終・燎原よりいずる
目を覚ましたボクの視界には、白く平坦な天井が広がっていた。
横を向けば、天井と全く同じ外観の壁。
いったい何で出来ているのだろうか。
少なくとも、土でも、木でも、レンガでもないことは確かだ。
窓ひとつ無い閉塞的な場所で、なんだかひどく息苦しい。
「目を覚ましたか」
ひどくしゃがれた声。
振り向くとそこには、ひとりの老婆が大きな椅子に座ってゆらゆらと揺れていた。
「あの……。あなたは誰ですか?」
「そこに白湯を置いてある」
老婆はボクの質問には答えず、ただ白湯の存在を伝えて黙り込んだ。仕方なく白湯を口へと運ぶと、ノドの奥に強い痛みが走った。
そうだ。ボクは村を焼かれて……。
あのときに吸った煙でノドを火傷したのかもしれない。周りを猛火に囲まれて、黒い煙で前が見えない地獄のような時間を思い出す。
そんなヒドい目に遭ったのなら…………、どうしてボクは生きているのだろう。
林まで逃げたけど追い詰められて……。そうだ、近くの木に生えていた大きな橙色の実を投げたんだ。
そしたら、あいつらがスゴく嫌がって。その隙に逃げ出して……、足を滑らせて川に落ちた。
うん、そこまでは思い出したぞ。
で、ここはどこ?
というか……なんなんだ、ここは。
凹凸ひとつない平坦な白い壁と天井は、まるでお城の中みたいだ。
それに広い部屋にいくつも並んでいる棚と、そこにキレイに並んでいる色とりどりの直方体。
「あ、あの! ココはいったい……」
「シェルター、……というそうだ。簡単に言えば、大昔の人間たちが作った避難場所だ。本に囲まれたこのシェルターは『ライブラリー』と呼ばれていたそうだ」
しぇるたー。にんげん。ほん。らいぶらりい。
知らない言葉だらけで、頭がついていけない。
老婆は椅子から立ち上がり、杖を突きながらゆっくりとボクの方に近づいてくる。
「ふん。何ひとつ分からない……、という顔だな。当然だ。我々はそんな当たり前の知識すらも亜人どもに奪われたのだから」
「亜人? 亜人ってボクたちのことで――」
「ふざけるなっ! 我々は人間だ! 私も、お前も、お前の家族も、友達も、みんな……、みんな人間だ!! 亜人なんかであるものかっ」
「ひっ……ッ!」
亜人という言葉が逆鱗に触れたらしく、老婆は人が変わったように激昂した。そして手にした杖の先をボクの顔へ向けた。
比喩でも何でもなく、ボクの目の鼻の先に杖の先端が突きつけられた。
「お前、名前は?」
「サ、サーファ……です」
「そうか。サーファ、お前にふたつの選択肢をやる。ひとつはこのシェルターにある全ての本を五年間で読み終えることだ。その場合、五年後までこのシェルターでの生活を許してやる」
このシェルターにある全て!?
おそらく『ほん』というのは棚に並んでいる直方体のことだろう。
しかし『よみおえる』とは、どういう意味だろうか。
「安心しろ。文字の読み方は私が教えてやる。……五日で習得しろ」
その『もじ』とやらの読み方を習得するのに、五日が多いのか少ないのかもわからない。そもそもここにある全ての『ほん』とは、どれだけの量あるのかもわからない。あまりにもボクにとって不利な条件ではないだろうか。
「もし……五年間で読み終えることができなかったら?」
「売る」
「……えっ!?」
「五年もあれば多少は女の身体になるだろう。お前を売って生活費の足しにする」
淡々と話す老婆の言葉から、これが脅しなどではないことがハッキリと伝わってきた。きっとそのときがきたら、ボクは本当に売り飛ばされるのだろう。
「あ、ちなみにもうひとつの選択肢というのは……」
「なぁに。今すぐこのシェルターから出ていくだけさ。簡単だろう?」
そうだろうな、と思っていたけど、やっぱりそうだった。
それは『死ね』と言っているのと同じ。亜人の子どもがひとり、野に放たれて生きていけるほど、この世界はボクたちに優しくない。
ボクは少しだけ考えた。答えはすぐに出た。
「ここにある『ほん』を、全て読みます。だからボクをここに置いてください」
「そうか。懸命な判断だ」
満足そうに笑う老婆の顔を見ながら、ボクは自分と彼女の身体を見比べていた。
正確には、五年後の自分が目指すべき身体を頭の中に思い描いていた。
相手は老婆だ。いざとなれば……。
ボクがこの『ライブラリー』に納められた本を全て読み終わったのは、それからきっちり五年後のことだった。それはボクにとっても、彼女にとっても、幸福な結果だったといえるだろう。
本によって得た知識は、歴史は、文化は、ボクに人間としての尊厳を取り戻させるのに十分なものだったからだ。
ボクの主人はボクだ。
ボクの王はボクだけだ。
だからボクは、ボクのために戦うと決めた。
【了】
【中編】亜人の王[The King Of Demi-Humans] −汝は亜人なりや?−【5万字以内】 石矢天 @Ten_Ishiya
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