第六区間

大陸横断鉄道。


構想を提案した国が複数存在する。


その発議国の一つがライフェスト大陸中部の大国、シュラエリク帝国だ。


大陸中部全域を領土とし、網の目のような陸路と鉄路を持つ国。

北洋と南洋、二つの海に手を広げる国。

長い歴史と多種多様な文化を内包ないほうする国。


かの国を言い表す言葉は多い。


軍事力を持って世界にを唱えた事もあったが、それは最早一つの物語。


世界平和をうたい、世界と共同する、平和なる超大国である。




イリュリチカは暇を持て余していた。


鉄の龍が東の歌港エスツォーネを発して、太陽は既に世界を一周している。

人が絆を結ぶ南の絆港ズフィンドゥーアを超えても彼女の向かいは空室だ。


持ち込んだ本は既に全て読み尽くしてしまった。

やる事と言ったら、窓の外を見る事だけ。

唯一の楽しみは、朝昼晩の食事くらいのものだ。


そこで彼女は思い立つ。


食事をより楽しもうではないか、と。

幸いにして昼時少し前、ちょうどいい頃合いだ。


イリュリチカは部屋を出て、意気揚々と歩き始めた。


二等四号車と全く同じ間取りの車輌の中を三度通り抜ける。

その先は一等車輌と二等車輌を繋ぐ、補助動力車だ。


それは軍人の詰め所であり、乗務員の待機場所。

そして、等級違いの者の行き来を確認する関所である。


だが、イリュリチカは怯まない。

何故なら彼女の切符は二等車輌の物だから。



大陸横断鉄道は長い距離を走り続ける。

それ故に旅人は食事を特に楽しみにするものだ。

旅情と共に楽しむ料理は格別である。


だが、食堂車は各等級の車輌に一つだけ。

毎度毎度、同じ車輌場所で食事をとらせるのでは芸が無い。


そう考えた鉄の龍は一計いっけいあんじた。


別等級の食堂車利用を可能としたのである。


だが、二等級上の車輌への行き来は許可されていない。

三等車輌に乗る者は二等食堂車へは入れても、一等へは足を踏み入れられないのだ。


反対に、一等車輌に乗る者は三等食堂車に入る事が許可されている。

だが自ら望んで、安く簡素な飯を食べたい、という物好きはそうそういない。


そのため、実質的には寝台は安く、食事は豪華に、というための措置だ。


ここで最大の恩恵を受けるのが二等車輌の旅人である。


一等と三等、そしてもちろん二等も。

完全に別格の特等車輌を除いた全ての食堂車を利用出来る、魔法の切符なのだ。


上位等級の食堂車を利用する場合のみ、別で食事代を支払う必要はある。

だが素晴らしい料理の前では、そんなものは些末さまつな出費だ。


ちなみに、特等車輌には何人たりとて足を踏み入れられない。

かの車輌、特に前三輌の特等寝台に乗るのは、やんごとなき身分の方々。

各国要人やお貴族様なのである。


反対は言うまでも無い事、わざわざ市井しせいの者の中に彼らが来る事などない。

彼らが一般庶民と卓を囲みたいと思うならば、その者を呼び寄せるだろう。

特等車輌と一等車輌の連結部は、どこよりも厳重な要塞なのだ。



切符を提示し、関所を難なく通り抜けたイリュリチカ。

二等車輌よりも部屋に入る扉の間隔が広く、装飾も豪華な一等車輌を前へと進む。


一等七号車、一等六号車、一等五号車、一等売店車、そして。


がらり


豪華な車輌内と絶妙に調和した美しい扉を開く。

余裕のある席配置がされた高級レストランがそこにあった。


そう、レストランなのだ。

ドレスコードが有りそうな、少し敷居の高いお店。

列車の中とは思えない、落ち着いた場所である。


店内はほぼ満席。

身なりの良い紳士淑女が、提供される美食に舌鼓したつづみを打っていた。


入店したイリュリチカに対して、すぐさま給仕が声をかける。

