擬態種 フォーカスの場合

 巨大な大陸であるアルガニアの東部にある人間の国と呼ばれているオンベージ。そこは大陸全体の数十分の一という規模でしかないが、外から来た人間たちの足掛かりとしては充分過ぎる広大な土地を保有している。

 そこから西側には巨大な森が広がっており、足を踏み入れる者は命知らずとも揶揄やゆされる冒険者か、開拓を目指して生活をしようとする先祖返り主義の人間ぐらいだ。


 多種多様の魔物が生息する森からは、時に人間の国に忍び込む物好きだって居る。

 フォーゼルという魔物は、一度見たものに擬態ぎたいすることができる軟体生物だ。一般的にスライムと呼ばれている軟体種なんたいしゅとは差別化されており、スライムのように自身の身体を形成する溶解液ようかいえきを飛ばしたりなどはできない。


 フォーゼルの驚くべき点は、その模倣力もほうりょくである。見たものの外見、触ったものの特徴、そして魔力に変換して吸収した者の中身と感情、心。彼らは段階によってそれらを自分の物のように表すことができる。

 それゆえか、基本的に彼らは自我を持ちえない。それこそ本能に従い、原始的に活動するのである。


「いらっしゃいませー!」


 店の外で声を張り上げる売り子は、道行く人に向かって近づいていく。その容姿は端麗たんれいで、うるおいのある藍色あいいろがかった髪を短く切りそろえ、快活かいかつさを表す大きな口から覗く白い歯と、人懐ひとなつこそうな猫目の彼女は店自慢の看板娘かんばんむすめであった。


「ミミちゃん、今日も精が出るね」

「ありがとうございます! いつもご贔屓ひいきにしてもらってます!」

「ははは、その言い方だと俺に対してお世話になってるみたいじゃないか」

「あ、そっか!」


 天然混じりの会話を繰り広げる彼女の人気は高く、オンベージ国内にある街のひとつ、メンテンではその名を知らない人が居ないほど。

 そんなメンテンであるが、街の規模は小さく飲食店も三箇所ほどしかない。それでも経済を支えているミミの働きは大きいと言える。


 彼女は毎日のように店で働いていたが、月に一度は休みを貰う約束をしている。

 一日だけはどうしても外せない用事があると言い、飲食店の店長であるケーフルはむしろ一日だけでいいのかと心配する程だった。


 月に一度のその日がやってくる。今日、ミミは非番である。彼女が居を構えるのは、人通りの多い地域から少し離れた静かな住宅街。質のいい寝具から身を起こし、伸びをしながら部屋を見渡す。

 木造もくぞうの家は床も壁も天井も自然の香りただよ木目調もくめちょうであり、寝具のそばにある薄い日除ひよけの布を両側に開き、現れた少し立て付けの悪い窓を開けて外の空気を入れ込んでいく。


 その顔は驚くほど真顔で、普段の彼女を知る者が見たら恐らく別人に思えてしまうだろう。

 無感動に街の風景を見下ろすミミは、やがて寝具から降りてたたんで床に置いてある衣服の前でしゃがみ込み、まずは靴下を履き替える。

 寝間着を脱いだあとは、じっとりと汗ばむ季節に最適な涼しそうな白シャツに青い頑丈な足首まである革製のズボンを身につける。どちらも動きやすい素材で作られており、出勤する際と同じような格好かっこうで最後に上履きを履いたミミは、足先を床にトントンと叩きながら寝室の扉を開いた。

 二階建ての家は一人で住むにはあまりに広く、以前誰かと住んでいた形跡けいせきが至る所に見られた。今はひとりだと言わんばかりに他の部屋には目もくれず、階段を黙って降りていく。


 人間の生活の中には魔道具まどうぐと呼ばれる、主に魔物の素材で作られた便利な物があり、電気、食事、風呂などの際に欠かせないものとなっている。

 それは元々魔法を使える人が発明したと言われており、自由自在に使うには日常的に大変なのと、些細なことでも役立つならと作られた魔道具。

 しかし、製作者の思惑おもわく通りに行くことは無かった。


 その魔道具を戦争の道具に使った国があったのだ。その結果、国同士で争い疲弊ひへいした所を魔物たちに襲われてその国は滅びたと言われる。

 いましめとして、兵器として魔道具を使うのは原則禁止とし、今度は魔法を扱える者が台頭たいとうする時代になっていったのだ。


 ミミはお湯をかし、軽い金属が素材の調理器具を火にかけて、朝ご飯を作っていた。

 出来上がった料理を平べったい器に乗せ、調理場の隣にある広い部屋まで持っていき、その中央を陣取るように置かれている大きめの机の上に静かに置く。

 さらに自身が座る椅子と、相対する側にある椅子を引いて再び調理場へと向かう。

 火を止めた彼女は沸かしたお湯を小さな容器に移し、その中に具材を圧縮したかたまりをひとつ放り込んで、それを持って机に戻り椅子に座った。


「……いただきます」


 儀式のように手を合わせて誰も座っていない椅子側に頭を下げたあと、食事をり始める。

 これは仕事がある日でも行っている朝の行事であり、ご飯を済ませて洗い物をした彼女は、もう一度二階に上がった。


 戻ってきたのは寝室とは別の彼女自身の部屋であり、机の上に飾られた折り紙による赤い花を模して作られたものが透明の縦長いびんの中にくき部分を収めて、ミミを出迎えるように顔を向けていた。

 それ以外は殺風景さっぷうけいな部屋だった。無造作むぞうさに壁にもたれるような形で床に置かれたリュックと、日除けの布も無いき出しの窓。

 立ち止まったまましばらく花を眺めていた彼女は視線を切り、草臥くたびれたリュックの方へと向かい、雑に持ち上げて背負う。


 ミミの部屋はずっと窓を閉め切っているようなほこり臭さがあり、湿った家具は他の部屋のものより少し黒ずんでいる。ひと月に一回だけ開放される扉に吸い込まれていく湿気しっけが、封印ふういんかれたように外の空気と交わり合う。

 そして再び封印を掛けられ、行き場を失った湿気が渦巻いて遠くなる彼女の足音を見送った。


 玄関で一つだけあるくつに履き替えた彼女は、静かに扉を押して開く。

 朝とはいえ街の人が出勤する時間帯から大きく外れた時間帯、彼女を目撃する者も通りを歩く存在もない。

 静かな朝だった。風で揺れる家と家の間にある木がカサカサと枝の葉をこすり合わせ、出てきた彼女に挨拶をするように小刻こきざみに揺れる。

 周りにある同じような見た目をして建ち並ぶ家の窓には常に日除けの布が見えており、見られるのを嫌がるように外との世界を遮断しゃだんしている。


「ミミ、行くよ」


 いつものようにそう呟いて、家と木に囲まれた細い通りを北の方角に向かって彼女は歩き出した。


 順調に歩いていたミミだったが、前方から来る人を見かけてリュックの肩紐を強く握り、少し伏し目がちにすれ違おうとこころみる。

 深く帽子を被り猫背である男はどこかで見たぞと言わんばかりの表情で、歩きながら彼女の顔に目を凝らしていく。それでも最後まで声を掛けるわけでもなく、二人はすれ違う。

 何事も無かったと彼女はホッと息を吐いて手の力を緩め、足早に目的地を目指した。


「おや、ミミじゃないか。ああ、そういえば今日はその日か」

「いつもお疲れ様ですっ」


 メンテンの北門で門番をするドンレットは、絡まったような顎髭あごひげを触りながら彼女を迎える。弾むような声で元気よく礼をする姿を見るのは、彼にとっては毎月の恒例こうれいである。


「気をつけてな、帰ってくるのが遅い場合は探しに行くぞ?」

「ドンレットさんが探しに行っちゃったら、帰りを待つ人が居なくなっちゃいますよ〜」


 気前よく笑った彼は、小さく手を振ってミミを見送った。

 会話を終えた彼女はドンレットの視線が切れた瞬間に表情を消して、無心で足を運んでいく。


 街の外だろうが、森の中にさえ入らなければオンベージでは安全が保証されている。それはここより西にある森付近の街、デリーネにあるギルドへと冒険者が他大陸からつどっており、主に魔物の駆除くじょや魔道具を動かすための燃料になるものを彼らに集めさせているからである。


 森の入り口を境界線としているのは魔物側も一緒で、彼ら自身滅多めったに森から出ることはない。人間の中には強力な魔法を持つ存在もおり、彼らが抑止力となっているからだ。

