聖女

竹神チエ

護衛騎士エドは聖女を守り続ける

 わたしの名前はエド。

 この国に唯一存在する聖女の護衛騎士をしている。


「感謝します、聖女さま」


 少年の母親が頭を下げる。聖女ルドベキアが視力を取り戻してやったからだ。


 彼女が手をかざせば白濁していた瞳ですら一瞬で青く澄んでいく。見守っていた周囲から感嘆の声があがる。いつもの光景、いつものどよめき。彼らはいつだって奇跡を喜び、飽きることなく求め続ける。


 一方で少年は戸惑うように集まった人々に視線をさ迷わせ、聖女ルドベキアを怯えた顔をして見上げた。それから母親の袖にしがみつくと頬をすりつける。彼はわたしと目が合うとさらに恐怖を覚えたらしく、ぎゅっと目を閉じてしまった。


「ああ、聖女さま」

「素晴らしい、聖女さま」


 聖女ルドベキアの伏し目がちな微笑。

 人々は「慈愛に満ちている」と賛辞を送る。


 けれどもわたしは知っている。

 聖女はもう瞼を開けているのもつらいのだ。


 あなたは休みたくてこの場から引き揚げようとしている。小さな窓がひとつだけある、あの部屋。陽だまりを作るベッドに戻ろう。そうして横たわるあなたのそばにわたしは跪く。あなたの静寂を乱さないようにしながら、呼吸を殺して見守ろう。


「聖女さま、お待ちください」

「帰らないで」

「この者の病も治してください」


 この場に集まる誰よりも。

 あの咳が止まらない老婆より、あの火傷を負った若者より。


 あなたは弱っている。


 枯れ木を手折るように、あなたのそのやせ細った腕は容易く折れてしまいそうだ。そんな身体をあなたは修道女の衣服で覆う。その布地の重みですら、あなたにはもう苦痛だろう。けれども被るベールがあなたの浮き出た頬骨を隠す。


 ゆっくりした足取りの聖女を人々は尊敬の眼差しで見守る。


 後ろに従うわたしは、いつでもあなたを支えられるよう手をわずかに差し伸べている。糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちるさまを容易に想像できるその背を見ていると、わたしは今すぐ抱きあげてあなたをさらって行きたくなる。


「聖女さま、お助けください」


 けれどもいつだって邪魔が入る。わたしたちは立ち止まる。


 路をさげぎったその男はあなたに腕を突き出して見せた。赤く腫れているその筋肉質な腕をあなたは優しくさする。赤みが消えた腕に男は喜び叫ぶ。


「感謝します、聖女さま」


 ルドベキア。あなたが許すなら。

 今すぐこの剣であの男の首をはねよう。


 男の後ろからただあなたに触れたいというだけで手を必死に伸ばすあの女も、その傍らにある籠に眠る赤子であっても。この場を血で染め、わたしたちだけが生き残ろう。そうできたらどんなに嬉しかろう。


 しかし血を見せるのはわたしの剣でも、あの者たちでもない。

 あなただ、ルドベキア。


 戻った部屋で。ベッドにたどり着くまでもなく。


 吐血するあなた。


 鮮血が聖女の手のひらから溢れ、か細い腕に赤い筋と垂らす。


 あなたが昔刺繍したハンカチでその腕と手と唇を拭う。

 支える腕に寄りかかるこの軽い体。この虚しさよ。


 わたしはいまだ慣れることのない感情に、いっそわたしの手であなたの首を締めあげてしまおうかと考える。魅力的な誘惑。そんな衝動の波打ち際にいつもわたしは立ち尽くし行き先を見失うのだ。


