第四区間

平坦な大地を鉄の龍は走る。

温暖なる地チオエスタを発して既に半日、白く輝いていた太陽はあけに染まっていた。

西へ、西へと、赤く世界を照らす夕日に向かって、龍は平原を駆ける。


温暖なる地は二つの山脈に東西を挟まれた地である。

龍が睨むはライフェスト大陸東部と中部を隔てる世界有数の大山脈。

六千メートル峰が二つ存在する自然の大壁おおかべである。


そんな山脈の中で人間が東西を行き来できる場所はただ一つ。

ガオラスタ王国の首都、山岳十字路 ―ガオラステリ― だ。


古くは迫害された獣人達が身を寄せた山の中の寒村だった場所。

時代がくだり、人の行き来が盛んとなった頃にかの地は交易拠点となった。


東西と南北、横と縦の鉄路みちが交わる十字路、それが山岳十字路ガオラステリである。




イリュリチカは車窓から大山脈を見ていた。

列車の進行方向右手、遥か地平線の果てまで山々が連なっている。

まるでその向こう側を隠しているかのようだ。


彼女の部屋からは見えないが、進行方向左手も似たようなもの。

いや、あちらは地平線の代わりに、東西に延びる山々が見えるはずだ。

右手側よりも、山に囲まれている感覚が強いだろう。


先程から列車は大壁に向かって真っすぐに進んでいる。

だが、走れども走れども山に辿り着かない。

あまりにも高い壁のせいで距離感が掴めないのだ。


列車が近づいているはずだが、大壁の側から迫ってきているような存在感である。


温暖なる地を出発してから既に半日、彼女の向かいには誰もいない。

山岳十字路までは、あと一日と半分程度、少し退屈な一人旅だ。


既に本を二冊読み終え、大して変わらない景色を見る。

もうしばらくしたら夕食時だが、完全に手持ち無沙汰ぶさたである。

あまりにも退屈で眠気が訪れ、くぁり、とイリュリチカは小さな鳴き声を上げた。


こんこん、と扉がノックされる。

一拍置いて鉄の扉が音を立てて開かれた。


「お部屋はこちらです、それでは良い旅を。」

「あざっ・・・・・・あ、いや、ありがとうございます。」


乗務員は指で帽子のつばを持って軽く上げ、青年に会釈えしゃくして後部車輌へと去る。

青年は乗務員に向かって、直角に腰を折り曲げて実に綺麗な礼をした。

勢いよく頭を上げ、彼は室内へと入る。


年の頃は二十まではいっていない、だが十五よりはもう少し上だろうか。


琥珀色の瞳を持つ鋭い目つき。

坊主頭に近い程の短さに刈られた茶髪は、目つきも相まって粗野な印象も受ける。


羽織はおる黒革の上着ジャンパーの肩には、半球状の金属びょうがいくつも付けられている。

中には真っ赤なシャツを着ており、胸には吠える狼の絵がでかでかと描かれていた。


下はデニム生地の藍色ズボン。

つま先部分に装飾が無いプレーントゥの黒の革靴を履いていた。


鎖を模した銀のネックレスを首に付け、歩くたびにじゃらりじゃらりと音が鳴る。

傍らには腰高程の紺色の脚車キャスター付き旅行鞄、反対の手には革の手提げ鞄ブリーフケース


腕白わんぱく、やんちゃな印象、とでも言うべきか。

周りに対して自分の存在を主張しているような格好である。


イリュリチカに一度視線を向け、すぐに自分の寝所を見た。

荷物と共にその前に立つ。


扉の取っ手に手をかけ、横に引く。

がん、と音がするものの扉は仁王立ちしたままだ。

青年はもう一度取っ手を引き、同じ事を繰り返す。


何をしているのだろうか、とイリュリチカは首を傾げる。

が、すぐに彼の手抜かりに思い至った。


席を立ち、自分の寝所の前に立つ。

こんこん、とその扉を必要も無いのにノックした。

背後で青年がこちらに気付かれないように凝視している気配がする。


半歩右に身体をけ、わざとらしく切符を取り出した。

仰々ぎょうぎょうしい儀式を行うかのようにそれを取っ手の上部の四角い模様に掲げる。

がちゃり、という鍵が開く音、そしてイリュリチカは戸を引いた。


背後で同じ音がする。

青年も無事に自らの旅の居所に辿り着く事が出来たようだ。


イリュリチカは特にする事も無く、開けた扉をそのまま閉めて長椅子に戻る。

世話のかかる同居人にあきれるような、面倒臭がるような顔を夕日が照らしていた。




イリュリチカは基本的に感情をあまり出さない。


だが今、そんな彼女の眉間には、ほんの僅かにしわが寄っていた。

理由は目の前にいる、いや、さっきからうろちょろしている同居人にある。


無事に寝所に荷物を置いた彼は、イリュリチカの向かいに座った。

だが、そわそわと落ち着きが無い。


窓の外の景色を見たかと思ったら、室内のあちらへこちらへ視線をほうる。

腕を組んで座っていると思ったら、立ち上がり狭い室内を歩き回った。

鉄の扉を開けて外に出たかと思ったら、すぐに戻ってきて椅子に掛ける。


気が散る。

鬱陶うっとうしい。

寝所に引っ込んでいてほしい、と純粋に思ってしまう。


気分を変えよう。

彼はなぜこうまで落ち着きが無いのか。


まず考えられるのは、旅に慣れていない、という事。

これはまず間違いない。


先程、乗務員に導かれてきた。

単純に部屋が分からないだけであれば、半日も迷ったりはしないだろう。

となると、おそらく居場所を間違ったのだ。


イリュリチカがいるのは二等車輌。

後方の車輌へ乗務員が帰って行った所を見るに三等車輌にいたと考えられる。


三等車輌は大きな一室の中で雑魚寝する形式。

偶然にも『等 四番 三十二 青』に住人がいなかったのだろう。

乗務員による切符確認で間違いが発覚し、ここまで連れて来られた。


号車を間違ったり、部屋番号を間違ったりはあれど、等級間違いは中々無い。

これは旅慣れていない事を確実としている事象だ。


乗務員の定期巡回は列車出発後、少ししてから始まる。

十輌ごとに設置されている補助動力車に乗務員が常駐しているのだ。

彼らは手分けして前後の車輌に乗車した旅人たちの切符を確認する。


となると、この青年が乗車した場所は温暖なる地だ。



・・・・・・もう少し、じっとしていて欲しい。

はっきり言って目障めざわり。



彼の行く先はどこだろうか?