 よってデリーネより東側は安全であり、それを知るドンレットは彼女をすんなり通したのだ。


 なだらかな坂を下りて、白い土の舗装ほそうされた街道をミミは歩く。

 オンベージ国内では街の外だと驚くほど植物の類が無く、せいぜい舗装されていない場所に適当に生えた雑草があるくらいだ。

 それも伸び過ぎればる者が存在し、常に景観が保たれている状態になる。大陸自体に激しい起伏きふくがあるためどこまでも見渡せるわけではないが、この景色を求めて渡航とこうしてきた者も人間の中には居る。


 ある程度歩いたところで、今度は舗装された道を外れて小高い丘の方へ彼女は方向転換した。その先は断崖絶壁だんがいぜっぺきになっており、はるか下の方で打ち付ける波の影響により、反り上がるように岩肌が削れているのが見て取れる。

 一歩踏み外して落下すればたちまち波に呑み込まれて命は無いような崖に立ち、叩き付けるような風の中その場に座り込む。

 そして、リュックの中からふたの閉められた拳大より少し大きい程度の瓶を取り出す。中には白い粉が一杯に貯まっており、真顔の彼女は蓋を開けて瓶を傾ける。


 風が瓶の内部に入り込み、中から逃げ出すように全ての粉が外におどり出て、その行方を追うように彼女は風が吹いている方向に顔を向ける。


「六つめ……」


 呟いたあとミミは持っていた瓶から手を離し、風にあおられたそれは岩に叩きつけられて砕け散り、割れた音は波と風の音にき消されていく。

 瓶の最期を見送った彼女は長いため息を下に向かって吐いてから、再びリュックを背負ってきびすを返す。

 泣いているような風の音が帰りを惜しむように吹き荒ぶ。彼女は一度も振り返らなかった。


「お帰り、今回も同じくらいの時間に戻ってきたね」

「ただいま! 心配掛けちゃいけませんもん」


 打って変わって笑顔で対応する彼女の存在は、退屈な門番の仕事をするドンレットにとって刺激にも癒しにもなる存在だ。

 彼女が初めて外に行った時は今よりも複雑な表情だった為に何かあったんだと彼は思ったが、回数を重ねるうちに本来の姿であろうよく笑う顔を見て、彼は彼女に貢献こうけんできているんだと小さな自信を抱いていた。


「にしても、リュックを背負って毎回何処に行ってるんだい?」


 彼にとって彼女と会話できるのは、月に一度のこの時しかない。少しでも長く話していたかったドンレットは会話を続けようとついに行き先を尋ねてしまった。

 一瞬、ミミは笑うのも忘れて無表情になるが、すぐに笑顔を貼り付けてすように言った。


「母の、墓参りに崖がある高い丘まで行ってるんです。あそこは見晴らしがいいから、もし亡くなったら遺灰を撒くのはそこがいいって生前の母が言ってまして」


 思わぬ重い内容に、ドンレットはしまったと思った。

 いつもは快活な笑顔も、自分の質問のせいで無理をしているように彼には見えていた。


「……すまない、失言だったね」

「あっ、いえ! 大丈夫ですよ」


 せっかくの楽しい雰囲気に自ら水を差してしまったドンレットは、太い眉を下げて謝罪した。

 釣られて頭を下げるミミは、彼に気遣って言葉を掛ける。


「まあともかく、無事に帰ってきて良かったよ」


 力無く笑う彼は間違いなく失言を引きずっているのだろう。それでもミミは苦笑ひとつせずに頭を下げて礼を言った。


 彼女が自宅に戻ってきたのは、家を出てから四時間後の事だった。


「ただいま」


 帰宅の言葉を発して、靴を脱いで上履きに履き替えたあと階段を上がる。

 そして、彼女の部屋に戻ってきてリュックを静かに床に置いた。

 疲れた素振りを見せてはいなかったが、おもむろに座り込んだ彼女はぼうっと壁を見つめる。


「もっと上手くやらないとなあ」


 独り言を呟いて、部屋を後にした。


 翌日、いつものように朝の食事を終えて、昨日と同じ格好でミミは出勤する。同じような服を複数持っている彼女は、昨日の服を魔道具を使って洗濯した為、家のベランダでは干された服が気持ちよさそうに風に揺れていた。


 用心深そうに時折周囲を見渡しながら、わざわざ遠回りする道を選び店へと向かう。人通りの多い道に出たのも、その三十分後だった。

 彼女を見かけた常連客は、いつものように声を掛ける。


「お、ミミちゃん!」

「ミミちゃん、今日もお店行くよ!」


 声を掛けるのは男が多く、大体は彼女目的にしている客である。そんな彼らにも愛想あいそを振りまいて、一人一人に丁寧に挨拶を返していく。

 そして開店十五分前の時点でお店に着いた彼女は、店の扉を開ける。


「おはよう」


 店は黄土色の木材を用いられた造りであり、天井てんじょうからはお洒落しゃれ装飾そうしょくほどこされたリグトと呼ばれる天井灯が暖かい色の光を放っている。

 店内のテーブル席は二十程あり、さらに外にも十ほど座れる席がある。その数は街の規模に比べたらかなり多い方である。

 そんな店をやりくりするケーフルは、出入口付近にあるカウンターの中でお釣り用のお金を数えており、頻繁にずり落ちる眼鏡を押さえながら彼女に挨拶をした。


「おはようございます!」

「……本当に今日も出勤で大丈夫? 半年前に君が復帰してから、月に一回ずつしか休ませてあげれてないからさ」

「大丈夫ですよ、ほら! こんなに元気!」


 力こぶを作るような動作を見せて、彼女は鼻をふくらませる。その姿に失笑した彼は、再びお金を数える作業に戻った。


「今日は君の出勤日だと知ってるお客さんが大勢来るだろうからね、気合い入れてくよ」


 人の良さそうな彼はそう言って、お金の数を口に出して集中する。

 彼の姿を見届けたミミは更衣室に向かい、従業員用の服へと着替え、そのうち他の従業員も揃い出していよいよ開店の時間になった。


「いらっしゃいませー!」


 ケーフルの予想通り店は盛況せいきょうで、開店から数分も経たないうちに行列が生まれていた。

 待ち構えていた客も多かったようで、その数は昨日と比べて相当な差が生まれていた。


「ミミちゃん今日も元気だねー」

「はい、ありがとうございます!」

「お身体に気をつけてねぇ」

「いえいえお婆さんこそ!」

「ミミお姉ちゃん、いつもありがとう!」

「こちらこそ、いつもありがとうー!」

「ミミちゃん、これ差し入れだよ!」

「わあ、いつもありがとうございますー!」


 一人一人に丁寧に接客する姿はメンテン名物とも言われており、それを見ているうちに結局店の中に入っていく人も多い。

 彼女は生き生きと動き回りながら、あっという間に閉店時間を迎えた。


「お先ですー」


 ミミ以外の従業員が帰ったあと、彼女は最後にケーフルに挨拶をしにいく。


「今日もありがとうね。凄く忙しかったんじゃない? 休憩ちゃんと取れた?」

「大丈夫です! 体力には自信があるんで!」


 朝と同じような仕草をする彼女を見て、今度は笑わずに真剣な顔でケーフルは言った。


「……ミミちゃん、一年くらい休んでた時期があったじゃない。でさ、復帰してからというものの、体力的にも元気になりすぎてるからさ。ちょっと色々と心配なんだよね」


 彼女は、この店に三年以上つとめている。従業員の中ではまだ新米な方だが、当初の彼女は病弱であり、一週間に何回も休むことが多かった。


「えー、気のせいじゃないですか?」

「気のせいじゃないよ、ボクはこう見えて結構人を見ていてね。確かに君は無理しているようには見えないけど、それが不自然なんだよね」


 お金をカウンターの金庫に仕舞った彼は、眼鏡を押さえながらミミを見つめる。

 困ったようにほほを掻く彼女は、返す言葉を考えているようだ。


「とにかく、急に倒れられたら困るからさ、明日も休みなよ」

「……いえ、お気遣いなさらずに!」

「ううん、ボク自身がちょっと怖いんだ。君がまるで別人みたいになってるからさ」


 別人という言葉に反応した彼女は、感情を無くしたように無表情を浮かべる。

 その反応に違和感を覚えたケーフルは、いぶかしげな顔で彼女に尋ねた。


「……どうしたの?」

「あ、いえ、なんでもないです」

「とにかくさ、なんか心配だから明日も休みなよ。ボクたちのことは気にしなくていいからさ」


 笑ってみせる彼は彼女の笑顔を不気味に思いながら、そそくさと更衣室に向かう。

 しばらく立ち尽くしていた彼女は重い足取りで店から出て、夜の道を覚束無おぼつかない足取りで帰っていた。


「ミミちゃん、帰りかい?」


 たまたま見かけた客であろう男二人組が、彼女に気づいて声を掛ける。

 しかし、いつもと違う様子に心配になった彼らは「どうしたの?」と尋ねた。


 そんな二人を無視するように、彼女はあいだを通って真っ直ぐ進んでいく。明らかにおかしな雰囲気に、二人の行き先は彼女が勤める飲食店へと変わった。


 二人の行動は露知つゆしらず、魂が抜けたような足取りながらもいつものように遠回りして家に辿り着いたミミ。帰宅を告げる言葉も発さず、黙ったまま階段を上がっていく。

 左の寝室を越え、突き当たりにある彼女の部屋の手前を右に曲がり、角にある部屋の扉に手を掛けた。


 そこは人間味の溢れる様々な装飾品や嗜好品しこうひんが所狭しと置かれており、飾ると言うよりは物置のように押し込まれているような印象を放っていた。

 正面奥にはベッドがあり、不自然なほど綺麗なシーツが掛けられている。


 脇には目もくれず彼女の足がベッドの前で止まり、ゆっくりとその表面を撫でる。その顔は無表情だったが、わずかに眉を寄せ、人間らしい複雑な表情を浮かべていた。

 

