第三の夢
私は目を覚ました。
カレンダーを見たが、見る必要はなかった。
自分の体を鏡で確認したが、確認する必要はなかった。
明らかに、私の人生は繰り返していた。
これまで二周繰り返した私の人生、これを生かして、また今回も困難に立ち向かわねばならないということだろう。
私は腹にグッとちからを入れて、ベッドの上に立ち上がった。
第三の人生。
この理不尽なタイムループに終止符が打つべく、全力を尽くし、「頼りない男」を目指す所存である。
すでに頼りがいがあるとは言い難い自分をさらに頼りなく成長させるのは、きっと茨の道より険しき道のりになることだろう。
◆
入学式の式典で周りが浮足立つ中、私だけが保護者レベルのメンタリティで落ち着き払い、そして一人思案していた。
前の悪夢から察するに、青葉が私に惚れるきっかけは幼稚園の七夕が最後だったわけではないらしい。
では本当の最後はいつなのか。
前回のループ時と同様、そのヒントは落下直前の青葉の言葉にあった。
四月末に実施される全校挙げての遠足行事。その最中の一幕が彼女の意思を大きく固める要因となったらしい。
道のりは五キロ程度だろうか。標高はおおよそ二百メートルの山を登って降りた先に小さな海岸がある。そこで各自が持ちよったお弁当を拝していただき、その後は来た道を引き返す。
標高だけを聞けば大したことないと断じることもできようが、ミカン畑や竹林の間をぐねぐねと伸びる険しい道のりはまさに「小学校虎之穴」と言うべき厳しさであり、途中で泣き出す者や座り込む者、休憩地点で眠りこけ一団に置いて行かれる教師なども毎年のように現れる。
体力的にも精神的にも未熟な低学年にとっては非常にタフな行事だ。いや、精神的に成熟していても体力的に無理なら無理か。
四月末日の暖かな日差しを浴びながら、私は柄にもなく緊張していた。
もうすぐあの瞬間がやってくる。『あの人』との出会いの瞬間が。この瞬間は人生を何周しても緊張する。
「どうしたの? つかれた?」
と、手をつないで歩く青葉が聞いてくる。
「いや、ぜんぜん。むしろ勝負はこれからだな」
「ふーん」
個人的大転換点と位置付けているイベントは、ちょうど第一回目の休憩地点で訪れる。
農道の脇に膨らんだ駐車スペースで各々が休憩を取っているなか、私はまとわりついてくる友人や青葉たちをふりきり、ひとりで山の中へ伸びる道を進む。
一週目の私はこの奥に小さな祠と、我が町の一部を見渡せる場所があることを知っており、その風景見たさにここを訪れたのである。
ホームシックと遠足イヤすぎるのとがまぜこぜになった気持ちで。
ダルメシアンの模様のように点々と町に雲影の斑点が落ちているのをぼんやり眺めていると、次の瞬間、
「やっほー、なにしてんの」
と、運命の人に話しかけられることを、私は既に知っていた。
◆
地元では見ない顔である。しかしどこか見たことがあるような気もする。年は……自分よりも上だというようにしか見えない。
五分丈の白シャツに紺色のワイドパンツ、サラサラのショートカットがフワフワと風に揺れ、自信に満ちた目で私を見ている。
三度目の人生なら小粋な返事くらい……と思いはするけれども、やんぬるかな、彼女の第一声には特別な響きがあり、うまく返答をすることができない。
「ぼくはまちをみてます」
と、私は言った。
「いいね、私も見ていい?」
と、彼女は言う。私にそれを断る道理はない。「はい」と言った。
私たちはならんでだまって町を見下ろしていた。まるで町の安全を見守る神様たちのように。
そのうち担任が私のことを探す声が聞こえてくる。
会ったばかりで特に絆が生まれたようなこともないのだが、なぜか残念な気持ちがするのも三回目である。
「じゃ、また、どこかでね!」
と彼女は言ってその場に立ち上がる。
次の瞬間には彼女の姿は風とともに消え、入れ替わりで担任がやってくる。
「……なに、天狗でも見た?」
と、先生が訝しげに私の顔を覗き込むくらい、私の顔が呆けていたのも3回目なのだ。
◆
脚が棒だか石だかになりながらも、足の生えた豆粒のような一年生の集団はわらわらと海岸へ流れ込み、各々が好きな場所にレジャーシートを敷いて弁当を食べる。
