第28話 違和感のない日常

 登校日と言っても、特に変わったことをする訳ではない。講堂に生徒が集められて、長期の休みだから、犯罪などに巻き込まれないようにと注意を促される。そして教室へ戻り、ホームルームをやって終わりだ。

 何のための登校日なのかよく分からないが、クラス委員の相原さんによると、生活リズムを取り戻す切っ掛けとしてやっているそうだ。

 確かに葛城さんは酒巻君の家で朝まで起きていたこともあって、寮で夕食を食べた後は爆睡していた。まあ、生活リズムが崩れたのは僕のせいかもしれないが、酒巻君との関係のことを気にしていたから、よく眠れて良かったかもしれない。


「莉音、ツーショット写真、撮ろう」


 久し振りに会った相原さんに、席に着いたまま言われた。もう他の生徒は帰り始めているのに、彼女はスマホを取り出して落ち着いたものだ。


「そう言えば美咲ちゃんとは、まだ撮ってなかったね。そういうの、興味ないかと思ってたよ」

「うちのお兄ちゃんがアニヲタで『魔法少女が惨殺する』も全話見てるからね。莉音の写真を見せてみろって煩いのよ」

「え、なんで僕が、そのアニメと関係あるの?」

「とぼけても無駄よ。ユーチューブの動画で、カノンのコスプレしてるのが莉音だってことは分かってるんだから」

「う…」


『魔法少女が惨殺する』は、とにかく衣装のバリエーションが豊富で、コスプレ向きのアニメだと言える。ただし、デザインに凝り過ぎたために、自作するにはハードルが高いということだ。完成品もコスプレショップで売っているそうだが、ゼロの数が他の衣装とは違うらしい。

 実際、ネットで見掛けるこのアニメのコスプレは、巷では有名なコスプレイヤーばかりだ。そんな衣装を森本さんは三着も作ってしまうのだから、色んな意味で凄い人だと思う。その情熱をもっと、違う方向へ向けられたらと親なら思う筈だ。コスプレを快く思われていないのは、そういうことなんだと思う。

 だから、森本さんがアップロードした動画が、アニメヲタクの目に留まってしまうのは必然だと言える。


「アニヲタなら、コスプレ写真でしょ。何で素の写真なんだよ」

「この子は友達だって言っても、お兄ちゃんが信じないからよ。証拠を見せ付けて、マウント取りたいでしょう」

「普通のJKと友達で、何でマウントが?」

「莉音は男心が、分かってないわね。あわよくばとか、機会があればとか考えてるのよ」

「へえ、男って単純だね…」


 相原さんと写真を撮ること自体は嫌じゃない。インカメラの方で自撮りをすると画素が荒くなるからか、教室をうろうろしていた廣田さんを呼んで撮影を頼んだ。

 相原さんは僕の肩に腕を回し、思い切り顔を寄せながらポーズを決める。そんな僕らを見て廣田さんは、


「私も一緒に写りたいんだけど」


 そう言って、相原さんと交代する。廣田さんにも思い切り顔を寄せられながら撮影していると、教室の出入口に藤堂さんと新居さんの姿があった。

 今日は葛城さんも含めて四人で昼食を食べに行く約束をしていたから、教室まで迎えに来てくれたのだ。


「それじゃ、また暫く会えないけど元気でね」

「莉音も元気でね」


 そんな挨拶を交わしてから、僕は鞄を持って出入口の所まで行って二人と合流する。そのまま廊下を歩いて行き、葛城さんが居るC組の教室へと向かった。


「森本さんから、何か連絡あった?」

「ん…ご褒美のこと、忘れてないかって」

「ああ、まだチューしてないんだ」


 葛城さんがナレーション部へ入部した時に、森本さんが言っていたことだ。藤堂さんの男嫌いが原因だから、文句を言える立場ではないと思っているのだろうか。

 既に三回もキスをされているのだが、森本さんの方から迫って来たことだ。でも、ご褒美と言うくらいだから、今度は僕の方からキスをしなければいけないのだろうか。コスプレ・リアル会議が終わるまでは、そっちの方に意識が向いていて、そのことはすっかり忘れていた。