 聖女は神聖力で病を治す。誰もが知っている。

 だから聖女は愛される。


 けれどもあなたの命が犠牲になるのだ。聖女は長く生きられない。限りある神聖力を使い果たすとその命も終わるから。ルドベキア。あなたの終わりが近づいている。


「エド」


 あなたはわたしを呼んだ。風のささやきのようなその声を捕まえようと、わたしはその吐息に顔を寄せる。


「あと三日持つかどうか。ダンデリオンが咲くのは見られないわね」


 そして。


 三日後。聖女ルドベキアは死んだ。


 修道院の前に広がる草地にダンデリオンの黄色い花が咲いたのは、その二十日後だった。


 ——幾年か昔。


「わたしたちは前世でよほどの悪人だったのでしょうね。だからこんな人生を送る」


 わたしが我慢できず吐き出した言葉に、あなたは微笑んだ。


「そうね。きっとそうだわ」


 神よ。我らの罪状をお教えください。

 わたしたちは何の罪を犯したのでしょう。


 けれど答えはなく。問うことしかわたしはできない。

 そしてあなたは問うことすらやめてしまったのだ。 


 春風が暖かく丘を駆けていく。

 わたしはダンデリオンで花冠を編み、聖女の名を刻む真新しい墓石にたむけた。


「さようなら、ルドベキア」


 わたしは聖女の護衛騎士だ。新たな聖女が見つかるのを待つ。


 聖女はこの世界にひとりしか存在しない。

 消えてはまた現れる。その繰り返しだ。


 わたしはずっとエドであり、ずっと聖女の護衛騎士である。

 人々はわたしのことを恐れる。

 わたしは年を取らない。ずっと、この姿を維持している。


 新たな聖女が見つかった。

 聖女ルドベキアが去って五か月が経っていた。


 今回は聖女の不在が短く終わったと人々は安堵している。

 わたしは彼女を迎えに行かねばならない。新たな護衛を続けるために。


 聖女はある日突然、その力に目覚める。


 多くは十代でその力に気づく。そして神聖力が尽きるまで人々に尽くす。記録によると最長で十五年、最短で二年。ルドベキアは七年の聖女生活だった。


 わたしは聖女が何者かに独占されないように守るのが務めだ。さらわれないように守るのが務めだ。そのために護衛騎士エドは存在している。変わらぬ姿のまま、聖女のそばに居続ける。


 聖女は王のためにいるのではない。教会の所有物でもない。

 聖女は皆のものなのだ。すべての者たちに献身を。

 わたしは人々が聖女を食いつぶすのを見届けるのが務めだ。


 新しい聖女が待つ修道院の門をくぐった。修道士がわたしを祭壇まで案内する。棺に横たわる女は十二歳でこの世から去ったそうだ。高貴な娘だったらしい。ブロンドの髪が美しい子だ。


「お迎えにあがりました、聖女さま」


 ゆっくり瞼が開く。棺の中で目覚めた少女はイエローの瞳をしていた。ダンデリオン。彼女はわたしを見上げ、微笑む。


「今回の名前はなあに?」

「聖女ダリアさまです」

「ダリア。可愛い名前ね」


 あなたは棺から元気よく飛び出して陽が差す外まで走っていく。

 そのからだは健康だ。まだ、健康だ。


 聖女に選ばれた死体は腐らず、どんな病で死のうが、どんな怪我で死のうが、健康な姿に回復する。それが聖女が宿ったしるしだからである。わたしは知らせを受けるとこうして迎えに来て、あなたを目覚めさせる。


「ダリアは何年生きるかしら?」


 澄み切った青い空をダンデリオンの瞳で見上げ、ブロンドの髪をなびかせて。あなたはぽつり、つぶやく。


 ダリアが授かった神聖力はどれほどだろう。人々は何年、彼女を貪るだろう。


 わたしは護衛騎士だ。誰かが独占しないよう、聖女を守り続ける。この世で誰よりもあなたを独占したがっているのはわたしだというのに。


 この役目はずっとわたしが勤める。


「エド。またよろしくね」


 聖女あなたは死に、聖女あなたは戻ってくる。

 何年も、何十年も、何百年も。

 この輪廻が終わる日を、わたしたちは知らない。

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聖女 竹神チエ @chokorabonbon

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