第五区間
どどん、だだん。
がだん、ごどん。
鉄の龍は山岳十字路を通って大壁を抜けた。
気候は途端に温暖になり、太陽がより眩しくなったような気がする。
その陽気を受けて、イリュリチカは
ブラウスは半袖となり、黒のタイツはその姿を消した。
ブラウスの左胸には
茎の先から枝分かれして天へと伸びる
その名の通り、風に舞う蝶のような
列車は西へと走り続けていた。
イリュリチカが見る窓には、遥かな大地に農地が広がっている。
鉄の龍は、コスタゼントの地を駆け、海を目指す。
コスタゼント都市連合は三つの都市によって運営される共同体だ。
古くは西の帝国の領地だったこの地は、血を代償に独立を勝ち取った歴史を持つ。
その際に三都市で結ばれたのが、
三都市は連合し、陸と海で繋がり続ける事を誓ったのだ。
その条約の名によって、この連合は呼称されるのである。
鉄の龍が目指すのは、獣人達の希望の港、北の獣港 ―セヴェリ― 。
迫害された獣人達が安息と他種族との絆を得る事が出来た港町。
陸と海が繋がる貿易港である。
イリュリチカは
その目に映るのは、地の果てまで続く麦畑だ。
自然の大壁の西側にあたるこの場所では、雨が夏に少なく、冬に多い。
その気候が麦栽培に適しており、
その光景を車窓を通じて見ている眼は四つ。
彼女の向かいには同居人がいた。
目を輝かせ、車窓にへばり付くのはイリュリチカと同じくらいの背丈の少女。
その瞳は綺麗な
少女の動きに合わせて、ふわりふわりと毛先が揺れる。
年の頃は、十は確実に超えているように見えた。
だが、十五には遠い、十二くらいであろうか。
背丈がイリュリチカと同じ程度である事から、少女である事は間違いない。
薄黄色の半袖シャツに白の
足下は茶色の編み上げサンダルだ。
そして何よりも特徴的なのは彼女の耳。
頭頂部ではなく人間と同じ位置から姿を見せるのは髪色よりも少し明るい狼の耳だ。
普通の獣人よりかは幅広、扇形というべきか、人間の耳に近い印象を受けた。
人の姿でありながら獣の特徴を有している。
彼女は間違いなく人間と獣人の間に生まれた子だ。
そんな獣耳の少女の印象は、乗車時点から一貫している。
部屋に入るや否や
荷物満載で膨れに膨れた薄緑のリュックサックがずり落ちそうになった。
慌てて頭を上げたら荷物に引っ張られて後ろにすってんころりん。
見かねたイリュリチカが手を貸すと、少女は恥ずかしそうに頬を染めていた。
荷物を寝所に置いた獣耳の少女は、列車が駅を
鉄の龍が動き出すと、わあ、と歓声を上げ、走り去る景色を目で追っていた。
元気で小動物のように動き回る。
日の光のような明るい印象である。
車窓に映る麦の海は、風に波立つ。
その波に流れるように両手を支えに身を乗り出した獣耳の少女の身体も揺れる。
イリュリチカは目の前の小動物を見つつ、考える。
彼女の行く先、その目的について。
獣人と人間の
どちらの種族も極度に長命な種ではなく、寿命はどちらも百年以内。
見た目と年齢がかけ離れている、という事は無いだろう。
となれば見た目通りの年齢、つまりは仕事に向かっている訳ではない、という事だ。
子供っぽい行動が目立つが、そもそもが本当に子供なのである。
山岳十字路から
東の歌港 ―エスツォーネ― までは更に一日かかる。
その先はライフェスト大陸最大の国家、シュラエリク帝国へと入っていく。
南の絆港から二日で帝都 ―カイロンザート― である。
彼女はどこまで行くのだろう。
山岳十字路から乗車した事から、少なくとも一人の親はそこにいるはずだ。
北の獣港、南の絆港、どちらも彼女の親の種族と関連する場所である。
もう一人がどちらかで働いている、と考える事が出来るだろう。
古くは人魚とも呼ばれた、人を歌声で魅了する
親に許しを貰って一人旅、かもしれない。
彼女の年齢で一人旅は中々に活動的な話である。
皇帝が住まう
叡智が集う大図書館は、森羅万象の宝物庫である。
歓楽街には、
立ち並ぶ商店では、棚を彩る世界中の物品が訪れた者の目を