次の停車駅はガオラスタ王国の山岳十字路ガオラステリ

山岳十字路は商業都市。

彼の恰好から考えれば、そこに行くとは思えない。

となれば、その先か。


山岳十字路の先は、コスタゼント都市連合の三つの都市だ。

西に口を開けた大きな湾に沿うように鉄路が走っている。


湾の北に獣人の町、北の獣港 ―セヴェリ― 。

湾の東に海歌人 ―セレイネス― の町、東の歌港 ―エスツォーネ― 。

湾の南に人間の町、南の絆港 ―ズフィンドゥーア― 。


三つとも湾に面する港町である。


北の獣港セヴェリは貿易港だ。

西の帝国やさらにその先の国と繋がる場所。

商業の町である事は山岳十字路と同じ、目的地がここだとは思えない。


東の歌港エスツォーネは観光都市。

青く澄んだ海と山に沿って階段状に建てられた白を基調とした建物が有名だ。

西の帝国、東の共和国、双方から観光客が訪れる風光明媚ふうこうめいびな町である。


可能性としてはここが一番だろう。


南の絆港ズフィンドゥーアは漁業と歴史の町。

穏やかな湾内と豊かな外洋、双方で漁船が行き来する。

古くは帝国との戦いの最前線であり、古戦場や古城も多く存在する場所だ。


彼が歴史を訪ねるとは思えないが―――



・・・・・・がらがら、扉が五月蠅うるさい。

いるならいる、出るなら出る。





同居人からの妨害で思考を止められたイリュリチカ。

夕食時でもある事から席を立つ。

未だにそわそわ落ち着きがない同居人の事は気にしない。


既に馴染なじみの店のような存在となった食堂車を訪ねる。

落ち着いた雰囲気と食の喜びが同居する、いつも通りの空間だ。


料理人に声をかけ、今日のおすすめを聞き出して確保した。

今回はコース料理を模倣して三品だ。


火焔菜のスープ。


真っ赤な根が色鮮やかな野菜を使った汁物だ。

小間切れ豚肉とそれぞれ細かく切ったキャベツ、玉ねぎ、人参、トマトを炒める。

そして、つ割りにした火焔菜を煮込んだ料理である。


その名とは異なり、深い甘みが特徴的な落ち着くスープだ。



肉入り揚げパン。


刻んだ玉ねぎときのこを豚ひき肉と混ぜ合わせ、小麦粉の生地で包んで揚げた物だ。

イリュリチカのこぶし大の大きさであり、彼女には丁度良いが小さめのパンである。


さくさくとした表面と、具材の旨味を吸ったもっちりとした内部の生地。

閉じ込められた全ての味が練り合わされた具材の旨さが際立つ逸品だ。



そして主役の、旅人の大鍋 ―プヴェリショーク― 。


かつて、旅人が仲間と具材を持ち寄って鍋で煮込んだ料理を起源とする料理。


豚の油で細かく切ったニンニクを炒め、同じくみじん切りにした玉ねぎを入れる。

さい状にひと口大に切った豚肉を加えて焼き目を付けていく。

そして、馬鈴薯、トマト、緑胡椒こしょう、香草、水と共にじっくりと煮込む。


仲間仲間野菜が支える、共に歩む旅人たちを現したかのような料理だ。


肉にも野菜にもそれぞれの旨味が染み込んでいた。

肉は柔らかく、野菜はもっと柔らかい。

緑胡椒の強すぎない爽やかな辛みと風味が手にしたスプーンを引き寄せる。


汁のある料理であるが、食べ応えのある完全なる主菜だ。


十分に腹を満たし、イリュリチカは席を立つ。

やはり旅は食と共にあると、彼女はそう思うのだった。




自室に戻る。

そこではようやく落ち着いたのか、青年が長椅子に腰掛けていた。


イリュリチカは寝所へ入り、鞄から本を取り出す。


表題は『大壁への挑戦』とある。

今まさに列車が立ち向かわんとしている、かの六千メートル峰への登山記録である。


長椅子に掛け、その本の頁をめくる。

ぱらり、ぱらり、と文章は歩みを進め、著者は山脈を相手に戦い続けた。


