第30話 部員にお披露目

 夏休み最後の登校日は、新学期の一週間前だった。どうして、そんな時に登校するのかと言えば、生活のリズムを取り戻すためなんだろう。夏休みの半ばに登校させられた時よりは、まだ説得力がある。

 講堂で長い話しを聞かされて、その後に各教室でホームルームをやったのは前回の登校日と同じだ。前回と違うのは、ナレーション部へ集合のメールが森本さんから来ていたことだ。

 その理由については想像が出来る。多分、奥村さんのコスプレ衣装が完成したから、お披露目をするのだろう。部員が喜ぶようなことでもなければ、登校日に部活動なんてしないと思う。

 僕はC組まで行って教室の中を覗き込むと、珍しく奥村さんと酒巻君が立ち話をしているのが見えた。いや、珍しいかどうか実際のところはよく分からないのだが、あまり親しくはないと思っていたので、ちょっと意外だった。

 奥村さんは僕に気付くと、葛城さんに声を掛けてから二人でこっちへやって来る。そんな様子を僕は、酒巻君と目を合わせないようにしながら見ていた。


「渚ちゃんの衣装、完成したの?」


 別にC組の前を通らなくても、部室へは行ける。ただ、それを確認したかっただけだ。


「そう、これからお披露目」

「もう、定番になってるよね。ナレーション部なのに」

「いいんじゃない?私はコスプレをやりたくて入部したんだから」

「気付いてはいたけどね」


 部室に到着すると、僕ら以外の部員は全員揃っていた。お披露目の時は部員達が、扇状に座って鑑賞するのも定番だ。

 レニーの衣装の時は部室に鍵を掛けただけで普通に着替えていたが、今回はちょっとした空間に突っ張り棒でカーテンを設置して、簡易的なフィッティングルームを作っている。

 学校ではトランスジェンダーだからと言って、女子更衣室に入れる訳ではない。専用の更衣室が用意されていて、トイレも同様だ。

 葛城さんが入部したことで、部長である森本さんが学校側の方針に従い配慮したということだ。


「じゃん!」


 そんな掛け声と共に、フィッティングルームから奥村さんがカーテンを開けて登場した。パチパチと人数が少ないながらも、拍手の音が鳴り響く。


「茜、最高♡」

「再現度、高過ぎ!」


 そんな声が飛び交っていた。今回のコスプレは、奥村さんがやる茜がアニメの主人公だ。ストリートピアノの遠征に主眼を置いているから、一番目立つポジションを彼女がやるのは当然と言えば当然だろう。

 茜の制服は赤と紺のツートンカラーで、上着がスタンドカラーになっているのが特徴だ。前合わせを折り返したようなデザインで、左右に金ボタンが並んでいる。そして何よりも茜のコスプレだと分かりやすいのは、その左脚だろう。

 茜は幼い頃、テロによる爆発事故に巻き込まれて四肢を失い、両手両足が義手義足になっている。見た目は普通の手足と変わりはないのだが、激しいアクションで表皮が剥がれて機械的な内部が露出したりする。その表皮の一部が剥がれたメタリックな質感を、左脚の膝から下の辺りに再現しているのだ。


「それ、どうやって作ったの?」


 今回も造形物は藤堂さんの担当だ。間近でその出来栄えを確認している彼女に、僕は聞いてみた。


「タイツにエアブラシで、絵を描いてるだけよ。肌の色が透けてるから、色合いがイマイチね。描き直すから確認させて」


 そう言って藤堂さんは、スマホで写真を撮っている。


「莉音ちゃんのコスプレ衣装の、お披露目はないの?」

「そうだよ。カノンの時、見せてもらってないもん」


 二人の部員が、そんなことを言いながら僕の方を見ている。それを聞いて森本さんは慌てず騒がず、ゆっくりと立ち上がってキャリーバッグを開いた。


「莉音ちゃんの衣装も、ここにあるのよね」


 そう言って烈花の制服を取り出して、自分の前に広げて見せる。上下がセパレートになっているから上の部分だけだが、またパチパチと拍手の音がした。

 コスプレ衣装を持って帰るには、それなりのバッグが必要だ。カラオケボックスで衣装合わせをした時はサプライズだったから、僕はスマホや財布が入る程度のショルダーバッグしか持っていなかった。今日、衣装が入る大きさのバッグを用意して、受け取る予定だった。

 コスプレに直接関わっていない二人の部員も、桜井先生が持ち込んで来るボランティア的な活動を積極的にこなしてくれているお陰で、コスプレが出来ているという側面もある。部長の森本さんとしては、そんな部員の要望も初めから織り込み済みなんだろう。

