第32話 夏休み最後のイベント

 僕と奥村さんは、葛城さんの自宅で一泊していた。夜中には虫の鳴き声が聞こえる長閑な場所にあり、割と年季の入った家屋だ。庭付きで横方向に長く部屋数も多い。もう祖父母は亡くなられたそうだが、その頃から住んでいるということだ。

 まだ夏休み中だということで、寝起きが悪い僕を無理に起こしたりはせずに、自分から起きて来るまで放置されていたのは葛城さんの心遣いだろうか。

 Tシャツにショートパンツという格好で寝ていたので、そのままダイニングへと足を運ぶ。どうせこの後はコスプレ衣装に着替えて、ストリートピアノがあるサービスエリアへと向かうのだから、私服へ着替えると二度手間になる。

 和風な造りの家だが、所々リフォームされて今時の内装になっている。僕らは一階にある畳の部屋に布団を敷いて寝ていたので、廊下に出ると掃き出し窓から庭が見える。マリーゴールドが咲いている花壇に、蝶々が飛んでいるのを眺めながら廊下を歩いて行った。

 ダイニングまで行くと、奥村さんが椅子に座ったまま、一歳になるくらいの小さな女の子を膝の上に抱っこしていた。


「ほーら、お兄ちゃんでちゅよー」


 その隣りに座っている女性が多分、葛城さんのお姉さんだろう。子供好きの奥村さんが抱っこしているのは、葛城さんにとっては姪っ子ということで間違いなさそうだ。

 お姉さんの旦那さんが七人乗りのミニバンを持っているということで、高速道路のサービスエリアまで乗せて行ってくれることになっている。ただ、一緒には住んでいないので、昨日は会っていなかった。お姉さんが来ていることが分かっていたら、もう少し身なりを整えてから来たのにと思わないではない。コンタクトレンズだけは入れていたが、寝起きで髪はボサボサだしTシャツにはシワが寄っている。


「えーっ!この子が莉音ちゃん?女の子にしか見えないんだけど」


 葛城さんとは寮で同室なのだから、僕のことは身内に説明してあるだろう。葛城さんが僕の家へ来た時も、身内が彼女に不用意な発言をしないよう前もって説明をしていた。それと同じことだ。でも、そのせいで必要以上に興味を持たれているような気がしないではない。

 前日に駅まで葛城さんの母親が迎えに来てくれた時と同じように、僕はお姉さんにも軽く頭を下げた。


「一之瀬莉音です。いつも幸ちゃんには、お世話になってます」

「あ、幸久の姉の七海です。ちょっと、触ってもいい?」

「え、何を?」


 お姉さんは席を立つと僕の前に来て、ムニムニと胸を触って来る。薄着で露骨に体形が分かるような格好だったし、中にタンクトップは着ているもののノーブラだったから、これで男だと言われたら確かめたくもなるだろう。ブラを着けていないと手の感触が生々しくて、物凄く恥ずかしかった。


「さすが十代、張りが違うわ」

「あのぉ…」

「色白だから、すぐ顔に出ちゃうのね。ごめんごめん」


 自分で自分の顔は見えないが、昨日の酒巻君みたいに赤くなっているのかなと思いつつ、取り敢えず僕は席に着いた。キッチンで先に食べ終わっていた朝食の食器を洗っていた母親が、僕にも朝食を出してくれる。ご飯に焼き鮭、そして味噌汁という純和風の食事だ。


「幸ちゃんは?」

「お義兄さんと一緒に、森本さんと藤堂さんを駅まで迎えに行ってるよ」


 奥村さんが答えながら、ゆっくりと立ち上がって姪っ子をお姉さんに渡している。お姉さんはしっかりと受け止めてから、自分の席に着いた。実に大人しい子で、全く泣いたり騒いだりしていない。


「莉音ちゃんが女の子の格好をするようになった時、両親は戸惑ったりしなかったの?」

「どっちかって言うと、安心してたかなぁ。子供の頃は発育が悪いって心配してたから」

「そうか、うちとは事情が違うもんね。むしろ男の子の格好してる方が不自然だから」

「初潮で病院へ運ばれて、半陰陽が発覚したって経緯があるからね」

「なるほどねぇ。それは、どれだけ説明されるよりも説得力あるわ」


 葛城さんは家族がトランスジェンダーに対して、理解があるようなことを言っていた。確かに理解はしているようだが、喜んで受け入れるとまでは行かないようだ。複雑な想いがあるのは、仕方のないことかもしれない。