「あと、何回だっけ」


 ベッドから離れたミミは、部屋の左側にある棚の前に行く。そこには昼間に崖から放った白い粉が入っている瓶が一列に並んでおり、合計六本残っていた。

 

「あと六本……」


 抑揚よくよう無く呟いた彼女は、静かに部屋を後にした。


◇◆◇◆◇◆◇


 ──五年前。

 フォーゼルと呼ばれる魔物の中に、フォーカスという名前の個体が居た。彼はアルガニアの森で木に擬態して、そのまま一生を過ごすために平穏に暮らしていた。食事を必要とせず、魔力さえあれば生きていられる。性別の概念すら無い彼らは、自我も持ち合わせずにただ植物として生きていた。


 ある日、フォーカスの近くを小さな生き物が通っていく。彼はレルクスという種族であり、毛のふさふさした巨大な尻尾を持ち、人間の手のひらや肩に乗れてしまう程の小型動物であるため、森の中では非力な部類に入る。

 彼が持つ木の実は近くの地面に落ちていたものであり、それを見たフォーカスは興味を持った。

 自我の無い彼が興味を持つのは不自然なものだが、わずかな関心を寄せて小さき者の外見を分析する。


 そして、巨大な木の形をたもっていた身体はまたたく間にちぢんでいき、すぐそこで気配に気づいて振り向いた彼と全く同じ見た目のフォーカスがたたずんでいた。


 せわしなく顔を動かす仕草を真似、木の実をかじる習性を真似、素早く木に登る習慣を真似る。そう時間をようさないうちに、彼の動きはレルクスそのものとなっていた。


 こんなにも早く動くのは彼自身初めての経験であり、魔力探知から動物特有の眼球を使って得る視界が優先されたことにより、今まで得ていた情報を一気に制限された彼は何度も木や根っこにぶつかりそうになる。


 そのたびに学習し、自在に身体を操れるようになるまで無我夢中むがむちゅうで走り続ける。

 だが好奇心だけを原動力としている彼には行動理念というものがあまり無く、ひたすら走った後に急に立ち止まってしまった。


 彼は魔力感知に切り替えて、周辺の状況を探る。

 ちょうどそこは森の入り口に近いところであり、非力な人間も訪れやすい場所であった。

 

「あれ、レルクスだ……」


 フォーカスを見つけて声を上げたのは、当時デリーネに住んでいた少女ミミだった。

 綺麗な色を放つリュックを背負い、虫除むしよけの為に長袖と長ズボンを身にまとっている。

 メンテンにある飲食店に勤める前はデリーネのギルドで依頼を請ける冒険者をしており、今回は森入り口に群生する赤い花にみのる、真っ赤な見た目で丸っこいレコルベリーという実の採取を行っていた。


 森は入り込まねば危険は少ないと言われており、そこまでなら彼女のように誰でも近づける区域となっている。

 ミミからの視線を感じたレルクスは魔力探知をやめて、己の肉眼で彼女を見上げた。


「この子、全然逃げないな」


 レルクスは通常臆病な生き物であり、逃げようとしない彼を見てミミはしゃがみ込む。

 そして、背負っていたリュックの中からレコルベリーを取り出して、手のひらに乗せてフォーカスに見えるように差し出した。


 彼女の行いに彼の好奇心は疑問を抱いた。目の前に居る生き物は、何をしようとしているのか。

 素早く彼女に迫ったフォーカスは、差し出された手に触れる。

 その瞬間、彼は彼女の特徴を理解し、人間の形を細部まで再現できるようになった。


「どうしたの? やっぱり食べないのかな〜」


 困ったような顔を見せて、ミミは悲しそうな声を出す。フォーカスはその表情を見て彼女が悲しんでいるのを理解する。

 何故悲しんだのかを発された言葉の声色と照らし合わせて考え、差し出されているこれが原因では無いかという結論に彼は行き着く。


「あっ!」


 レルクスにふんする彼はレコルベリーを手に取り、しきりに匂いをいでみた。今まで感じたことの無い甘い香りが彼の鼻を刺激し、魔力探知以外での有益な経験に味を占めたフォーカスはさらにそれを一口齧る。

 

 レコルベリーは元々甘味として使われるものであり、人間たちの生活に欠かせないものとなっている。それ故に甘みが凝縮ぎょうしゅくされたそれを口に含んだ彼は、自身の模倣した身体に吸収される甘みを魔力に変換して堪能たんのうした。


 何度も実を口に含む姿を見たミミは微笑んで、手のひらに乗る彼を見つめ続ける。

 レコルベリーを平らげて、実の匂いを覚えた彼は鼻を動かして彼女を見上げる。おかわりの催促さいそくだと察した彼女は、少し迷ったあとに彼を手に乗せたまま立ち上がった。


 元々何にでも擬態できるフォーカスが敢えてこの姿を貫いているのは、レコルベリーが想像以上に美味だったからだろう。森に群生しているそれは魔力含有量まりょくがんゆうりょうも豊富であり、食事を必要としない彼だったが魔力として体内に吸収できるのであればこれ程効率の良いことはなかったのだ。


 しばらく考え込んでいた彼女だったが、周囲を見渡しながら開いたリュックの口に彼を誘導し、すっぽり入ったのを確認して口を閉める。

 初めて悪さを働いた時のような緊張感と高揚感こうようかんが入り交じる表情のまま街に戻った彼女は、リュックの中でゴソゴソと動いている彼の存在を感じ取りながら拠点としている宿へと戻る。


「あら、ミミちゃん早かったねぇ」

「ちょっと忘れ物しちゃって〜」


 宿屋の店主である老婦人に適当な理由を告げた彼女は、二階にある部屋へと上がっていく。

 多くの冒険者が利用しやすいようにギルドの近場に建てられた此処は、常に全ての部屋が埋まっているほどの人気宿だった。


 彼女が通る廊下の床に付いた傷や、壁に掛けられたぼやけた明かりを放つブラケットが年季ねんきを感じさせる演出を一役買っている。

 あやしく差し込む陽の光を避けるように自室のドアを開けたミミは、施錠せじょうを確認してゆっくりとリュックを置いた。


 部屋は必要最低限のものだけと言わんばかりに、入り口から左手に窓、右手に本棚と机と椅子、正面にベッドという配置であった。


 彼女がリュックの口を開いてみると、中にあったレコルベリーの半分を平らげたレルクスが驚いたように顔を上げ、悪戯いたずらっぽく「キキッ」と鳴く。

 その鳴き方でさえ模倣だとは知らずに、ミミは満足そうに笑って小さな身体をリュックからすくうように持ち上げた。


 手の上で毛繕けづくろいをする彼を見ながら、微妙に表情へ影を落としたミミは、うれうようにため息を吐く。


「この子、どうしよう」


 オンベージに魔物を連れてくる行為自体、そこまで問題はない。ただ、それが無害であるか有益であるかを決めるための機関に申請しんせいする必要があった。

 その金額は彼女が今まで稼いできた時間を無に帰す程で、無許可のまま魔物を所有していた場合は罰せられる事になる。


 レルクスの眼を通してミミの表情を読み取るフォーカスは、彼女が何か困っていると予想する。本能的な彼から理性らしいものが芽生えたのは、彼女と関わった副作用なのか。

 彼は手から飛び降り、部屋の床に着地する。思わず声を上げるミミだが、逃げ出す素振そぶりを見せずに冷静に辺りを見渡しているレルクスを見て、慌てずに様子を窺う。


 彼が見つけたのは本棚で、器用な動きでふち沿って登り、自らの身体とそう変わらない大きさの本が斜めに立て掛けられているのを見て、指差すように手を伸ばしてミミに訴えかける。