幸せな酔いを提供する酒場に咲くのは、満開の酒の華である。
彼女が帝都を訪れたらどうなるだろう。
今、流れゆく麦の海を見ているだけで目を輝かせているのだ。
広すぎる帝都を一人で訪れるとは少々考え辛くはある。
だが可能性が無いわけではない。
ここから先の四駅全てに可能性があるとは、中々難しい。
イリュリチカは少女の事をより細かく観察する。
彼女の恰好はかなり軽装だ。
山岳十字路は比較的冷涼だが、乗り込んだ時点から肌の露出が多い服装である。
だが、彼女は耳以外は人間と同じ、体毛があるわけではない。
単純に子供ゆえに元気で体温が高く、あまり寒さを感じない、とも考えられる。
しかし、彼女の親がそれを許すだろうか。
せめて下は
彼女の親はそれを言わなくてもいい、と判断したという事になる。
何故だろう。
彼女の親が寒さに強い種族、という事が考えられる。
ソツァニア共和国の北部、凍土地帯に狼の獣人が住むと聞く。
それならば納得だ。
が、おそらく違う。
かの凍土は銀世界、それに擬態するように彼らは眩い程の白毛だ。
対して目の前の少女は
人間の親がその色だとしてもここまで赤が出るとは思えない。
冷気への耐性は何が理由なのだろう。
そういった事を気にしない、大らかな親だった、というだけかもしれない。
判断がつかない、とりあえず一旦置いておこう。
彼女の持ち物について思い出してみる。
大きなリュックサックが一つだけ。
彼女の身体に対して大きめ、荷物一杯で存在感があった。
長旅なのだろうか。
だが、それにしては少ない荷物だ。
リュックサックには存在感があるとはいえ、小柄な彼女に対して、である。
着替えだけを無理やり入れていたとしても数日分程度だろう。
だが、年若く好奇心一杯の彼女の荷物が着替えだけ、とは考えにくい。
二輌後ろの売店車では洗濯を依頼できる。
だが走行中に排水が行えないために、割高に料金設定されているのだ。
相当な長距離を移動する場合を除いて、利用者はそう多くない。
若い彼女が大金を持ち歩くだろうか。
親の心配の種が増えるだけなように感じる。
そうなると旅の距離は短くなるはずだ。
帝都まで行こうとすると少々旅の荷物が少ない。
となれば、行先はコスタゼントの三都市のうちのどこか、だろう。
列車は麦畑を抜け、川を超える。
北の獣港は橋を超えた場所の真南に位置するが、列車はなおも西へと走っていた。
その理由は鉄路の南に広がる大湿原である。
北の獣港から東の歌港まで、湾の北東部に広がるそれは鉄路建設を
地盤が緩く、大重量の大陸横断鉄道を通すのは不可能だったのだ。
大きく迂回しながら鉄の龍は海へと近付く。
そして。
「うわぁー!」
獣耳の少女は思わず大きく歓声を上げる。
南へと進路を変えた鉄の龍の進行方向右手、つまり彼女が見る窓の外。
そこには本物の波が立つ、広い広い海が広がっていた。
遥かに広がる海原には何一つ遮るものは無い。
西へと傾き赤く染まる太陽。
その光を受けて
青の原を行く船が
額縁に彩られたそれは、絵画のようである。
少女の目は橙を映して
今日のおすすめは肉と魚。
何とも大雑把な提案を料理人から受けてイリュリチカは夕食を悩む。
後ろには彼女についてきた獣耳の少女がいた。
イリュリチカは決断する。
今日は魚にしよう。
背後で料理人と少女が話しているのが聞こえる。
「
「うぅん、魚!」
少々驚いた。
獣人はそれぞれの種族の
狸ならば狸の、狼ならば狼の特徴を、だ。
つまり、狼の獣人ならば肉が好き、というのが大体の場合で正しいのだ。
勿論例外はあるが、肉と魚がおすすめ、と言われて迷わず魚を選ぶのは珍しい。
両親による教育の
イリュリチカはいつも通り、窓際の席を確保して腰掛けた。
獣耳の少女は少し離れた所に掛け、手に入れた料理を楽しんでいる。
実に美味しそうに、見ているだけで食欲がそそられる食べっぷりだ。
彼女と同じ物がイリュリチカの前には有った。
恋に燃える鯉 ―イヴォチャルパ― 。
綺麗な水源で育った鯉を白
それをオーブンで時間をかけて、じっくりと焼いたものだ。
