ACT.06/共感呪術
†
昼食の後、ふたりは、カルラの淹れてくれた食後のお茶を飲んでいた。
「魔女殿、ひとつ質問をしてもいいだろうか」
「なんですか?」
「なぜ、呪いが流行っている時は、食べ物や水に気をつける必要があるのだ? 汚れた水だったり、痛んだ食料を食べたときに腹を下す――というのとは違うのだろう? 呪われた物を食べると、呪いにかかるというのは――感覚的にはなんとなくわかるのだが、周りの者に聞いても、皆はっきりとはわかっていなさそうだったので、気になっていたんだ」
「ふむん――」
ナキアは、首をかしげ、少し考える素振りを見せる。
「あ、いや、面倒くさいならばいいんだ。少し気になっただけで」
「えっと、そうではなく、どこから説明するば良いのか悩んでいて――カルラさんって、そもそも何故呪いが人から人へ伝わっていくのかは、ご存じですか?」
「改めて言われてみれば、それもよく知らないな……。自らの浅学を恥じ入るばかりだ」
「なるほど。――そうなると、呪術の基本的な部分から説明することになるので、少し長くなりますし……退屈かもしれませんが、それでも大丈夫ですか?」
「魔女殿の話が退屈だったことはない。ぜひお願いする」
「……わかりました」
ナキアは、お茶を一口飲み、唇を湿らせてから、話し始めた。
「魔女が使う呪いのカテゴリはいくつかあるんですが、その中のひとつに『共感呪術』というジャンルがあるんですね。これは、『共感の法則』と呼ばれる、人間だったり、人間以外だったりが持つ、認知と情動の結びつき――共感を基盤とした法則性を利用した呪術体系のことを言います」
「共感というと、人が悲しんでいると、自分も悲しくなってしまう、あれだろうか」
「そうですね。認識としては、それが近いと思います。『共感呪術』はさらに大別するとふたつに分けられて、それぞれが『類感呪術』と『感染呪術』と呼ばれています」
「類感と感染……」
「まず、『類感呪術』ですが、これは『類似の法則』――つまり、【似ている物は同じ物だと見做す】、呪術の基本法則に基づいた呪いのことを指します」
「似ている物は、同じ?」
「そうですね……。たとえば、特定の個人に呪いをかけるとき、人形を用意して、その人形に杭を打ったりするんです。つまり、それは人形という『人間の形を
「人間に呪いをかけるときは、犬や熊のぬいぐるみは使えないということか」
「少なくとも、人を象った人形より、呪いの効果は落ちますね」ナキアは頷いた。「類感呪術の例ですと、〈古き罰の魔女〉シルエッタの話が有名です」
「シルエッタ?」
「シルエッタは美しい魔女で、長閑な村に暮らしていたんですが、ある日、彼女の噂を聞きつけた領主が村を訪れ、妾にならないかと持ちかけたそうです。シルエッタはそれを断ります。提案を断られた領主は怒り、見せしめのため、彼女の住む村を焼いて、村人たちを皆殺しにしました」
「呆れた奴だ。生かしておけないな」
「ですが、シルエッタ本人は、命からがら逃げ延びることができたそうです。シルエッタは復讐のため、そのとき領主が肖像画を依頼していた画家の元を訪ねました。彼女は画家から領主の肖像画を買い取ると、その場で絵に火を点けたんです」
「買った絵を、すぐ燃やしたのか?」
「はい。時を同じくして、画家の家から遠く離れた――王都の晩餐会に参加していた領主の身体が、何もしていないのに突然炎に包まれ、燃え上がったと言います。『類感呪術』を用いた、遠隔呪殺ですね。『精巧な領主の肖像画を』、『領主本人』だと見做したわけです。なので、絵を燃やしたことで、離れた場所の領主も燃えた、ということです。その後、復讐を果たしたシルエッタは姿を消しました」
「なんというか……、やりきれない話だな」
「余談にはなりますが、しばらくの間、王都の貴族たちの間では、肖像画を、影絵のように、黒一色で塗り潰させるのが流行しました。シルエッタの類感呪術に対する対策ですね。自分の絵を影だけにすることで、自分自身と同一視させないようにするための処置だったそうですよ」
「ほう……」興味深そうに聞いていたカルラが、そこで何かに気づいたように目を開く。「……もしかして、いまでも黒一色で塗りつぶした影絵を『シルエット』と呼ぶのは――」
