第31話 思わぬ所で話し合い
夏休みも残り一週間を切ったので、このまま帰省せずに寮に残ったまま、新学期を迎える生徒も少なからず居るようだ。藤堂さんは元々帰省するつもりはないから、いつも通りのことだ。ただ、今回は同室の新居さんも遠距離で大変だということで、一緒に寮へ残ることになっている。藤堂さんが一人で残るよりは、いくらか食生活も改善することだろう。
前日が登校日ということで、今日の朝までは寮母さんが出勤して朝食を作ってくれた。それを食べ終わると、僕と葛城さんは部屋で帰り支度をしてから早々に寮を後にする。奥村さんとの待ち合わせ時間が30分早くなったから遅れないように、あたふたと先を急いでいた。
先に僕らが到着して奥村さんが来るのを待つくらいのつもりだったから、駅に到着すると券売機の手前にある、背もたれが付いたベンチに座っていた。学生の利用客が多い駅なので、夏休み中はそれほど混み合ってはいない。それでも、絶えず人の姿は目についている。
自動販売機にロイヤルミルクティーがあるのを見付けて、葛城さんが二本を買って来てくれる。それを飲みながら話しをして、飲み終わると空になったペットボトルを彼女がゴミ箱へ捨てて来てくれる。
そんなことをしていると、ベンチから見える外の景色に、奥村さんが交差点を渡って来るのが見えた。駅前にバス停があるから、そこから彼女は降りて来ると思っていた。でも、学校の近くにあるバス停で待ち合わせをしたのだろう。酒巻君も一緒だ。
奥村さんが酒巻君と立ち話をしていた時点で、予想をしていなかった訳ではない。でも二人は、それほど親しくはないから、こんなことが本当に起きるとは思っていなかった。
見通しの良い歩道を二人が歩いて来ると、ベンチには座らずに目の前に立っていた。
「莉音ちゃん、ごめんね。話しだけでも聞いてやってくれる?」
返事に困って何となくボーッと見ていると、拒否はされていないと思ったのか、奥村さんが手の甲で酒巻君の胸をコツンと叩いた。
「一つ、貸しだぞ」
それから、ニッコリと笑顔で葛城さんに声を掛ける。
「幸ちゃん、ちょっとその辺でお茶でも飲まない?」
「え?あ…そ、そうだね」
葛城さんは事前に話しを聞いていた訳ではなさそうだ。僕と酒巻君の顔を見比べてから、ようやく状況を理解していた。
彼女は周囲を見渡して、途切れることなく人通りがあることを確認する。僕と酒巻君を残して行っても、周囲には人が居るから二人きりにはならない。こんな時にも気を使ってくれる、親切な葛城さんだ。
「じゃあ荷物、置いとくから莉音、お願いね」
二人はベンチに荷物を置いて、交差点の方へと歩いて行った。お茶を飲むと言っても、時間的に余裕があるのは30分程度だ。近くにあるスーパーの前で、自動販売機の飲み物を買う程度だろう。
「ごめん…一之瀬さんが俺のことを避けてるみたいだから、奥村さんに頼んだんだ」
「立ち話も何だから、座ったら?」
「ああ…」
奥村さんと葛城さんは、わざわざ僕の隣りを一つ空けてベンチに荷物を置いている。そこへ酒巻君は腰を降ろした。ばつが悪いのか暫く黙っていたが、時間に限りがあることは彼も分かっている。思い切ったように口を開いた。
「時空のアルテミス、最後まで見たよ。師匠は一度壊してしまったら、二度と元へは戻らないって言ってたけど、師匠自身が責任を感じて何度も転生をするんだね」
「裏切った弟子達が転生した時代へと輪廻転生を繰り返すけど、アルテミスとの深い絆があるから、何度生まれ変わっても必ず再会できるんだよね」
「師匠との別れのシーンが良かったよ。最後の転生は、天寿を全うしてくれって。あそこは泣いたな…」
こんな話しをするために、酒巻君は僕に会いに来た訳ではないだろう。アニメの内容になぞらえて、一度は壊してしまったものを修復したいとでも言いたいのだろうか。
「俺なりに半陰陽について調べたんだ。理解が足りなくて疎遠になるのも、後味が悪いからね。一之瀬さんが遺伝的には女性に近いけど、身体的には男性の部分もあるってことは理解できたし、二次性徴が始まるまでは男の子だと思われてたことも理解できたよ」
「精神的には物心ついた頃から、自分は男の子だと思ってたけどね。これは成長しても、簡単に変わるものじゃないよ。女の子の格好をするのも初めは抵抗があったけど、性同一性障害の人ほど違和感は感じていないと思う。元々、ファッションには拘りがある方じゃないから、女装してるって意識も薄いしね」