 そんな森本さんの意図が分かっているから、僕は特に反論もせずに衣装を受け取ってフィッティングルームへと入った。カノンの時のゴスロリに比べれば、制服というだけでまだ気が楽だ。


「じゃん!」


 奥村さんの真似をして、そんな掛け声でフィッティングルームから出ると、黄色い声が飛んで来た。


「やだぁ、ずっと見てられる」

「ナレーション部に入ってて良かったぁ、幸せ♡」


 そして、もうタイツの確認が終わっている奥村さんと二人並んで、茜と烈花のヒロイン二人の組み合わせだ。


「きゃわいいいいっっ!」

「そこは、クソガキでしょ?」


 劇中で烈花は生意気なキャラクターなので、茜は事あるごとにクソガキと罵っている。家族を失って研究所の所長に引き取られた烈花は、それを喜んでいる節がある。


「だって、可愛いもん♡」


 そんなことよりも、僕には一つ気になったことがあった。森本さんのキャリーバッグにもう一着、コスプレ衣装が入っていたことだ。

 今迄、森本さんは部員達の前で衣装のお披露目をしたことはない。そもそも、こんなことをやり始めた切っ掛けは、彼女が僕のために作ってくれた衣装の出来栄えを確認するためだ。それ以前は一人でコスプレをやっていたから、わざわざ部室で確認をする必要などなかった。


「森本さんも、お披露目してくれるの?」

「あ、気付いた?」


 そう言って森本さんは、キャリーバッグの中からコスプレ衣装を取り出した。ただ、広げて皆に見せたりはせずに、両腕に抱えている。


「それじゃ着替えるから、ちょっと待っててくれる?」


 フィッティングルームへ入る森本さんを、部員達はただ呆然と見守っていた。確かに僕が初めて彼女を見た時、部室の片隅で一人黙々と衣装を作っていた。あの頃は衣装を見せてはくれたが、お披露目するという雰囲気ではなかった。


「森本さん、変わったね」

「莉音ちゃんと、渚ちゃんのお陰じゃない?」


 そんなことを部員達が呟いていると、シャッと音を立ててフィッティングルームのカーテンが開いた。そこには、男装をした森本さんが佇んでいる。

 黎明はテロリストだから特に目立つような格好はしていないが、コートのように裾が長い上着を着てポケットに両手を突っ込んでいるという印象が強い。そして、髪が長いままでは男装に見えないと思ったのか、短い髪のウィッグを被っている。髪が短ければ男に見えるというものではないが、男装の麗人という感じで格好良かった。


「きゃあぁぁ!森本さん、素敵♡」

「麗奈様、最高!」


 そんな黄色い声が飛び交っていた。

 森本さんは冷徹な表情を浮かべると、ジワジワと僕に近寄って来て左手をポケットから出して僕の肩に掛けた。


「やあ、お嬢ちゃん。こんな所に居たのか」


 普段よりも低い声で、僕の顔を見詰めながらそう言った。部員に対するサービス精神なんだろう。何の打ち合わせもしていないのに、寸劇が始まってしまった。

 森本さんが右手をポケットから出すと、その手には拳銃が握られている。勿論、本物ではないが、劇中で黎明が使っている拳銃と同じコンバットマスターだ。

 彼女は銃身の先端で、コツコツと僕の額を小突いた。


「お嬢ちゃんのここには、制御チップが入ってるんだろう?俺は、それが欲しいだけなんだよ」


 研究所襲撃事件の際に流出した人工生体は、再生医療のための技術だ。ただし、単独でそれを使っても生体が暴走して異形の生物へと変貌してしまう。それが人外だ。

 生体の暴走を抑えるためには、脳内に制御チップを埋め込む必要がある。しかし、その開発者は襲撃事件の最中さなかに研究データを全て消去し、本人も銃で撃たれて絶命してしまった。世界で唯一残された制御チップは、烈花の脳内に組み込まれている。烈花は人工生体によって身体を再生した被験体の第一号なのだ。

 新たに制御チップを作るためには、烈花の脳内からそれを取り出して解析しなければならない。しかし、制御チップを失った烈花は人外へと変貌してしまう。そんな葛藤を描いたアニメだ。

 森本さんが男装している姿を見ることが出来て嬉しい筈なのに、迫真の演技が災いしたのだろうか。何故か僕は中学のクラスメイトに性的な要求をされた時のことを思い出して、ジワッと目に涙が浮かんで来た。慌てて森本さんは素に戻り、僕の頭を抱きかかえるようにして自分の胸元に押し付けた。