 お姉さんよりはまだ母親の方が理解があるのか、特に疑問を投げ掛けられるようなことはない。僕が朝食を食べ終わると、


「夕べは暑かったから、寝苦しかったんじゃない?シャワーでも浴びて来たら?」


 食器を片付けながら、そう言った。


「あ、いいんですか?」

「渚ちゃんももうシャワーを浴びてるから、遠慮しなくていいわよ」

「それじゃ」


 夕べもお風呂に入っているから、風呂場の場所は分かっている。シャワーと言ったのは、湯船にお湯を張っていないからだろう。僕は席を立って、ダイニングを出て行った。



 僕がシャワーを浴びている間に、森本さんと藤堂さんが到着していた。僕らが寝ていた畳の部屋は障子が閉まっていて、藤堂さんだけが廊下でアイスキャンディーをガリガリと食べている。彼女は撮影担当だから、中で着替えている間は手持ち無沙汰なんだろうか。


「莉音ちゃんのも、冷凍庫に入ってるから」

「ん、帰ってから食べるよ」

「幸ちゃんのお義兄さんが、せっかくサービスエリアへ行くんだから、お昼をご馳走してくれるって」

「えっ、幸ちゃんと藤堂さんは私服だからいいけど、僕らはコスプレ衣装で出掛けるんだよ。その格好で、ご飯を食べるってこと?」

「いいじゃない。魔法少女と違って制服のコスプレなんだから、変じゃないわよ」

「変だよ!あんな制服、現実には見たことないし」

「浜松と言えば、鰻よ鰻♡細かいことは気にしないで」


 話し声が聞こえたのか、障子がスッと開いて奥村さんが顔を出した。まだ着替えの途中だったようで、上は茜の衣装を着ているが下はハーフパンツのままだ。


「莉音ちゃん、昼食に間に合わないから急いで」


 そう言って僕の腕を掴み、部屋の中へ引き込んだ。出発は午後からだと思っていたから、のんびりシャワーを浴びていたのに面倒なことになっている。

 部屋の中では森本さんが黎明の衣装を着て、メイクをしながら僕の方を見てニッコリと微笑んだ。僕も彼女を見て笑顔を返す。そんなアイコンタクトをしていた。

 葛城さんも、どんどん増えて行く自分のメイク道具を広げて用意をしていた。


「シャワー浴びてたの?髪、乾かさなくて大丈夫?」

「濡らしてないから、大丈夫だよ」


 後頭部にまとめていた髪を、ヘアクリップを外して首を振りながら解いた。僕がコスプレをする烈花はボブヘアにバンダナを巻いているので、どうせまた髪をまとめてウイッグを被ることになる。着替えと後でまとめやすいように解いただけだ。

 着替えは僕が一番出遅れたが、制服は普段から着慣れているのですぐに終わった。それだけ衣装の完成度が高くて、本物の制服と何ら変わりはないということだ。

 そして、ウイッグネットを被った方が顔が全開だからメイクがしやすいということで、葛城さんが櫛で髪を梳かしながら綺麗にまとめてネットを被せてくれた。

 それから、アルテミスの時のような童顔メイクをして、最後にウイッグを被る。葛城さんはウイッグについても勉強したのか、森本さんの手を煩わすことなくバンダナを巻いて、頭の上でリボンのような結び目を作るところまで一人でやって終了だ。

 畳の上にペタッと女の子座りをしてそんな作業をしていたから、既にメイクが終わっていた奥村さんは、僕の前にしゃがみ込んで眺めている。いわゆる、うんこ座りで藤堂さんが描き直した左脚の義足の絵は、前よりも色が濃くなって機械的な雰囲気が増していた。


「あぁ…このまま連れて帰って、私の部屋に飾っておきたい…」

「パンツ見えてるよ」

「いいよ、減るもんじゃないし」


 そんなところも男前だなと思いつつ、準備が整ったので出発の用意をする。奥村さんが先に立ち上がって右手を差し出し、その手に掴まって僕も立ち上がる。そんな男前な奥村さんと僕の頭の天辺に、森本さんが片方ずつ手を乗せてポンポンしていた。


「夏休み最後のイベントだから、思い切り楽しもうね」


 葛城さんや藤堂さんも含めてコスプレメンバーは五人になったが、衣装は何を作るのか森本さんが決めている。彼女としては、リーダー的な立ち位置なんだろう。

 障子を開けて廊下に出ると、藤堂さんが食べ終わったアイスキャンディーの棒を咥えたまま、ビデオカメラを手に持って庭を眺めていた。画質を調整しているだけで、撮影はしていないようだ。

 棒のやり場に困っていた様子の藤堂さんは、それを部屋の中にあるゴミ箱へ放り込んでから、みんなと一緒に玄関まで歩いて行った。


 玄関を入ってすぐ横にある応接間で待っていた葛城さんの姉夫婦と姪っ子は、出発の用意が出来たことを確認して一緒に外へ出る。応接間にはチャイルドシートが床に置かれていて、わざわざ僕らのために取り外してくれたようだ。

 お姉さんも一緒に行きたがっていたが、チャイルドシートを取り付けてしまうと席が一つ足りなくなる。今回は僕らが帰って来るまで待つということで、一緒に外に出たのは車を誘導するためだ。