切符を提示して追加料金を払うと、唯一空いていた窓際の席へと案内された。


テーブルには真っ白なクロスが掛けられていた。

食事をする場所でありながら、染みの一粒も無い純白の装い。

給仕たちの仕事に対する信念が感じられる。


イリュリチカが掛ける椅子も、職人の丁寧な仕事が見て取れる。

木目が綺麗に浮かび上がる艶のある深い色合いでありながら、過剰に豪華ではない。


この場所の主役は料理とそれを楽しむ旅人。

それをわきまえているかのような姿である。


二等食堂車とは異なり、この店には各卓に品書きメニューがある。

そこに在るは、万国の美食。


鉄路の上を高速で走っている列車の中とは思えない多彩さだ。


イリュリチカは悩む。

これほどある料理の内のどれを選択するべきか。


給仕ウェイターに聞けば、今の自分に合わせた料理を的確に提案してくるだろう。

だが、それではつまらない、とも感じた。


この中で最高の、料理人がこれこそ選ぶべし、と胸を張る物を自ら選びたい。

そうした食の楽しみ方が有って良いだろう。


今、列車はコスタゼントを西へと走っている。

もう暫くするとシュラエリク帝国との国境だ。


となると、南の絆港で運び込まれた食材を使った帝国料理が候補に挙がる。

コスタゼント、そして、それ以前から乗っている者にとっては新しい料理だからだ。


南の絆港で運び込まれるとしたら海の幸。

朝水揚げされたばかりの新鮮な魚介類だ。


品書きを捲り、魚介類のページへと進める。

全体から見れば遥かに少なくなった選択肢。

でありながら、開かれた品書きの左右に数多くの料理名が書かれていた。


まだ、答えには辿り着かない。


左上から左下へ、右上から右下へ。

品書きの文字の向こう側を覗いていく。


海産物は様々な種類がある。

魚、貝、海老や蟹、たこ烏賊いか


その料理も様々。

焼く、煮る、揚げる、果ては生のまま、というのもある。


品書きは、それらの組み合わされた料理で一杯だ。


帝国、魚介類、そして今この場所。

で、あるならば。


イリュリチカは給仕を呼び、求める物を彼に伝えた。

かしこまりました、と礼をして、彼はその注文をシェフへと届ける。


それ程時間はかからず、それは彼女の前へと届けられた。



三角形の四つの山。

白く美しいその山肌の内側には、黄色の岩に緑の森が咲く。

透明感ある紫の湧水が滴り、ほのかに辛みのある香りを運んでくる。


高貴なる輝きの象徴 ―エウレオール― 。


帝国の象徴たる皇帝の一族を表した、帝国の象徴たる料理である。


白い薄切りパンに黄金こがね色に揚げられた揚げ物と緑の葉野菜を挟む。

むらさき芥子菜からしなをすり潰し、酢と合わせたソースを具材にかける。

透明感がありながら、とろみもある、何とも不思議なソースである。


金の髪に紫の瞳、そしてその身体に宿る膨大な魔力。

それこそが皇族の伝統的な特徴だ。


時代が下り、血が混じった事で、その特徴も少しずつ減ってきてはいる。

だが今もなお、それらは帝国を表す輝きなのだ。



イリュリチカは帝国の象徴を手にする。

高貴なる輝きの象徴エウレオールはその名に反して大衆料理だ。

ナイフとフォークで食べるようなものでは無い。


ここ一等食堂車においては場違いな料理であるとも言える。

実際、周囲のいくつかの席では、彼女を侮蔑するようなささやきがされている。

この場所でそんな料理を頼むなんて高貴なる事を知らぬ娘だ、と。


だがイリュリチカは気にしない。

この料理こそが料理人が胸を張る、今この瞬間の最高傑作だ。


南の絆港は漁港であり、海産物の宝庫。

そして、南の絆港の周辺は紫芥子菜の産地の一つでもある。


