出られない部屋

◯◯しないと出られない部屋

 気がついたらここにいた。見覚えのない白い部屋だ。おそるおそる周囲を見渡していると、背後に人の気配があることに気が付く。

「うわびっくりした!」

「あ、高瀬くんだ」

 そこにいたのは同じクラスの古谷さんだった。いつも通りの無表情でそこに立っていた。この変な状況にも慌てている様子もない。

「古谷さん、ここどこだか知ってるの?」

「ううん。気づいたらここにいた」

 古谷さんも僕と同じ状況らしい。

 改めて部屋を観察して、僕はこの部屋にきた瞬間から抱えていたとある疑惑を確信へと変えていた。

 これはもしかして。もしかしなくても。「例の部屋」なのではないか?

 僕は古谷さんと「ここってどこなんだろう」「これどういう状況?」「ドア開かないね、鍵もない」などと会話しながら、頭を高速回転させていた。否、高速回転させているように感じていただけで、実際は、はちきれそうな期待と少し不安がぐるぐる回っているだけだったと思う。

 だって、ドアは開かないし、これ見がよしにダブルベッドが置いてあるし、というかこの部屋ベッド以外には何もないし、あのベッドについてる引き出しには、きっと、そういうグッズがたくさん入ってるんだ……。

 待って、僕、今から古谷さんと……????


 僕の混乱をよそに、こういう同人的な文化に疎そうな古谷さん(なにせ彼女はいつも太宰治やら小林秀雄やらを読んでいる。僕みたいに低俗なものを嗜んでいるとは思えない)は落ち着いた様子で部屋を見渡し、そして何かを見つけてしまった。

「なんか紙が置いてある」

 そのまま四つ折りになっていた紙を開いて中を見ようとする。

「っちょ! ダメダメダメダメ見ないで!! ダメ!!」

「どうして?」

 本当は飛びついて紙を取り上げてしまいたかったけれど、女の子に触れるのはよくないかなと思ってすんでのところで堪えた。おかげで僕の体は不自然な形で動きを止めている。古谷さんが不思議そうな顔をする。

 だって、だって! 見たらそれ……!

 きっと書いてあるのは目を覆いたくなるような文字列で、そんなものを彼女に見せたくない。気まずくなりたくもない。正直期待はしてるけど、でも! 心の準備とかが全然できてないし!

「見ても見なくても書かれてる内容は変わらないよ」

 正論である。

「見ないと、出られるものも出られないよ」

 それも正論である。

 僕はすっかり項垂れて、古谷さんが紙を開くカサリという音を静かに聞いていた。

「……」

 古谷さんは何も言わない。沈黙が怖い。

「…なんて書いてあった?」

 紙がこちらに向けられる。

「亀を追い越さないと、出られない部屋」

「はぁ……?」

「亀、いないよね」

「うん」

 さすがの古谷さんもこれには困惑しているようで、僕たちは疑問符でいっぱいになる。


 その時突然、壁に近い天井部からプロジェクタースクリーンがするすると降りてきた。

「こちらの動画をご覧ください」

 音声とともに部屋が少し暗くなり、外国人男性と亀のイラストが投影された。

男性と亀は歩いて進み始める。どうやら簡単なアニメーションになっているらしい。

「むかしむかしあるところに、俊足の男アキレスと、ものすごくゆっくり進む亀がいました。ふたりはかけっこをすることになりました」

 なんでだよ。狂人の発想すぎるだろ。

「ただし、そのままではどう考えても亀が負けてしまうため、ハンデとして亀はアキレスよりゴールに近いところからスタートします」

 ハンデをつける優しさはあるのか。

「このとき、先にゴールに到着するのはどちらでしょうか?」

 そりゃアキレスだろ。

 なんだ、すぐに部屋を出られそうだ。亀なんか追い越せるに決まってる。

「そう、普通に考えればアキレスが先にゴールします。しかし、『アキレスは亀を追い越すことができない』と主張する人がいます」

 ……はぁ。

「その人の考え方はこうです。最初に亀がいる位置をAとします。アキレスがAに到達したとき、亀も止まっているわけではないので、少し先の地点Bにいます。次にアキレスがBに到達したときに、また亀は少し先の地点Cにいます。これを何度繰り返しても、亀はアキレスよりも前にいることになります。つまり、アキレスは亀を追い越すことができません」

 ……なるほど?