「どんな顔して、森本さんと向き合えばいいんだろ」

「ふふっ、先に約束しといて良かったわ。私にもまだチャンスが」

「なんか、また心の声が聞こえて来たけど」


 C組の教室まで来ると、僕が出入口から覗き込んで葛城さんを探す。教室の中には生徒が10人くらい残っていて、その中に奥村さんと立ち話をする葛城さんの姿もあった。

 奥村さんには今日の予定を話してあったのか、僕らに気付くと二人は手を触り合って、葛城さんだけがこっちへやって来た。

 そして、教室の中には酒巻君も居て、同じように僕には気付いている。こっちを見て何か言いたそうだったが、僕は軽く会釈をしただけですぐに視線を逸らした。


「このまま行くの?私、臭ってない?」


 昨晩、葛城さんは夕食の後にすぐ寝てしまったから、お風呂には入っていない。そのことを気にしているようだ。


「一日くらいで臭わないでしょ」

「なら、いいんだけど」


 少し恥ずかしそうにしている葛城さんは、普段と変わりない様子だ。昨日は底が抜けそうなくらい落ち込んでいたのに、一日過ぎればこんな感じだ。

 内心は色々と思うところがあるんだろうけど、暗い顔をしていても僕が喜ばないことを彼女自身がよく知っている。僕が関わらなくなっても、酒巻君とは宜しくやってほしいなと思っていた。



 昼食は商業施設の中にあるフードコートで、ハンバーガーを食べていた。名門校に通うお嬢様でも、昼食はこんなものだ。

 フードコートを選んだのは、藤堂さんがスマホのOSのバージョンアップをダウンロードするのに、大容量だからフリー wi-fi のある場所へ行きたかったという事情がある。それに、まだ夏休み中だから明日には実家へ帰ることになっている。ついでに買い物をしておけば、効率良く時間が使える。


「ねえ、莉音ちゃん。もう一日寮に居て、みんなでプール行かない?」

「行かない。日焼けすると、赤くなるから」

「そっか…莉音ちゃん、色白だもんね。水着姿、見たかったな」

「藤堂さんの『好き』の基準が、よく分かんないんだけどな。森本さんは、もっと分かりやすいのに」

「そうね。小柄で華奢で育ちが良さそうで、頼りないのに強がってる感じの子かな。私が一緒に居てあげないと、壊れてしまいそうな雰囲気がたまらないわ」

「すっごい、ピンポイント」

「寮の食堂で始めて莉音ちゃんを見た時に、お人形さんみたいだって心の中で叫んでたのよ」

「しっかり、声に出てたよ」

「もう可愛くて、見ているだけで幸せだったわ」

「思い切り触られたけどね」


 そんなことを言いながら、僕は新居さんの方に視線を向けた。彼女は藤堂さんよりも背が高いし、物怖じしないハキハキとしたタイプの人だ。多分、藤堂さんの好みには何一つ当てはまっていないだろう。


「私は全然、そんなキャラじゃないでしょう?だから部屋決めの時に頭数が合わなくて、私に話しが来たのよ」

「ふーん、本当に新居さんはノンケなんだ」

「えっ、疑ってたの?」

「だって、僕と一緒に寝たいって言うから」

「私、妹が居るから、そういうことに抵抗がないのよ。莉音ちゃん見てたら、妹と重なっちゃって」

「妹さん、何歳?」

「今年から中学生だけど」

「あ…ショックを隠し切れない…」


 男女が同じ部屋に住んでいたとしても、必ずしも恋愛関係になるとは限らないだろう。同性愛者だって、全ての同性が恋愛対象だという訳ではない。その理屈で行けば、酒巻君が僕に恋愛感情さえ持っていなければ、仲の良い友達になれたのかもしれない。でも、今更どうにかなる話しではないだろう。


「あ、終わった」


 テーブルの上に置いてあるスマホを覗き込んで、藤堂さんがそう言った。もう、OSの更新も終わって再起動もしたようだ。彼女はスマホを手に取り動作を確認してから、スリープ状態にして鞄の中へ仕舞った。

 もう、みんな食べ終わっているから、後は僕がシェイクを飲み干すのを待っている。急いでシェイクを吸い込んでから、話しを切り出した。


「ちょっと買いたい物があるんだけど、付き合ってくれる?」

「構わないけど、何買うの?」

「もうすぐお母さんの誕生日だから、プレゼント買いたいんだよね」

「え、そうなの?」


 今まで聞き手だった葛城さんが、少し大きめのリアクションをした。お母さんとは面識がある葛城さんから意見を聞きたくて、彼女の方を見ながら話しを続ける。


「この辺りだと、やっぱり真珠かな。なんか高そうだけど」

「この前コスプレで、凄く高そうなブーツ買ってなかった?」

「カードで買い物すると、お母さんに通知が行くからね。プレゼントを買うのに、それはどうかと思って」

「それじゃ、ペンダントかピアスかな。真珠の数が少ないから、何とかなるんじゃない?」


 そう言えば、お母さんはピアスの穴を空けていた。そういうことに気が付くのが、女子力の差だろうか。日増しに僕が女の子らしくなって行くのも、葛城さんのお陰かもしれない。


