ACT.08/魔女狩り


 物音が聞こえたので、ナキアは目を覚ました。


 拠点のテーブルに座ったまま寝てしまったらしい。既に日は落ちていて暗かった。窓から入る月明かりだけが頼りだ。羽織った覚えの無い毛布が肩に掛けられていた。カルラが、風邪を引かないようにと掛けてくれたのだろう。今日はただでさえ水に浸かり、呪いへの抵抗力が下がっている。身体を冷やすのは、得策ではない。


 テーブルの上の物に目を向ける。今日調査した三つの井戸の水のサンプルと、その井戸に落ちていたものたちが並べられていた。


 拠点に帰ってからは夕食も取らずにそれらの分析に没頭していたが、成果はまったくと言って良いほどあげられなかった。呪術に反応する試薬を多数用意し、それらを井戸のサンプルに垂らして様子を見たり、熱したり、冷やしたり、濾過したり、沸騰させたり、様々な実験を行ったが、どれも特異な点はない。正真正銘の、ただの井戸の水でしかなかった。


 井戸の中に落ちていたものも同様だ。

 他の井戸も、木で出来た匙や割れた皿、コップと言った食器類や、古びた紐、最悪な物で言えば汚れた下着など、数多くの物を拾うことができたが、そちらも呪術反応は見られない。


 特に、スライムの核は調査した三つの井戸全てに落ちていたので、すわこれは本命なのではないかと思い重点的に解剖して調べたのだが、まったくもって何の変哲も無い、ただのスライムの死骸であった。


(まだ調査初日。簡単に手がかりが見つかるような案件じゃない。長期戦も覚悟している)


 そう頭では理解しているものの、やはり気落ちは避けられない。焦っている。自分でも、自覚している。しかしその焦りがどこから来るものなのか、それがわからなかった。


 くぅ、と魔女の腹の虫が音を上げた。

 空腹。

 何かに没頭すると、すぐに食事を疎かにしてしまう。


 睡眠を取るにしても、何かをお腹に入れてからにしたい。


 そう思い、階下へ降りる。


 一階の部屋――その窓際に、人影を発見し、ナキアは心臓が止まるかというほど驚いた。


「起こしてしまったか」小声。窓際にいたのは、カルラだった。

「いえ、ちょっとお腹が空いて……」気恥ずかしさから、ナキアは顔を赤らめる。「カルラさんは、どうしたんですか?」


 カルラは手招きをする。それに従い、ナキアは窓際へと近づく。「あまり窓から身を出さないように」そう忠告しながら、カルラは、窓の外――通りを指さす。


 外の通りに人がいた。

 ひとりやふたりではない。おそらく、十人以上。ランプの明かりが彼らの歩行に合わせて揺れている。


 月明かりの元、彼らが何をやっているかを観察する。

 どうやら、家を取り囲んでいるようだ。

 口々に何事かを話しながら、一軒の家を囲んでいる。


(さっき、目が覚めた原因は彼らだったのか――)


 囲まれている家――パーム河を挟んで反対側の、斜向かいの家だ。そう、あそこは確か……。


「あの家って――」

「ああ」カルラが頷く。「ロイド司祭に指定された、我々が本来拠点・・・・・・・にするはず・・・・・だった家だ・・・・・


 取り囲んでいる人間たちが何を言っているのか、はっきりとは聞き取れないが、どうにも穏やかでないことは理解できた。


 ここまで聞こえてくる怒号だけでも、「殺せ」や「燃やせ」「火あぶりにしろ」と言った断片が確認できる。


 つまり、彼らは、ナキアを殺すつもりなのだ。


 取り囲まれた家の窓から、黒煙が立ち上る。


「火を付けたな」カルラの声が険しくなった。


 民衆たちの声が大きくなる。「殺せ」リズムが重なる。「殺せ」増幅していく。「殺せ」


「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」


 それはまるでひとつの歌のように。あるいは祈りの聖句の用に。

 幾重にも織り重ねられた殺意の声が、夜の町に響き渡る。


 そこに、新たな人影が近づいていく。


「――お前ら何をしている!」


 二人組の騎士団の警邏が、騒ぎを聞きつけやってきたのだ。


 民衆たちは、蜘蛛の子を散らすように掛けだした。


 騎士団のうち一人が仲間を呼びに。もうひとりは消火活動を始める。


「どうやら、大丈夫そうだ」カルラが言った。

「……はい」

「だが、これではっきりしたな。我々があそこを拠点にしていることを知っている――いや、拠点にしたと思い込んでいるのは、ロイド司祭以外にはいない。情報をリークしたんだ。あの家に魔女がいるはずだと。そして、扇動した。魔女を快く思わない人に、魔女殿を襲わせようとした訳だ」

「……そうですね」

「魔女殿?」

「あ、いえ……」


 ナキアは、無意識のうちに自身の身体を抱きしめていた。寒さを感じているわけでもないのに震えが止まらなかった。じっとりと、冷たい汗が背中を流れる。


 恐怖。


 恐怖を感じていたのだ。

 なぜ?


