第9話 辿り着いた場所

 私の呪いが人間以外に影響すると確信したのは、命拾いをして直ぐのことだった。

 痺れて動けなかった私は、夜が開けるまでその場で倒れていた。周りに獣らしき気配を幾度となく感じていたが、しばらくすると立ち去ってしまうのだ。私の前に姿を現したのは、結局、最初のビースト・ウルフだけだった。

今にして思えば、ビースト・ウルフの様子は変だった。魔石によって作られた仮初の身体だというのに、痩せ細っていた。嗅覚で私の位置がわかるのなら、そもそも茂みから姿を現す必要さえなかった。

仮説にはなるが、ビースト・ウルフはスイートピー家の討伐隊によって既に麻痺玉を浴びせられていたのではないだろうか。

であれば、弱っていたことも、視覚を頼りにしたことも、私の投げた麻痺玉の影響を受けなかったこと、それに、私のニオイが接近するまで意味をなさなかったことの全てに説明がつくと思うのだ。

 逆に言えば、正常だったらビースト・ウルフでさえ近づきたくない相手が私だと言うことだ。ーーいや、深く考えないでおくことにする。

 これ以上の事実確認は、私の心が壊れかねない。

 痺れが治まると、パンと水でお腹を満たし休みきった身体を酷使するように歩き続けた。寝る間も惜しんだ。

 今の私は夜道など怖くはない。魔物も獣さえも、自分を避けるとわかったからだ。

麻痺玉の影響で十分に休んだからか、はたまた精神がハイになっているだけか。私の足取りは軽く、旅たちから三日目にして、旅の分岐点にたどり着いた。

 街道の分かれ道。太く平らに整備された本道から枝分かれするように、細い道が森に向かって続いていた。少々凸凹で、草もまばらに生えているような整備がなされなくなってから久しい雰囲気の漂う小道だ。

 それでも分岐点を伝えるためだろう。小さな木製の看板が立っていた。

 ずいぶんと草臥れた木製の看板は、薄暗い夜道だったことも合間って見えにくかった。それでも看板の下に泉という文字が刻まれているのを読み解くことが出来た。

 看板の文字と、小道の先の森には微かに見覚えがある。家族と共に移動してた馬車の中から視た記憶。この細道を進み、森を抜けた先に泉があるはずだ。

もう一つの道は隣町に続く道。先にそちらを目指すのも良いだろう。お金はあるのだから当面の生活は出来る。ただし、呪いのせいで滞在出来るかは定かではない。であれば、まずは拠点づくりを優先するべきだ。

数年前から訪れることのなかった別荘が今でも残っているのかわからない。まずはそちらを確認しよう。そう決めた。

あぜ道が続くのは夜の森だ。視界が悪い時間帯に森に入るのは危険を伴う行為だと自覚していたが、魔物に襲われるリスクがないと知って、半ばやけになっていた私は、そのまま足を進めた。

 夜の森は月明かりを大幅に遮り、見通しはかなり悪かったが、それでも整備された細道を進んでいくだけならば問題ないと、足を進める。

半時間ほど経っただろうか。私は、足を止めた。気が付けば道がなくなっていたのだ。

 微かに整備の跡がみられたが、それも生い茂った草木で覆い隠され、さらに獣が通ってできたであろう獣道に惑わされ、自分が通って来た道すらも定かではなくなった。

 夜の森の恐怖は魔物だけではなかった。

 暗闇と変わらぬ景色から、方向感覚を失わせる。

 私は完全に遭難してしまったのだ。

 森の中は日が昇っても薄暗さは変わらず、時間の感覚を麻痺させる。足元も悪く、歩くだけで街道の三倍は疲れているように思う。

いくら魔物に襲われない体質になったといえ、虫がはびこる森の地面で眠れそうになかった。

唯一、時の経過を実感させてくれるのは、空腹の合図。それをきっかけに、太めの幹に背中を預けて、手持ちのパンを消費しながら休息する。けれど、まともに休めるはずもなく、疲労はどんどん蓄積されていった。

 そして、六度目の空腹を向かえたところで、腹時計も機能しなくなる。当然だ。既に手持ちの食用は尽きているのだから。

 日も再び沈み。宵闇の恐怖が再燃する。死という概念がじわりじわりと迫ってくるのを背中に感じていた。

 まさに、生と死の狭間に立っていた私は、それでも足を動かし続けられたのは、生への渇望があったからだろうか。

 匂いを失った時から、私の居場所失われたも同然だった。

 その場で自害しなかったのは、死への恐怖もあったが、それよりも残された家族が悲しむことをうれいてのことだ。特にお兄様は、自分が私の体臭を受け止めきれなかったからと、自分を責め立てるだろう。これは自分が招いたことだ。だから、家族を巻き込んではいけないと、そう思った。