「ああっ、ごめんね。調子に乗り過ぎちゃった」


 部員達の方に僕の背中を向けさせて、顔が見えないようにしている。とは言っても、こんな状態で何が起きているのかは想像できるだろう。


「今日はこれで部活は終わりにするから、みんな解散してくれる?」


 状況を察した部員達が立ち上がって、しずしずと部室を出て行く音が僕には聞こえていた。



 他の部員達が帰った後の部室で、僕はフィッティングルームに入り制服に着替えていた。部室の中には、まだ奥村さんと葛城さんが残っている。今し方までは藤堂さんも居た筈だが、いつの間にかその気配はなくなっている。

 そして、先に着替えが終わっていた森本さんは、先程のことを気にしているのか、カーテンの隙間から頭を突っ込んで中を覗いていた。何のためのフィッティングルームなんだろうか。


「大丈夫?莉音ちゃん、もう落ち着いた?」

「森本さんのせいじゃないよ。ちょっとした、トラウマだから」

「トラウマになるくらい、酷いことされたの?」

「優しかったクラスメイトが豹変した」

「それは本性を隠してただけよ。気をつけなきゃね」


 僕の方からは顔だけが見えている森本さんに対して、ふと思ったことがある。彼女と二人きりになれる状況は、なかなかないものだが、今なら向こう側に居る二人には見えていない筈だ。

 僕は森本さんの頭を両手で挟んで、顔の高さが釣り合うように少し下げた。そして、自分の方から顔を寄せて、チュッと軽くキスをする。この間のカラオケボックスで、思い切りキスをされた時のお返しと言うか仕返しのつもりだったが、さすがに舌まで入れるほど積極的にはなれない。

 今度は森本さんがカーテンの隙間から片手を入れて、僕の頭を引き寄せながら、チュッとキスをやり返された。自分が先にやったことなのに急に恥ずかしくなって、顔が火照るのを両手で押さえていた。

 着替えが終わってフィッティングルームを出ると、後から入る筈だった奥村さんがもう着替え終わっている。藤堂さんがタイツの絵を描き直すと言っていたから、本番に間に合うよう急いで脱がして行ったのだろう。


「どうしたの、莉音。顔が赤いよ」

「何でもない…」

「それで幸ちゃん、車の方は大丈夫なの?」


 森本さんが何事もなかったような顔で、葛城さんにそう聞いた。


「はい、姉の旦那さんがサービスエリアまで乗せて行ってくれるって。ストリートピアノがあるのは上り線だから、ちょっと遠回りになるけど」


 ストリートピアノの撮影を実行するために、着々と準備は進んでいる。

 葛城さんの実家から行ける範囲には何ヶ所かストリートピアノが設置されているのだが、高校生だけで行くなら駅にあるピアノが交通の便としては良いだろう。それでも、高速道路のサービスエリアの方へ行くのには、それなりにメリットがあるからだ。

 駅でコスプレをするには、近くに着替えが出来る場所を確保しなければならない。仮にそれが確保できたとしても、ピアノに辿り着くまでには入場券を買ってとストロークが長くなる。

 しかし、目的地がサービスエリアなら、初めから衣装に着替えて車に乗ってしまえば良いだけだ。後は駐車場からピアノまでは目と鼻の先だ。


「それじゃ、予定通りに決行するわよ。夏休み最後のイベントになるわね」


 妙な結束感を味わいながら、部室に残っていた僕らも荷物を片付けて解散する。コスプレ衣装で僕と奥村さんの荷物が増えた分、森本さんのキャリーバッグは軽くなって、カラカラと軽快な音を立てている。

 校舎を出ると表の通りで、森本さんは手を振りながら別の方向へと歩いて行った。


「莉音ちゃんと幸ちゃんは明日の朝、寮を出るの?」


 僕と奥村さんはコスプレ・リアル会議の時のように、ストリートピアノを決行する前日に前乗りして、葛城さんの家に泊めてもらうつもりだった。森本さんと藤堂さんは、当日に合流する予定だ。

 予定通りに事は運んでいるから、今晩は寮に泊まって明日の朝、出発することになっている。


「僕はもう実家に寄らないで、幸ちゃんの家へ直行するよ」

「じゃあ、駅で待ち合わせしようか。ちょっと寄りたい場所があるから、30分くらい繰り上げてくれる?」

「30分でいいの?じゃあ、9時半にね」


 寮の前までやって来ると、ここで奥村さんも手を振りながら駅の方向へと歩いて行った。

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