弁当はうまかった。運動をしたあとの飯が涙がでるほどうまい。六歳児も二十歳男性も変らないのだ。ただ二十歳男性は全力で運動をしなくなって久しくもあり、その感覚が波音に重なってむやみに哀愁を誘う。
最後に残しておいた渾身のイチゴを食べ終わり、私はふう、とため息をついた。
「遠くにいくと流されるぞ!」と教師たちの脅し効果もむなしく、同級生たちは波打ち際へと駆けだしていき、行き過ぎたものは教師に小脇に抱えられて砂浜へ戻される。
「ねえ」と私は青葉に声をかけらる。「あの女、だれよ」
もちろん想定内である。しかしたとえ6歳児とはいえ「あの女、だれよ」は中々に迫力がある。
「知らないよ、さっき初めてあったから」
「ウソつき、仲良さそうだった」
「そんなことはないよ」
「私とあの人と、どっちが好き?」
言動が直線的なのは六歳なので仕方がないが、あまりに直線すぎて返答に困る。困ったのだろう、私は。
言い訳したい気持をぐっとこらえて、私は黙っていた。
「ねえ、なんか言ってよ」
ここから、未来が変わるのだ。
「ねえってば!」
ここで言い訳をしたせいで、彼女は奥の磯の向こうへと駆けだしてしまうのだ。
「ねえ、もう! なんなのよ! もう知らない!」
と、彼女はすっくと立ちあがり、ダッと砂地を駆けだした。蹴りあげた砂は私の身長よりも高く、頭上に雨あられと降り注いだ。
ここでは止まらなかったか!
しかしチャンスはまだあるはずだ。
と、私はかぶった砂を払い落とすこともなく、一直線に彼女を追いかけた。
◆
青葉は運動神経がたいへん良い。小学校は地元陸上クラブでその人有りと名を轟かせ、中学ではバレー部で司令塔として部活発足以来初めて全国大会へと駒をすすめ、高校では剣道部と文学部との掛け持ちしそのどちらでも大きな業績を残すなど、あらゆる競技に高い適性を示している。
そんな彼女を、ただ人生を繰り返すだけしか能のない私が捕まえられるわけがない。
海岸の端まで行っても追いつけず、ひいひい言いながらその先の磯を渡っていく。
両手をついて慎重に、慎重に……
同級生たちのキャアキャア言う声が遠く聞こえつつ、磯に打ちつけ壊れる波の音がそれをかき消す。
とある岩の上でじっと三角座りをしている青葉を、私は見つけた。
慎重に岩を選んでその岩に飛び移り、私は何をしていいのか何を言っていいのかも分からず、彼女の横に座った。
のは、今までの自分である。
私は彼女を見下ろして一呼吸つき、彼女の腕をぐいと掴んで、エイヤと彼女の身体を引き上げようとした。
突然の暴挙に彼女は目を丸くしつつも「なにくそ」と抵抗をしめし、座る彼女と立たせたい私の静かな相撲が始まった。
「なにすんのよ、ほっといて」
「そんなこと言って声かけてもらうのを待ってたんだろう」
彼女の顔がみるみる赤くなる。
「ほらあたりだ!」
「思うし! だってやさしいじゃんなんだかんだ」
「大間違いだね、僕は少なくともこの海岸で一二を争う情けない男なんだからな!」
何を言っているんだ、と彼女の目が雄弁に語るが、それにかまってはいられない。
もっと情けなく、もっと恥ずかしく――
私は自分自身を鼓舞した。
「てかもうちょっとで満潮だし、自分の身が一番大事な僕は一足お先に失礼するよ。青葉のことよりも自分のことが大事だからね」
と、青葉を引っ張るのをあきらめ、私は来た道を引き返しはじめた。「あと先生にもいいつけるからね、こんな遠くに来ちゃダメなんだからホントは」と、彼女に移動を促すフォローも忘れない。
磯をひょいひょいと飛び移りながら、今度は私が彼女に追いかける番だ。
よしよし、これでよい。
ここまでやれば、きっと彼女にとって私のことを過大評価するイベントにはなりえまい――
と、つかの間の安心が仇となったか。
私は最後の大ジャンプで着地に失敗し、見事に踵にヒビを入れてしまい、そのまま救急車で病院経由自宅行きと相成ったのである。
痛みに耐えるために青葉に握ってもらっていた手を放したのは、救急車が海岸を後にする時だった。
この世で一番情けない小学一年生を乗せた救急車――
だが、これでいい。
その代償は、十四年後に大きな褒賞となって、私に手渡されることになるだろう。
◆
「……私と付き合って」
私は思わず彼女を見た。
そしてきっと海に繋がっているだろう、川の行く先を遠い目で眺める。
