおかしくないし」


 そんな会話をしていると、リビングの扉が開いた。

 そちらを見てみると、まだ眠気が残っているのか目を手で擦り、あくびをしながら優香がリビングに入ってきている。


「お兄ちゃん。おはよぅ」

「いいタイミングで起きたな。そろそろ夜ご飯できるみたいだぞ」

「そうなの?」

「そうだよー」

「あ、みく姉もいたんだ。おはよー」


 寝ぼけているせいなのか、偶然俺の背中に隠れる位置関係になってしまっていたからなのかまではわからないが、優香は声を聞いてようやく深玖流がいることに気づいたらしい。


「みく姉、何かお手伝いある?」

「んー、大丈夫かな」

「はーい。それで、みく姉はご飯の準備だとしてお兄ちゃんは何してたの?」

「見ての通り課題だよ。お前もあるだろ」

「あるけど、明日か明後日やるもん」


 そう言うと優香は少し頬を膨らませ俺に恨めしそうな視線を向けてくる。

 明日も明後日も俺は深玖流と一緒に出掛けることになっていて優香は遊べないから、拗ねているのだろう。


「あ、優香ちゃん優香ちゃん。GWの残りでいっぱい遊びたいから彩人に早く課題終わらせて私に見せるように言ってやって」

「だって、お兄ちゃん。私がみく姉と遊ぶ為に頑張ってね」


 俺たちの会話に便乗して課題を全部丸投げしようとしてくる深玖流。さっきは一応自分でやる姿勢を見せていたというのに、ここぞとばかりにサボろうとしてきたようだ。


「深玖流、連休明けに軽いテストやるって言われただろ。どうなっても知らないぞ」

「その辺の対策もよろしくー!ここ押さえとけってところだけでいいから」

「……優香、頼むから深玖流のこういうところは真似しないでくれよ」

「大丈夫。というか、それはなんだかんだでみく姉に甘いお兄ちゃんのせいじゃない?」

「っ、それは……そうなんだよな」


 優香からの指摘に思わず言葉が詰まる。

 昔からずっと積み重なっている深玖流への借りと、そもそもの距離感の近さ。それが相まってなんだかんだと多少のお願いやわがまま程度なら叶えてしまっているのは事実だ。


「私は彩人のそういう甘いところだーい好き!」

「ほら、みく姉も自覚してるからお兄ちゃんにお願いするんでしょ……あ、そうだ。みく姉みく姉」

「んー、どうしたの?」

「今日一緒にお風呂入ろ!」

「いいよー。それじゃあ彩人、いつも通り先入ってね」


 気を抜いている時は甘えたり、機嫌がいいときはくっ付いたりもしてくる癖に昔から深玖流は自分の後に俺が風呂に入ることだけは恥ずかしがっていた。

 だから、深玖流が泊まりに来た時は基本的に俺が一番風呂に入ることになっている。


「はいはい。言われなくてもわかってるって」

「それじゃ、私はご飯の仕上げしてくるねー」

「はーい!」



 ◇◇◇◇◇◇



 深玖流お手製の夕飯を三人で食べ終えのんびりと過ごしていると、リビングの扉が開く。

 俺と入れ替わりで入浴しに行った深玖流と優香が戻ってきたのかと思ってそちらに視線を向けてみると、そこにいたのは母さんだった。


「母さんか。おかえり」

「あら、彩人だけ?」

「深玖流と優香なら一緒に風呂に入ってる」

「優香が誘ったのね……まったくあの子ったら、今年から中学生なのにその辺成長しないわね」

「まあ、中学校入ってすぐなんて実質小学生みたいなものだし」

「ふふ、自分もそうだったからかしら?」


 母さんが俺に向かって揶揄うような視線を向けてくる。

 その視線の意味も分かっているが、俺からそこに触れる理由はなくスルーするしかない。


「過去の周りの様子を思い出して語ってるだけだから」

「あらあら、まるで自分はそうじゃなかったみたいな言い方ね」

「…………俺の負け」


 そんな話をしていればまたリビングの扉が開き、そこから入ってきたのは今度こそ深玖流と優香だった。

 見慣れているから特に何か思うこともないが、それはそれとして昼間に深玖流と話していた内容が頭をよぎる。

 高校生になって、自分の家に泊まりに来た幼馴染の風呂上りの姿をみるというのはなかなかレアな体験をしているのだろう。


「あ、お母さん。おかえりー!」

「花穂さん、お邪魔してます」

「いらっしゃい、深玖流ちゃん。連休中はゆっくりしていってね」

「はーい、ここも自分の家だと思ってるのでたっぷり休憩します」

「あらあら、嬉しいこと言ってくれるのね」

「ずっとお世話になってますから、当たり前です」