皮目は香ばしく、身はしっとりふかふか。
香草と胡椒をすり潰した辛みのある付けダレとよく合うのだ。
そのタレの素は対となる料理に使った、本来は捨てる物である。
愛に溺れる鯉 ―リュボネガルパ― 。
程よい大きさに切った鯉と馬鈴薯、人参、キャベツを共に煮た料理だ。
その煮汁は複数の小魚と鶏がら、香草と粒胡椒を使って作られている。
味付けは塩胡椒だけでありながら、強い旨味を感じる。
必ず対となる料理と共に出されるスープだ。
愛を抱いて、鯉に恋する二つの料理はじんわりと身に染みる。
薄味ながら互いに互いを補い合い、食欲が増していった。
あっという間に食べつくし、イリュリチカは席を立つ。
どうやら獣耳の少女は一足先に食事を終えたようで、食堂車から出る所だった。
行きとは反対に少女の後を追いかける。
イリュリチカは、ふと、何らかの違和感に気付いた。
前を行く彼女の姿に、何かが足りない気がするのだ。
上から下へ、下から上へ。
彼女の後姿をじっくりと観察し、その違和感の正体に行き当たった。
尾だ。
尻尾だ。
本来、人の特徴が多い獣人であっても、耳と尾はあるものだ。
耳は頭頂部に、尾は腰の下あたりに、それぞれ存在する。
だが、彼女の姿はそれとは全く違う。
耳は人間と同じような位置にある。
尻尾に至っては、そもそも存在しないのだ。
獣人と人間の混血、と思っていたが違うのだろうか?
いや、耳には獣の特徴がはっきりと出ている。
違うという事は無いだろう。
ならば何故。
そう考えていると旅の居所へと辿り着いた。
獣耳の少女は取っ手に右手をかけて、がらっ、と勢いよく扉を開ける。
元居た場所へと戻り、二人は向かい合って腰掛けた。
獣耳の少女は満腹になったようで、ニコニコと笑顔を浮かべている。
イリュリチカは窓の外を見る。
既に日は落ちており、暗く広がる海原が見えるだけだった。
翌朝。
目を覚ましたイリュリチカ。
昨日少女について考えていたが、どうにも結論が出なかった。
答えが出なかった事でイリュリチカは少しばかり不満げに窓の外を眺める。
湾の中へと景色は変わっていた。
だが、湾は巨大で向こう岸は見えない。
昨日の海と異なるのは、海が
もし北の獣港で降りる場合、彼女について考える時間は最早殆どない。
つまりは時間切れだ。
そうなってしまったなら、実に残念な事である。
そんな事を考えながらイリュリチカは向かいの扉に視線を移す。
そこから現れる少女がリュックサックを背負っていたら、そこまでだ。
少しばかりの緊張と共にイリュリチカは獣耳の少女を待つ。
がらり
少女は元気よく引き戸を開けて姿を現した。
そして、先に起床していたイリュリチカに元気よく朝の挨拶をする。
イリュリチカは安堵して、いつもの落ち着いた調子で挨拶を返した。
少女の背には荷物は無い。
つまり、彼女の行先は北の獣港では無いという事だ。
イリュリチカは再度、向かいに座った彼女について考える。
獣人の特徴が薄いのは何故だろう。
両親が獣人、と考えていたが、違うのかもしれない。
祖父母のどちらかが獣人、という可能性は無いだろうか。
少し考え、イリュリチカはその可能性を否定する。
耳よりも尾の方が子に特徴が残りやすい。
もし四人の祖父母の一人が獣人であったとしても、尾が無いのは不可解だ。
尾が短かったとしても、彼女の履いている
では、尾が無い理由は何だろうか。
無い、のではなく、有る、としたら。
獣人の特徴が無い、のではなく、他の特徴に上書きされている、としたら。
一つの可能性がイリュリチカの頭に浮かんだ。
その可能性が真実ならば、明日にはそれが分かるはず。
椅子に膝立ちして穏やかな
その存在しないはずの尾をイリュリチカは見つめていた。
鉄の龍は北の獣港を出発した。
最後尾の貨物車の内の幾つかを切り離し、新たな貨物車を引き連れて。
右へ右へと首を向け、龍はその長い体で弧を描く。
イリュリチカの座る場所から、先頭車両とそれが吐く白煙が見えた。
向かいに座る少女はいない。
遅めに目覚めた彼女は朝食を摂りに食堂車へと行ったのだ。