 殺されそうになったから?

 もちろん、それもある。しかし、それだけではない。


 死にかけたことなら、一度や二度では無い。この旅が始まる時だって、〈梟〉に殺されかけた。カルラの対処が一瞬遅れていたら、間違いなく死んでいただろう。


 死が眼前に迫ったあの瞬間よりも、ナキアは今、恐怖を覚えていた。


 なぜ。


 怖れているのは――〈わたし〉が怖れているのは、【拒絶】だ。


 憎まれるのが怖い。嫌われるのが怖い。疎まれるのが怖い。存在を否定されるのが怖い。


 わたしの有用性を認めて欲しい。わたしを嫌いにならないで欲しい。わたしを邪魔に思わないで欲しい。


 好きになって欲しいとは言わない。嫌わないでさえ居てくれれば、それだけでいい。

 でも、それは無理だから。出会った人全てに嫌われないことは不可能だから。


 だから、わたしは、人との関わりを断つようになったのだ。


 誰かと関わらなければ、誰かから嫌われることはない。

 誰とも会わなければ、誰からも憎まれることはない。


 マイナスよりはゼロがいい。

 そう思い、ナキアは、人里離れた山の中で、ひっそりと暮らすようになったのだ。


 ――そっと、ナキアの手に、あたたかい物が触れた。


 カルラの指先だった。


「……え?」

 ふわりと、カルラの美しい黒髪が揺れるのが見えた。


 あたたかい。

 自身を抱き、震えるナキアを、その上からさらに包み込むように、カルラが抱きしめている。


「あ、あの、カルラさん?」

「大丈夫だ。魔女殿」


 戸惑うナキアに対し、言い聞かせるようにゆっくりと、カルラが囁く。


 突然の事態にどうすれば良いのか慌てるナキアであったが、結局はカルラにされるがまま、身体の力を抜いた。


 人に抱きしめられるなんて、いつぶりだったろうか。じんわりとあたたかい。他人の体温が、こんなに近くにある感覚が、新鮮だった。


 魔女は女騎士のぬくもりに身を委ねる。安心感が身を包み、震えは、いつの間にかすっかり止まっていた。


「もう、落ち着いたか」


 カルラが身を離す。


「あ、はい。大丈夫、です」


 ナキアは頷いた。カルラの体温が遠ざかり、少し寂しくなったが、先程までの恐怖は、どこかに消えてしまっていた。はじめから、そんなものはなかったかのように。


「食事にしようか」カルラは立ち上がる。「乳粥を作ろう。暖まる」

「あ、あの! カルラさん」

「どうした?」

「ありがとう……ございました」

「そんな、礼を言われるほどでは――」カルラはそこで言葉を切って、「――いや、どういたしまして、かな」


 そう言って、笑った。





 翌日。


 ナキアとカルラのふたりは、商業区にある一軒の家の前に立っていた。ドザンの家だ。一年ほど前、ナキアに仕事を依頼した――そして、カルラたち剣誓騎士にナキアを紹介した、あの商人の家である。

