切り取った春

 バイト先から、桜を一房もらった。

 少しでも長持ちをさせたいので、縦長で円形の小さなコップに水を入れ、花びらが散らないようにそっと桜を挿す。

 食卓に置くと、そこに小さな桜の木が成っていた。……家の中に桜がいるのだ、なんとわくわくすることなのだろう。振り向けば桜がいる、匂いを嗅げば桜がいる、ソファーの向こうに桜がいる。

 ほんのり桃色付いた桜はなんとも愛らしく、そして無常に散っていく様子に心は沈んだ。散っていく姿が儚く、少しでもこの姿を残しておきたいとカメラで撮ろうとした瞬間……コップの水面上に、桜の川ができていることに気づいた。

 まるで川から切り取ったように水面は埋め尽くされ、軽やかな花弁が揺らいでいた。その愛おしさと偶然の奇跡に、沈んでいた私の心は、風に靡く桜のように舞い上がった。

 コップを窓辺に置けばきらきらと輝く川が、コップを電灯の下に置けば夜の川が、コップの後ろに桃色の紙を置けば鮮やかな川が……いつもは上から眺めるだけだった桜の川が、手の上にいる。なんと美しい春なのでしょう。


 はらり……はらり……と落ちゆく桜は、コップとその周りを彩る。

 家の中の春は、まだいます。

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昼下がり 水無月ハル @HaruMinaduki

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