「アクセサリーショップ、あったわね。行ってみる?」


 藤堂さんがそう言うと、頷いた僕を見てみんなが一斉に立ち上がった。そして、食べ終わった後のゴミを一つにまとめると、トレイを重ねて葛城さんがゴミ箱へと持って行く。片付けが終わると、みんなでフードコートを出て行った。



 それほど大きくはない商業施設でも、アクセサリーショップがある。休日にはファミリーが訪れるような場所だから、どちらかと言えばファンシーな商品が並んでいる。それでも、真珠養殖が盛んな地域だけに、真珠のペンダントやピアスも販売されていた。

 似たような物でも、値段には随分と差がある。その違いがよく分からないのだが、手持ちの分で何とかなりそうなので、ひとまずは安心した。

 僕が葛城さんの意見を聞きながらピアスを選んでいる横で、藤堂さんと新居さんは別のアクセサリーを見ている。一緒にプレゼントを選んでくれるつもりはないらしい。


「見てこれ、真珠がうさぎの形になってる」


 そんな声が聞こえて来たので横から覗いてみると、真珠のペンダントトップに、うさぎの耳の細工が施してある。顔がある訳ではないのに、ちゃんとうさぎに見えるのが可愛い。


「ところで、莉音ちゃんの誕生日っていつ?」

「3月30日だけど」

「えっ、もう過ぎちゃってるじゃない」

「いや、まだ来てないって言う方が正しいと思うけど」

「誕生日が春休み中だと、プレゼント渡すのを躊躇されそうね」

「僕にプレゼントをくれる人なんて、両親か幼馴染みくらいしか居ないから関係ないよ」


 藤堂さんは少し、怪訝な表情をする。もしも誕生日が近かったら、僕にプレゼントしてくれるつもりだったのだろうか。そんなことは期待していないように聞こえたのかもしれない。

 僕が真珠のピアスを買ってプレゼント用に包装してもらっている間に、藤堂さんも店員を呼んで、うさぎの形をしたペンダントを買っていた。

 プレゼント用の包装を断っていたから、よほど気に入ったんだなとその時は思っていた。でも、ショップを出てすぐに藤堂さんは、簡易な包装紙に包まれたペンダントケースを僕に渡してくれた。


「これ、誕生日プレゼントだから」

「え、まだ半年以上先なんだけど」

「来年の分はまたプレゼントするから、これは今年の分。別に変な下心がある訳じゃないから、素直に受け取りなさいよ」


 僕にプレゼントをくれる人が居ないと言ったことが気に入らなかったのだろうか。いつか半陰陽の話しをした時も、僕がセクハラやイジメを受けていたことを聞いて目に涙を溜めていた。雑な感じもしなくはないが、本当は彼女が優しい人だということは知っている。

 通路の邪魔にならない所で立ち止まり、僕は包装を開けてケースからうさぎの形をしたペンダントを取り出した。


「付けてくれる?」


 藤堂さんにペンダントを渡すと、僕は自分の髪を両手でまとめてから、片手で掴んで前に持って来る。後ろから藤堂さんがチェーンを回して、留め金を留めてくれた。制服を着ているから、うさぎの形のペンダントトップはネクタイの上に乗っていた。


「遅くなったけど、お誕生日おめでとう」

「ありがとう。大切にするよ」


 通路でそんなことをやっていたから、葛城さんと新居さんが両サイドに立って、通行人がぶつからないように気を配ってくれていた。


 * * *


 地元へ帰って来た僕は、駅までお母さんに迎えに来てもらった。

 家の中へ入るとすぐに、玄関先へ荷物を置いてリュックを開ける。手土産に赤福をリクエストされていたから、それを出していると思ったのだろう。お母さんは期待の眼差しで、受け取る気満々だ。でも、僕が取り出したのは、小さなプレセントの包みだった。


「お母さん、これ誕生日プレゼント」

「えぇぇ!」


 満面の笑みでプレゼントを受け取ると、お母さんは


「開けてもいい?」


 そう言った。これは、プレゼントを受け取る時のセオリーなんだろう。

 玄関先で立ったまま、お母さんはプレゼントの包みを開けると、小さなケースに入った真珠のピアスを見て更に嬉しそうな表情になる。


「ありがとう」


 ケースを持ったままのお母さんに僕は思い切り抱きしめられて、その胸に顔を埋めていた。

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