「しかし、実際にこの競争をした場合、瞬足のアキレスがゆっくりゆっくり進む亀を追い越すことは明らかです。つまり、この人の主張はどこかが間違っていることになります。どこが間違っているのでしょうか? 指摘しなさい」

 やわらかそうな亀のぬいぐるみと、小さな男性のレゴ人形が現れる。

「自由につかってください」

 馬鹿にしてるのか、それとも本当にこれが考える手がかりになるのか、わからなくて出かかった罵倒を飲み込んだ。

「難しいね」

「うーん」

 古谷さんはおもむろベッドに座り、亀のぬいぐるみを抱き寄せて考え込んでいた。かわいい。だってあの古谷さんがぬいぐるみを抱えてベッドに腰掛けてる。僕は古谷さんが背筋をピンと伸ばして読書をしてる姿しか知らない。なんだか見てはいけないものを見ている気分になってくる。心臓に悪い。ってそうじゃなくて。

 正直なところ、僕にはさっぱりわからない。

 古谷さんが亀のぬいぐるみを持っているので、僕は残されたレゴの男を指先で弾いて遊んでいた。考えようにも、糸口すら分からない。

 しばらく考えていた古谷さんが口を開く。

「時間は分割することができない連続したものなのに、この仮定だと明確に分割してるからダメなのかも」

「なるほど」

 あんまりピンときてないけど、バカだと思われたくないので納得しているフリをする。

「実際にアキレスが亀を追い越す瞬間に、この仮定でいう地点A 地点B 地点C……って無数の地点を一瞬で通り過ぎてることになると思うの」

「ふむ」

「たぶんこれが地点Zとかになる頃には、アキレスはありえないくらい亀に近づいて横並びと言ってもいいくらいになってるはずなのに、それでもまだ追いついてないって無理に言い張ってる感じになってるだろうし」

「たしかに……?」

「だから間違っているところを指摘するとしたら、実際には分割できないものを分割しているところ、かな。あんまり自信ないけど」

 納得できたようなできていないような。なんとも釈然としない気持ちでいると、また紙が現れた。古谷さんと紙の文字を覗き込む。

「まあオッケーです。おつかれさまでした」

 ふざけた文字列を読み終わると同時に、ガチャ、と音がした。僕と古谷さんは顔を見合わせて、すぐにドアの方へと向かう。

「開いた!」

「おぉ」

 あんなに開かなかったドアがすんなりと開いて、隙間から光が差し込む。眩しさに目を細めた。

 なんと、外である。目の前に広がる景色は、学校のすぐそばの見慣れた道のそれだった。僕たちは問題なくこのまま外へと戻れそうだった。

 え、終わり?

 なんでだよ! 出られるのかよ!

 普通もっとなんかあるだろ!

 お題をクリアすると追加でお題が出されたりさあ!!

 扉を開けて出られたと思ったらもういっこ部屋があったりさあ!!

 じゃああのベッドはなんなんだよ!! 意味深すぎるだろ!!

「どうしたの? はやく行こうよ」

「うん、そうだね……」

 がっくりと肩を落として古谷さんについていく。

 僕らが部屋を出ようとすると、ピコン、とドアのすぐ横が光って、そこにプリントのようなものがささっていることに気がついた。

 「解説の資料です」と書かれたテープが貼ってある。

 4ページ程度の簡単な冊子で、ざっと目を通すと「可算無限」とか「濃度」とかいう単語が見えた。

 ご丁寧にQRコードまであって、「動画で見たい方はこちら」と書いてある。

 まじでなんなんだよ……。誰なんだよ……。


 本当に出られてしまったので、すっかり日常である。

 僕と古谷さんの手に握られているプリントだけが、さっきまでの非日常の置き土産だった。

「なんだったんだろうね」

「ね……」

「でも無事に出られてよかった」

「そうだね……」

「じゃあまた明日、学校で」

「うん、じゃあね……」


 なんの未練もなく(当然だ)くるりと背を向けて去っていく古谷さんの後ろ姿をうらめしく見送る。

 あのふざけた部屋を作った人間への怒りがふつふつと湧いてくる。

 別に、古谷さんのことを好きだったわけじゃないのに。

 男子高校生の単純さナメるなよ!!! 

 あんな密室に2人きりで閉じ込められたら、そりゃ、ねえ!?!?

 あー!!! 最悪だ!!




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

出られない部屋 @wreck1214

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