「もしかして、本が読みたいの?」


 彼の指示通りに本を手に取り、本を開くような手仕草に従ってレルクスに見えるように適当なページをミミは開いた。

 

「どうしたの? 鳴かれても分かんないよ?」


 しきりに文字を指差して鳴く彼に困ったように首を傾げながらも、指された箇所をゆっくりと読み上げていく。

 すると、ある程度文字を聞き終えた彼は文字に覆い被さるような位置に来て、ミミの方を向いた。

 声を止めて、レルクスと見つめ合うミミ。彼は再び本の方に向いたあと、文字を指差した。


「な、ま、え? え、嘘」


 的確に三文字を指差したフォーカスはミミを見つめ、彼が言葉を理解した上でこちらに尋ねてきているのを察した彼女は手で口元を隠して目を見開く。


「えっと、ミミ。あたしの名前はミミ。文字は……これ。み、み」


 文字と声、両方を認識した彼は頷くように小刻みに首を縦に揺らす。手をけて顔を輝かせたミミは、思わず頭を撫でそうになるが、再び文字を指しているのに気づいて慌てて読み上げる。


「あ、た、し、の、な、ま、え、は、な、い。え、女の子だったの? ナイが名前?」


 フォーカスは彼女が使う一人称を模倣して、それを使っただけだった。性別の概念を知らないゆえに起きた齟齬そごだったが、言葉を理解している彼は名前の訂正の為に首を横に振る。


「あれ、女の子じゃないの? んー? 名前がナイでも無い。そっか、魔物は名前が無いんだ」


 とりあえず彼が言いたい事を理解したミミは、名前を付けたげようと考え込む。


「じゃあ、君はレルクスって魔物だから、レルって呼ぶね」


 名前を付けられたフォーカスは響きが気に入ったのかうなずいて、その後も本を通して彼女と会話をしていく。

 何も塗られていない画用紙に少しずつ色が宿っていくように、彼は知識をたくわえていく。初めは好奇心だけで本能的に動いていたが、人間であるミミを通じてより人間らしく、思慮深しりょぶかく、理性的な考え方をするようになった。

 そこから芽生え出した自我は自律じりつした考えを持つようになり、フォーカスという一個性を確立していく。


 翌日、決心を顔に浮かべたミミは魔物使役しえき申請所へと足を運ぶ。


「では、確かに書類を受け取りました。後日、また魔物と共にいらしてください」


 事務員である女性が髪を揺らしながら、ミミに告げる。

 室内は相当に広く、その割に受付はひとつしかない。牧場のような施設の周りに壁を立てたようなだだっ広さの理由は、万が一申請者が巨大な魔物を連れてきた時のためだった。

 そもそもそんな巨大な魔物を使役すること自体が現実的ではないので、備えあれば憂いなしの精神でやむを得ない対応を彼らはしていた。


 宿に戻った彼女は身支度みじたくを済ませ、会計のため宿屋の老婦人の元に向かう。


「そうかい、帰ってしまうんだね」

「今までありがとうございました!」


 リュックを背負い、両手にぶら下げた手荷物を持ってミミは宿屋を後にする。再び申請所でフォーカスを見せて正式に許可を取った彼女は、故郷であるメンテンを目指した。


「乗ってくかい? メンテンまでで25オンベージ銅貨だ」

「あ、乗ります」


 門で客を待つ馬車の主に呼び掛けられたミミは誘いに乗り、屋根付きの二畳にじょうほどある広さの屋形やかたに中腰で乗り込み、床にリュック類の荷物を置いて壁際の長椅子に腰掛ける。

 四角い窓枠状の空洞から流れる景色を眺めている彼女を一目見ようと、リュックからもぞりと現れたフォーカス。


 気づいた彼女は彼の前に手のひらを差し出し、迷わず乗った小さな身体をミミは顔の前に持っていく。


「これからよろしくね、レル」


 小刻みに頷いた彼は、ミミと一緒に外の景色を見つめる。

 夢の代わりにかけがえのないものを手に入れた彼女の顔は、日差しを受けて輝いていた。


 メンテンに戻ってきた彼女は、元々の実家である閑散とした住宅街へと歩いていく。日頃から歩くことが多かった彼女は、持ち前の健脚けんきゃくで荷物を引っげたまま到着した。


「はー、疲れたー!」


 玄関を開けて階段を登り、突き当たりの部屋の扉を開ける。彼女が出ていく前に整理したであろうがらんどうとした部屋に荷物を置いて、寝転がりながらミミは叫んだ。

 ひょこりとリュックから出てきたフォーカスは、新しい場所を記憶し、匂いを覚えていく。長らくレルクスの姿になっている彼は、すっかり仕草が板に付いていた。


「ちょっと待っててね」


 そう言って彼女は部屋から出ていき、少しだけ開いた扉の隙間からフォーカスは外を覗く。

 広い空間には人気ひとけが無く、魔力探知に切り替えた彼は家の全容を把握した。

 屋内にミミしか居ないことを知った彼は、部屋から出て左の角にある部屋を見る。


 正確には、人はミミしか居ないようだった。

 角の部屋のドアノブが動き、急いで部屋に戻った彼は辺りを見渡す。


「ごめんごめん、お腹空いたよね?」


 部屋を出る前より少し覇気が無くなっている彼女を見たフォーカスは、途端に角部屋が気になるようになった。


 夜、寝室でミミが寝ているのを確認した彼は、彼女の見た目そのものを模倣して人間の姿へと変わる。

 初めての身体を慣らす目的で、その場で足踏みを繰り返す。仮に彼女がそれを目撃しようものなら、きっと夢だと思うような光景だ。


 二足歩行に慣れたフォーカスは、音が鳴らないようにドアをゆっくりと開けていく。質量も模倣している彼は、床を踏み締めた際の音鳴りにも配慮はいりょした。

 忍び足で例の部屋の前まで辿り着き、ゆっくりとドアノブを回す。部屋の構造を魔力探知で把握していた彼は、視界を眼球から入る情報にゆだねる。


 薄暗い部屋に入り、ゆっくりと左右を見渡す。人が住むにしては物が多く、実用性の無さそうな嗜好品と装飾品が大半を成していた。

 左側にある棚には、白い粉が一杯に詰まった瓶が十八本あり、右端だけ瓶一本分の不自然な隙間が空いている。

 そして、正面奥にあるベッドは誰かが寝ていた形跡を消すように、不自然なほど綺麗なシーツがかれていた。


 部屋に戻ったフォーカスはレルクスの姿に戻り、ベッドの上ですやすやと眠るミミの顔を見る。しばらく見届けたあと、ベッドから降りて用意されたクッションの寝床に潜り込み、紙細工かみざいくの赤い花のそばで目をつむった。

 フォーゼルという魔物には睡眠も必要無かったが、レルクスという個体と限りなく同化してきているフォーカスは程なくして意識を手放した。


「レル! ご飯だよー!」


 彼が目を開けると目の前にはレコルベリーが平べったい器にいくつか盛られて置かれており、もそもそと寝床から出た彼は一つ一つの匂いを嗅いだあと手に持って齧り付く。

 朝食にありつく彼の姿を見て満足げに微笑んだ彼女は、動きやすそうなシャツとズボンに身を包み、しゃがみ込んで食事中のフォーカスに話しかける。


「今日からレルのためにご飯代稼いでくるから、大人しくしといてね!」


 笑顔の彼女に対して、いつものように小刻みに頷くフォーカス。ミミが出ていったのを確認した彼は、再び人間の姿に姿を変えた。

 家の中を探索していく彼は、一階にある部屋を探索する。

 主に朝食を摂っているであろう大きな部屋にはテーブルが居座るように中央に鎮座ちんざし、調理場が部屋から出てすぐにある。ほぼほぼ繋がっているも同然のそこは、一部屋と数えても良いほどだ。


 他に部屋を探すと、物置のような所をフォーカスは見つける。そこには以前使っていたであろう物干し竿や、彼女が小さい時に遊んだのであろう遊具やボールが押し込められていた。

 彼はボールなどにも擬態することが可能ではあるが、今更無機質に模倣する必要性を彼には見出みいだせなかった。


 玄関周りは手洗い場や風呂へと続く廊下があり、特にこれといって彼の興味を引くものはない。

 ある程度探索が終わって、もう一度階段を登る。その足は再び角部屋へと向けられた。


 中の様子は昨日と変わらない。つまらなさそうに真顔のまま寝室に戻った彼は、しばらく本を読んだあとレルクスの姿で再び眠りにつく。


「ただいまー!」


 元気よくミミが部屋に入ってきたのをフォーカスはだいぶ前から察知していたが、今起きたかのように目を開けて彼女を見上げる。


「今日ね! 仕事先が見つかったんだ! これで一安心だよ〜」


 愛でながら優しく頬ずりまでするミミの反応に、フォーカスは人間の生態を少しずつ理解していく。嬉しい時は笑顔、悲しい時は眉を下げて口角を下げる。人間にとって当たり前の感情を、魔物である彼は模倣対象にしていく。

