ACT.07/拒絶


 誤算だった。


 それは、致命的な誤算と言えた。


 〈渇き病〉の患者たちが集められている治療所はいくつか存在する。その内のひとつに、ナキアとカルラは訪れていた。目的は無論、〈渇き病〉に罹患した患者を診療し、呪いの解析をすすめるためだ。


 しかし、結論から言えば、それは叶わなかった。

 呪いの解析が――ではない。

 患者に会うこと、それ自体が、である。


 診療所の責任者である医師に事情を説明したところ、断られたのだ。

 理由は『噂』だった。


 「この町に、呪いを掛けた魔女が戻ってきている」

 そういう噂が、患者たちの間で流れているらしい。そんな中、魔女が患者を診察すればどうなるか。その精神的苦痛は、計り知れない。「仮に・・ナキアが呪いを掛けた魔女でないとしても、それだけで具合が悪化するには十分だ。そもそも、患者たちだって診察を拒否するに違いない」――そういう理由だった。


 では、素性を隠せばいいのではないか。

 ナキアの事は、流れの薬師として――年齢が若すぎるというのなら、その弟子として――〈渇き病〉を治療するための薬を調合するべく、患者たちを診療する。そういう『設定』にして、患者たちには真実を伏せて行えば問題はないのではないか。そう食い下がったのだが――。


「もう、遅いですよ」医師は首を横に振った。

「遅い?」

「魔女の特徴として、『藤色の髪をしている少女』という情報まで噂としては流れています」医師はナキアの方へ視線を向ける。「その髪色は珍しい。そんな嘘を吐いたところで、すぐにバレてしまいます」


 医師の視線から隠すように、ナキアはフードを被る。


「ただでさえ重度の〈渇き病〉の患者は、精神状態に異常をきたすケースが多いのです」医師は言った。「その上さらに患者に対してストレスを掛けるわけにはいきません。お引き取りください」


 というような断りを、全て・・の診療所でされたのだ。

 ひとつだけでは無く、ライルの町に現存する、六カ所の診療所全てで――である。


「いくらなんでも早すぎる。魔女殿が到着してから昨日の今日だぞ」カルラが、憤懣やるかたないといった様子で言い捨てた。「誰かが意図的に噂を流している。そうとしか思えない」

「聖東教会――ロイド司祭でしょうか」ナキアが確認を取る。

「だろうな。他には考えられない」

「皆さんずいぶん頑なでしたね。いえ――、状況的には、あの過敏な反応も無理はないとは思いますが……」

「おそらく、噂を流しただけではないだろう。責任者の医師には、直接言い含めてあるに違いない」

「と言うと?」

「今のライルの町は医療関係者の人手も足りていない。どの診療所もカツカツで、聖東教会から派遣された職員がいなければ成り立たないような状況だ。そんな中、教会側から『魔女に患者を見せるな』と伝えられれば、従わざるを得ないだろう。平時であれば民間の診療所に従う義務はないが――いま、この窮地では、患者を人質に取られているようなものだからな」


 ナキアは押し黙った。教会と魔女。決して相容れない関係とはいえ、『呪いを解く』という目的は同じはずだ。こうしている今も〈渇き病〉の犠牲になっている人が大勢いる。そんな時に、協力はせずとも妨害をしている暇なんてあるはずがない。人命は何よりも優先されるべきではないのか? いくら魔女が憎いとはいえ、そこまでするだろうか?


 昨日までのナキアは、そう思っていた。しかし、自分のその考えが、甘い物であることを実感していた。昨日の、ロイド司祭の言動が、表情が、狂気が、迫力が、態度が、主張が――その全てが、ナキアの心に突き刺さっていたのだ。相互理解などはない。存在の黙認すら赦さない。あるのは――底知れない『憎悪』。ただ、それだけ。


「教会の援助を受けてない診療所などはあるのでしょうか」ナキアは尋ねる。「個人でやっているような小さな箇所ならば、あるいは」

「難しいな」カルラは首を振る。「〈渇き病〉の感染が拡大してからは、呪いに掛かった患者は、同じ場所に纏めるような方針を、町全体で取っている。先程訪れた六つの診療所は、個人経営の小さな物も全て統合して組織されたんだ」

「むぅ」

「今では、呪いに掛かったと思わしき場合――つまり、体調を著しく崩した場合――は、教会関係者か、巡回中の騎士団へ伝えてもらい、即座に診療所に隔離されるような流れを取っている。そこで様子を見て〈渇き病〉だと診断されれば、そのまま入院だ。だから、診療所以外の場所で患者と接触をするのは、難しいだろうな……」

