第7話 旅路


 夜道は思っていたほど怖くなかった。

 元々、商人が行き来しやすいように白い土を敷き詰め、整えられた街道だったことと、楕円形に夜空に浮かぶ月からの明かりが、街道の土を照らし、道しるべとなってくれていたからだ。

 私が呪われるきっかけとなった魔物の討伐によって、付近に魔物の気配もなかったことも幸いした。そもそも、あの討伐さえなければ呪われることもなかったことを考えれば、幸いといっていいのか悩ましいのだけれど。

 それでも野犬の群れに出くわさないとも限らない。 私は日が昇るまでは周囲の音に警戒しながら足を進めた。もちろん、行く宛もなく闇雲に歩いているのではない。私は2つの目的地を見定めて行動している。

 一つは街道の先にある隣町だ。

 呪いが原因で今の街を出ることになったとは言え、生きていく為には人里を捨てることは困難だと理解していた。

 自生している食物は、どれが食べられるものか見分けることはできないし、作物を育てるノウハウも時間もない。

 ここではない別の街を目指すのは当然の発想だった。

 けれど、呪いの影響から、私が街で暮らしていくのもまた困難であることを痛感している。

 私のような汚物に部屋を貸してくれる宿屋はいくらほどあるだろうか。いや、ない。あり得ないくらいの大金を積めば、それも可能なところもあるだろうが、せっかくメリッサが持たせてくれた路銀を無駄に使うことは好意に反する行いだ。

 メリッサが用意してくれた袋には銀貨が三十枚ずつ入っていた。大体、銀貨一枚で一日の衣食住には困らないレベルの価値がある。銀貨は十枚の銅貨に換え、銅貨一枚で一食分のパンを買うことが可能だ。一般的な買い物では銅貨を主流に、銀貨は銅貨に崩してから使うことになる。そして、金貨は銀貨の100枚に相当する。銀貨だけで3ヶ月。私が持ってきた金貨を崩すことができれば、数年単位で生活が出来る。

 金貨はお父様の仕事の付き添いを努めた際のお小遣い程度と称して、何度か渡されたものだ。欲しいものは屋敷に来た商人を通じて買い与えられていたので、自分でお金を使う機会はこれまでなかった。お小遣いはそのまま残る事になる。今にして思えば、お小遣いとは名ばかりで私が将来嫁いだ先への持参金代わりだったのかもしれない。その機会は残念ながらなくなったのだれど。

 ともかく、主流は銅貨であり、銀貨は銅貨ばかりでかさばるのを防ぐ目的で利用されているのがほとんどであり、その銀貨を大量に所持したまま馬車を走らせる商人はまずいないだろう。百枚の銀貨となると、街の本店にでもいけば蓄えてある店もあるだろうが、少なくとも、旅の道中に使えるものではない。

 やはり、金銭的な話からも街を目指すのは必要だった。 

 もう一つの目的地というのは、曖昧な記憶のなかに眠るスイートピー家の別荘だ。

 夏の日差しが身を焦がす時期になると、半日ほど馬車に揺られながら、その別荘に家族で足を伸ばしたものだ。

 けれど、それも幼い頃の話。最近は、ぱったりと往来を辞めてしまった。

 単に、お父様の仕事が忙しくなったか。半日を馬車に揺られるくらいなら、日光を遮った屋敷に籠っている方が涼しいと考えたのか。詳しい経緯は覚えていない。けれど、その別荘のことは今でもしっかり脳裏に焼き付いている。

 大きな泉の傍らに丸太を編み込んだしっかりとした造りのあの建物ならば、使われなくなった現在でも原型を留めていることだろう。

 掃除は必要かもしれないが、私が人里離れて隠れすむには最適の場所に思えた。そこを起点に最寄りの街を見繕うのが良いだろう。

 私は記憶を頼りに、西を目指すことにした。道順は覚えていないが、森を抜けた先の泉といった大きな目印があるのだから、迷うことにはならないだろう

 まだまだ見通しの悪い旅だけれど、それでも道筋はしっかりと見えているような気がしていた。

夜が白けると、地上の景色はうって変わって見晴らしのいいものになった。

 街道は、魔物の巣になりやすい森から離れた位置にある。可能な限り見晴らしのよい草原に作られているので、青々とした緑の草木が朝露で煌めきなら風に揺られる様は、まるで大きな宝石箱の中にいるような気持ちになった。

 領主の娘としてある程度の鍛錬を積んでいたので、同年代の女性の中では体力があると自負している。それでも、半日以上歩き続けることは困難で、太陽が真上に差しかかったところで体力の限界が訪れた。

「もうダメ! 歩けなーい!」

 街道側の草原で、私は大の字に倒れた。

 さすがに馬車の行き交う街道で腰を押し付けるわけにもいかず、一目を忍んで草原の起伏に隠れることにしたのだ。

 空を仰ぎ見ながら流れる雲を眺めていると、自分が置かれている状況など忘れて、なんだか開放的な気分になった。

「雲って、あんなにゆっくり動くんだぁ……」

 風が心地よく頬を撫で、ポカポカとした陽気が身体を暖めてくれる。

「あー。もう、動きたくないよぉぅ。……でも、商人から食事を調達しないとーー」

 街道を歩いていると、何組か商人とすれ違いはしたが、追手が掛かるのを恐れて接触を持つことはできなかった。

 取り敢えず、あらかじめ用意しておいたパンはあるからと先送りにしていたが、パンも無限ではない。どこかでリスクを負って食料を調達しなければならない。どうするか目を閉じて思案を巡らせていた。ーーのだが、私はいつの間にか深い眠りについてしまったようで、気が付けば、景色が夕焼け色に染まっていた。

 なんと不用心なことだろう。慌てて衣類の着崩れはないか。財布が抜き取られていないかを確認する。

「ーーよかった。何も盗られない」

 一目を避けた起伏のある茂みに身を隠していたことが幸いした。街道を通る誰の目にも触れられずに済んだようだ。

 もし私のような美人が寝ていたら、王子様のキスをしてでも起こしたくなるのが人情というのもだろうが……。

「……はは。今の私だと、襲われることもないですよねー。臭すぎて気を失うレベルだし。もしかしたて、死体と間違えられるかもしれないし」

 自分が屋敷を抜け出した理由。異常な体臭は、例えるなら腐った魚のようだという。

 だとしたら、こんな街道外れで横たわる異臭を放つ人間など、死体以外にあり得ないと思われそうだ。

 少々自虐的に気持ちがブルーになったが、悩んでいても仕方がない。

 お兄様のお身体に差し障らないように、お父様が悩み苦しまないように、今まで支えてくれたメリッサを巻き込まないためにも、自分は屋敷を一人で出ると決めたのだ。

「よーし。気を取り直してがんばろー」

私は再び歩き始めた。

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