「そうか…まだまだ、理解しなきゃいけないことが沢山あるんだな」
「知識としては理解できても、感情としては割り切れない部分もあるんじゃない?」
「勿論、それはあるよ。今でも一之瀬さんのことは気になってるし、出来ることなら付き合いたいとも思ってる。でも、それは相手が同性だとか半陰陽だとかってことと、関係ないんじゃないのかな。単純に俺が恋愛対象じゃなかったから、フラれただけの話しだし」
「まあ、そういう言い方も出来るね」
「恋愛関係には至らなかったけど、それで縁が切れるって言うのも淋しくないか?もう一度、友達から始められないのかな」
「僕は酒巻君の気持ちに気付いていたのに、それを弄んだんだよ。どの面下げて、友達になればいいの?」
「それなら俺も同罪じゃないかな。葛城さんの気持ちに気付いていたのに、それを利用したんだ」
「気付いてたの…?」
「友達にはなれるけど、恋人にはなれない。トランスジェンダーにはそんな葛藤があるって体験談に書いてあったけど、それは俺だって同じだよ。友達のままでいたいから、告白なんかしてほしくない。多分、一之瀬さんもそんな気持ちだったんじゃないのかな」
「そうだね…僕はただ、男友達が欲しかっただけだから」
「葛城さんも含めて、また以前みたいな関係に戻れないのかな。お互いの気持ちを知ってるから超えてはいけない一線も分かってるし、思わせぶりな態度にも自制心が働くと思うんだ。一之瀬さんになら、俺の気持ちを弄ばれても構わないし」
「もしかして、酒巻君ってドM?」
「弄ばれるって言うと語弊があるけど、好きなコにちょっかい出されるのは悪い気はしないよ。その想いが一方通行だって分かっていてもね」
「トラウマじゃなくても、体格の差って普通に怖いんだよね。ちょっと、僕の手首を握ってみてよ」
僕が左腕を前に突き出すと、言われた通りに酒巻君はその手首を掴んだ。親指と人差し指が交差していることで、彼の手の大きさが分かる。
「ほら、これだけでもう、僕は逃げられなくなる。酒巻君にとっては何でもないことでも、僕にとっては恐怖ってこともあるんだよ。好意を持たれてるけど、それが叶わないと分かってる相手と、どうやって仲良くすればいいの?」
慌てた様子で酒巻君は、僕の手首を離した。
「今みたいに、一之瀬さんに言われない限りは手を触れないようにするよ。それから、俺と二人きりになりたくないのも、そのまま継続ってことで」
「酒巻君が豹変しないっていう保証はあるの?」
「ごめん…信じてほしいとしか言えない。葛城さんが嫌じゃなければ、また三人で映画を見たりアニメについて語ったりしたいんだ。一之瀬さんは俺の気持ちを知ってて思わせぶりなことをするし、俺は一之瀬さんを誘いたいから葛城さんも誘う。そういう関係も後になれば、あの頃は一之瀬さんのことを好きだったなって笑って話せるようになればいいのかなって」
「本当に、そう思ってる?」
「ごめん…もしかしたら、一之瀬さんが俺のことを好きになってくれるかもって、淡い期待もないとは言えない。でも、絶対に手出しはしないって約束するから」
話しをしていると、交差点で奥村さんと葛城さんが信号待ちをしているのが見えた。もう、時間切れだ。最後に一つだけ、確かめておきたいことがあった。
僕は隣りに座っている酒巻君の膝の上に手を置いて、少し前屈みになりながら彼の顔を覗き込む。女性は好意を持つ男性に対して、無意識にスキンシップをすると言うが、それを意図的にやっていた。
「こうやって酒巻君の反応を見て、面白がってもいいの?」
「あ、ああ…望むところだよ」
僕が指先で酒巻君の頬をツンツンと突っつくと、彼の顔がほんのりと赤くなる。こんなに分かりやすい反応を見ていると、豹変するほど本性を隠し切れてはいないなと思えて来た。
更に僕は顔を寄せて、こっちを見ないようにしている彼の耳元で囁く。
「酒巻君が気付いてること、幸ちゃんには内緒だよ。今の関係を続けたいならね」
「ああ…分かってる…」
丁度、そこへ奥村さんと葛城さんの二人がやって来た。元々、奥村さんは酒巻君とは、さほど親しくはないから容赦がない。
「それじゃ、電車の時間があるから」
顔が赤くなっている酒巻君に、何処か呆れたような雰囲気を漂わせながら、さっさと自分の荷物を担いでいる。本当にサバサバしていて、男前な女子だ。
