私たちは大学の広場のベンチに座っていた

マツ

私たちは大学の広場のベンチに座っていた

道を歩いていると、植物があるじゃないですか。都心だったら街路樹だったり植え込みだったり、住宅街だったら生垣とか家の前に並べた鉢植えや花壇とか。雑草は都心にも住宅街にも生えてますよね。あ、そういえば雑草の定義を調べてみたんですけどなんだかよくわからなくて。農作業をしている人にとっては田畑に生える植物のうち作物以外は全部雑草なんだそうです。だからタンポポも雑草。なんかかわいそうですよね。全部名前があるのに全部まとめて雑草。雑なくくりだから雑草っていうのかな、なんて。それでですね、そういう植物、名前を知ってるのも知らないのも含めて私の生活圏にある植物を見ていると、私の周りには人間よりも植物の方が多いんじゃないかっていう気がしてきたんですよ。地球全体のことはわからないですけれど、少なくとも私の行動範囲に限っていえば。例えばいま、私と亜希先輩は大学の構内の広場のベンチに並んで座っていますよね。それで、今ちょっと足元を見てもらっていいですか。白と黒のつぶつぶが混ざった、自然石に見立てているけれど、たぶんコンクリート製のタイルが敷き詰められていますよね。そのタイルとタイルのつなぎ目のわずかな隙間に、所々コケとか、他にも小さな、名前は知らなけどミニチュアの植え込みみたいな雑草の塊があるじゃないですか。こんな窮屈な場所に、よく生える気になったよなって思いますよね。思いませんか。ほら、あそこにもある。あっちにも。いったん見え出すと、そこいら中に見えてくるじゃないですか。私たちが座っているベンチの前の、見下ろしたときに視界に入る範囲のタイルの数が、4かける8枚だから32枚として、その32枚のタイルの四辺には最低でも2つか3つの植物の塊がある、ということは、広場全体だとどれくらいになるんでしょうね。すごい数。ちょっと想像してみますね(1分ほどの沈黙)。だめだ、だめですね、広すぎてぜんぜん無理……。さっきミニチュアの植え込みみたいな雑草がって言いましたけど、ずーっと見ていると、この雑草のある光景が、大きな森か島を、ものすごく上空から眺めているような感じがしてきませんか。あ、先輩にもそう見えますか! よかった……。なんか話が行き当たりばったりですけど、何が言いたいかというと、私の生活圏には植物がたくさんあって、ああ、植物がたくさんあるなあって思っていたら、私の中で、植物の存在感がすごく増してきて、それは、なんていうか、私の視覚の優先順位を変えてしまったんです。人間よりも植物に目がいってしまうようになって……。植物が好き、というわけでもなくて、とにかくあらゆるところに植物があることに私が勝手に気づいてしまったってだけの話でしかなくて。ただ、そのせいでこれまでは困ったことがないようなことで困る、ていうか戸惑っていて……。例えば、人間より植物の数の方が多く感じる、といっても、人間のひとり、ふたり、という数え方と植物の数え方は違うじゃないですか。樹木ならいっぽん、にほん、なんですけど雑草だと個体の識別がはっきりしなくて。ていうか植物は数えられるものなのかどうかさえ私にはわからないんですよ。それなのに人間より多いと感じているんでけど、じゃ私は数えられないものをどうして「多い」と感じられるのか、そしてこの奇妙な感じを人に伝えるにはどうしたらいいんだろうか。ここまでくると、もう先輩には共感してもらえるとは思わないんですけど、それでもこうやって話せてよかったです。こんなこと、もちろん誰にもしたことありません。先輩が初めてなんです、というような内容を、鳥飼瑠璃は、実際にはもっとたどたどしく、日比野亜希に、30分ほどかけて話した。聞いている間、日比野亜希は、鳥飼瑠璃の感覚は自分にもよくわかるような気がしていたし、だから話の最後の方で、鳥飼瑠璃が、ここまでくると、もう先輩には共感してもらえるとは思わないんですけど、と寂しそうに漏らした時、自分がいかに鳥飼瑠璃に共感していたかをちゃんと伝えなければ、と思った。だから鳥飼瑠璃が全て話し終えたあと、日比野亜希はひと呼吸置いてから、私ね、瑠璃ちゃんの話を聞くまでは、確かに瑠璃ちゃんみたいに植物のことを考えたことはなかったけど、瑠璃ちゃんの言いたいことはとてもよくわかったし、それだけじゃなくて聞いているうちに、瑠璃ちゃんの感覚に乗り移られたみたいになってきて、瑠璃ちゃんがしゃべっているのに、私がしゃべったことを、私の代わりに、瑠璃ちゃんに聞かされているような、そんな不思議な気持ちになったよ、と話した。すると鳥飼瑠璃は本当ですか! と大きな美しい目をさらに大きく見開いた。私が、私が植物に対して、いま話したような感覚になったのは、実は私が今した話とほぼ同じ話を、前に亜希先輩から聞かされて、私、なんだか聞いているうちに、亜希先輩の体験や感覚が自分の体験や感覚のように思えてきて、私の体験や感覚を亜希先輩が代わりに話てくれているような気になって、だから、だから私、それを先輩に伝えたくて、と鳥飼瑠璃がたどたどしく、しかし熱っぽく語り出したのを、日比野亜希はちょっと待って、とさえぎった。私そんな話、瑠璃ちゃんにしたことないよ。それに瑠璃ちゃん、この話をするのは先輩が初めてですってさっき言ったよね。なんかいろいろ矛盾してない? と言い始めたところで、日比野亜希は自分が今夢を見ていることに気づいた。夢の中で夢を見ていることに気づいたということは、もう間も無く自分は夢から覚めるのだろう。その証拠に目の前にいる後輩の鳥飼瑠璃から、夢の力が与えていたリアリティーが薄らいでいくのを、日比野亜希は感じ始めていた。まだ覚めたくない。それは鳥飼瑠璃の話を聞きながら胸のうちで彼女に抱いていた、大切な後輩、という以上の度を超えた好意に、それが夢の作用による、一晩だけの設定と感情だとしても、失うにはあまりに惜しい、と日比野亜希が未練を抱いていたからだった。瑠璃ちゃん、私はあなたを今とても愛している。この愛を、私は目覚めて失いたくはない。日比野亜希は、出し抜けに両手を伸ばすと手のひらで鳥飼瑠璃の顔を包み込んだ。頬は暖かく、この感触とこの感情が夢だとはまだ完全には信じられなかったが、夢とはそういうものなのだ、という諦念が、もうすでに日比野亜希の海馬に侵入しはじめていた。

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