イリュリチカは考える。
そろそろか、と。
がらり
部屋の扉が元気に開かれた。
朝の美食を堪能し、少女は満足そうに長椅子に掛けた。
彼女は獣人と人間の
これは間違いない。
昨日、そして今。
彼女は重い鉄の扉を軽々と片手で開けた。
同じ体格のイリュリチカではそんな事は出来ない。
獣人の血が濃いゆえに、彼女は見た目以上に力があるのだ。
そして、彼女が向かう先は次の町、
これは推測でしかないが、祖父母に会いに、といった所だろう。
年若い彼女が一人旅で観光に、というよりは合理的だ。
なぜならば。
「わわっ!」
獣耳の少女は驚き、焦ったように声を上げた。
椅子に膝立ちになって窓の外を見ていた彼女は慌ててそれを両手で抱える。
イリュリチカは自身の予想が的中し、慌てふためく彼女の姿にほんの少し満足げだ。
少女の腰からは、
彼女は獣人と人間の混血。
だがそれだけではない。
人間の親は、
つまり彼女は『獣人の
中々に珍しい血筋である。
強靭な肉体を持つ獣人、大きな魔力を持つ海歌人、そして叡智を磨き繋ぐ人間。
彼女の存在は、まさにコスタゼントの理想を体現しているようなものである。
彼女が寒さに強かったのは、海に住む事も出来る海歌人の血がなせる
狼の特徴を持ちながら魚好きだったのもそれが一因であろう。
今、彼女には尾がある。
だが先程までそれは存在しなかった。
何故か?
海歌人の外見は人間とさして変わらない。
彼らの祖たる魚のエラの名残が、僅かに耳に残るだけである。
だが、それは目に見える部分だけの話。
海歌人には、魔力で形を成す尾、があるのだ。
本人が強く意識するか、何らかの外的要因が無ければ、それは
今、大慌てしている少女に尾が現れたのは、外的要因だ。
東の歌港へ鉄の龍は駆け続ける。
彼らの故郷へと近付いているのだ。
即ちそれは、彼女にとって先祖の魔力が溢れる場所へ近づいている、という事だ。
その魔力に
「大丈夫?」
「は、はいぃ。」
イリュリチカの問いかけに、少女は真っ赤になりながら落ち着きを取り戻す。
なぜ尾が出たのか分からない獣耳の少女。
それに対してイリュリチカは答え合わせついでに説明した。
「―――こんな感じ。合ってる?」
「ふ、ふわぁぁっ!すごい、全部合ってる!!!」
すごすぎ!
おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行く事まで分かるなんて!
私と同じくらいの子なのに!
あ、見た目で
この人もそうなのかな?
でも、この尻尾どうしよう?
「尻尾どうすればいいのかな・・・・・・。」
「それも貴女の身体の一部、貴女が望めばその通りになる。」
望めば、かぁ。
うーん、消えろー、って考えればいいのかな。
でも身体の一部に消えろ、っていうのもヘン?
見えなくなるように、って感じかな?
見えなくなれー、見えなくなれー。
「わっ!」
「ほら。」
出来た!
消えた!
ほえぇ、この人凄い。
なんで私よりも私の身体の事分かるんだろ?
もっと色々お話したいな・・・・・・。
「ありがとう!で、その、もしよければ―――」
東の歌港で龍はのんびりと休息中。
尾の姿を消した獣耳の少女は、元気に、しかしとても寂しそうに別れを告げる。
イリュリチカとしっかりと、痛いくらいの握手を交わして去っていった。
部屋を出て彼女を見送った後に、イリュリチカはいつもの通り長椅子に掛ける。
大きな湾を望む山の中腹に作られた駅からは、街を眼下に見る事が出来た。
白を基調とした建物は、水平線へと沈もうとする夕日に照らされている。
湾内を進む船はその影を長くし、海は穏やかに船を揺らす。
どこからか
歌が聞こえる。
綺麗な、とても綺麗な歌声だ。
どこかで誰かが、旅する誰かへ贈る歌。
硬い絆と確かな強さと底無き優しさ、そしてどこかに寂しさを。
全てを包んで歌は響く。
またいつか、共に語らう時を願って。
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