 海とほど近い場所に建っているため、潮の匂いが強い。


 扉をノックする。しばらくすると、中から二十代ぐらいの若い男が顔を出した。


「……誰?」男が、怪訝そうな顔を見せて誰何する。

「あ、あの、私はエルトナキアといいます」ナキアは名乗った。「ドザンさんの知り合いで、その……」

「ああ」男は頷いた。「聞いてるよ。アンタが魔女か」

「あ、はい。そうです……」

「じーさんは死んだよ」男は淡々とした様子で告げる。「一週間くらい前かな。診療所から連絡が来た」

「そうですか……」


 半ばわかっていたことではあった。しかし、それでも、ショックは隠せなかった。


「そうだ。じーさんから、アンタが来たら渡して欲しいって言われてたものがあったんだ」男はそう言うと、家の中へひっこむ。しばらくして、再度、扉が開かれた。


「はい、これ」


 男が差し出してきたのは、一本の瓶だった。


「これは……?」

「酒」

「それは、わかりますが……」

「『報酬』だってよ。もし魔女がこの町に来たら、御礼にこの酒を渡して欲しいってさ」

「報酬……」

「じーさんは、まあ、最後まで、アンタが来てくれればなんとかなるとは言ってたよ。もし危険を顧みずに魔女が来てくられたら、『ありがとう』って伝えてくれって」






「親しかったのか?」


 ドザンの家からの帰り――まだ未調査の井戸へ向けて歩いている最中に、カルラが尋ねてきた。


「親しい?」

「魔女殿と、ドザン殿が」

「ああ、いや……」ナキアは首を振る。「そんなことは、ないですよ。一回、ドザンさんからの仕事を請け負っただけです。カルラさんに名前を言われた時だって、思い出すまでに、時間かかってたじゃないですか」

「そうだな、だが――ドザン殿は、ずいぶんと魔女殿を信頼しているようだったからな……。彼から魔女殿を紹介された時も、それはもう、『魔女殿さえいれば、呪いは解ける』と、確信しているようだった」

「それは……、買いかぶり過ぎな気もしますが」

「それに、魔女殿も、この仕事を請けてくれたのは、ドザン殿のため――ではないのか?」

「……報酬に目がくらんだだけですよ」

「本当に?」


 カルラが、少し後ろを歩くナキアの方を振り返る。彼女の澄んだ瞳を見て、ナキアはひとつ溜め息を吐いてから、話し始めた。


「――報酬が欲しいのも、本当ですよ。ドザンさんを忘れていたのも、嘘じゃ無いです。名前を言われるまでは完全に忘れてましたし。それに、どちらかと言えば、苦手な人でした」

「そうなのか」

「私とは、真逆なタイプという感じで、声は大きいし、距離感が近いし、お酒くさいし、声が大きいし、身体も威圧感があるし、デリカシーがないし、飲めないって言ってるのにお酒を勧めてくるし、声が大きいひとだったので」

「お、おう……」

「でも、その、なんて言うんですかね……。うまく言えないんですけど、仕事に対する姿勢がですね……。それも、私とは違ったんですよね」


 いつの間にか、ナキアは歩くのを止めていた。カルラも、立ち止まっている。


「本当に、お客さんのことを大事に思っているっていうんでしょうか。自分が売っている商品を、食べてもらいたい――そして、おいしいと喜んで欲しい――それだけを考えている、そういうスタンスが、私とは違ったんです。私は、別にそういうのはどうでもよくて、もらえるお金の分だけ、薬を調合して渡したり、助言をしたりする――そういう感じでやってきてて、それが仕事だと思ってるんです。だから、採算度外視で海産物を仕入れて、売って、工夫して、そんなドザンさんが、なんていうのかな……うらやましい、訳ではないか。しんどそうな生き方だなって思いますし、そもそも他人があんまり好きじゃ無いですし、たぶん私には、生涯そういう考え方は持てないなっていうのもあるし、同時に、別に持ちたい訳でもないんですけど。でも、こう、たとえば、私とドザンさんのふたりの道があったとして、祝福されるべきなのは、彼の方だなっていう気持ちもあるんですよ。私は、山奥の小屋で静かに生きていくので、ドザンさんみたいな人には、明るい道を歩んで欲しい。そうして、もっと美味しい海の幸を、いろんな人に届けるような、そんな風に生きていて欲しいという気持ち……ですかね?」


 ナキアは、自分でも話しているうちに、何がなんだか解らなくなった。長く語った割に、自分の気持ちをうまく表現できているとは言えないことに気づいたが――しかし、まるっきり的を外している訳でもないような、そんな言いようのない中途半端さを感じていた。


「だから、カルラさんに、ドザンさんが死に至る呪いに掛かっているって聞いたときは、そうですね、ショックというか、『違う』って感じたんですよね」

「違う?」

「そうなんです。それは違う、間違っている、ズレているっていう感覚ですね『正しくない』って。そして、たぶんこの町ではそんな正しくないことが、もっとたくさん起きている。私は、どちらかといえば『間違っている』側の人間なんですけど、それでも、ドザンさんの側の人から、託された・・・・のなら、やらなければならないなって……そう、思ったんです」

