十六話

 昼食を終えた後、休憩時間が終わるまで部屋で休んでたあたしは、机にあった帳簿をぺらぺらと確認した。もちろん個人的な帳簿だ。ここには毎月の支出と給料を書いてる。今年に入ってから書き始めたものだ。


 便利屋セビンケルに来て、もう一年が過ぎた。リベカさんとシモンさんは何も変わらず、時々口喧嘩しては仲直りしての毎日だけど、あたしはちょっと変わったかもしれない。見た目じゃなく、意識がだ。これまでは言われた依頼をこなすばかりだったけど、今は自分から積極的に出来そうだったり、手伝えそうな依頼を聞いては出かけてる。さすがに危険が伴う依頼だけはまだ出来ないけど、でもそれもいつかはこなせるよう、シモンさんに簡単な体術を教わったりもしてる。運動は得意だし好きだから、意外に楽しく学べてる。シモンさんのほうはちょっと面倒くさそうではあるけど。


「……もうそろそろかな」


 帳簿の数字は順調に増えてる。節約を意識した成果だ。ここに来てから考えてたことだけど、このままずっとリベカさん達の世話になるわけにもいかず、あたしは貰った給料を貯めて部屋を借りようと思ってる。同じ西地区内でいい部屋はないか暇を見ては探しにも行ってる。上手く行けば半年後ぐらいには引っ越しが出来るだろう。いつまでも二人の善意に甘えちゃいけないし、恋人同士の時間も邪魔したくない。それを知りながら住まわせてもらうのは野暮ってもんだ。


 あたしは帳簿を閉じて部屋を出た。一階へ向かいながら午後の仕事の予定を考える。午前中は届け物の依頼とお使いに行ったから、午後は書類整理から始めて、その後は――


「あ、来た来た。ミリアム、ちょっといい?」


 階段を下りると、あたしを見たリベカさんが何かを手にして歩み寄って来た。


「何ですか?」


「ミリアムが外に出てる時に来た依頼なんだけどね。これ、届けてほしいって」


 そう言ってリベカさんは持ってた小包を手渡した。綺麗に包装された軽い箱みたいだ。誰かへの贈り物だろうか。


「どこへ届けるんですか?」


「ミューベン養護院の、アロン・カーネマン……つまり弟君よ」


「え……」


 思わず手元の箱を見下ろした。……アロンに、届け物? 養護院の外にアロンへ何かを送るような人物なんていたかな。


「……あの、依頼主は誰なんですか?」


「個人名は明かさなかったけど、ルメディオの者だって言ってた」


 ルメディオ……まさか……。


「しかも必ずミリアムに届けさせてほしいってご指名だった。何か怪しい気もしたし、断ろうかとも思ったんだけど、羽振りがよかったから、つい引き受けちゃったんだけど……どうする?」


 リベカさんに聞かれて、あたしはすぐに首を縦に振った。


「はい。あたしが届けます」


「でも、ミリアムを指名なんて怪しすぎない? もし危ない依頼だったら後悔しきれないし。やっぱり断ったほうがいいかな。それとも私が代わりに行って――」


「そんなに心配しないでください。多分危険はないと思います」


「随分前向きなのね。別に私に気を遣わなくていいよ?」


「そんなんじゃないですから。それに、仕事を理由にアロンにも会いに行けますし、この箱の中身も気になりますから」


「そう? 本当に届けに行く?」


「はい」


 あたしの返事にリベカさんはしばらく考え込んでから言った。


「……じゃ、任せようかな」


「任せてください。すぐに行って来ます」


「念のため、誰かにつけられてないかとか、用心してね」


 頷きを返してあたしは玄関へ向かう。ルメディオでアロンと関わりがある人物はたった一人しかいない。しかもあたしを指名しての依頼なんて、間違いない。でも一体、アロンにわざわざ何を贈るんだろう……。


「戻ったぞ……っと、ミリアムか」


 目の前で扉が開くと、外からシモンさんが帰って来た。


「ん? 荷物持ってどっか出かけんのか?」


「依頼で、届け物です」


「そうか。この後、少し手伝ってもらおうかと思ってたんだが……まあ、別の時でもいいか」


「今日の仕事が終わったら、また体術、教えてくれますか?」


 聞くと、シモンさんはあからさまに渋い顔をした。


「顔合わせると、最近はそればっかだな。まあ、その向上心はいいけどよ……」


「それじゃあお願いしますね」


「へえへえ……」


 やる気のなさそうな返事と顔に見送られて、あたしは出発した。


 アロンとは毎週一回必ず会ってて、今週も面会に行く予定だ。だから久しぶりに会うわけじゃないし、仕事で行っても普段と変わらないんだけど、それでも会えるのは嬉しい。たとえ会話が上手く出来なくても、先週より言葉が増えたなとか、表情が明るくなったなとか、小さな変化を見つけられることに幸せを感じる。もちろん状態が悪い日もあるけど、アロンは頑張って苦しみを乗り越えて、前に進もうとしてる。あたしはそれを家族として、最後まで見守っていくつもりだ。