 同じフォーゼルでも、人間と密接に暮らしているのは彼ぐらいだろう。その危うさをフォーカスはまだ理解していなかった。


 ミミが飲食店に通い出して一年半、この頃から彼女は身体に異変を感じ始める。

 以前までは息切れも起こさなかった仕事場への道のりで息切れをするようになり、覚えもないのに咳が出て目眩も多くなる。

 さらに、彼女の月に一度の行事としているある事も、満足に行えなくなってきていた。


 日に日に仕事も休みがちになってきた彼女は、フォーカスと話すこと自体少なくなっていく。さらに一年が過ぎた頃にはベッドから起き上がることもままならなくなっていた。

 そんな事態を重く見た彼は、魔力探知によりミミの体内をる。


 彼女の身体は強い毒におかされており、長い時間を掛けてむしばんだ形跡が至る所に見られた。

 彼はそれを見て、原因は自分では無いかと勘繰かんぐった。フォーゼル種特有の強い魔力を保有するフォーカスは、人間にとっては毒にもなり得るだろうと考えたからだ。

 

「レル……ごめんね、お腹空いたでしょ?」


 ベッドに横になったミミは咳き込みながらも、フォーカスへと手を伸ばす。彼は自らその手に触れるように動き、冷たい手の温度を感じ取った。


「やりたいこと、沢山あったんだけどなあ」


 死期を悟ったかかすれた声で、独り言のように呟く。

 それを見て、自我の無いはずのフォーカスの中で何かが芽生えた。


「……レル?」


 微動だにしなくなった彼を見て心配したミミが、上体を少し起こした。

 その時、目をつむったフォーカスはその身体の形を変えて、彼女と同じ見た目へと見る見る変貌へんぼうげる。


 声にもならない程の衝撃を受けて口を開けたまま見上げている彼女の手を握って、微笑んだ彼は謝罪から始めた。


「ミミ、ごめん。驚かせた。私はレルクスではない。私はフォーゼルという種類の魔物。擬態を得意とする魔物だ」

「フォーゼル……?」


 本を読んで知識を取り込んだ彼は、自らの正体を説明する。

 ミミも最初は驚いていたが、レルクスではない事実を噛み締めてそう呟く。


「ミミからは沢山の事を学ばせてもらった。人間の言葉、文字、アルガニアの森に居たままではまず知り得ないものばかりだ。こうして話せるのをずっと夢見ていた」


 そう語るフォーカスの顔は明るく、頬が紅潮していた。嬉しそうな彼とは対照的に、どんな表情をすればいいか分からない彼女は自分と同じ顔を無心で見上げる。


「だけど、謝らなければならない。私たちは人間にとって有害な身体をしている。だから、ミミは病気になった。ごめん」

「……それは、大丈夫よレル。だって、あなたと過ごした日々は楽しかったもの」


 さびしそうに目を伏せる彼女の顔と言葉が一致していないことに、フォーカスは怪訝けげんな表情を浮かべる。


「……楽しい時は笑う。私はミミからそう学んだ。でも、今のミミは寂しそうだ」

「違うよレル、本当に楽しかったの。でも、人間という生き物は想像以上に複雑なの」


 理解ができない彼は、首を振って困惑する。


「分からない。ミミは悲しそうだ。きっと原因は私だろう、私はどうすればいい?」

「そうね……あなたの話を聞きたいな」

「私の……?」

「そう、母親の事とか、レルクスになる前はどんな生き方をしてたとか」


 無理に作ったような微笑みを浮かべるミミを見て、最初は眉を下げていた彼も段々と表情を明るくしていく。


「私には母は居ない。強いて言うなら、アルガニアの森が生みの親だ。私の身体は魔力で出来ている。だから、魔物が数多く居て空気に含まれる魔力量が多いあの場所で生まれたんだ」


 身振り手振りを交えながら、今日あった出来事を母に話すかのようにフォーカスは語る。


「レルクスになる前はほとんど覚えていない。私たちには基本、自我というものが無い。だからミミと出会えて私は私を知った。ありがとう、ミミ」

「……ということは、本来の名前も無いの?」


 彼女の質問に、フォーカスは首を傾げる。


「ミミがレルという名前を付けてくれたではないか」

「いや、私が名前を付ける前に名前はなかったのかなって」

「……無いな」


 特に躊躇ためらうことなく告げる彼を見て、ミミは目を細める。


「フォーゼル、というのがあなたの種族なんだよね?」

「ああ、そうだ」

「じゃあ……」


 そう言った瞬間、ミミは激しく咳き込み出す。その姿に狼狽うろたえた彼は、彼女の背中を優しく撫でた。その行為はレルクスの時に彼女が頻繁にしてくれていた事だったからという理由で、彼の中から咄嗟に出た行動だった。


「レル、はレルクスだったから付けた名前だよね。だから、あなたに本当の名前を付けようと思うの」

「本当の……名前?」

「フォーカス。フォーゼルだから、あなたの名前はフォーカスよ」


 口元を押さえていた彼女が手をどけると、口の周りに赤黒い血が付いていた。人間の豊かな色彩の視界でそれを見たフォーカスは、目を見開いた。


「ミミ! 血が!」

「大丈夫。それよりも、お願いがあるの」

「お願い?」


 フォーカスにとって初めて聞く言葉ばかりだったが、懸命に意味を理解しようと彼は頭をフル回転させる。


「あたしが死んだら、同じ階の角にある部屋のベッドに寝かせて。それから……」


 再び咳き込んだ彼女は、口を押さえる間もなく大量に吐血する。

 それを受け止めようとするフォーカスは彼女の手の前で掬うような手の器を作り、血をそのまま魔力に変換して吸収していく。

 それを見たミミは、目を見開いてフォーカスと目を合わせた。


「フォーカス、あなたもしかして、色んなものを身体の中に吸収できたりするの?」

「そうだ。この世界の全ては魔力から成り立っている。不純物が沢山あるが、私なら魔力に変えて取り込む事が可能だ。それがどうした?」

「……あたしが死んだら、吸収してくれる?」


 彼女の提案にはっきりと拒絶の意志を表情に浮かべ、彼は後ずさる。


「それは、嫌だ。私は生きるために魔力を得るのであって、ミミを魔力に変えてまで取り込みたくない」

「違うよ、フォーカス」


 穏やかな表情のまま、彼女はフォーカスの手を取る。


「あなたに、あたしの願いをいで欲しいの。あたしにはやり残したことがある。だから、擬態ができるあなたにそれをたくしたい。無茶な提案なのは分かってる、けどもしあたしの我儘わがままを聞いてくれるなら、どうかお願い」


 フォーカスの手を握る力は今にも力尽きそうな彼女とは思えないほど力強く、困惑したままのフォーカスは手と顔を交互に見る。


「私は……ミミのことが大切だ。でも、そんなミミだからこそ取り込みたくはない。この気持ちがなんなのか、分からない。でも、たまらなく嫌なんだ」

「……そう」

「……でも、その願いをミミ、君がするのなら私は、叶えるよ」


 表情を見た彼女が変に勘繰かんぐらないように、嫌だという気持ちを押し込めながら彼は無理やり口角を上げて笑顔に変えようとする。

 そんなフォーカスの苦悩する表情を見て、ミミは小さく失笑する。突然笑った彼女を見て、目を丸くした彼は呆気に取られた様子で口を半開きにしてその笑顔を見つめる。


「なんだ、あなたにもできるじゃない。その表情こそ、さっきあたしがしたものと同じものよ。あなたの今の感情はなに?」


 笑う彼女に言われて、フォーカスは自らの顔に手をわせる。


「約束よ、フォーカス」


 離れた手を再び握る形で、彼女は手のひらを見せた。赤黒い血液がべっとり付いており、いつもレコルベリーを乗せていた映像を彼は思い出す。

 彼女の手を両手で包み込むように握り、自身の胸の前に引き寄せてうつむいた。


 その三日後、ミミは息を引き取ることになる。

 約束通りフォーカスは彼女の身体を取り込むが、その時彼女の感情や記憶、心が流れ込んできて、やり残した事や彼女の願いを彼は理解した。

 

 そのあと、体調不良を理由に彼女の勤め先だった飲食店に無期限の休みを申し出て、彼はデリーネのギルド目指して街を出る。

 ミミがそうしていたように、依頼をこなして金を稼ぐ。それをひたすら繰り返した。

 一年後、メンテンに戻った彼は飲食店に復帰し、月に一度の休みを条件に看板娘として本領ほんりょう発揮はっきしていく。

 