一応、話しの決着はついているから、僕も立ち上がって荷物を取った。ただ、葛城さんは事の顛末を知りたい様子で、荷物を持ちながら僕と酒巻君の顔を交互に見ている。
「諦めなくて良かったね。時空のアルテミス、最後まで見て良かったでしょ」
「ああ、あの結末を見てなかったら、こんな勇気は出なかったかな」
そんな短い会話を聞いて、葛城さんの表情に笑顔が戻っていた。『時空のアルテミス』のラストシーンは、明治パークのイベントで僕と森本さんが再現している。僕が森本さんに抱き締められた、あのシーンだ。
酒巻君はベンチに座ったままで、僕と葛城さんは軽く手を振る。そして、奥村さんは軽く会釈をして、三人で改札口を通って行った。
時間を気にしてホームへと急ぐ奥村さんの後を追い掛けながら、葛城さんが僕の横に並んで、
「妹キャラは返上したの?小悪魔みたいに見えたけど」
そう言った。
「本人が喜んでるんだから、別にいいんじゃない?」
「え…酒巻君って、Mなの?」
何かまた一つ、誤解を生んでしまったかもしれない。でも、そんな疑問を葛城さんが投げ掛けて、酒巻君が必死に弁解をする姿を想像すると、それも楽しいかもしれないと思っていた。
僕はもう自宅には寄らずに直接、葛城さんの家へと向かうことになっていた。だから、いつも電車を乗り替えている地方都市からは、在来線には乗らずに新幹線へと乗り替えた。その方が時間短縮になるし、もう一つの理由がある。目的地の駅にはストリートピアノが設置されていて、それが新幹線の駅の構内にあるからだ。
コスプレで撮影をするのは高速道路のサービスエリアの予定だから直接関係はないのだが、せっかくだから駅のストリートピアノへも行ってみたいというのが奥村さんの希望だった。在来線でもそんなに時間は掛からないから、葛城さんがいつも帰省している時には新幹線は使っていないそうだ。
新幹線を降りて、ホームから連絡通路を通って構内を歩いていると、グランドピアノが見えて来た。展示スペースのような場所に、楽器メーカーのロゴマークと共に設置されている。
そこには係員も特に居ないし、弾いている人も居ない。人通りは多いのに、誰もが先を急いでいる様子でピアノなど見向きもされていない。観客もあまり期待できそうにないが、家庭ではなかなか弾けないグランドピアノが弾けるとあって、奥村さんは喜んでいる。
「ちょっと、弾いてみてもいい?」
遠慮がちに奥村さんは、僕と葛城さんに了解を得ようとする。初めからそのつもりで来ているのだから、それは別に構わない。ただ、ユーチューブの動画を見ている人が通り掛かって、同一人物だとバレる可能性がないとは言い切れない。
コスプレイヤーが身元を隠すのは安全上の問題だと思うのだが、それに加えて僕の場合は、ただただ恥ずかしいということもある。
「素でやるんだから、アニメの主題歌とかやめてよ」
「え?じゃあ、何かリクエストとかある?」
「渚ちゃんがクラシックを弾いてるとこ、まだ見たことない」
「じゃあ、ショパンでも弾こうか」
奥村さんが担いでいたリュックを降ろすと、それを葛城さんが受け取る。そのまま奥村さんは、ピアノの前に座った。
ショパンと言っても色々あるから、一瞬だけ何を弾くか考えたようだが、即座にピアノを弾き始めた。誰もが一度は聞いたことがある、有名な曲だ。
「うわっ、革命のエチュード弾いてるよ。この曲、激ムズなんでしょ?」
「ピアノのことはよく分からないけど、凄いことだけは分かる」
その一曲だけで奥村さんは満足して、ピアノの前を離れた。葛城さんからリュックを受け取っていると、たまたま通り掛かった人がパチパチと拍手をしてくれる。そんな観客に、彼女は軽く頭を下げていた。
「私ばっかり、いい想いさせてもらって、ごめんね」
「みんな、渚ちゃんの特技に乗っかってるんだから、もっと自分に自信を持って」
「そうだよね。自分に自信を付けたいって言い出したのは私だし」
「僕だって、そうだよ。自分に足りないものは他の誰かが持ってる。それが楽しくて、コスプレやってるようなものだから」
奥村さんが笑顔になって、三人で和気藹々と駅の構内を歩いて行く。駅舎を出てロータリーの所まで来ると、迎えに来てもらうために葛城さんが電話を掛けていた。
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