第29話 新作コスプレ衣装

 夏休みも中盤を過ぎると、やることがなくなる。そんな怠惰な日々を過ごしている中、僕は森本さんに呼び出されて、いつもの地方都市へとやって来た。

 奥村さんも一緒に来るということを聞いていたので、そのメンバーだとまたコスプレの話しだと思い、僕は内心ハラハラしていた。

 商業ビルの前にある巨大なマネキンが近付いて来ると、奥村さんが小刻みに手を振っているのが見える。そして、二人と合流すると、森本さんがキャリーバッグを持っていることで、更にハラハラが加速していた。


「可愛いアクセサリー、着けてるわね」


 普段はあまりアクセサリーを身に着けないのだが、せっかく市街地に出掛けるのだ。藤堂さんがプレゼントしてくれた、うさぎの形をしたペンダントを身に着けていた。


「これ、藤堂さんがプレゼントしてくれたから」

「あら、何のお祝い?」

「誕生日プレゼントだって。僕は早生まれだから、もう半年近く経ってるのにね」

「粋なことするわね。立ち話もなんだから、何処かへ入りましょうか」


 終始笑顔を絶やさぬまま、それでいて何処か表情が強張りながら、森本さんはキャリーバックを引いて歩いて行く。その後に、僕と奥村さんは付いて行った。


「莉音ちゃん、酒巻君と何かあった?」


 奥村さんと会うのは登校日以来だから、気になったとすればC組の教室で葛城さんと合流した時の、酒巻君に対する僕の余所余所よそよそしい態度だろう。


「ちょっとした行き違いかな」

「もしかして、酒巻君に告白されたとか?」

「それは、本人の名誉のために伏せておくよ」

「ふーん」


 奥村さんと近況を話しながら歩いていると、前を行く森本さんが向かっている道筋には覚えがあった。ストリートピアノをやった時に、更衣室代わりに使ったカラオケボックスへと向かう道だ。

 思った通り、あの時と同じカラオケボックスへ入ると、森本さんはノリの良い店長と話しをする。店長もユーチューブの動画を見ているのか、誉め言葉をいくつか並べてから受け付けを済ませた。

 三人で個室へ入ると、誰も歌おうとはせずに寛ぎ始める。森本さんもキャリーバッグを床に置いたまま、ソファーに腰を下ろしてから話しを始めた。


「莉音ちゃん、まずいことになってるわ」

「えっ、何?」

「ストリートピアノに続いてコスプレ・リアル会議と、この地方の動画が続いたから、私達がその辺りに住んでるんじゃないかってコメントがあるのよ」

「別にいいんじゃないの?素性がバレてる訳じゃないし」

「だから次は、別の地方のストリートピアノに遠征しようと思ってるの」

「凄い、こじつけ…」


 奥村さんが全国のストリートピアノへ行ってみたいなんて話していたから、森本さんがそれを断わる筈がない。コスプレの新作を人前で発表する場所なんてイベントくらいしかなかったのに、新しい世界の扉を開いてしまった。

 ここでようやく森本さんはキャリーバッグを開けて、中からコスプレ衣装を取り出した。予想はしていたものの、実際に衣装を見て僕は目眩がしそうになる。以前、奥村さんがフィギュアを見せてほしいと頼まれたと言う『人外戦線』に登場する、烈花の衣装だ。

 烈花は小中一貫教育の学校に通う小学生で、その学校の制服を見事に再現している。ミッション系のようなデザインで、丈の長いハイウエストのスカートが特徴だ。アニメでは激しい動きも多いので、ヒラヒラとスカートが舞っているのが印象に残っている。

 その小振りなサイズから、僕のために用意した物だということは明らかだ。今迄も子供のキャラクターばかりだったが、さすがに小学校の制服となると着るのは躊躇してしまう。


「材料の買い出しにも行ってないのに、どうして衣装が?」

「夏休みですることがなかったから、サプライズで作ったのよ」


 いや、他にすることはあるだろうとツッコミを入れたいところだが、僕も怠惰な生活を送っていたから、あまり人のことは言えない。


「完成してるのは、僕の衣装だけ?」

「夏休み中には残りの二着も完成させるつもりだから、新学期が始まる前には遠征に行けそうね」

「じゃあ、渚ちゃんが茜をやるとして、森本さんはどのキャラやるの?」

「私は黎明をやるわ」

「え…」


『人外戦線』は封鎖された地方都市に出現する人外と呼ばれる異形の生物と、テロリストから烈花を守ろうとする茜とを絡めたストーリーのアニメだ。

 茜は女子高生だからコスプレ衣装としては、烈花と同じように制服を作るのが妥当な線だろう。そのデザインも独特で、着れば茜のコスプレだとすぐに分かる筈だ。

 そして、黎明は都市封鎖の原因ともなった、研究所襲撃事件を引き起こしたテロリストのメンバーだ。実は異形の生物は人間の変異体で、研究所から流出した人工生体が原因になっている。