 ミミの願いは二つ。母親の遺灰を、街を出て北東にある絶壁から撒くこと。


 そして、母を殺した犯人を突き止めること。


 元々彼女がお金を稼いでいたのは、ギルドに犯人捜索依頼を出す為だった。人間の世界ではお金が物を言い、冒険者という職業が溢れたせいであらゆる事柄がお金に関わるものに代わる。

 彼らの世界において不必要に殺人を犯すことは最も重い罪であるが、それを裁くものはこの大陸上には存在しない。ギルドは依頼されれば動くが、そもそも金が無い限り動かない。

 

 そんな制度を理解していた彼女は街に戻ってからは依頼を出したと嘘をつき、それを触れ回ることで自衛も兼ねていた。犯人が家まで来る可能性もあり、それの抑止力として噂を扱ったのだ。

 そしてフォーカスに代わったあとはデリーネで一年間お金を稼いでギルドを動かし、戻ってきたメンテンでは怪しい人物は居ないか警戒して過ごす。そんな毎日を送りながらも、母の遺灰だけは欠かさずに月に一度だけ分けて撒くのを忘れなかった。


 そして現在に戻る。彼は急遽きゅうきょ貰った休日を消化するために、寝室で本を読んで時間を潰していた。

 時刻はまだ午前中であり、これから暑くなるであろう予感を窓から差し込む陽が教えている。

 

 ふと、魔力探知に切り替えていたフォーカスの索敵範囲内に人間が近づいたのを感じ、意識を集中させる。彼が感知したのは二人分の魔力で、明らかにミミの家に向かってきている。

 人間の視力に切り替えて日除けの布越しに窓から外を見やると、彼が店から出たあとに遭遇した二人組が見えた。


 何故二人が此処に居るのかと疑問に思ったフォーカスだったが、縦に長い通りの中でいくつもある家を通り過ぎていき、真っ直ぐこちらに向かってくる二人組にどんどん警戒心を抱いていく。

 彼に戦闘能力は無く、あるとすれば相応の実力を生前持っていた何かを取り込むことにより扱える程度である。そのため、男二人組が一斉に襲いかかってくれば彼は一溜ひとたまりもないだろう。


 しかし、最悪別のものに擬態して隠れおおせることも可能だ。複数ある選択肢の中で彼が選んだのは、ミミの姿のままで玄関に足を運ぶことだった。

 玄関の扉越しに人の気配が近づき、二人組の片方が声を上げる。


「ごめんくださーい! ミミさんおられますかー?」


 少なくとも敵意は感じられない仕草と自然な言葉選びに、彼らはミミを害しに来たわけではないだろう。そう感じたフォーカスは、そのまま扉を開けようとするが、もう一度魔力探知をした時に違和感が浮かび上がる。


 彼らは背中側になにか隠している。正確にはズボンに差している何かが、彼の探知に引っかかった。人間の世界でも物騒とはいえ、そんなあからさまな大きな棒状のものを背中に差して一人暮らしの女性を尋ねるだろうか。

 人間で言うかんを使うところを彼は探知により無理やり感じ取ったが、疑念がつのって動きを止めたままだ。


 その時、外に居る二人は顔を見合せて、扉を叩き出す。とんでもない力でというわけではなくただのノックにしか見えなかったが、帰らない二人にますます怪訝な表情を浮かべるフォーカスは、玄関から離れて一階の物置部屋へと向かう。

 そこで物干し竿を取り出し、再び玄関へと戻る。


「居ないのかな」

 長い金髪の男がぼやく。

「店にも居なかったよな」

 黒い短髪の首の太い男が相槌する。

「しょうがない、開けるか」


 異常な会話のあと、彼らは背中に回していたものを手に取る。おおやけに晒された得物えものは黒色の鉄製の棒であり、その先端にはまだ乾いて間もない赤黒い血痕けっこんが付いている。

 フォーカスはそこまで感知することは不可能ではあったが、明らかに敵意を持った魔力を放ったのと、彼らが手に凶器のようなものを持ったことに強く反応して、物干し竿を横に構えて腰を落とした。


 間もなくしてドアノブに向かって振り下ろされた得物により、呆気なく破壊される。閑散とした住宅街に響く非日常的な音を誰も捉えることはなく、三人の空間だけが時を進めているかのような静寂に包まれていた。

 鍵ごと破壊された扉を、ドアノブがあった箇所に指を引っ掛けて引いた長髪の男目掛けて、フォーカスは物干し竿を強く突き出す。


「ごあっ!」


 鳩尾みぞおち部分に直撃してたまらず声を上げて後ろに倒れ込む細く長身な男、それを見た筋肉質の相方はすぐに攻撃してきた対象へと顔を向け、突き出された物干し竿を血管が浮き出た左手で掴んで攻撃手段を断つ。


「なんだ、居るじゃん。もしかして気づいてたの?」


 なんの事だと上目遣い気味に睨みつける彼は、勝ち誇ったように相方のために時間を稼ぐ男の言葉に耳を傾ける。

 

「いってぇ、このクソアマ」

「まあまあ、毒で弱ってるとはいえ抵抗された方がたのしいじゃん。この子の母親みたいにさ」


 起き上がる相方に下卑げひた顔と共に短髪男が吐いた言葉を、目を見開くフォーカスは聞き逃さなかった。

 ミミの記憶にある母親の死に様、明らかな他殺死体には何ヶ所も殴打おうだ打撲だぼくあとがあり、現場となった場所はここから少し離れた商店街へ向かう道程みちのりでの事だった。


 犯罪などの事柄をギルドに一任する国に不満を持つ者は多かったが、流れ者が多いこの大陸にいてそれらは些事さじでしかなく、全面的に森の開拓に力を入れている国にとっては、法整備など二の次である。

 もちろん冒険者という盾があるにはあるが、力無き者は泣きを見る世界は人間も魔物も変わらない。むしろ、無駄な殺生せっしょうをせずに侵略してくる人間だけを優先的に攻撃する魔物の方が、よっぽど理性的だった。


「お前たちが……」


 それまで怒りの感情を制御したことがなく、そもそも表に出したことのないフォーカスにとって、その耐えがたい激情はそれまでの静かな活動をくつがえしてしまうほどの破壊衝動を彼に与えた。

 それはミミの記憶から来る反射的な怒りなのか、それとも彼自身が抱いた怒りなのか。目の前の男たちを睨みつける彼の目にはおおよそ人間には出せないような殺気が込められ、異様な雰囲気を放ち出すミミの姿を見た彼らは明らかにたじろぐ姿を見せる。


「お前たちが殺したのか」

「な、なんだお前。ほ、本当にミミか?」


 化け物を見るような顔で鳩尾部分を押さえた男が叫ぶが、それは悪手あくしゅでしかなくフォーカスの怒りを倍増させるだけだった。


「お前たちにミミの何がわかる! 知ったような口を聞くな!」


 彼女を庇うように叫んだ内容に、男たちは顔をしかめる。


「お前、誰だ……?」


 怯んだ筋肉質の男は物干し竿から手を離した、それを見逃さなかった彼は素早く引っ込めて、顔に向けて突き出す。

 しかし男は太い首を横に倒して脅威きょういから逃れる。彼の首を滑るように通り過ぎる棒には明確な殺意が乗り、躊躇いもなく突き出してきた看板娘への恐怖と戸惑いが男の中で一瞬にして広がっていく。

 

 もちろん中身はミミではないフォーカスは、か弱い看板娘で居てあげる義理なんて無かった。


「この野郎調子に乗るな!」


 金髪の男が怒り狂ったように叫んで走り出し、フォーカスへと迫る。擬態している身体は所詮一般女性の筋力でしかなく、戻した物干し竿を女性の力で当てられようが怯まない男は彼を押し倒す。

 奥に転がる物干し竿はフォーカスが手を伸ばそうと決して届かない距離まで離れ、それを確認した筋肉質の男は、騒ぎを見られないように扉を一応閉めた。


「ギルオン! 早く一緒にこいつを押さえろ!」

「馬鹿野郎レティ! こういう時に名前を呼ぶなと言っただろうが」


 怒鳴るギルオンも加わり、フォーカスは完全に身動きが取れないまま恨みのこもった顔で二人を見上げる。


「へっへへ、すまねえ! でも殺しちまうなら別に良いじゃねえか!」

「へっ、それもそうだな! まずは楽しんでからだろ?」


 両腕を押さえたレティに下衆げすの顔で応えながら、太い腕が看板娘の胸元を掴み、勢いよく服を引きちぎる。露わになった胸元を見たギルオンは、よだれを垂らして含み笑いをした。