褒賞がこれかよ――
私は何も言わずに前を向きなおし、再び自転車を押して歩きだした。彼女もそれに合わせて歩く。
「……なんか言ったらどうなの。私が恥ずかしいだけじゃん」
「恥ずかしさも情けなさも、人のせいにするのは間違いだと思うな」
「……足の骨折ったろか」
これ以上骨を折るのは勘弁してほしい。
しかし、なぜだ。私は確かに、私の人生を修正したはずなのに――
「どうして、俺のことを」好きになったのか、ホントになんでなんだ。
「そんなの、今更私にも良く分かんないけど……でも、そもそもの始まりは……」彼女はなにか、遠く昔を思い出すかのように言葉を絞り出す。「小学校の頃さ、
「辻堂?」
私は聞き返す。
そんな同級生いたっけ。齢二十歳にして昨日食べた晩飯さえ記憶にアヤシイほどの記憶力の自分が、そんな昔のことを覚えるわけがないのだ。
「私、辻堂たちにいじめられてた時期あったじゃない。その時にあんたが助けてくれたこと、ずっと覚えてるんだよね。そん時まではあんたのこと、情けないやつだなーって飽きれることもあったけど、すごく、見る目が変わったというか……」
私はその台詞を最後まで聞くまでもなく、言葉を失った。
全身の骨が瞬時に砕けるような衝撃と共に全身がぐにゃぐにゃになり、思わず膝をつき、そして思い出してしまった。
その瞬間を。
あの瞬間を。
そうか。
そうだったのか。
あの頃から、すでに彼女は私のことを――。
私は、商店街へ入る手前、橋の上で立ち止まった。
通称「愚者の渡し」と呼ばれるその橋は、幅二十メートルほどの川の上に掛かった大学生たちの交通の要衝である。明日をも知れぬモラトリアムがなんとなく延びたりしないかな……と一抹の期待を抱く馬鹿大学生が常にウロウロしている非常に諦めの悪い橋である。当然時間が延びることなど一切ない。
「愚者の渡し」の名に恥じぬ威容が、ここにある。
「ちょっと待ってくれ。青葉」
と、私は彼女の前に立つ。三度目ともなると、慣れたものである。
商店街アーケードから漏れる光が、彼女の顔をきらきらと照らしている。
見ているこちらが恥ずかしくなるくらい真っ赤な顔をして、彼女は、私の次の言葉を待っている。
「俺は、お前のことを――」
と、私の視界の端に、騒がしい自転車集団が目に入った。
まるで幼稚園児のような集団だが、その在り様、我が大学の腐れ大学生に違いない。既視感がすごい。
おそらく部室での貧乏飲み会を終えた後の体育会連中であろうたくましい4つの体躯が、決して広くない橋を蛇行しながら進んでくる。
私と青葉は一旦、彼らに道を譲るように橋の欄干近くに移動した。もちろん体幹にすべての力を集中させている。
と、彼らのうちのとびきりガタイの良い一人がガクンと姿勢を崩し、「うわ」と小さな声を上げる。
いきなり自転車が横倒しになり、フィジカル強めの体当たりが青葉の肩を思い切り押した。
その勢いで青葉は私に抱きつき、しかし私は事前情報に基づいた力の入れどころを心得ており、しっかり持ちこたえる。
「ヒャッ」と、彼女が私の身体を反射的に押した。
きっと告白した後の回答待ちの状態でいきなり抱きつかれ、その気恥ずかしさに耐えきれなくなったのだろう。
分かる分かる。
いや、分かってたまるものか。
完全に想定外の押し出しを食らった私は、踏ん張る余裕もなく、勢いよく欄干を乗り越え、頭から川へと落ちていく。
川といっても水深はおそらく二十センチもない。浅い川でも人間は簡単に死ぬのだということを、私は身をもって証明しようとしているというわけだ。三回目ともなると慣れるかな……と思ったがそうはならん。やっぱ怖い。
落下の最中に脳内を占めていたのは、死への恐怖でもなく、彼女の見事な押し相撲の決まり手今日の取り組みハイライトでもなく、彼女と過ごした日々の走馬灯でもなく――
この事態を回避するために必要だった、明白で簡潔な、三つ目の教訓――
『教訓三. イジメられている幼馴染を助けてはいけない。そりゃ惚れるわな』
(つづく)
恋愛愚者たちの攻防 ~タイムリープで学ぶ告白防衛法入門~ ワッショイよしだ @yoshida_oka
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