わたしの幽霊

尾八原ジュージ

日記

二月十七日

 普段より早く仕事から帰ったら、同じく仕事中のはずの夫が全裸でベッドの中にいた。クローゼットを開けると、同じく全裸の若い女が入っている。

 一旦閉めてから夫に「浮気?」と尋ねると「違う」という。ならわたしはきっと幽霊を見たのだと思う。とりあえずクローゼットの取っ手を鎖で巻いて南京錠をかけた。夕食の支度をするためにキッチンの包丁を手に持ち、ついでに「幽霊が入ってるから開けないで」と夫に頼むと、夫は「わかった」と約束してくれた。ひとまず幽霊のことは忘れ、鶏もも肉の照り焼き丼を作って食べた。


二月十八日

 クローゼットの中からすすり泣きが聞こえる。それに臭い。アンモニア臭というのだろうか。幽霊とは案外臭いものなのだ。時々ガタガタと暴れ、クローゼットの扉が壊れそうになったので外から蹴ったり怒鳴ったりしたらポルターガイストは収まった。夫は何か言いたげだったが、たまたま包丁を持っているときに「出かけてきたら?」と言うと青い顔で外に出ていった。

 わたしも出かけた。ホームセンターで資材を購入し、本屋で幽霊の本を探した。なんとかいう霊能者が書いた本には、『幽霊には構わない方がよい』とあった。下手に同情するとよくないらしい。なるほどと思い、その本を買うことにした。帰宅後、クローゼットを補強した。


二月十九日

 クローゼットが臭い。たぶん中身は全滅だろう。中身はほとんど夫の服だからいいとして、部屋全体も臭くなるので困る。クローゼットの鍵を開けてやると、三角座りのまま固まったような格好の幽霊が出てきた。

 よその家のクローゼットに全裸で潜むまともな人間がいるとは思えない。だからこの女はやっぱり幽霊に違いない。風呂場に引きずっていってタイルの上で水をかけてやる。幽霊はなるべく構うべきではないという。やむを得ず面倒をみてやるときも、このくらい雑な方がかえっていいだろう。


二月二十日

 クローゼットの扉が細く開くようになっていた。わたしが仕事に行っている間、夫が幽霊に食パンなどを与えていたらしい。

 この家はわたしのものだ。わたしが両親から相続し、名義も百パーセントわたしだ。だからこの家に出る幽霊もわたしのものではないだろうか? わたしにはわたしの方針があるのだから、勝手に餌などやってもらっては困る。

 ストレスが溜まったので、数年ぶりにタバコを買ってきて吸った。ひさしぶり過ぎて灰皿を用意するのを忘れていたので、夫の左手を借りた。


二月二十一日

 また幽霊が臭い。風呂場に連れて行って水をかけてやる。がたがた震えているし顔色が悪いので、生前さぞ辛いことがあったのだろう。軽く蹴るとごめんなさいと鳴く。

 クローゼットを処分した。幽霊を取り出した後で中身ごと回収してもらい、代わりに小さな四角いプレハブを購入した。クローゼットのあった位置にプレハブを置き、幽霊を戻す。何かしきりと喋っていたがすべて聞かなかったことにする。幽霊に同情などしてはいけない。

 帰宅した夫はプレハブに対して何かごちゃごちゃ言っていたが、文句があるなら出ていけと言い、殴ってタバコの吸殻を口の中に捨てると黙った。


二月二十二日

 ちょっと飽きてきた。ただ幽霊を飼うというのは単調だ。構いすぎない方がいいのかもしれないが、わたしの幽霊だからもうちょっと好きにしたっていいだろう。

 夜、スープを作ってからプレハブの中に「食べる?」と声をかけ、中に差し入れてみた。幽霊は泣きながらスープを食べている。幽霊になっても腹は減るのだ。思ったよりおとなしいので風呂とトイレも貸し出してみた。普通にこなしてちゃんとプレハブに戻る。なかなか賢い。


二月二十三日

 幽霊が逃げようとしたらしい。というか夫が逃がそうとしたらしく、外から鍵を壊そうとした形跡がある。わたしの幽霊なのに勝手なことをする。夫を家から追い出し、幽霊はプレハブから引っ張り出して浴室で蹴り回した。蹴っているうちになぜか恍惚としてくる。柔らかい腹に爪先が入ると心地よい。女の黒髪と赤みがかった白い肌に、わたしのペディキュアの緑が差し色になって、見た目にも美しい。

 これだけだと躾としては生ぬるいので、わたしの名前を書いて所有者を明らかにしておくことにする。手足を拘束後、背中にナイフでりつこと書きつけた。幽霊が失禁して気絶したので洗ってからプレハブまで引きずっていく。夫は帰ってこない。


二月二十四日

 夫はまだ帰ってこない。わりとどうでもいい。幽霊は痛い痛いと言って泣いている。やっぱり生前辛いことがあったのだろう。別段害もないので放っておくことにする。一度扉を開けて背中を確認すると、一部名前が消えかけていたので書き足す。

 金曜の夜なのでわたしはお酒を飲み、幽霊にはパンと水を与えてトイレに行かせた。だんだん幽霊の飼い方が板についてきたような気がする。


二月二十五日

 休日なのでわたしは機嫌がいい。幽霊にパンと野菜スープをあげ、風呂に入れて髪もとかしてやる。幽霊はぼんやりされるがままになっている。身づくろいしてやるとなかなか美人だ。背中の名前もちゃんと残っている。ちょっとかわいく思えてきたので、安全ピンで左耳にピアス穴を空けてやった。幽霊は急に泣き始めたが、その泣き顔もなかなかかわいい。今度似合いそうなピアスを買ってきてあげよう。

 夫はまだ帰ってこない。どうでもいい。


二月二十六日

 夫が義両親を連れて帰ってきた。息子と娘を許してやってほしいなどと言われたが何を言っているのかよくわからない。おたくのお嬢さんは実の兄と姦通するような人間だったのですか? 結婚前の挨拶でわたしのことを品性のない女とか言ったくせにそれはないでしょう。あれはわたしの義妹ではないし、あなたたちの妹や娘でもない。わたしの幽霊だ。名前もちゃんと書いてある。

 わたしたちの声が聞こえるせいか、幽霊はプレハブの中で騒がしい。そのうち義父が警察に通報すると言い出した。面倒なので義父にはちょっと静かになってもらった。義母にもついでに静かになってもらった。

 夫がいつの間にかいなくなったと思ったら、別の部屋で首を吊って自ら静かになっていた。三人とも幽霊の仲間にいいかもしれないと思ったが、プレハブは小さいので全部は収納できない。一部だけなら入るだろう。疲れたから明日有給をとってやろう。


二月二十七日

 生首だけならプレハブに全員分入った。

 扉を開けて一度に放り込んでやったら、ものすごい悲鳴が聞こえたが、その後はいつの間にか静かになった。

 今日の幽霊はずいぶん静かだ。

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わたしの幽霊 尾八原ジュージ @zi-yon

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