「そうですか……。騎士団の方に口添えして、体調が優れない方を診療所に送る前に、診せていただくことは可能でしょうか」

「それならば、なんとか可能性はあるかもしれないな。隊長に進言しておこう」


 〈渇き病〉解呪への道は、第一歩から暗礁に乗り上げた。

 患者を直接診断することが叶わなければ、呪いの解析は不可能に近くなる。それこそ、ナキアが例えたように、木を知らずに森の絵を描くように、だ。




 呪いの解析と同時に、進めておかなければならないことがある。

 感染経路の特定だ。


「本当に、魔女殿が降りるのか?」カルラが、心配そうに尋ねる。

「はい。たしかに、カルラさんがやった方が、身体能力的に安全ではあるのですが、やはりここは自分の目で確かめておきたい、というのがありまして」


 ナキアの腰には太いロープが巻かれている。命綱だ。それとは別にもう一本、ロープを手にしている。


 ふたりの前には、井戸があった。

 ナキアがあたり・・・を付けた感染経路である井戸の調査に、ふたりは訪れていた。市街区にある、もっとも新しく感染が確認されたブロックの住民たちが、利用していた井戸だ。ナキアは用意した陶器の瓶に井戸の水を汲みサンプルを採取すると、それとは別に、直接井戸の中に降りて調査する旨を伝えた。


 カルラも、事前に話は受けていて、ロープなど必要な物を用意はしたのだが、いざ実行の段になると、やはり不安は隠せなくなった。水に濡れるため上着を脱いだナキアの、あまりにもほっそらとした腕の細さに、どうしても心配の気持ちが隠せない。危険だ。万が一落下した場合、下に水がたまっているとはいえ、無傷では済まされないだろう。


「大丈夫です」ナキアは安心させるように頷く。「この町の井戸はパーム河から引いた水を溜めておく構造になっています。地下水をくみ上げるタイプに比べれば、全然浅いので、問題ありません」

「そうか……」


 そうは言われても安心はできない。とはいえ、代わるわけにもいかない。カルラが下に降りて、魔女であるナキアならば見逃さなかったはずの『何か』を、無知故に見落としてしまったら――そして、その『何か』が〈渇き病〉解呪のための、重大な手がかりになるはずのものだったら――そういったリスクを考えれば、たしかに、呪いの専門家であるナキアが直接調査するのが最善手のはずだからだ。


 一本のロープの先端を、井戸の外にある柱に固定し、逆側の先端を井戸の中へと垂らす。ピンと張る長さの調節が必要な命綱は、カルラが持って操作を行う。


 ナキアは、ロープを手に、ゆっくりと井戸の中へと降りて行った。釣瓶式の井戸なので、水を汲むためにバケツの付いた縄も井戸の中に垂れてはいるが、それは使わない。言うまでもなく、人がぶら下がるための強度は想定していないからだ。


 背中と足を突っ張るようにして、ロープを掴みながらずり下がるように降りていく。井戸の直径が狭ければ、身体を動かしにくくなるし、逆に直径が広すぎると、背中と足でつっぱることが難しくなる。そういう点でこの井戸を評価するならば、広すぎず狭すぎず、ナキアが降りていくのにちょうど良い塩梅であった。


 カルラは、ナキアの合図に従い、少しずつ手にした命綱をゆるめていく。そうすれば、足を滑らせたり、ロープを離してしまった場合でも、落下は最小限に済むはずだ。


「到着しました。ランプをお願いします」


 ナキアの声が、井戸の底から響く。カルラは、紐を付けたランプをゆっくりと垂らしていく。「はい、大丈夫です」という位置で、ランプを降ろすのを止めた。これで、ナキアの周囲が照らされることになる。


「カルラさん、ちょっとの間、命綱を緩めてもらっていいですか?」

「わかった。何をするのだ?」

「少し水に潜ります。もし数分経っても反応がなければ、ひっぱり上げてください」

「ちょっ――魔女殿!?」



 四半刻の後、潜水を繰り返し、長く水に浸かったことで体温が下がり――歯をガタガタとかみ合わせるナキアを、カルラは井戸から引っ張りあげることになる。

「大丈夫か?」上着を掛けながら、カルラが声を掛ける。

「ら、らいじょうぶです……」ナキアの呂律は回っていない。


 ぐしゃりと、ナキアが手に持っていた袋を地面に降ろした。


「これが戦利品か」

「はい」ナキアは袋を開ける。「井戸の底に落ちていた、落とし物とか、ですね」

「……これは?」


 カルラは怪訝そうに眉を顰める。ナキアが取り出した物がよくわからなかったからだ。小ぶりな瓜ほどの大きさの、ぶよぶよとした、透き通っているゼリー状の塊だ。白く濁ったそれは、たしかに何らかの呪術的な物と言われても納得ができる。