 だが、ここで死ねばどうだろう。遺体が発見されることもなく、家族に迷惑はかからないのではないか。生きていたところで、この身に掛かった呪いがある限り、人に忌み嫌われる過酷な人生が待っているだけ。ここで命を落とす方が苦しまなくて済むかもしれない。

「ああ! ダメだダメだ! 思考がどんどんネガティブになっちゃう!」

 声に出して自分を奮い立たせる。握りこぶしで何度も頭を叩き、それでも拭えぬ死への憧れは私の心を蝕んでいった。

 歩くのもやめよう幾度となくその葛藤を振り払い進んでいると、一筋の光明が視界に飛び込んできた。

 月明かりだ。深い森に覆い隠されていた空だったが、正面に立ち並ぶ木々の隙間から、はっきりと月の形が映っていた。

 出口だ。森の終わりが直ぐそこにある。

 私は気力を振り絞りながら、ふらふらの足取りで草木を掻き分けるように進み、そして、

「きゃっ!」 

 森を抜け、全身に月明かりを浴びた直後、足場が崩れた。私の身体は傾斜を転がり落ちた。これが、崖ならば私の命は尽きていたことだろう。幸いにも、二、三度回転したところで私の身体は止まった。

「痛い……。どうして、森を抜けたら坂があるのよ!ーーって、これはなに? それに、臭い!」

 身体を起こして見上げると、そこには山々があった。山といっても精々10メートルほどの高さしかないが、それでもそれは山と称するにふさわしいものだった。

 古ぼけたテーブルや、さびだらけの食器。穴だらけの布袋。さらに漂う臭いから、生ゴミが至るところに捨てられていることが伝わってくる。

 山とはつまり、ゴミ山だ。

 私を取り囲むようにゴミ山がいくつも出来上がっていた。

「うー。凄く臭い。涙が出てきて、目も開けていられないよぉ。臭いって、こんなに辛いんだーーはは、お兄様の苦しみが少しは理解できたのかな」

 みんなが私を臭い臭いというけれど、私にはその臭いが伝わることがなく、未だに半信半疑だった。けれど、臭いというのはこれほど神経を逆撫でし、身体に不調をきたすものだとは。

自分の臭さが原因で家を出たというのに、たどり着いた先で苦しみを理解するとは思ってもみなかった。

もう、笑うしかない。

 森の迷路から抜け出したものの、待っていたのはゴミの山。人が暮らせる場所ではない。

 ここが私の墓標だ。臭い私には、これ以上ふさわしい場所がないのではないかと言える。

「ダメ。もう、動けそうにないや」

 最後にもう一度、空を仰ぎ見る。

憎たらしいくらい月は綺麗だった。まん丸に妖々と輝き、雲一つのない夜空にありながら、他の星の光を飲み込んで、自分だけが輝いていた。

丁度見上げたゴミ山の天辺に位置しているのだからたちが悪い。陽と陰の縮図を見させられているようだった。

そんな月明かりが急に割れた。私と月の間に何かが割って入ってきたのだ。

二本足で立つシルエットは、ゴミ山の上かこちらを見下ろしているようだった。

 こんなところに人がいるはずもない。あれは、魔物だ。ゴミ山の魔物だ。

 魔物はゴミの傾斜を滑り降りて、私の傍らにやってくる。

前屈みに顔を近付け、私の身体をじっくり眺めてから、くんくんと臭いを確かめられる。

ビースト・ウルフと同様に、ゴミ溜めの魔物も私の臭いを嗅いでのたうち回るのだと思っていたのだが、その予想は裏切られる結果となった。

嫌がる素振りはなく、何度も何度も私の臭いを嗅いでいる。

もしかしたら、この劣悪な環境のせいで、私の体臭を気にすることはないのかもしれない。

 今度こそ、魔物に喰われてしまう。

 そう考えてた時、絶望よりも感謝の気持ちが大きかった。

腐った魚のような臭いを放つ私なんかを食べてくるなんて、なんと親切な魔物なのだろうと。

 私は肩の力を抜いて、お腹の上で祈りを捧げるように手を組む。せめて、安らかな眠りをお与えくださいーー。

「……なんか、穏やかな寝顔をしてるが、こんなところで寝て、気持ちいいの?」

「え!?」

 魔物に話しかけられた私は、驚きで目を見開いた。

 そこにいたのは正真正銘人間の、しかも十代前半に見える少年だった。

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スメル・マイン めんつゆた @menntuyuta

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