定職に就かず、ふらふらと日々を過ごしていた著者。

小さなきっかけから山へと挑む事になり、遂には大壁へと立ち向かう事になった。

準備を完璧に、だがそれでも不安に駆られ、しかし決してひるむ事は無く。

ただひたすらに頂上を目指し、遂には世界の峰を攻略した。


そんな実話である。


読み進めていると、がたがたと揺れがした。

山脈に近付いた事で強烈な山風やまかぜが列車を揺らしているのだろう。


と、思ったが、よく考えてみれば対策がされていないわけが無い。

どういう事だ、とイリュリチカは本から顔を上げる。


青年が、小刻みに揺れていた。

貧乏揺びんぼうゆすり、というやつだ。

実に鬱陶しい。


ぱたん、と本を閉じ、イリュリチカは早々と寝所に引っ込んだ。




翌朝。


青年はまだ起きてきていない。

昨日読み進めていた本を手に、平和な朝をイリュリチカは満喫していた。


再び、彼について考えてみる。


荷物がそれなりに多いのは旅に時間がかかるからだ。

だが、不思議な事がある。

それは革の手提げ鞄ブリーフケース


観光旅行に使うには随分としっかりしている。

そして、彼の服装に全く合っていない鞄だ。


大体の場合、観光に行く者は大きな鞄と財布程度が入る小さい鞄を持つ。

もしくはリュックサックで双方を兼ねる事もあるだろう。


彼の様に片手が塞がる鞄を持つ、というのはあまり多くないように思う。

勿論無い事は無いだろうが、彼の服装に合っていない事も含めて不可思議だ。


それともう一つ。

彼の足元、靴についてだ。


彼は特徴の無い革靴を履いている。

黒革の上着ジャンパーや赤のシャツと比べて、随分と大人しい靴。

流行ってもいないしお洒落でもないとてもダサい服装にすら合っていない。


その服装についても少し引っ掛かる事がある。

彼の身に付けている物は流行からはかけ離れていた。

温暖なる地ではない、離れた地域田舎から出てきたのではないだろうか。

流行やお洒落にただうといだけの可能性もあるが。


こうして考えると彼はちぐはぐだ。


乗務員に対して軽く礼を言おうとしたのを止め、丁寧に言い直した。

横柄というか、気が強いような見た目に反して、落ち着きがない。

観光旅行者であると思われるが、靴と手荷物が最適ではない。


一体彼は何者で、どこへ向かっているのだろう。


前提として考えている事を変えてみる事にする。


観光旅行ではない、としたら。


例えば、そう。

田舎から就職のために都市へと出ていく途中、とするならば。


旅慣れていないのは田舎から初めて出てきたため。


彼の傍らにあった脚車キャスター付き旅行鞄の中には背広スーツが入っている。

手提げ鞄ブリーフケースと特徴の無い革靴はそれに合わせるための物。


落ち着きが無いのは就職面接を控えているから。


あり得ない事では無い。

だが、そうなると行先はどちらだろうか。


山岳十字路は商社が多い。

対して北の獣港は運送業者が多い。

これは場所の特性だ。


山岳十字路は大鉄道が交わる場所、運ばれて来た物のその先を決める。

北の獣港は海運と陸運の接合点、届いた物それ自体を動かす。


働き口の性質も双方で異なる。

前者は頭脳労働の募集が多く、後者は肉体労働の募集が多い。


一見した彼の印象だけならば、十人中、十人が後者に向かうと言うだろう。

イリュリチカもそう思った。

だが、おそらく違う。


何故なら、同じ国の中に巨大な貿易港が存在するからだ。


東の果てヴァスニエーツと比べると北の獣港は半分以下の規模。

更に肉体労働の多くは、体格に勝る獣人が担当している。

人間の肉体労働者もある程度存在しているが、働き口としては少ないのだ。


