第8話 魔物
夕日の中を歩いていく。体力がある限り進めるだけ進みたいところだが、もう直ぐ日が沈んでしまう。そんな時間だからか、商人の姿を見かけない。
商人が居なければ食料の調達もままならないだけでなく、
「泉の位置を確認する為にも、一度くらい商人に話をきかないといけなかったんだけど、どうしようーー」
自分の記憶を頼りに、西の泉を目指しているが、果たして本当に到着できるのか不安になってきた。
馬車で半日の道のりは、徒歩に換算するとどれくらいだろう。少なくとも3倍の時間はかかるだろうか。だとすれば、3日も歩けば目的地に辿り着くと思うのだが。
ここで野宿することも考えたが、道のみはまだ遠い。このまま夜道を歩く方が得策に思えてきた。夜道とはいえ、街道沿いに魔物は滅多に出ない。もしも現れるのなら、直ぐに討伐依頼が出て、討伐を生業としている冒険者か、私兵を抱えている領主や貴族が兵を派遣する。その一つが、スイートピー家への依頼だった。
魔物は掃討されたと聞いているし、大丈夫だろう。
「よし! いこう!」
私は無謀とわかっていながらも歩き始めた。
日が沈み、昨日と同じく月明かりがたよりの夜道を、一歩一歩突き進んでいく。
そして、私は夜道の恐ろしさをこの身で経験することになる。
「っ!?」
茂みが揺れる音が聞こえ、足を止めた。
風によるものではない。なにかが、草原を這いずる音だ。
音は一つではない。四方から聞こえ、まるで私を取り囲もうとしているように感じた。
風上にいた何者かが距離を詰め、私の前に姿を現す。
それは犬と同じシルエットをしていながらも、身体は倍以上に大きい狼型の魔物だった。
街道に出没する魔物として代表的なビースト・ウルフと呼ばれている。スイートピー家に依頼のあった討伐対象に含まれ、その中でも危険視されていた魔物だ。
群れで行動し、危険を察知した個体が即座に危機を群れに伝えることから、討伐が難しいと言われていた。対策として、相手の嗅覚を麻痺させる煙玉を用いるとのことだったが、どうやら討ち漏れがあったようだ。兵隊の接近にいち早く気付き、逃亡したのかもしれない。だとすれば、かなり賢い個体が群れを統率していると思われる。
運が悪いどころの話ではない。街道に現れる魔物としては最悪だ。相手は数に勝り、俊敏である。逃走は困難だ。警戒心が強いながらも、こうして私の前に姿を晒したということは、勝算があってのことだろう。
飢えていそうな痩せた体つきをしているが、見かけ通りに衰弱しているとは限らない。
魔物は動物と違って実体を持っていないからだ。
魔物の核である魔石を内包して隠す為の器でしかなく、見かけは張りぼて。卵の殻のようなもの。
首を切り落としたところで、魔石に蓄えられた力が尽きない限り、いくらでも再生する。獣の見た目をしているのは、生態系の一部を模倣しているのだろうというのが一般的な解釈だ。
けれど、影のように触れられないものでもなく、魔物の牙や爪に引き裂かれたら、人の身ではひとたまりもない。
実体はなくとも、魔石に力を蓄えるために生き物の生命力を喰らうことで生きながらえる。彼らにとって、私は紛れもなく餌だった。呪われた身体でも関係はないのだろう。そもそも、魔物に呪いの影響が出ているのかも定かではない。
ここは、戦わなければ生き残れない戦場だ。
私は震える手を無理矢理に動かして、メリッサに持たされた短剣を抜いて構える。本当なら盾と一緒に片手剣として扱うような短い剣。手入れはされていて綺麗だが、使い込まれていることがよくわかる。メリッサが愛用していたものだろう。軽くて癖のない造り。研ぎ澄まされた刃が月光に栄える。
切れ味は申し分ない。が、魔物の身体を削ぎとり、魔石を探りだし、一刀両断するほどの技量は私にはない。私が倒したのは倒されるべくして生まれたか弱き呪獣のみ。どこを切っても魔石に当たるくらいの小物だった。
だが、ビースト・ウルフの身体は四足歩行動物より肥大しており、簡単には魔石の場所を悟らせないようになっている。
一匹を退けるだけでも命がけの状況。けれど、ビースト・ウルフは群れをなすものである。
四方に取り囲むように、魔物は複数隠れているだろう。 奴らは獲物のニオイで位置を把握するので、こちらを視認する必要はないのだ。そんな魔物の連携を崩すには嗅覚を麻痺させる麻痺玉が有効だ。私は鞄の中に忍ばせていた麻痺玉を左手に握る。魔物討伐についていく際に念の為にと持たされたアイテム。麻痺玉はこれ一つだけ。
一匹に麻痺玉を当てたとしてもら背後から別の魔物に襲われ、私は奴らのエサになってしまう。とても、一人で対処できる状況ではない。
「誰か! 助けてください! 誰かいませんか!」
そんな私の叫びは夜の帳に吸い込まれ、届くものではなかった。
ーーーーグルルルル
ビースト・ウルフが私を威嚇する。今、目を離したら襲われるだろう。けれど、相手と向かい合っているその間に、仲間が私を取り囲んでいるかもしれない。実際に、耳を凝らしていると、茂みが不自然に揺らぐ音が四方から聞こえるような気がした。私は、背後の気配にも十分注意しなればならない。
いつ飛びかかってくるのだろう。いつまで睨み合いはつづくのだろうか。
わずかな時間しか経過していないにも関わらず、私は体感で数時間立ち尽くしているように感じられた。
私を取り囲む気配は一定の距離から近づいてはこないが、呻き声を出して、私を威嚇する。精神的に追い込む算段らしい。
仕掛けてこないのは、私が短剣を構えているからだろうか。
このまま立ち去って欲しい。そんな願望が頭を過ったその時、右手側の茂みに隠れていビースト・ウルフが私に飛びかかってきた。
それを察知した私は、無我夢中で剣を振るった。
その刃は見事に獲物を捉え、漆黒の身体に一太刀浴びせる。
「やった!」
そう、思ったのもつかの間、切断したはずの身体が瞬く間に再生する。どうやら魔石には当たらなかったようだ。ベテラン冒険者なら経験で魔石の位置を特定できるらしいが、私にはそのような技量はない。小回りの効く短剣で切りつけ、魔石に当たるよう運に身を任せるしかない。
思いがけない反撃だったのかビースト・ウルフは直ぐに襲ってこないだが、私を囲むように更に2匹のビースト・ウルフが姿を現し、それぞれが四方に配置する形を取った。
私に対し、一斉に襲い掛かろうとしているように感じた。
わずかに気後れし、僅かに身を引いたその時、
ーーーバウッ!!