「そうだったのか」カルラが頷いた。「話してくれて、ありがとう」


 本当はもっと話したかった。自分の奥底をさらけ出し、カルラに理解して欲しかった。しかし、喋れば喋るほど、言葉にすれば言葉にするほど、己の心情は、整理されるどころか、複雑化していっているように感じられた。言葉というモノの、なんともどかしいことか。だから、多少強引ではあったが、そういう風に結論づけることにした。


「そういえば、魔女殿は、ドザン殿からどのような依頼を受けたのだ?」


 カルラが話し出す。ふたりは、止めていた歩みを再開する。心なしか、ナキアの足取りは、軽くなったような気がした。


「えっと、アカホシウオってご存じですか?」

「いや……聞いたことが無いな」

「魚の一種なんですけど、その魚の卵が美味しくて、このあたりでは珍味として食べられてるそうなんです。ポッカロータって呼ぶんですけど、食べたことないですか?」

「そうだな……。実は私、魚卵が苦手でな」

「あ、そうなんですか?」

「一種のトラウマとも言えるかもな……。魚卵は基本的に高級品だろう? そうすると、小さい頃に周囲の大人がこう言って脅すわけだ。『魚の卵を食べたら、夜にお腹の中で孵化して内側から身体を食い破られるぞ』とな」

「そう怖がらせておいて、大人たちだけで、お酒のアテに食べるわけですね。ズルいです」

「ああ。だが、小さい頃の私はそれを本気で信じていて――いまでも、嘘だとはわかっているんだが、そのときの苦手意識がどうもな……」

「へえぇ……」


 思いも寄らないカルラの弱点を知り、ナキアは少し嬉しくなった。完璧超人に見えて、かわいいところもあるのだなという――親しみが沸いたのだ。


「そのポッカロータ、すっごく足が早くてですね、塩漬けにすれば少しは保つんですが、それでもすぐ痛んじゃうので、あんまり遠い町までは運べなかったんですよね。それで、なんとか日持ちさせる方法はないかって、そういう依頼でした」


 ……あれ?


「なるほどな。たしかに、王都や交易都市まで販路を広げられれば、商売の足がかりとして、かなり大きなものになるだろうな」


 ちょっと待った。

 ナキアは、そこで、何か、ぞわりとしたものを感じ取った。何か、とても大事なことを忘れてしまったような感覚。しかし、なにを忘れたのかすら忘れたような……。


(ちがう、そうじゃない)


 足がいつの間にか止まっていた。

 前を歩くカルラが、心配そうに声を掛けてくる。

 しかし、その声も届かない。


 遠くを見ているようだ。

 しかし、ナキアはどこも見ていない。


(探せ)


 魔術の研究をしているとき、ふとこういう感覚に襲われる時がある。「何かを思いつく」予兆だ。それは、言葉になって現れる思考の、もっと奥、さらに根源的な直感のもたらす、独特の違和感ひっかかりだ。


 絡まった思考の奥、頭の中に一瞬だけ過ぎる、かすかなアイデア。

 その一瞬をうまく掴み取らないと、すぐに忘却の彼方へと消え去ってしまう。


 そうじゃない。気付け、気付け。探せ。わかった。わかっている。いや、まだわからない。もしかして、そういうことか。確証は無い。


 自分の思考がどんどん加速しているのを感じる。探せ。


 言葉が追いつかない。探せ。

 仮説だ。だが、おそらくこれが正しいのでは無いか。


 探せ。証明方法、検証、対策、そういった案がいくつも浮かんでは消えていく。


 探せ。

 探せ。


「――魔女殿?」


 突然、周囲の音が聞こえるようになった。ナキアはびっくりして転びそうになる。目の前にいた、カルラが、慌てて彼女の腕を取った。


「大丈夫か?」

「あ、はい、あの――」


 ナキアはカルラの瞳を見る。

 心臓が高鳴る。興奮しているのを感じる。かたちを持たなかったひらめきは、今やナキアの頭の中にしっかりとしたイメージを伴って存在していた。


「あの、カルラさん、この町の、外国との交易の記録って見れますか?」

「交易記録?」カルラは、怪訝そうに眉をひそめる。「いや、それは多分――上に掛け合えば見られるだろうが、しかし、どうするつもりだ?」

「えっと、その、私、あの、わかった、かも、しれません」

「わかったって、何がだ?」


「――呪いの、正体が」

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