「お世話になってるのはむしろ私の娘と息子のほうかしから」

「そんなことはー……ありますね。特に息子さん」


 深玖流がそう言うと俺以外の三人の視線が自然と俺に集中する。

 優香は他二人のやっていることに便乗しているだけなのだろうが、明確な意図のある母さんと深玖流に対しては顔を見づらい。


「だそうよ、彩人」

「じゃあ、俺は部屋に戻るから」

「あー、お兄ちゃん逃げた!」

「都合が悪いからって逃げるのはずるいぞー!」

「そっち三人に団結されたらどうしようもないから仕方ないだろ」


 今の状況は男一人に対して女三人、母さんと優香は基本的に深玖流の味方。その上深玖流の言い分が全くもって正しいとなれば俺に勝ち目はない。

 この場にいても俺が弄られ続けることが目に見えているなら逃走が最適な判断なはずだ。


 そうして自分の部屋に逃亡して十分程経った頃、ガチャリと部屋の扉が開いた。

 誰が来たのか想像はつくものの、一応そちらを見てみると予想通り深玖流が顔を覗かせていた。


「お前なぁ、せめてノックくらいしろよ」

「えー、めんどくさい。急に入られて困ることしてたの?」

「してねえよ。それで用件は?」

「漫画読みに来た」

「はいはい、勝手に持ってけ」

「え?持っていかないよ?」


 その言葉の意味はどういうことかと聞こうとした矢先、それよりも早く深玖流が行動を起こす。

 深玖流は軽く助走をつけると、ピョンとジャンプしてそのまま俺のベッドへとダイブしたのだ。


「……中学生の優香ですらやらないぞそんなこと。小学生かお前は」

「高校生ですー!ほら、お昼に読んでた続き持ってきて」


 どうやら漫画を持っていく気がないという言葉の真意はこの部屋で読むということらしい。

 俺に漫画を持ってくるように言いつつ、深玖流はすぐにスマホを取り出してゴロゴロと転がっている。


 こんな状態になった時点で漫画を持って出ていくように言っても無駄だということはわかりきっている。

 俺は諦めて課題をやっていた手を止め、深玖流が昼間に読んでいたであろう辺りから最終巻までをまとめて積んでベッドの上に置く。


「寝落ちはするなよ?」

「大丈夫~」

「何回もやらかしてる前科があるから言ってるんだよ」

「えー、覚えてなーい」

「嘘つけ、前回遊びに来た時もやっただろ」

「あれはちょっとお昼寝しただけだからノーカンだもん」


 たしかに、前回深玖流が寝落ちした時は最終的には夜遅くなる前に起きたから何も問題はなかったが、6時間もぐっすりと寝ていたのを昼寝の一言で片付けていいのかは話が違うと思う。

 それに、ちゃんと起きたと言っても21時を過ぎていたから更に数時間も寝ていたら今と同じ問題に直面していたはずだ。


「というか、私が寝ても一緒にここで寝ればよくない?あ、彩人にそんな度胸はないか」

「物理的に寝れない広さだから文句言ってるんだよ……」

「一応いけるって、昔はたまに寝てたじゃん」


 俺の使っているベッドの大きさだと二人並んで寝転ぶこと自体はできるが、それだと密着してお互いの体温を感じずにはいられない距離感になってしまう。

 問題は起こさないにしても、そもそもそんな状態になると暑くてろくに寝られない可能性のほうが高い。


「それこそ昔の話だろ」

「もし私が今夜二人で寝てもいい、って言ったら?」

「断る。暑苦しくて寝てられないだろ」

「うわー、女の子に暑苦しいなんて彩人ひっどーい」

「お前に抱きつき癖がないなら考えたかもな」


 ただ二人並んで寝転ぶだけでも暑いというのに、寝る時の深玖流には抱きつき癖がある。

 普段の深玖流は何かしらのぬいぐるみを抱いて寝ているが、一緒に並んで寝るとなると俺がそのぬいぐるみの代わりにされてしまうことが目に見えている。


「むー、じゃあぬいぐるみ間に挟む」

「そんなことしたら余計に狭くなるだろ。というかそのぬいぐるみはどうやって用意するんだよ」

「え、私の荷物から彩人が持ってくるんだよ?」

「そこまでするわけないだろ」

「ちぇー、残念」

「とりあえず、俺は課題に戻るからな」

「はいはーい。私の為に頑張ってねー」


 その後、課題が一段落して一応様子を確認してみれば案の定ベッドで寝息を立ててすやすやと眠っている深玖流の姿があったのだった。

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