四匹は同時に飛びかかってきた。
私は咄嗟に麻痺玉を地面に向かって投げ、自分の口と鼻、目を塞ぐ。
火薬のように破裂し、黄色の煙が巻き上がる。
一つしかない麻痺玉を、全員に浴びせるにはこうするしかなかった。
自分も煙を吸い込む危険があるが、さすがのビースト・ウルフも、この煙に怯むはず。そう考えてのことだった。
だが、その思惑は外れた。
目も瞑っていた私は、知らぬままに正面から来た衝撃で仰向けに倒れた。
背中が痛い。頭がズキズキする。身体に走る衝撃で思わず止めていた息を吸い込んでしまった。
麻痺玉の煙を吸い込み神経が侵されてしまう。味覚嗅覚、身体の感覚さえ鈍くなる。
その麻酔作用が転じて、身体の痛みは和らいだものの、目は恐ろしくて開けていられない。
ーーーグルルルル
そんなうめき声が眼前に聴こえる。生暖かい汁が顔に掛かるのがわかる。
うっすらと目を開けると予想通りの悪夢がそこにはあった。
ビースト・ウルフが私に覆いかぶさり、今にも喰らいつこうとしていた。
「いや! いやぁぁぁ!」
鈍くなった感覚のまま、闇雲に剣を振るうも、それは地面の砂ぼこりをたてるばかりで、私のにのし掛かっている魔物には掠りもしない。
他のビースト・ウルフ達も集まってくる。
私を食べる順番でも決めるかのようにそれぞれに目配せをしていた。
ーーもうダメだ。
体も痺れ、抵抗もままならない。これが現実。訓練ではわからなかった、死の恐怖。
私が愚かだった。
少し剣が使えるからと、魔物と戦えると勘違いしていた。
その結果がこの体たらく。
憧れの冒険者にもなれやしない。
「……ごめんなさい」
誰に宛てたでもなく、漏らした言葉をもって私は死を覚悟した。
だが、いくらまででもその時が来ない。
ビースト・ウルフは私に喰らいつくでもなく、何かを確かめるように鼻先を近づけそして、スンスンと鼻を鳴らした。次の瞬間、
「きゃふん!」
私の背中に乗って、今にも頭に食らいつこうとしていた狼の魔物は、尻尾を踏まれた犬のような甲高く情けない悲鳴を上げると、前足で鼻をかきむしるような動作をしながらのたうち回った。
魔物の言葉など理解できる筈もないが、私には魔物の心内が透けて見えるようだった。
『うお!くっせ!死ぬ!まじで死ぬ! こんなくせぇ人間、食べれるわけがねぇ! うぉえぇぇっぇ』
自分の妄想だというのに泣きそうだった。
ビースト・ウルフはひとしきり悶えると、ばたりと地面に倒れ、四本の足を不規則に痙攣さた。そのまま動かなくなると、漆黒の身体は煙のように消え、黒紫色の魔石だけが地面に転がった。
あまりに衝撃的な光景に、私は言葉を失った。
それは、残された魔物も同じだったようで、呻くことも止めて固まっている。
私の体臭は猛毒か何かなのだろうか。あまりの不遇な扱いにショックを隠しきれず、思わず他のビースト・ウルフに尋ねてしまう。
「だ、大丈夫だよね。私、そこまで臭くないよね? 魔物をやっつけちゃうほど、死んじゃうほど、臭くないよね?」
返事があるわけでもないが、訊ねずにはいられなかった。
残されたビースト・ウルフと視線を合わせる同時に、夜風が強く吹き付ける。
すると、私と距離が近かったビースト・ウルフから順に、先ほども耳にした情けない呻き声を上げると、一斉にウサギのごとく逃げだした。
命の危機から一転し、夜道にぽつんと取り残される私。
助かった安堵よりも、理不尽な世の中に悲観して、死にたい気持ちになってしまった。
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