これから帝国に入るならばその象徴たる料理を用意する。


要素を組み合わせ提供するならば、この料理はその最たるものだ。


両手で持ったそれにかじり付く。


柔らかなパンの後に存在感あふれる揚げ物の歯ごたえ。

葉野菜は採れたてである事を示すように自身を主張する。

紫のソースは、少し酸味があってぴりりと少しばかり辛い。


四つの山の内、二つは白身魚、もう二つは海老だ。


簡素でありながら、腹に溜まる品。

でありながら、しっかりとした下拵えがされている。

料理人の丁寧な仕事が垣間見える逸品だ。


一つ食べ終え、次は海老を、という時にそれは起きた。


がらり


イリュリチカが入ってきたとは逆の扉が勢いよく開かれた。


透明感のある腰まで伸びた綺麗な黒の長髪。

灰色の瞳は食堂車の中を見回している。


年の頃は、十五程度だろうか。

雰囲気はもう少し上だが、顔に幼さが見えた。


特徴の無い白のブラウスにリネンのズボン。

足下はよくある布の靴だ。


顔立ちが整っている事と白い肌を除いて、特徴と呼べるものはない。

どこぞの裕福な商人の娘、だろうか。


はた、と。


黒髪の少女の視線とイリュリチカの視線が交わった。

ほんの少しだけ、彼女が笑みを浮かべた気がする。


声をかけようとした給仕を無視し、彼女はつかつかとイリュリチカへ歩み寄る。

机の向かい、からの席に彼女は掛けた。


他に空きがないとはいえ、問答無用といった振舞い。

意思の強そうな目に違わず、どうやら気の強いお嬢様であるようだ。


彼女に置き去りにされた給仕が平静を装いつつ、彼女に礼をし、注文を取る。

そんな給仕苦労人に彼女はただ一言。


「この子と同じのを。」


そう言い放った。




特に会話は無い。


彼女は何を思ってイリュリチカの前に座ったのか。


他に空きが無いならば少し待てばいい。

だが、それをしなかった。


よほど腹が空いていた、とも考えられる。

甘やかされて育った事で我儘わがまま、十分あり得る話だ。


彼女の前に高貴なる輝きの象徴イリュリチカと同じ物が運ばれてきた。

お嬢様は少しばかり目を輝かせる。

だがしかし、少しばかり不思議そうに机の上を見た。


イリュリチカはそんな彼女の事は気にせず、海老の白山しろやまを手に取る。

挟まれた海老の揚げ物は零れ落ちそうなほどの量だ。


弾力有る海老の食感が歯に伝わり、甘みが口に広がった。

背ワタは丁寧に取られ、塩で揉んでいるのか生臭さが完全に取り除かれている。


向かいの席で、ざくり、と小気味よい音。

お嬢様は至極美味しそうに帝国の象徴を頬張っていた。




食事を終え、イリュリチカは席を立つ。


一等車輌を後ろへ後ろへ。

再び補助動力車の関所を超えて、四輌後ろの自分の居場所へと歩いて行く。


部屋の重い扉をがらりと開き、彼女は一歩室内に入る。

そして。


「なに。」


くるりと振り返り、背後にいる人物に問いかけた。


そこにいたのは先ほどのお嬢様。

何故そんな事を聞くのか、といった表情でイリュリチカの事を見下ろしている。

彼女の背丈はイリュリチカよりそこそこ高いのだ。


「退屈なの、付き合いなさい。」


彼女の要望を叶える事がさも当然かのように、黒髪のお嬢様は言い放った。

イリュリチカは不満げにため息をく。


だが、退屈なのは彼女も同じ。

次の駅である帝都 ―カイロンザート― まで、あと一日半はある。


この我儘でお転婆てんばなお嬢様に付き合っても良いか、と考えた。


渋々といった様子で、イリュリチカは彼女を部屋の中へと迎え入れる。

お嬢様はそんな彼女の事など気にせず、狭い室内の長椅子に跳ぶように腰掛けた。


その姿にイリュリチカは再びため息を吐き、部屋の扉を閉じる。