 テロリストだから、特に目立つような格好はしていない。一人でコスプレをしても、それが黎明だとは分からないだろう。しかし、茜や烈花と合わせることで、それが黎明だということはすぐに分かる筈だ。三人でコスプレをすることのメリットを上手く活用していると言えるだろう。

 肝心なのは、そのキャラクターが男性だということだ。森本さんがそのコスプレをするということは、男装をするということになる。


「それは、ちょっと見てみたいかも…」

「でしょう。私も莉音ちゃんが、この衣装を着てる姿が見たいのよ。合わない所があったら直すから、着てみてくれる?」

「う…そうだね…」


 コスプレも三作目になると、僕をその気にさせようと色々手を打って来る。美少女の男装なんて、見たくない筈がない。正に、お姉様の本領発揮だ。

 上手く乗せられて僕が衣装を受け取ると、森本さんはキャリーバッグの中から黒い布を取り出し、一枚を奥村さんに渡した。その布で奥村さんはドアの覗き窓を隠し、森本さんはソファーの上に立って監視カメラのレンズを隠す。ストリートピアノの時にもやった、着替えのための覗き対策だ。

 そんなことをすれば店員が飛んで来そうなものだが、前回にも一度やっているから、事前に交渉はしてあるのだろう。

 渋々、二人に背を向けて脱いだ服を軽く畳みながら、ソファーの上に置いて行く。更衣室でみんなが一緒に着替えているのとは違って、僕が一人だけ着替えるのを注視されるのは変な恥ずかしさがあった。

 前回のコスプレで細かく採寸しているから、今回の衣装のサイズも完璧だ。中に着ているブラウスだけは既製品のようだが、僕のサイズに合わせて買って来たのだろうか。

 着替えが終わって僕が振り向くと、二人は仰け反って歓喜している。


「きゃわいいいいっっ!」

「控えめに言って、最高だわ」


 小学校の制服を着せられて、大喜びされるのも何だか複雑な心境だ。でも、普段から学校では本来の性別とは違う制服を着ているのだから、そんな違和感もすっかり麻痺している。


「スカート長い制服って、新鮮だね」


 部屋の中には大きな鏡がないから、自分の目で衣装を確認する。体を捻る度に長めのスカートが、ヒラヒラと舞っていた。


「ねえ、莉音ちゃん。ご褒美のこと、忘れてないわよね」


 ふと気付くと、森本さんが目の前まで迫っている。彼女は両手を伸ばして、僕の両肩に手を掛けた。


「覚えてるけど、誰も居ない所でって…」

「そんなことを言ってる間に、夏休みが半分終わっちゃったじゃない。いつまで待たせるつもりなの?」


 そう言いながらも、森本さんの顔がどんどん近付いて来る。


「見てる、見てる、渚ちゃんが見てる!」

「私のことは気にしないで、そっちの方面には理解があるから。あ、莉音ちゃんは男の子だから、これで正常なのか」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

「わーっ!」


 森本さんは両手で僕の頭を挟むようにしてガッチリと固定すると、綺麗な顔が迫って来てブチュっと思い切りキスをされた。しかも、今度はディープキスだ。彼女の舌が口の中に入って来て、僕の舌と絡み合う。延々とそれが続き、僕は腰が抜けそうになる。

 尻餅をつくようにソファーに腰を下ろしても、森本さんはソファーに片膝を突いて、僕を離そうとはしない。格闘技で負けを認めた時のように彼女の背中をタップすると、ようやく僕を離してくれた。


「莉音ちゃんが、そんなアクセサリー着けて来るから」


 ソファーにドップリと腰を沈めたまま、放心状態の僕を見ながら奥村さんがそう言った。

 ふと我に返ると、僕は視線だけ動かして森本さんの方を見た。藤堂さんと森本さんの間に、変なライバル意識があることは知っていた。でも、藤堂さんならともかく、森本さんは頭の回転が早くて落ち着いた感じの人だから、そんな感情論とは無縁だと思っていた。


