第2話 東奔西走
少し成長した竹千代は今川家に人質に取られることとなり、松平広忠が一番信頼している松平家家臣の戸田康光に竹千代を預け、今川家の本拠地である駿府城に送らせた。
だが、戸田康光の裏切りにより、竹千代は尾張国の那古野城を本拠地としている織田信秀の家に送られてしまった。
「哀れじゃのう。お主を送ってきた家臣の裏切り一つで行くところさえも左右されてしまうとはな」
織田信秀は皮肉り、笑いながら言った。
その夜、織田信秀は松平広忠に貴殿の子、竹千代を預かっているが如何がいたすかとの書状を送りつけた。
松平広忠の判断は苛烈であった。
竹千代は好きなように致せ、気に入らなければ切り捨ててしまえば良いと返事をした。
そこから救ったのが、那古野城の城下のみならず家臣からもうつけと罵られいた織田信長である。
「親父、人質であろうと使い道はある。今、切り捨てるのは人の無駄遣いじゃないか」
「此奴は今川家家臣、松平広忠の嫡男だぞ」
「ならば親父、弱冠六歳の子供がこの那古野城に連れてこられた所で、岡崎に帰るためにここで騒ぎを起こすとでも言うのか?」
「やらなければ示しがつかん」
「ならば、親父はひと目見ただけでその餅が美味いか不味いかわかるのか?」
竹千代は幼いながらその状況を恐れていた。竹千代は親子喧嘩など見たことがなかった。また、織田信秀と信長の会話は物の話のようなのである。竹千代は、自分が物のような扱いを受けないかと危惧した。
だが、信長の言動とは真逆で、信長の竹千代に対しての対応は高待遇であった。
「竹千代、そろそろうちの織田家の城と今川軍が戦らしい。そろそろこの織田家を出ていく支度をしておくんだな」
「何故でございますか?」
「この戦、絶対に織田方は負ける。しかも俺の兄貴の織田信広が武将として籠もってる。絶対に今川軍は兄貴を捕らえてお前と人質交換をするだろう。そうなったら、お前は織田家を出ていかなければならなくなる。お前はそれを、父親を犠牲にしてまで拒絶できるのか?」
「いえ・・・・・・」
「ま、そういうこった。ちゃんとやっとけよ」
竹千代が織田家に来てから二年後、竹千代は駿府城に送られていった。
織田家の雰囲気は、竹千代が好きな雰囲気だった。どこか長閑なのである。兵を鍛えるための相撲などは少し怖かったが、竹千代は織田家に愛着を持った。
だが、今川家の雰囲気は織田家の雰囲気とは真逆であった。
公家の血筋なら織田家よりも好きだろう。だが、武家の筋である竹千代にはどうも公家かぶれのような気がして気に食わなかった。だが、自分は人質、相手は自分を預かってくれている側のため、逆らうこともできなかった。
だが、勉学に関しては今川家のほうが英才教育を受けさせてくれた。
臨済寺の住職である太原雪斎和尚は、竹千代にとって師である。
だが、そんな雪斎和尚にも寿命はある。竹千代が駿河国に来て少し立ったとき、太原雪斎は竹千代に強く逞しくなることを遺言にこの世を去った。
竹千代は雪斎の死を物凄く悲しんだ。
だが、ずっとその悲しみを引き摺るわけにもいかない。竹千代に、今川義元から元服の話が舞い込んできた。
「竹千代よ。お主の元服の儀をここから少し離れたところにある浅間神社にて執り行う。竹千代よ、まろが烏帽子親を務める。好きな名前にするが良い」
「では、元信では」
「元信とな?元信の元はまろの名前から取ったものであろうな。じゃが、元信の信は何じゃ?信長の信とは言わせぬぞ」
「いえ、太守様と武田信玄殿と北条氏康殿は強い絆で結ばれていると聞きましてございます。元服では武田信玄殿の信を取って元信と」
「元服ではとはどういう意味じゃ?」
「誰かを娶った際には北条氏康殿の康を取って元康と名を改めとうございまする」
「なるほどの。よし、決まりじゃ!お主は今日から松平元信じゃ!」
その少しあとのことである。元信が瀬名姫を娶る話になった。
「瀬名姫といえば今川御一門衆である関口家の血筋。つまり」
「元信殿と太守様とは姻戚関係を結ばれるのです」
「よし、今日から儂は松平元康じゃ!」
だが、その娶った瀬名姫と元康の仲は険悪であった。
「瀬名め、許さぬ。決めた!儂は暫し岡崎に帰る!」
元康は今川義元に岡崎帰郷の許しを得ると、岡崎に帰っていった。
そこでは、松平家臣と、懐かしい者たちとの出会いがあった。
「酒井忠次!石川数正!夏目吉信!本多忠真!」
「はっ!」
いの一番に口を開いたのは酒井忠次であった。
「竹千代様が随分、聡明になられたことよのう」
「儂は妻の愚痴を言いにここに参っただけじゃがな」
「誰を娶ったのですか」