少なくとも退屈はしなくて済みそうである。




お嬢様はやりたい放題。

特にイリュリチカの寝床と荷物に対して。


最終的に彼女の許可を得て、全ての本を入手した。

そんな彼女はイリュリチカの向かいに座り、戦利品を読み進めている。


とりあえず、静かに大人しくしてくれている分には問題はない。

仕返しとばかりに彼女の素性を読み解く事にした。


そもそも、彼女はなぜここにいるのか。

なぜ退屈だったのか。


第一に考えられるのは、自身と同じである、という事。

つまり一人旅でやる事が無くなった。


だが、彼女は一等車輌の住人。

イリュリチカの住処すみかよりずっと大きな部屋を使って一人旅、は考えにくい。

一人旅をするとしても、いい部屋を取る以上は十分に準備をしてくるものだ。


それを彼女はしていない、という事になる。

東の果てヴァスニエーツから乗ったとしても、ここまで最長で半月も経っていない。

かなりの金額を出して退屈を味わっている、としたら、随分となものだ。


となると、彼女が退屈である理由は別にある。

このお嬢様は一体、何者なのだろうか。


一等車輌の料金は二等車輌より遥かに高い。


その金額を出せる、というならば、それなりに財布に余裕があるという事。

親が商会の幹部であるとか、裕福な地主であるとか、そういった感じだろうか。


その上で、親が厳しく自由に動き回れないから退屈。

親は守りたいと思い、本人は飛び出したいと思う年頃だ、十分あり得るだろう。


親の目を盗んで部屋から脱出し、身を隠すためにここイリュリチカの住処に来た。


間違いではない、と思う。


しかし、彼女の恰好にはあまりにも特徴が無い。

纏う衣服は、何一つ彼女の事を教えてくれないのだ。


少し頭を切り替えようと窓の外を見る。

コスタゼントと帝国の国境に存在する古き時代の大要塞が遠くに姿を見せていた。


向かいに座るお嬢様も、イリュリチカが外を見ている事に気付く。

つられるように彼女も外を見た。


大要塞を見る彼女には、強い意志を見せる表情と少し寂し気な表情が滲んでいる。

それが何を意味するのか、横目に見るイリュリチカには分からない。


だが何か、とても重要な何かを考えているような表情であるように見えたのだった。


そうこうしているとあっという間に夕食時。

再び一等食堂車で卓を囲み、彼女は自身の住処へと戻って行った。




翌朝。


イリュリチカは不機嫌だった。

理由は単純、目の前にいる傍若無人ぼうじゃくぶじん権化ごんげのせいだ。


朝早くから部屋に突撃してきて、まだ寝ているイリュリチカの寝所の扉を叩く。


叩いて、叩いて、叩いて。


イリュリチカ退屈しのぎが出て来るまで、ひたすら殴打ノックし続けた。


完全なる嫌がらせを喰らい、眉間に盛大なしわを寄せた白の少女。

昨日同様、彼女は渋々扉を開いたのだった。


朝食を済ませ、再び向かい合って長椅子に掛けた。

これまた昨日と同じく、自分勝手なお嬢様は手に入れた本を読み続けている。


さて、彼女ワガママ姫様について考えるとしよう。


彼女の服は昨日と変わっている。

だが、色合いが変わっただけだ。


白のブラウスは昨日とは違うものだがほぼ同じデザイン。

麻のズボンはちょっと濃い色になったが大して変わらない。


相変わらず、掴む物の無い姿。

だが、だからこそ。

イリュリチカなればこそ、分かる事があるのだ。


夕方に差し掛かる頃に列車は帝都へと到着する。

つまり時間は、あと半日も残されていない、という事である。


だが、イリュリチカにとっては十分な時間だ。


お嬢様は本を一冊読み終わり、次なる本に手を伸ばす。