「この国も最高なもんだぜ! 正直者や真面目な奴が馬鹿を見る世界だからな! なあミミ、お前は気づかなかったのか? 客として来てる俺たちがお前のお母さんを殺したことを! いつも笑顔を振りまいてたよなあ? こりゃあ傑作だったぜ」

「店主の野郎も、お前の家の事言わないからついでにやっちまったしな!」


 死にゆく者には自供じきょういとわない勢いで彼らは自らの犯行をありありと喋りながら、看板娘の胸元にしゃぶりつく。

 この時点でケーフルはもうこの世に居ないことを悟ったフォーカスは、ミミから与えてくれた人間の素晴らしさを一時的に撤回てっかいし、目の前に居る害虫を駆除して彼女の身体を汚させないようにしようと冷徹れいてつな思考を巡らせ、冷めた目つきで彼らの頭頂部に見やる。


「なんだお前、押し倒されて無抵抗なのはつまらねえよ! 泣き叫べよ!」


 顔を上げたギルオンが拳を握り、フォーカスの顔を思い切り殴った。しかし、手応えに対して違和感を抱いた彼は殴った自分の手に目をやる。


「やわら、かい?」


 筋肉質の横腹に左手を当てたフォーカスは、彼の特徴を理解して模倣する手順を構築していく。脇腹に手を添えられている事にも気づかずにほうけていた彼を不審がったレティはようやく顔を上げる。


「えっ、うわ!」


 金髪の髪を揺らして飛び上がるようにフォーカスの身体から離れ、その声で我に返ったギルオンは押し倒している人物の顔を見て驚愕した。


「お、俺? 俺?」


 黒い短髪、太い首、分厚い唇に小さな鼻と目。瓜二つどころではない顔が自らの下で憎らしそうに見上げているのを見て、信じられないと言った様子で彼は目を何度もしばたたかせる。

 次の瞬間、レティが飛び退いたことにより自由になった右手を先程ギルオンがしたように思い切り力を込めて握り込み、混乱する短髪男の顔目掛けて振り抜いた。


 フォーゼルが行うのはあくまで擬態であり、その身体は強く叩くとゲル状の感触がし、軟体種を相手している感覚を相手に与える。しかし、自ら意志を持って殴る時は別で、硬さ、重さ、威力すら模倣する一撃はギルオンの意識を一発で奪って昏倒させるには充分過ぎる威力があった。


 身長が低いこと以外は恰幅かっぷくが良く格闘戦にも優れるはずの彼がぐらりと右に向かって倒れ込み、完全に自由になったフォーカスはゆっくりと上体を起こす。

 もはや混乱が混乱を呼んで腰を抜かしているレティは、相棒が二人になり仲間割れをしている光景を見て、ついに自分の頭がいかれてしまったのかと笑い出す。


 ただの人間なら突然笑い出した相手には怯むものだが、フォーカスは魔物である。歯を見せて笑うレティの顔目掛けて、立ち上がった彼は振り下ろすように相棒の拳を食らわせた。歯と血を散らしながら真後ろに倒れ、倒れている二人は小さく呼吸こそしているがどちらも動く様子は無い。


 特に息を切らしてもいない彼はギルオンの身体からミミのものへと姿を変え、手に付着した血を吸収した。彼の服まで模倣していた為、着ていたものは吸収されてしまい今の彼は全裸で立ち尽くしていた。

 羞恥心は持ち合わせていないが、流石に外を裸で歩く人間は居ない上に彼女が持っていた常識は一応頭に入っている。静かに着ていた服を模倣して作成し、衣服に身を包んでいるかのような見た目に変わった。


 そのあと無感動に倒れている二人を見下ろしていた彼は、彼らを取り込むことを決意する。つまりは命を断つ必要があり、最も効率の良いやり方は心臓に直接傷を負わせるか、動きを止めるかであった。

 丁度いいものを探していた彼は転がった物干し竿を手に取り、服を着たギルオンの姿に変わったあと真っ二つにそれを折る。

 都合よく尖った断面となったそれを男たちの方に向けて、なんの躊躇いもなく心臓がある部位に突き立てて、体重を乗せて押し込んだ。


「ごぶ……」


 仰向けに倒れていた金髪のレティは意識こそ無かったが、心臓と肺を突き破られた事により口から血が逆流し、最期の言葉を述べる事無く絶命する。

 棒を引き抜いた彼は、横になっているギルオンを足蹴あしげにして仰向けにし、同じく先端を突き立てた。


 呆気なく仕留めたフォーカスは、彼らを一人一人吸収していく。

 その瞬間、二人の記憶が彼の中に流れ込む。


 ギルオンとレティは、人間の国で言う自警団じけいだんに所属していた。情報を得るレティと、武力行使ぶりょくこうしのギルオン。彼らは自警団とは名ばかりで、歪んだ正義のもとで様々な犯罪に手を染めていた。

 それはミミの母やケーフルだけではなく、過去にも多くの人をあやめており、そのたびに証拠を残さずに行動してきた。


 誤算だったのはミミの母親のことで、思いのほか抵抗されたために死体処理をする事が出来ず、結果的に公になってしまったのだ。

 彼らがミミを付け狙っていたのは完全な逆恨みであったが、彼女がギルドに所属していた為に手を出せずに居た。

 しかし、ある時に彼女がメンテンに戻ってきたことにより、客に扮して二人はミミに近づいた。

 情報担当のレティは彼女の身辺調査をしようとするが、ギルドの存在を匂わされた為に動けない。

 そこで、差し入れと称して渡すお菓子の中に微弱な毒を混ぜる事を提案した。


 厚意こういを断れずに、生計せいけいをレコルベリー購入に回していた事で仕方なく差し入れを食していた彼女は、長い時間を掛けて毒を取り込んでいった。そうなれば微弱な毒だとしても、最終的には命を奪ってしまう。

 だがそろそろ弱る頃だと思っていた矢先に彼女は一年間休暇を貰い、さらにそのかんデリーネに行っていた彼女を当然ながら二人は訝しんだ。結局戻ってきてはいたが、前と変わらない様子に見えて困惑もする。

 それでも根気強く差し入れし、店を出た彼女が前より表情を作らなくなったのも把握していた彼らは、確実に毒が回っていると信じきっていた。

 そんな中であの日、ケーフルの失言で彼が無感情のまま二人と遭遇した結果、ついに隙を見せたと思い込んだ彼らに行動を起こさせてしまった。


 閉店した店に忍び込んだ彼らは、店長が寝泊まりしていることを知っていた。そして、ミミの住処すみかを唯一知っている彼を脅した。だが、予想外にも毅然とした態度で反抗されたので、ギルオンは勢い余ってケーフルを殺してしまう。

 そのあと、彼の所有する従業員の個人情報が書かれている資料から家の場所を掴んだ彼らは、死体処理をこなしたあと訪問するに至る。


 全てを知ったフォーカスは、今すぐに彼らの感情や心を消し去ろうとした。しかし、一度取り込んだ情報は消えないまま、常に彼の擬態先として残ってしまう。

 種族特有の仕様というものに、彼は声を出さずに叫んだ。叫びながら、ミミの姿に戻り、服すら模倣し、両手を着いてだらしなく口を開けて虚ろな目で床を見る。


「……ミミ、私はどうしたらいい。犯人は殺した。君の母親の遺灰も、もう時間を掛ける必要は無くなった。ギルドからの協力も、もはや必要ない。やるべき事、そして君の願いは全て叶ったんだ」


 ミミの姿をした彼は、彼自身に問いかけるように呟く。自分の身体を触り、彼女の形をした顔に触れ、指の間から床に散らばる歯と血を見つめる。

 ギルドに依頼をして半年、彼らは何をしただろうか。金だけ貰って、何もしなかったのではないか。そうした思いが三人もの人間を取り込んだ為に不安定になっている彼の頭の中を巡り、魔物本来の凶暴性が宿り出す。

 だが、静かに目を閉じた彼は手をだらりと下に垂らして項垂うなだれる。


「ミミは、私と出会ったから死んでしまった。私は、森から出るべきではなかった」


 自我の無かった頃と比べて、理知的な思考回路で結論を出したフォーカスは、床にある痕跡を吸収して消して、家の階段を登っていく。

 突き当たりの部屋にあるリュックを手に取り、机の上にある紙細工の赤い花に目を移す。

 レコルベリーが実る花を模して作られたそれは、生前のミミがレルクスの姿だったフォーカスの為に作ったものだった。

 彼はレコルベリーが好きなのであって花には特に興味もなかったが、彼女のはからいを無下むげにはできず、彼の寝床にはいつもこの花が置かれていた。


 そして、彼女が亡くなったあと、稼いだお金で買った空き瓶に花を入れて、彼女の部屋だった此処に机を置いて飾っていた。月に一度だけリュックを取りに来る際にこの花を見ることにより、彼女との思い出を振り返る時間としていた。