 僕はお義兄さんとは初対面なので、お姉さんの時と同じように挨拶をする。


「一之瀬莉音です。いつも幸ちゃんには、お世話になってます」

「ああ、ちっちゃくて可愛い子が居ると思ったら、君が莉音ちゃんか」


 森本さんが女性キャラクターのコスプレをしていれば、彼女が美少女だということを思い知らされただろう。でも、男性キャラクターだけに眉を太くして頬がこけたようなメイクをしているから、彼女を誉め讃える言葉が聞けなかったのは、ちょっと残念だった。

 車のシートは三列あって最後尾は補助席のような物だが、二列目に三人座るよりはマシということで、一番小さい僕と身内の葛城さんがそこへ座った。そして、森本さんが助手席へ座りお義兄さんがエンジンを始動する。車の外ではお姉さんが姪っ子を抱えたままバックの誘導をしてくれた。さて、いよいよ出発だ。

 道幅が狭い入り組んだ道路から、交通量が多い幹線道路に車が出ると、あまり揺れることもなく、ゆっくり景色を見たり話しが出来る状況になった。僕は隣りに座っている葛城さんに、さり気なく話し掛ける。


「美味しそうなスイーツのお店、見付けたからさ。また酒巻君も誘って、一緒に行こうよ」


 車の中で他の人にも聞こえているのは仕方がない。昨晩はいくらでも話すチャンスはあったのだが、畏まってそんな話しをするのも何だか恥ずかしくて、日常の一頁のようにサラッと言葉にしたかった。

 葛城さんは僕の方を見ながら、笑みを浮かべて


「うん、ありがとう」


 そう答えた。



 インターチェンジから東名高速道路へ入り、三ヶ日ジャンクションで新東名高速道路へと乗り替える。葛城さん以外は誰も土地勘がなかったから、結構な遠回りだということに初めて気が付いた。


「こんなに遠いとは思わなかった。大変なことをお願いして、ごめんなさい」


 そんな森本さんの言葉に、


「こんな面白いことに参加できて、僕も楽しんでるよ」


 そう答えてくれる、優しいお義兄さんだ。

 サービスエリアに到着すると、なるべく建物に近い駐車場に車を停めてくれた。それでも、既にコスプレをしているから、車から降りるのは勇気が必要だ。そう思っていたら、森本さんはあっさりと車を降りてしまう。まあ、彼女は男装ということ以外は私服とあまり変わりはないから、周囲の目は気にならないだろう。でも、奥村さんもすぐに車を降りてしまった。仕方なく、僕もその後に続いた。


「それじゃ、円陣でも組んで気合いを入れる?」


 森本さんがそう言うと、地下街のストリートピアノでカラオケボックスを更衣室代わりに使った時のように円陣を組んだ。あの時は藤堂さんが居なかったが、今度は一緒だ。

 お義兄さんが楽しんでいると言ったのは社交辞令ではなかったようで、そんな様子をスマホのカメラで撮影している。帰ってから、お姉さんに見せるのだろうか。


「一人でコスプレを初めて影口も言われたりしたけど、だんだん仲間が増えて行って楽しさを共有できるようになって、こんなに嬉しいことはないわ。みんな、本当にありがとう」


 そんな森本さんの言葉に、奥村さんが続ける。


「私の自分に自信を付けたいっていう遊びに、みんなが乗っかってくれて嬉しかったよ。私からも、ありがとうって言わせて」


 僕も何か言った方が良いのかなと思い、その後に続ける。


「好きで始めたコスプレじゃないけど、今迄楽しかったよ」


 そして藤堂さんが、そんな僕に反論する。


「これで最後みたいに言わないでよ。私はまだ続けるつもりなんだから」

「せっかくだから、幸ちゃんにも何か言わせてあげてよ」

「それもそうね。幸ちゃん、どうぞ」

「え、私?私はみんなと一緒に何かやってるってだけで楽しかったから」


 一通り言葉を発したところで、再び森本さんが口を開く。


「それじゃあ、楽しく夏休みを締め括りましょう。行くよ!」

「おぉ!」


 僕と森本さんはスマホにジンバルを付けて撮影のために持ち、奥村さんを先頭に三人でストリートピアノがある建物の方へと歩いて行く。そんな様子を葛城さんと藤堂さんが、カメラを構えて前後から撮影する。お互いが映り込まないように対角線上に位置しているのは、いつの間にそんな打ち合わせをしたのだろうか。

 そして、更に少し離れた所から、その様子をお義兄さんがスマホのカメラで撮影していた。

 どのカメラに視線を向ければ良いのかよく分からないまま、建物の中へ入るとグランドピアノが見えて来る。カノンのコスプレの時のような無表情という縛りがないから、僕は素の表情を浮かべていた。

 きっと、ここに居る誰もが楽しみながら、自分の役割を果たしているのだろう。それは僕も例外ではない。どのカメラに映っている僕の顔も、楽しそうな笑顔になっている筈だ。



(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

性的マイノリティーの学園生活 道化師 @noppo183

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