その手が触れたのは『雪の蜜月』と『誇り無き騎士の誇り』の二つ。


前者は、貴族の恋愛を描いた物語だ。


親から望まれた高い身分の結婚相手と、自身が愛する低い身分の想い人。

貴族の令嬢はどちらを選ぶのか、揺れ動く恋模様を表した作品である。


後者は、家を失った騎士が誇りを取り戻す物語だ。


王に忠誠を誓っていた騎士の家系であり、父は騎士団長だった主人公。

ある日突然、謀略によって自身の家が取り潰しとなり、父は処断されてしまう。

主人公が市井しせいの者との交わりにより、己の誇りを取り戻す過程を書いた作品である。


彼女は前者に触れる。

が、逡巡しゅんじゅんした後に後者を手に取った。


彼女の活発な性格から、騎士の物語が気になったのだろうか。


いや、違う。


積極的な理由ではない。

消極的な理由だ。


イリュリチカの予想が正しければ。




昼。


そろそろ昼食時だ。

お嬢様はそれに気付いて本を閉じて立ち上がった。


そして、さも当然かのようにイリュリチカも立つように指示をする。


「行くわよ。」


その言葉に対して、白の少女は鋭い視線をもってこたえた。


不機嫌、不満、不承諾。


どれとも違うその目に、さしものお嬢様も少しばかりたじろいだ。


「そろそろ自分の居場所にかえるべき。」


なに、突然。

大人しく私の言う事を聞いていればいいのに。


「自分の部屋に帰れって?そんなのは私が決める事よ。」


そう。

帰るかどうかは私の決める事。


退屈しのぎの貴女が決める事では無いわ。


「違う。」


は?

違う?

帰れって言ったじゃない。


何よ、何が言いたいのよ。


「自分の役目に、かえるべき。」


!!!


な、な、な。

なに?

自分の役目、って。


まさか。

まさかまさかまさか。


「特等寝台はまだ騒ぎになってない。でも時間の問題。お付きの首が飛ぶ。」


う。


「二日。もしかしたらもっと?自由は楽しかった?お姫様。」


・・・・・・。


「しっかり言った方が良い?」


・・・・・・・・・・・・。




『シュラエリク帝国、現皇帝の孫娘、ディアナ殿下』




!!!!!!


嘘。

なんで。

どうして!?


なんで分かったの!?


庶民の恰好で髪色と目の色も魔法で変えたのに!!


ううん。

まだよ。

ただの当てずっぽうよ、そうに決まってる!


冷静に冷静に。


「は?私が皇孫こうそん?何言ってるのよ、不敬が過ぎるわ。」

「その髪色と目の色、魔力操作が随分と上手。」


うぐ。

なんで分かるの?

まさか、高名な魔法使いだったとか!?


いいや、まだよ!


「何言ってるのよ、私は元々この髪色よ!目の色だって!」

「そう。」


ふふん。

どうよ。


これで私の勝ち!


「ところでその服装、とても庶民的。」


やった!

庶民だって認めた!


流石、私!

庶民らしい服を用意した甲斐があったわ!


「ええ、だって庶民だもの。」

「一つ教える。」


え?

教える?

何を?


「庶民にも違いがある。一等車輌に乗る庶民はそんなに貧相じゃない。」


え。


「上はまだ良い。でも麻のズボンは良くない。それは三等か普通車輌の人の服。」


え、え、え?


「お付きの侍従じじゅうにでも服を頼んだ?その人も貴族。貴女、皇孫だから。」


エルマの事!?

たしか、伯爵家の娘・・・・・・。


私より庶民に近いから頼んだのに!

なによなによ、大失敗じゃない、恥ずかしい!


「な、な、な、何のこと?」

「潔く諦める。動揺して魔力が乱れてる。金の髪と紫の瞳。」


あ、しまった!!!

冷静に、って思ってたのに!


何なのよ、この子!


