第3話 太守そして

 それで出かけた宮廷。

 朱買臣は堂々としたものである。そもそも朱買臣の頭の中はどのような状況でも堂々としているのだが、荘助がその身を整え、士大夫の服を着せたから客観的にも堂々とみえた。馬子にも衣装という以上には似合っていた。

 朱買臣は皆が恐れる武帝の前でも何も恐れることはなく、春秋しゅんじゅうを説き、楚詞そじを語った。

 その堂々とした態度は確かに士大夫のもので、むしろその率直な物言いが武帝に気に入られた。そういえば武帝は歯に衣着せぬ正直者が好きなのだ。

 そうして朱買臣は中大夫になった。

 ……荘助のファーストポジションと同じだ。荘助は自らの郷里での勉学は何だったのだろうかととても嫌な気分になったが、なったものは仕方がない。

 ともあれ荘助は朱買臣は自分にさして恩義を感じていないのだろうなとも思っていた。なにせ荘助と会ってからも俺は50で偉くなるんだと言って憚らない、というかそれしか言っていなかったからだ。


 そんなこんなで時が過ぎ、朱買臣はその奇行を武帝に面白がられながらも口だけは達者な部分がある、というか自らを全く省みないというその図太さが発揮されているのか、宮中ではそれなりに腫れ物のような扱いで暮らしていた。

 時折武帝の癇気をかって都にある会稽郡の有する屋敷に逃げ帰っていたが、しばらくすればいつのまにか宮中にいた。普通の士大夫であればメゲるところだが、朱買臣の辞書には恥も外聞も記載がないのだろう。


 そんなある日、朱買臣は閩越王びんえつおうが氾濫を起こしたのを巷で聞き、討伐するよう武帝に進言したら、会稽太守を拝命した。

 一体何がなんだかわからない。けれども近くにいなくなれば胃が痛まることもなくなる。荘助はそう思ったが問屋が卸さない。

 朱買臣はまずは都の会稽邸にやってきた。ちょうど酒盛りをしていたらしい。朱買臣はちょくちょく会稽邸に逃げてきていたものだから誰も朱買臣がいることを気にもしていない。

「よう朱買臣。また怒られたのかい」

「お前よく続けていられんな」

「それがさ、今度都を離れるんだよ」

「おう、とうとう首か」

「会稽の太守になるんだよ」

「はっは、また法螺話か」

 いつも出世するだの何だの言っていたから誰も信じちゃいなかった。宴もたけなわで酔っ払った時、寝転んだ朱買臣の胸から印綬が転がり出て皆真っ青になる。

 会稽太守といえば自分たちのボスだ。粗雑に扱って、ましてや下座に転がしておけるものではない。慌てて庭に整列したそうだ。そんな話を聞いて荘助は耳を痛くし、口を酸っぱくしてまともな格好をしろと怒鳴る。朱買臣はTPOをわきまえぬのだ。


 それで荘助は朱買臣にきちんと服を着せて、従者にも重々厳命した。

 それで鍛えられた従者は予め朱買臣、というか会稽郡に入る前に新しい太守の着任を知らせた。そして会稽郡の官吏は新しい太守が来ると聞いて通る道を掃除させた。そうして呉県に入った時、朱買臣懐かしい人物を目にしてヒョイと飛び降りた。

「崔氏じゃないか」

 綺羅びやかな格好をした太守が道端の掃除をしている女に声をかけたのだ。群衆はどよめき、その女は注目の的になった。女は左右を見て混乱し、目の前の太守の顔を見て目を見開いた。

「なんで」

「ほら、ちゃんと50で太守になったでしょ。信じてくれないから」

「太守様」

 崔氏が平伏しようとするのを留めて朱買臣はペラペラと話し始める。

「いや、お前に追い出されちゃったときはどうしようかと思ったよ」

「あの」

「門前で倒れてても助けてくれなかったじゃん。それでどうしようもなくて都に行くことにしたんだから」

 朱買臣がそんなことを往来で大声でいうものだから、集まる群衆の視線は崔氏に釘付けだ。ヒソヒソ、ザワザワというざわめきが広がっていくのに朱買臣は崔氏を開放しようとしなかった。その挙げ句、夫とともに一緒に車に乗せて太守公舎に同行し、あの時は世話になったと宴会を催した。そしてそれは連日続く。

 崔氏夫婦が何度辞そうと朱買臣はもてなし続けた。崔氏に太守の誘いを断ることなぞできない。何故ならそれは通常、死罪だ。

 朱買臣はその好意がどのような意味を持つかは全く考えが及ばなかった。というか考えすらしなかった。その時にこぼれ出るアラレもない話は、噂好きの官吏が好き勝手尾ひれをつけて独り歩きする。そうして市中ではあることないこと噂はどんどん膨れ上がる。

 崔氏はある日、欄干に出た時に塀の向こうからの声を聞いた。

「へぇ。その崔氏っていうのはすげぇ女だねえ」

「そうさ。なにせ太守様が困窮されている時に追い出した挙げ句、今は1月も居座って飲み食いし放題だからなぁ」

「へぇ。そりゃあ昔話に聞く妲己みたいな女だなぁ」

 それを聞いた崔氏はその場で欄干から首をくくって死んでしまった。

 ところが朱買臣には何故崔氏が死んだのか皆目検討もつかない。

 おかしいな。昔を懐かしんでお礼をしていただけなのに。そうして朱買臣は崔氏の夫に葬儀費用を渡し、皮肉なことにその名を上げた。

 夫の心中たるや如何なものだろうか。


 さてその朱買臣だが、その後も朱買臣らしく暮らしていた。つまり出世したり罷免されたりの繰り返しだ。

 そしてその頃、荘助が処刑された。

 淮南わいなん劉安りゅうあんが謀反を企てたのだ。その少し前に劉安が都を訪れたとき、荘助は劉安と親しく言葉を酌み交わし、贈り物を受け取った罪だ。

 そもそも荘助が劉安と親しくなったのは、武帝が劉安を慰撫するために荘助を派遣したことから始まった。そのような経緯があるから武帝も罪を軽くしようとしたのだが、そこに現れたのが酷吏と有名な張湯ちょうとうである。

「帝の腹心ながら諸侯と私的に交際したことを咎めねば、今後統治が行えません」

 そのようにいうのだ。そうしてそれは確かに一理ある。

 腹心が賄賂のようなものを受け取り、その政治をほしいままにする。それは確かによろしくはない。

 結局のところ武帝は張湯の意に従い、荘助を処刑した。

 張湯も武帝のお気に入りであり、武帝はもともと腹心であってもためらいなく首を刎ねる人間でもあった。


 そこで憤ったのは朱買臣である。そして朱買臣は周りを顧みない。

 朱買臣は張湯に政治的な恨みや利権のために張湯を追い落としたい人間の尻馬に乗り、張湯は賄賂を受け取っていると武帝に誣告した。張湯は自身を陥れたのは朱買臣らであると書き残して自殺した。

 それで張湯の死後に自宅を調べられたが、家にあった財産は帝から下賜された金500斤のみであった。つまり完全な言いがかりだったのである。

 結局、朱買臣は誣告罪で処刑された。

 辻占いの50歳で立身出世する予言はあたったけれど、結局その後までは予言されていなかったのである。

 そして私は、後世、何故この朱買臣が一角の人物であるかのように扱われているのか、甚だ疑問だ。


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覆水盆に返らず 朱買臣という変な男の話 Tempp @ぷかぷか @Tempp

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