「あら、カーネマンさん。今日は弟さんとの面会日ではなかったと思いますけど」


 養護院に入ると、もう顔馴染みになった女性職員が出迎えた。


「今日は便利屋の仕事で来ました。アロンに届け物があって」


「そう言えばカーネマンさんは便利屋で働いてたんでしたね。弟さんにお届け物なら、少し会って行かれますか?」


「大丈夫ですか? 今日のアロンの状態は……」


「ええ、落ち着いてますよ。近いうちにまた外出許可も出せるでしょう。お時間があればぜひどうぞ」


「ありがとうございます。じゃあ……」


 あたしは通い慣れた通路を進んで、アロンの部屋に直行した。壁にかかった名札を確認して、驚かせないよう扉を優しく叩く。


「……アロン、調子どう?」


 静かに開けて中を見ると、アロンはベッドじゃなく椅子に座って外を眺めてた。この部屋は一人部屋だから広くはないけど、大きな窓があって光が多く入るから、晴れた日はいつも明るい。外は養護院の庭しか見えないけど、手入れが行き届いた緑の庭はそれなりに綺麗な眺めだと思う。


 アロンの側に行って、あたしはその目の前の机に箱をそっと置いた。


「これ、アロンへの届け物だよ。あたしが開けてもいい?」


 無表情のアロンは箱を見つめると、次にあたしを見上げて口をもごもごと動かした。


「……一緒に開ける?」


 これにアロンは小さく頷く。この箱には興味があるみたいだ。手を伸ばしたアロンを手伝うように、あたしはゆっくり包装を取っていく。すると中からは彫刻で模様が施された小さな木箱が出てきた。表面には樹脂が塗られてるのか、つやつやと光ってる。市販の小物入れみたいだ。


「アロン、蓋、開けてみて」


 促すと、アロンは蓋に手をかけて、鈍い動きで開けた。


「何が入ってるかな……」


 あたしは横からのぞき込む。と、見えた物に一瞬驚いた。生きたトンボが贈り物――かと思ったら、それは精巧な模型だった。大きさは手のひらに乗る実物大で、木や金属を組み合わせて作られてる。線のような細い脚、複雑な色の目、忠実に再現された腹部の模様……でも何より、二対の透き通った羽は美しくて、一体どうやって作られたのか知りたくもある。これはまさに芸術で、美術品と言ってもいい出来だ。


「トンボ……!」


 そう呟いたアロンの目が、瞬く間に輝くのがわかった。トンボの腹部をそっとつまむと、アロンは箱から取り出してまじまじと見つめる。


「……かっこいい……」


 無表情だった顔に、うっすらと笑顔が浮かんだ。アロンが大好きな昆虫。中でも好きなのがトンボだ。それを知って、こんな素晴らしい物を贈ろうと考えた依頼主は、やっぱり一人しかいない。彼は昔アロンと遊ぶ中で虫取りも頻繁にやってた。そこでアロンがトンボを大好きだと当然知ってたはず。だからこれをアロンにあげようと……。


「よかったね、アロン」


 手元のトンボを見つめながら、アロンはゆっくり頷いた。こんなにきらきらした表情になるのは、事件以来初めてかもしれない。でもどうして今、これを贈ろうと思ったのか。あたしがアロンのことを教えて、ずっと気にしてくれてたんだろうか。


 箱を片付けようと手を伸ばした時、その中にまだ何かが入ってることに気付いてあたしはのぞいた。箱の隅、白い紙で丁寧に包まれた小さな物がある。手に取ってみると、中に入ってる物が傾いてかさりと音を立てた。トンボの模型より軽くて小さい。何だろう――丁寧に包まれた紙をあたしは破かないよう慎重に開けた。


 そうして広げた紙の中には、金色のイヤリングが入ってた。雫形の飾りが揺れるたびに、窓からの光を反射して輝く。上品な見た目で綺麗だ。でもこれって、女性向けのイヤリングに見えるけど……。


「……ん、紙に……」


 イヤリングの下に黒い文字が見えて、あたしは包み紙を端まで広げてみた。するとそこには数行の文章が書かれてた。……この紙は便箋だったのか。イヤリングを机に置いて、あたしはそれを読んだ。


『トンボ好きなアロンにトンボを贈る。本物とはいかないけど、腕のある模型作家に頼んで作ってもらったものだ。これなら季節に関わらず、いつでも側に置いておける。これが養護院での生活で心の癒しになってくれるといいけど。』