「観念した?」

「ぐ・・・・・・。」


世界でも指折りのお嬢様は、がっくりとその肩を落とす。

イリュリチカに促されて、彼女は大人しく長椅子に掛け直した。


「逃げ出した理由、政略結婚が嫌だった、とか。」

「んな!?なんでそんな事まで分かるのよ!」


特等寝台を抜け出した理由まで当てられて、皇孫のお嬢様は驚愕する。

対してイリュリチカは、冷静に続けた。


「ディアナ殿下に結婚の話が出たのは十二の頃。それと同時に病気の話が出た。」


数年前の話。


皇太子の子であるディアナが結婚するという話が出た。

婚約ではなく、結婚。

つまりは、十二で妻となる、という事だ。


相手は公爵家の次男。

こちらは更に若く、僅か八歳。


完全なる政略結婚である。


だが、それと同時に、ディアナが重病である、という報が帝国を駆け巡った。


名医でも原因が分からず、治療が出来ない。

命が危ぶまれる症状ではないが、ずっと寝たきりだったのだ。


「行先は、白い湖。温泉で療養してた?」

「そ、そこまで当てるのね、もう驚き疲れたわ・・・・・・。」


イリュリチカの慧眼には皇孫のお嬢様もたじたじである。


政略結婚を嫌がった結果が今。


走る密室であり、誰もそこから逃げられないはずの横断鉄道内部での脱走。

最も困難な環境で、誰もが油断する場所での計画実行だ。


おそらく今、彼女がいた特等寝台には彼女の影武者でも置かれているのだろう。

影武者は彼女に最大の忠義を尽くして、他の従者たちをあざむいているはずだ。


お忍びで列車の中を見てみたい、という彼女の嘘を信じて。


だが、それも長続きするとは思えない。

列車の中に乗り込んでいる彼女のお付きは当然、最側近さいそっきんだ。


彼女と縁の深い侍従の他に、彼女を守る者も多くいるはず。

今回の脱走に全員が加担する、などという事はあり得ない。


つまり、そう時間はかからずにこの企みは終わりを告げる。

だが、少なくとも次の帝都に至るまでならば、見つからない可能性はあるのだ。


帝都に作られた横断鉄道の駅は、世界でも有数の巨大駅である。

人の波に紛れてしまえば、追っては来れない。


そのための企み、そのための下準備。


一等車輌の一室を侍従に頼んで押さえてもらったのも。

特等と一等を繋ぐ補助動力車に詰める軍人に自分の手の者を送り込んだのも。


そして何より、イリュリチカを利用して二等車輌に潜伏したのも。


全ては責務から逃げるためである。


「貴女が逃げたら、残された者は全員処断。お家も断絶。それが望み?」

「・・・・・・私には関係ない。」

「そう。じゃあそうすればいい。」


イリュリチカの淡々とした言葉に少女は驚く。


「止めないの?」

「私には関係ない。別の手があるけど、私には関係ない。」


その言葉に少女はうつむく。

が、すぐに顔を上げた。


「別の手?何それ?」

「逃げるなら関係ない。」

「聞かせて。」


少女の目には、昨日会った時と同じ強い意思が籠っていた。


「嫁がせるよりも手元に置いておいた方が良い、と思わせればいい。」

「でもどうやって?」


イリュリチカは彼女の目を真っすぐに見て、答えた。


「今日までに準備した事を国の規模でやる。こっそり工作、得意でしょ?」




イリュリチカからの助言を受けて、少女は部屋を去る。

その目には、かつてない程の意思の力と未来への展望が宿っていた。


礼は言わない。

名も聞かない。


それは全て、再び彼女が彼女の力でイリュリチカに会う時に伝え、聞くのだ。


帝国の未来は明るいだろう。


齢十五にして、皇帝を、皇太子を、名医を、三年に渡ってだまし続けた。

才能に溢れ、聡明な、稀代きだいの諜報活動家が産声うぶごえを上げたのだから。


イリュリチカは多くの本と共に、未来の出会いの楽しみを鞄に仕舞った。

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