「今川御一門衆、関口家の姫、瀬名姫じゃ」
「瀬名姫が!?」
「その瀬名がなあ、儂に対する態度が何かと高飛車なのじゃ」
元康は家臣たちの前で胡座をかいた。
「今川御一門衆とあれば松平などという田舎侍に嫁ぐ方が珍しいのでございましょう。それ故、元康様にあからさまに嫌だという態度を取っているのでしょうな」
「なるほどな。夫婦としての生活はそう長くは続かないであろうな」
元康は開き直り、駿府城に戻っていった。
その後、元康に大いなる試練が訪れた。
「太守様、我が鵜殿長照が籠もる大高城の周りには織田信長目の砦がいくつもありまして、兵糧を太守様が使者を使って運び入れようとしても、その砦の塀に阻まれて兵糧の調達が困難でありまする。誰か、今川家中の者でどこかの砦を落とし、大高城に兵糧を調達してくだされ」
このような困難な試練はいつも三河武士に与えられる。
「元康よ、出来るか」
「はっ!」
だが、人質の身分では逆らうことはできないので、いつも従うしかない。
「これを機に織田を滅ぼし、足利将軍家の政治の補助のために上洛いたす。織田を滅ぼすのはそれの前段階だ!」
「ははーっ!」
大高城の周りには砦がいくつもあることは鵜殿長照から聞いていたが、正直に言うと砦を落として尚且大高城に兵糧を運び入れるとなると松平兵に与える兵糧だけの金だけで調達が手一杯である。三河武士には無理のある試練であった。
だが、それをやってのけてこそ、一人前の武将として今川家からも、織田家からも認められることは三河武士にとって多大なる栄誉である。
何とか必死に大高城に兵糧を運び入れたとき、それを水の泡にする報告が入った。
「元康様!今川義元様、桶狭間山にてお討死遊ばされたとの由にございます!」
今川家当主である今川義元が討死したとの情報が入ったのだ。
その情報は、必死に試練を成し遂げた三河武士たちを落胆させた。
「あれだけ勢力を張っていた公家かぶれが、戦になったとなれば弱小大名に討ち取られるとは!」
「三河武士の主君として恥ですな」
本多忠真と、その甥である本多忠勝の意見に榊原康政が同調した。
元康も一大決心をした。
「決めた!儂は今川を見限る!そして今日より、織田家と同盟を結ぶ!」
元康は岡崎城に入ると、今川の家臣団が城の中に残っていないか厳密に調査し、岡崎城を奪取した。
「お前、松平元康か?」
そこに現れた一人の武将。元康は柄に手をかけた。
「貴殿は何者じゃ」
「ああ、申し遅れた。俺は、尾張国刈谷城主、水野信元。お前の母、於大の兄じゃ。」
「お話は幼き頃、母上からお聞きしました。貴方様でいらっしゃったのですか」
元康は呆気に取られたようで笑顔になりながらも馬鹿げたように口を開き、涙を流し始めた。
「心強うなりましてございます!」
「元康、このようなときに申すのも申し訳ないが」
「なんでございましょう?」
「織田信長様と同盟を結べ。幼き頃より親交のある元康殿と同盟を結びたいとの仰せじゃ」
「なるほど、信長殿の本拠地は今どこに?」
「ああ、那古野城から変わってな、織田の宗家の城であった清洲城になって、那古野城は廃城となった」
「なるほど。では、清洲城に出向けばよろしいのですな」
「その通りじゃ」
「あと、これを機に名を元康よりこの松平家が安泰、人間で言う健康であるように家康と改める!もう三河国での今川の時代は尾張じゃ!」
「洒落ですな」
家康と水野信元は笑いあった。
一方、駿府城にいる今川氏真は家康の岡崎占拠は織田を滅ぼすための拠点作りであると信じ込んでいた。
「氏真様、織田を滅ぼすのはいかが致しましょう」
元康が尋ねると、論外な返答がきた。
「うるさい、うるさい、わかっておる。今度な。そんなにやりたいようであればお主ら三河武士がやれば良いこと」
今川氏真は父親の弔い合戦など、蹴鞠で忘れていた。
「元康が織田を滅ぼしてくれるのじゃ」
今川氏真の度を超えた楽天的思考に家康は呆れた。
だが、家康が清洲城に出向いたと知ると、思考は一変した。
「関口夫妻切腹、瀬名は謹慎じゃ」
家康は、清洲に出向いている途中にその情報が入り、焦って上ノ郷城に籠もっている鵜殿長照の一族を捕らえ、人質とし、瀬名たちと人質交換をさせることを考えた。
「上ノ郷城の攻城戦には我が義理の父、久松俊勝殿、本多正信正重兄弟、そして服部半蔵を遣わす!」
家康は焦りながら清洲城に向かって、馬を走らせた。
徳川家康物語 DECADE @kanetsugukunsengokunabe
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