 彼は瓶を手に取り、中から花を取り出す。それを抱き締めるように胸に引き寄せ、しばらく泣きそうなほど顔を歪ませる。


「ミミ、もう行くよ」


 言葉と共に、花を身体に取り込んでいく。それはただの紙であり、本来匂いも味もしないはずだったが、彼の記憶から引き出された初めてレコルベリーを口にした時の風味や食感が駆け巡り、彼女の笑顔を思い浮かべた。

 フォーカスは、泣いていた。頬を伝う透明のしずくが、締め切られた窓から入る日差しにより輝き、床に落ちていく。

 驚いた彼は頬に手を当て、涙を拭う。それを涙だと知ってはいたが、彼自身からそれが出たことに驚いていた。


 涙とは、最も人間らしい感情の一つだと彼は思っていた。自分は擬態しかできない魔物であり、それを流せるとは思ってもいなかったのだ。

 まるでミミからの贈り物のように感じたフォーカスは、しばらく流れ続ける涙を敢えてぬぐわずにそのまま角部屋へと向かう。


 そこにある母の遺灰が入った瓶を全てリュックの中に入れていき、部屋をゆっくり見渡したあと今度は寝室に赴く。

 レルクス時代の寝床であるクッションは未だに床のすみに放置されており、それも手に取ってリュックに入れる。重さでれ下がったそれを背負い、玄関へとゆっくり歩いていく。


 もう食事を取る必要もない彼だったが、半年続けた習慣は正午に近づくにつれて食を欲するようになっていた。

 食べ物の代わりに空気を大きく取り込んだあと、吐きながら料理を食べていた部屋を通り過ぎる。

 玄関に向かうも、擬態で靴まで再現した彼には履き替える必要も無い。

 しかし、争いがあったにも拘わらず玄関の隅で破損せずに転がっていた靴を見て、ミミとの思い出を重んじた彼は靴を履いていた足を素足に変化させて、彼女の靴を履いた。


 家を出ると、閑散としていて平和な外界が彼を迎える。

 争いがあろうと、この周辺は全く変わらない。大丈夫かと様子を見に来る事も無い。凄惨せいさんな事件が起こった事実というのは、中々風化するものではない。

 

「ミミ、行くよ」


 いつものようにそう漏らして、北門へと向かう。

 しばらく歩いていると、前方から男が歩いてくるのに彼は気づいた。

 男は一昨日すれ違った人間と同一人物であり、やはりミミに擬態したフォーカスの顔を凝視していく。

 彼は開き直って真っ直ぐ男を見据えると、相手はこそこそと顔を背けてそのまますれ違う。

 後ろめたい事も無く、バレたとしても何も恐れるものは無い。フォーカスの心は晴れ渡り、弾むように歩みを進める。


「あの」


 先程すれ違った男が振り返って声を上げ、歩みを止めたフォーカスは無表情に振り返る。


「涙……どうしたんですか?」


 そう言われてまだ流れていた涙のことに気づいた彼は、慌てて拭いながら取り繕うように言った。


「母の墓参り、今日で最後になるからちょっと悲しくなって」


 初めて会話する相手だったにも拘わらず、彼は偽らなかった。

 逆に男はその言葉を聞いて気まずくなったのか、「ああ……」と言ったきり俯いた。


「あの、こんなこと言って気休めになるかは分かりませんが……」


 男の顔はオドオドしながらもフォーカスの姿をじっと捉えて、曲がった背筋を伸ばしていた。


「きっと、生まれ変わったお母さんに会えると思います。此処は、そういう世界だから」


 フォーカスは目を見開いて男の言葉を受け止める。その言葉に感動したからだ。何故なら、彼に寿命は存在しない。生きている限り会えるのだとしたら、またミミに会えるかもしれない。そんな希望を与えてくれた男に、素直に感謝した。


「ありがとう」


 微笑むミミの姿を見て男は満足そうに頷き、オドオドと手を振って去っていく。彼が何者なのかをフォーカスは知らなかったが、ミミに会えることを夢見て再び北門へと足を向けた。


「あれ、ミミじゃないか。一昨日通ったばかりなのに」

「驚いた? ドンレットさんに会いに来たってわけじゃないけどね」


 顎髭を揺らして驚くドンレットは、小悪魔的に微笑む彼女の言葉を鼻で笑った。


「そうだろうと思ったよ、で、今回はどれくらい掛かる?」

「うーん、長いかも。でも探さなくて大丈夫だからね!」

「はは、そうかいそうかい。俺が探しに行くと帰りを待つ人が居なくなるもんな!」


 得意げに笑う彼に、フォーカスはミミを演じて微笑みを返す。


「じゃあ、行ってきます!」

「ああ、行ってらっしゃい」


 リュックを背負った彼女を見送る彼は、小さく息を吐いて口角を上げたまま佇んでいた。月に一度のはずなのに、早くも次の機会が訪れたことに喜んでいた彼は、給与の日と同じくらいの幸福感を得ていた。


「ミミちゃん、良いなあ。今度、食事に誘ってみようかなあ」


 この前失言したことをすっかり忘れた彼は、夢物語を呟く。

 おもむろに空を見上げた彼は、途端に険しい表情へと変えていく。


一雨ひとあめ来るかこりゃ、ミミちゃん大丈夫かな」


 空には北から黒い雲がいつの間にか迫っており、太陽の周りには灰色の雲が発生して日差しを遮っている。

 彼女の心配をする彼は、小さくなっていく姿をいつまでも見つめていた。


 いつも通り歩いているうちに、フォーカスの身体を雨が叩き出す。最初は小降りだったが、やがて強くなりあっという間にリュックがずぶ濡れになる。

 流石に見かねた彼は右腕を傘に模倣して、リュックを濡らした水を左腕を添えて吸収した。


「まるで泣いているみたいだ」


 やがて道を外れていつもの絶壁に辿り着いた彼は、崖の先にある遠くの景色に目をやる。

 そこには雲の切れ間から後光のように陽が降りていて、今にも天から女神が現れるような神々しさがあった。

 雨の中それを見やったフォーカスは、リュックを下ろして片手で器用に開けていく。

 中には六本の瓶があり、それを一つずつ開けて無造作に崖に撒いた。

 風も無い今日はほぼ真下に粉が落ちていき、放った瓶も真っ直ぐ落ちていく。


 まるで自分を誘っているように大口を開けた崖の下は、次々と遺灰を飲み込んでいく。

 最後の遺灰を撒き終えて、瓶を放り投げた。雨足が強くなるほど、下から聞こえる波が打ち付けられる音も激しくなっていく。白波が立ち、うねる海は生きているかのよう。獲物を見上げる巨大なスライムに見えるほど、今日の海は特に荒れていた。


 フォーカスは、崖の端に立った。いつでも身を投げられる位置で、海を見下ろす。遠くの後光はいつの間にか閉じて見えなくなり、どこまでも暗い曇天が続いている。


「ミミ、私は命を絶とうとしていた。君の居ない世界は退屈でつまらなくて、生きていても仕方がないと思えるほど絶望的だからだ。でも」


 言葉を切って、彼は一歩後ろに下がった。吹き荒れる風が彼の髪をなびかせ、模倣されている服は本物のようにはためいている。


「もう一度、希望を持ってもいいだろうか。君が生まれ変わるのだとしたら、私は待っていても良いだろうか。君がくれるレコルベリーを、もう一度食べたいから」


 彼は無いはずの食欲を感じて、お腹を押さえる。人間を取り込んだことにより、彼らの習慣や常識が彼の身体に染み付いてしまったようだ。


「……もし生まれ変わったら、私に知らせて欲しい。どんな手段でもいいから、何でもいいんだ」


 彼の問いかけは風の音に掻き消されるが、不思議と通る声は水平線の彼方まで届いたように空気を揺らした。


「それまで私は、森で過ごすよ。君の帰りを待つために」


 地面のリュックを開けた彼は、中からクッションを取り出してそれを優しく抱き締める。彼女の匂いがした気がして、彼は微笑んだ。

 クッションを戻したあと彼女の形見であるリュックを背負い、片手を傘の形にしたまま西へと歩き出す。遠くでは雨が止み、彼の行く道には光が差しているように見えた。


 此処はアルガニア、魔力の源なる森と不思議な出会いが起こる生命の大陸。ここにひとつの生命が森に還り、悠久ゆうきゅうの時を刻んでいく。

 願わくば、レコルベリーの実る赤い花畑で待つ彼のもとへ再び彼女が訪れますように。


──擬態種 フォーカスの場合 完──

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俺たちのアルガニア ドル チイダ @diechild

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