第6話 冒険へ

夜が明ける前に私は行動を起こした。

きらびやかなドレスを脱ぎ捨て、剣術指南を受ける時に身につける軽装に着替える。胸当てに腰巻き、稽古用の長剣と、今朝方魔物退治に同行した時と同じ格好だ。パンパンに膨れたショルダーバッグを肩にかけ、私は2階に位置する自室の窓を静かに開ける。

私は長い髪を後頭部で結び、邪魔だと感じた肩より下の髪に長剣の刃を当てる。

全ての過去を決別するように、髪先を切り落とした。

髪は束ねて窓辺に置いた。お兄様にはこれを私と思ってもらおう。

自らの意思で冒険者になることを決意した証になる。


何も言わずに立ち去ることを許してほしい。

私は弱い人間だから。

家族に家名を捨てて冒険者になれと言われてしまったら。お前はいらないのだと言われてしまったら、きっと立ち直れなくなる。

メリッサのあの一言だけで、頭が真っ白になったのだ。きっと私は耐えられない。

だからこそ、自分で冒険者になることにした。

これは逃げることなのかもしれない。

けれど、これが私にとっても家族にとっても最良の方法に思えた。

お父様は悩まなくていい。お兄様は無理に笑わなくていい。メリッサは、私を貶めなくていい。

元々冒険者には憧れを抱いていたのだから、何も問題はない。

そう自分に言い聞かせる。

古典的かもしれないが、ベッドの脚に破いたシーツで作ったロープを結び、それをつたって庭に降りる。途中何度がバランスを崩した。腰の長剣が壁に引っ掛かったせいだ。先に剣だけでも投げ落としておけば良かった。

綺麗に整えられた植木の道を歩く。正面玄関はさすがに目立つ為、裏庭を通って行くことにした。

住み慣れた我が家だ。夜だって気にならないくらいスイスイと足を進められる。

裏庭の終着点、そこを出れば私は、私の名前を半分捨てる。

名乗るわけにはいかない。それは家名を貶める行為だ。家族には幸せでいてもらいたい。私の切なる願いだ。

そんな人生の岐路を前に誰かが立っていた。

見回りの者だろうか。屋敷の中ならまだしも夜に裏庭を見回る話は聞いたことがない。

不審者かもしれないと身構える。

服装は麻布のズボンにシャツ、皮の胸当てと腰巻き。頭には侍女が着けるようなフリルのついたカチューシャ。ーーカチューシャ?

「お待ちしておりました。お嬢様」

メリッサは礼儀正しく頭を下げた。

「メリッサ? どうしてここに。それに、その格好はーー」

「お嬢様こそ、その格好はなんですか? 軽装なのは良いですが肌を露出し過ぎです。全身を覆えるよう、こちらのマントを羽織なさい。それに長い剣では冒険に不向きです。こちらの短剣に替えておきます」

そう言いながらメリッサは私の許可など取る前にマントを肩に掛けてきた。腰の長剣を取りさると、背面の腰におさまる短剣に付け替える。金属の塊でありながら重さを感じさせない。マントも薄手だが、体温をしっかり維持してくれている。これが冒険者の心得ということだろうか。