 やっぱりアロンを気にかけてのプレゼントだったんだ。好きな物も忘れずに憶えてくれてた。それだけで胸が温かい気持ちになる――文章はさらに続いてる。


『そしてイヤリングはミリアムに贈る。直接渡せればよかったけど、俺は無闇に部外者とは会えない。だからこういう形を取らせてもらった。この手紙を読んでるだろうミリアムへ、昔はちゃんと祝ってやれなかったけど、今回は祝える。誕生日おめでとう。』


「誕生日……!」


 はっとした。今日は五月十六日――あたしの誕生日だ。それも忘れずにいてくれたなんて。文章の最後に書かれた名前を見つめる。


「……ノア……」


 あたしは手紙を胸に当てて目を閉じた。簡単に会うことは出来なくても、あたし達はまたつながることが出来たんだ。あの楽しかった時間の続きに……。


 イヤリングを取って、あたしは両耳に付けてみた。


「ねえアロン、これ、どう?」


 部屋に鏡が見当たらないから、アロンに感想を聞いてみた。指先で飾りを揺らして見せる。これにゆっくり顔を向けたアロンは、イヤリングをじっと見た後、呟いた。


「……綺麗、だよ」


「本当? 似合う?」


 さらに聞くと、アロンは小さく頷いて手元のトンボに視線を戻した。よかった。アロンは嘘を言わないから、本当にあたしに似合うものなんだろう。ノアからの誕生日プレゼント……なくさないよう大事にしなきゃ。


「アロンも、ノアから貰ったトンボ、大事にしてね」


「……ノア?」


「うん。これ、ノアがくれたんだよ。憶えてるでしょ? ノア」


 アロンはすぐに頷いた。


「ノアに、会いたいな……一緒に、遊びたい」


 アロンもあたしと同じように、ノアと過ごした時間はかけがえのない思い出なんだ。


「そうだね。あたしも、ノアにまた会いたいよ」


「会える……?」


「今すぐは無理だけど、でも、いつか必ず会えると思う。ノアもアロンに会いたいはずだから」


「そっか……」


 残念そうにするかと思ったけど、アロンは笑みを滲ませてた。ノアの名前を久しぶりに聞いて嬉しかったのかもしれない。あたしも嬉しかった。アロンだけじゃなく、あたしにもプレゼントがあったなんて。だから依頼した時に指名したんだ。あたしがすぐにプレゼントを受け取れるように。ノアは本当、優しさに溢れてる。大人になっても変わらないでいてくれたことは、あたしの気持ちの救いにもなる。そんな言葉を伝えられないのが何とももどかしいけど。


 小一時間ほどアロンと過ごして、あたしは部屋を出た。顔馴染みの職員に挨拶して養護院を後にする。歩くたびに耳元で揺れる感覚があって、それだけで笑顔になってしまう。リベカさんにこのイヤリングのこと、何て言おうかな――そんなことを考えながら、養護院の正門を出た時だった。


 人影がまばらな通りの角に、じっと立ったままの人物がいた。フードをかぶって顔は見えないけど、体はこっちを向いてる。誰かを待ってるだけかもしれないし、特に違和感を覚えたわけでもない。だけど目は自然とその人物に向いた。どうして気になったのか、それはすぐにわかった。服装に見覚えがあったからだ。裾の長い上着に、だらしなく着たシャツ――まさかね、と内心で呟いた直後、その人物はフードの前をわずかに持ち上げて顔を見せた。そこに見えた顔はあたしを見ると、口角を上げて優しい笑顔を浮かべた。


「ノ――」


 叫びかけたあたしは咄嗟に口を閉じた。……駄目だ。呼んじゃいけない。ノアが何で届け物の依頼をしたのか。それは不必要に部外者と会っちゃいけない掟があるからだ。それでもここに来てくれたのは、あたしの様子を見るため……陰から、静かに。


 あたしはイヤリングの飾りを指先で弾いて見せた。離れてるから見えるかどうかわからない。でも、このプレゼントを貰って、すごく気に入ったことを伝えたい。あたしはそんな気持ちと共に笑顔をノアに返した。


 これにノアはかすかに頷いてくれたように見えた。そして笑顔をフードで隠すと、通りの角の向こうへ消えて行った。十秒足らずの無言の会話……あたしの喜びや、感謝や、嬉しさの言葉が伝わっただろうか。走って追いかけたい衝動を抑えて、あたしは深く息を吐き出した。やるべきことはノアを追うことじゃない。ノアの力になることだ。もう彼に迷惑をかけちゃいけない。会えなくたって、あたし達はつながってるんだって、ノアが示してくれた。だから寂しがることはないんだ。場所は違っても、心はずっと側にいる。あの頃と同じように――あたしはイヤリングを一撫でして歩き出した。ぼーっとしてらんない。さあ、仕事をしなきゃ。

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ノア 柏木椎菜 @shiina_kswg

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