「これは、スライムの核です」ナキアが説明する。

「スライムが井戸に入っていたのか」

「そうですね。田舎なんかだと、水を求めたスライムが井戸に落ちるっていうのはわりとよくあるんですよ。そのまま出られないので、栄養失調で餓死するんですが。で、餓死したスライムっていうのは、こういう風に核だけが残されて、周りの身体の部分が溶解するんです」

「……死骸が井戸水に溶けるということは、知らない間にスライムを飲んでしまっていることもあるのではないか?」

「普通にありますよ。まぁ、毒があるものじゃないですし、スライムの組成は九割九分が水なので、問題はないですね」

「そんな事知りたくなかった……知りたくなかったな……」カルラは落ち込んだ。


 テンションが下がった女騎士を尻目に、次の物品を袋から取り出す。金色の指輪だった。宝石などは嵌められていない、シンプルなデザインだ。


「これは、結婚指輪――か?」カルラが目を細める。

「多分そうかなと思います。井戸を使用する際にうっかり落としたか――」

「痴情の縺れの末、わざと捨てた、か?」

「そうですね。まあ、この町は河も海も近くにあるので、捨てるならそっちに投げるんじゃないかなとは思いますが」

「そうとは限らないのではないか? 男女の仲は複雑だ。恋人としては関係が終わってしまっても、捨てきれない未練や、想いというのはどうしても残るものだろう。手元には置いておくのは辛いが、完全に失ってしまうのは嫌。そういう微妙な感情の末、折衷案として井戸に落としたのかもしれない」

「鋭い洞察。さすがですね……。山の奥に隠れ住んでて恋愛経験ゼロのひきこもり魔女とは違う、都会の女性ならではの視点」

「いや、私もそういう経験はないが」カルラは言った。「完全に知り合いからの受け売りでしゃべってる」

「あっ――すぅー……(息を吸う音)」


 微妙な沈黙が、ふたりの間に流れた。

 気を取り直すために、ナキアは次の品物を取り出す。この井戸で見つけたのは、これが最後だった。


「革のブーツか。右足が片方だけ」

「はい。大きさからするに、おそらくは男性のものかと思います」

「造りもしっかりしている。穴が空いていたり、壊れている様子もないな」

「そうですね。そして、ブーツは指輪と違って、『うっかり落とす』ということはないと思います」

「たしかにな。じゃあ意図的に捨てた、か――いや、それにしては……」

「そう、新しいんですよね。水に濡れているのでちょっと解りづらいんですけど、使用感が全然見られない。履きつぶして捨てた、という訳では無いでしょう」

「つまり、この靴が『怪しい』と?」

「まだ断言はできません。井戸に変な物が落ちてることはしょっちゅうありますし、詳しく調べてみないことには」

「ふむ……そういえば魔女殿、ひとつ気になったのだが」

「なんでしょう」

「このパーム河そのものに呪いが掛かっているという可能性はないのか? この町の井戸はパーム河から水を引っ張っている。ということは、河に呪いを掛ければ、井戸全てに呪いを行き渡らせることができるし、効率的ではないか?」

「結論から言えば……可能性はかなり低いですね。ゼロとは言えませんが。例えるなら、呪いを『毒』だと思ってください。パーム河の水量は、かなりの物ですし、なにより、河ですので、水が常に流れていっています。そうなると、河全体を呪いで汚染するには、相当量のエネルギーで、常に術を掛け続けなければならない訳です」

「なるほど。目に見えない呪いといえど、力は無制限というわけではないのだな」

「そうですね。もし魔女がパーム河に呪いを掛けて、この町を滅ぼそうとするなら、河のそう離れていない上流に工房を構え、日夜問わず術式を掛け続ける――ぐらいの手間とリスクがないと難しいでしょう。それもひとりではなく、複数人の魔女が集まって」

「あまり現実的では無いな」

「巡回の騎士団に発見される恐れが大きいですし、それだけの強い呪いになると、残滓も相当『濃い』ものになります。そうすると、経路の特定や呪いの解析をするのも容易になってしまいますからね」

「結局、井戸に呪いを掛けるのが、術者側にとってはベターな方法というわけか」

「はい。他の井戸も調べてみましょう」


 その日は合計三つの井戸を、同じように探索し、終了となった。

 夕暮れの時間が迫っていたことと、なにより、ナキアが長時間水に浸かることによる体力の消耗から、三つが限界だったのだ。

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