「お願いがあるんだけど」

「私に出来ることなら」

「頭、撫でてくれる?」


 ソファーに片膝を突いたままの森本さんは、クスッと笑って僕の頭を撫でてくれた。


「何か嫌なことでもあったの?」

「僕はただ男友達が欲しかっただけなのに、思わせぶりなことをして、人の心を弄んじゃったのかなって。自分のことを可愛いとか思って、最低だよね」

「男って勘違いをする生き物だから、莉音ちゃんは悪くないわよ」


 森本さんは僕の頭を抱きかかえるようにして、そっと抱き締めたまま頭を撫でてくれていた。


「僕が森本さんのことを好きになったら、もう友達では居られなくなるのかな」

「私はずっと、莉音ちゃんのことを好きなんだけどな」

「うん…知ってた」


 何事もなかったように平然としている。それが森本さんの優しさなのかなと思いながら、僕は彼女に抱きかかえられたまま、その胸に顔を埋めていた。



 僕が自前の私服にもう一度着替えてから、カラオケボックスを出て行った。店を出る時には店長から、またストリートピアノをやるなら、いつでも協力するからと声を掛けられた。

 そこから地下鉄に乗って、いつもの手芸専門店へと移動する。勿論、奥村さんが着ることになる、茜の衣装の材料を買うためだ。森本さんがやる黎明は特に目立つような衣装ではないから、今回はアルテミスの衣装を作った時のように既製品の洋服を改造するそうだ。


「僕の衣装を作るのに掛かった費用、全額払うよ」


 奥村さんがレジで会計をする様子を見ていて、僕の衣装にも同等の費用が掛かっているんだろうなと思っていた。

 森本さんが作るコスプレ衣装は、構造的には市販の洋服と何ら変わりはなく、ご丁寧に裏地まで付いているしポケットも飾りではなくちゃんと機能している。葛城さんに手伝ってもらった時に、洋裁の経験はあるかと聞いていたのはそのためだろう。

 それだけ時間も労力も掛かっているのだから、申し訳ないような気がしていた。


「莉音ちゃんの了承を得てないのに、私が勝手に作ったんだから気にしなくていいわよ。この次は渚ちゃんの衣装をサプライズで用意するから、どんな顔するか二人で楽しみましょう」


 またこの次も、三人でコスプレをするということか。本当に森本さんは、あの手この手で僕を上手く乗せようとする。ある意味、気持ちを見透かされているようだ。


「何処のストリートピアノに遠征するのか、もう決めてるの?」


 エスカレーターで階を下りながら質問した。奥村さんは一番前に居て、今日買った材料を折り畳みのボストンバッグに詰めて肩から下げている。僕は一番後ろで、森本さんは上半身を捻って話しを聞いていた。


「それは、まだ決めてないわね。最初から遠路遥々っていうのも大変そうだから、近場の方がいいとは思ってるけど」

「静岡に行ってみたいんだよね。幸ちゃんの地元だから、実家にも寄ってみたいし」


 ストリートピアノが設置してある場所について、一番詳しいのは奥村さんだ。遠征の話し自体が彼女の発案だから、動画のコメントをチェックしたり、ネットで調べたりしているのだろう。

 一階まで下りて来ると一旦、立ち止まって奥村さんは嬉しそうに話しをする。


「静岡って有名な楽器メーカーがあるせいか、ストリートピアノって結構多いんだよね。移動距離を考えると、浜松がいいと思うんだけど」

「浜松なら、幸ちゃんの実家も近いかな」

「浜松と言えば、高速道路のサービスエリアにトランスアコースティックのピアノがあってね。普通のグランドピアノとしても使えるんだけど、スイッチひとつで打弦機構を逃して…」


 いけない、何かのスイッチが入ってしまったようだ。慌てず騒がず森本さんが、彼女の肩を持って出口へと誘導して行く。


「渚ちゃん、甘い物でも食べに行こうか」


 そんな様子を見ながら、僕は二人の後を追うようにして付いて行く。


「渚ちゃんて、多趣味だよねえ」

「ほんと、自分に自身を持ちたいとか言ってるけど、誰よりも才能を持ってるのにね」


 それに対して、奥村さんの答えは


「私がどんなに努力しても手に入らないものを、森本さんも莉音ちゃんも持ってるじゃない」


 ということだ。

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