大陸横断鉄道で一日分遠いとはいえ、東へ移動する方が圧倒的に合理的である。


と、なると西へと進むこの列車アレザドラ号で彼が行く先は一つ。

山岳十字路ガオラステリだ。


がらり、と向かいの扉が開く。


そこにいたのは背広を着て、ネクタイを締めた好青年。

あまりにも印象の異なる姿にイリュリチカも少しばかり驚いた。


そんな彼女と目が合い、青年は照れたように目を逸らす。

二つの鞄を引き連れて来た事から、イリュリチカの予想は当たっていたようだ。

青年は、旅行鞄を長椅子の後ろに、手提げ鞄を隣に置いて椅子に掛ける。


昨日のように落ち着きが無い様子は無い。

だがその代わりに表情が硬く、ももに置いた手は拳を作り、肩には力が入っている。

誰が見ても分かる、彼は緊張しているのだ。



これで答え合わせが出来た。

彼は『田舎から出てきた就職希望者』だ。



そして、おそらくは地頭じあたまの良い人物であろう。

それなりの自信が無ければ山岳十字路の商社を志望するとは思えない。


この列車で中々にお金のかかる二等車輌に乗っている事からも分かる。

彼は家族から期待されているのだろう、と。

もしかしたら友人からの期待、かもしれないが。


だが今の彼の様子では、ほぼ確実に望んだ結果を得られないだろう。


イリュリチカは考えた。

昨日の仕返しをしてやろう、と。

ページめくる。


「期待を裏切る事は出来ない、家族、友人、支援者から背中を押されたのだから。」


あ?

何だこのチビ。

いきなり朗読とかやめろよ。


こっちはそれどころじゃねぇんだ!

お遊戯は余所よそでやってくれ。


親父とお袋、それにダチ共に期待されてんだよ・・・・・・くそっ。

何で手が震えんだ!

俺はワルなんだ、根性があるんだ!


「自分には力があると思っていた。だが違ったようだ。私は無力だ。」


違う。

違う違う違う!


俺はデキるおとこなんだ!

何だってできる奴なんだ!


ダチ共と散々悪い事をしてきた。

だから根性がある。

俺は、俺は・・・・・・!


「だから上を見る、前を向く。己の立ち向かうを正しく見るために。」


・・・・・・。


「自分に出来る事をただ行う。それだけしか私には出来ない。」


・・・・・・・・・・・・。


「力を抜いて全力で立ち向かうのだ。肩に力が入っていては敵が大きく見える。」


敵が、大きく、か。


ははっ、肩に力が入ってやがる。

ビビってんじゃねぇよ、ったく。


まさかこのチビ、俺が緊張してるのを見破りやがったのか。

こんな伝え方するなんて、チクショウ格好良いじゃねぇか・・・・・・。


なんだか悔しいぜ。


よし!

力を抜く!

んで、全力だ!


俺に出来る事を出来るようにする、そんだけだ!

待ってろよ面接官!


畑の野菜を盗って近所のババアを困らせた腰を痛めたお婆さんのために収穫を手伝ったみたいに。


建物に俺達の印を書いて自警団を怒らせた路地に絵を描き、華やかにして感謝されたみたいに。


ガキを連れ回して親共々散々泣かせてやった迷子の子供を見つけて親元に届け、涙の再会をさせたみたいに。


俺はワルなんだ。

散々困らせてやるぜ!




鉄の龍が十字路に辿り着く。


青年は部屋を出て扉を閉める。

イリュリチカに聞こえない程に小さな声で礼を言いながら。


その礼をイリュリチカは本を読み進める。


一歩一歩。

確実に、堅実に。

つらく苦しくとも前を向き、行くべき場所を見つめて。


決して歩を止めなかった漢は、遂にその頂へと辿り着いたのだ。

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