メリッサの格好はそれらの要件を満たした、冒険者そのものだった。頭のカチューシャは異質だけど。

「さて、これからどちらに向かいましょうか。西の都がいいですか? それとも東の園?」

「ちょっと待って。メリッサ。私が家を出ることに気付いていたの? そのうえで、一緒に来るつもりなの?」

「決まっているでしょう。どうして、お嬢様は一人でいこうとしているのですか?」

「っ!?」

メリッサは即答し、私は息を飲んだ。メリッサに嘘偽りはないだろう。私は思考が追いついていない。

「だって、メリッサ、私を追い出そうとーー」

「……やはり、あの時の旦那様との会話を聞いていたのですか。書斎から出たとき馬小屋の床の様なニオイがしたので、薄々は気づいていましたが」

「例えが酷すぎる!」

廊下に漂う残り香ですら、馬小屋ーー。私にステルスミッションは熟せないということか。

「わたくしは、こう考えます、お嬢様は冒険者になるべきだと。呪いを宿したままで屋敷の生活はできません。嫁ぐ先もございません。」

「っ!?」

聞き間違いではなく、はっきりとした言葉。聞きたくなかった言葉。突きつけられる現実。

「ですがそれは、お嬢様一人という意味ではございません。そのようなこと思うはずもございません。貴女は奥様より預かった大切なーーわたくしの娘なのですから」

しかしそれは、悲しいものではなかった。私が、最も聞きたかった言葉だった。

「メリッサ……メリッサァ!」

私は何も考えずにメリッサの胸に飛び込む。

「疑ってしまってごめんなさい。やけになってごめんなさい。ーーお母様」

「こちらこそ、不安にさせてしまってすみません。母親失格ですね」

「そんなこと、ない。メリッサはいつだって厳しくて、でも優しかったのに」

「もう大丈夫です。貴女を危険な目にはけっして合わせません。だから、わたくしも同行することを許して貰えますか?」

「メリッサ……」

私はより強く、メリッサの胸に顔を埋める。これが最期だから、母親の匂いを忘れないように。私の匂いを忘れさせないように。

「ありがとう。一緒に来てくれるって言ってくれて、本当に嬉しい。ーーだけど、ごめんなさい。メリッサを連れて行くことはできません」

「お嬢様?」

メリッサが困惑している。こんな表情見たことがない。けれど、決めたのだ。

「私は、一人で冒険者になります」した

「何故、そのようなことを」

「私も一緒だから。大切な家族を危険な目に合わせたくない。苦しめたくない。今だってほら、メリッサの身体、震えてる。臭いんだよね。我慢、してくれているんだよね。それがわかるから。だから、誰とも一緒に行くわけにはいかないの」

「お嬢様、しかしーー」

「それに、メリッサが居なくなったら、誰がお父様を支えるの? 代わりなんてどこにもいないでしょ? スイートピー家にはーーいえ、お父様には貴女が必要。だから、これはお願いです。お父様をこれからも助けてあげて」

「お嬢様……」

「できるなら、そのままお父様をに想いを伝えて、本当のお母様になって貰えたらーーいいえ。それは貴女が決めることね」

「お嬢様!! お戯れを!」

「あはは、本心です。ーーそれでは、旅立つことにしますね。メリッサ、ありがとう。最期に話ができてよかった。お陰で私は胸を張って冒険者になることができます」

メリッサは私の顔をじっとみつめてから浅くため息をついた。

「ーーわかりました。もう、お止めしません。ですが、けしめ無理をなさらぬよう。冒険者ギルドにわたくしの名前を出せばよしなにしてくれるはずです」

「メリッサが冒険者だったのは、随分と昔だと思うのだけれど?」

「引退してからも、交流は続けております。街を維持するのにも、情報を仕入れることは必要不可欠ですので」

「ーーわかったわ。困ったときは冒険者ギルドに頼ってみる」

「それと、こちらがわたくしからの手向けです。受け取ってください」

メリッサはずっしり膨れた小袋を3つ渡してきた。

手触りでわかる。中に入っているのはお金だ。

「私だって貯金くらいはしていましたよ? 金貨20枚もあれば、当面の生活には困りません」

「お嬢様、これはすべて銀貨です。金貨は確かに価値が高いですが、一般的な生活で金貨を出したところで、相手が釣り銭を用意できません。だからこそ、銀貨を多く持ち歩く必要があります。これも冒険者の心得です」

「なるほど。わかったわ。では、ありがたく頂いておきます」

「それから、他にもーー」

メリッサは冒険者の心得とやらをつらつらと並べていった。過保護にも程がある。

しかし、私は一語一句聞き逃さないように努めた。もちろん、知っていること、想像がつくものもあったが、こうして心配されるのは悪い気がしなかった。

「まだまだ伝えたいことはありますが、もうじき夜が明けてしまいます。お嬢様がいないことに気付ば、騒ぎになるでしょう。早々に、出発してください」

「散々引き止めておいて、メリッサがそれをいうの?ーー全くもう。では、メリッサ。行ってきます」

「はい。行ってらっしゃいませ。お帰りをいつまでもお待ちしております」

私は今このとき、家名を捨てる。けれど、帰ってくる場所はあるのだと、確かな安心感があった。


私は旅にでる。後ろ向きな気持ちではない。憧れの冒険者になるのだ。








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