「そうですね。〈古き罰の魔女〉シルエッタが、シルエットの語源だと言われています」
「そんなところに語源があったとは……」
「物騒な例だけだと何ですので、もうひとつ紹介すると、私の知り合いの、〈慈雨の魔女〉ディーネは雨乞いの呪術が得意なのですが――雨乞いの際は、日照りに悩む村の人たちに、水を撒かせるみたいですよ。お祭りみたいに村人総出で」
「もったいない気もするが、それもなにか意味があるのか」
「そうですね。つまり『水が宙を飛び、地面に降り注ぐ様子』を『雨が降っている状況』と同一視して、本物の雨を引き寄せる――ということらしいです。まがい物を本物にすることが、この類感呪術の神髄、という訳ですね」
「なるほどな……。言われてみれば私も、木剣で打ち込みの特訓をしていて、夢中になったときにふと訓練用の丸太を斬ってしまっていたことがあったな。あれも、無意識のうちに、木剣を本物の剣と同一視してしまったが故のことだったのだろうか」
「それは、ただ単にカルラさんが強すぎるだけだと思いますけど」
木で木を斬るな。
ナキアは、お茶を一口飲んだ。いったん仕切り直してから、続きを話し始める。
「共感呪術のうちの、もうひとつが『感染呪術』ですね。これは、『接触の法則』に基づいた呪術体系です」
「接触の法則?」
「はい。【一度接触したもの、あるいは、元はひとつのものであった物質同士は、遠くに離れていても、お互いに作用仕合う】という法則ですね。接触の法則は、かなり強い原則なので、遠隔への呪いでよく利用します。特定の人間に呪いを掛けたいときは、その人間の髪の毛だったり爪だったり、血液だったりを入手したり、その人間が長く愛用している物品なんかを入手するのが常套手段だったりするわけです」
「その身体の一部や愛用の品を呪術に使うと、遠く離れた『本体』へ呪いを飛ばせる、ということか」
「そうですね。これは、逆もいえます。呪いが掛かっている物体に、他の物が接触をすることで、接触したものにも呪いを掛けることができるんです。今回のように、不特定多数に呪いをばらまく場合には、まずこの手法がとられます」
「呪いが掛かっている人間に触れると、その人間にも呪いが掛かる。そうやって、ねずみ算式に呪いに感染した人間を増やしていくわけか――いや、しかし、そうすると……、逆に、呪いが掛からない場合はどういう理屈だ? 今回の〈渇き病〉の件で言えば、患者の治療に当たっている医師や、教会関係者の中にも、呪いに感染していない者がいる。呪いの感染者に触れると感染するなら、そういった者たちが真っ先に犠牲になりそうだし、そもそも、この町も、教会も、騎士団も、とっくに滅んでいるはずではないのか?」
「それは、『接触』にも種類があるから、ですね」
「接触の、種類?」
「そう、例えば、町を歩いていてすれ違う程度のものから、話して一緒に食事をしたり、あるいは、握手をしたり、身体に触れたりだとか。より軽い接触と、深い接触とで、呪いの伝わり方にも違いが生じるわけですね」
「ははあ、そうすると……深い接触の方が、伝わりやすい、というわけか」
「はい。そして、例外もありはしますが、原則としては『強力な呪い』ほど、伝播にはより深い接触が必要になる傾向にあります。たとえば、風邪とかですと、瘴気感染――同じ部屋の空気を吸うだけでも感染したりはしますが、治療が不可能な、死に至るレベルの呪いになると、かなり深い接触が必要になるケースが多いですね」
「『かなり深い接触』というのは、どの程度になるのだ?」
それまで立て板に水を流すように流暢に話を続けていたナキアが、カルラのその質問に対して、言葉に詰まる様子を見せた。しばらく悩んだあと、目を背け、ぎりぎりカルラに聞こえるかどうかという程度の声量で、回答を口にした。
「……えっと、その――え、えっちなこと、とか……」
「……そんな風に赤面されると、こっちまで照れてくるな」
「おほん。とにかくですね、そういった接触の深度――とでもいいますか。その中で、最も深いもののひとつが、『対象を喰らう』という行為なんです」
「そうなのか」
「はい。食べる、という行為は、呪術的には大きな意味合いを持つ行為なんです。もはや『その者とひとつになる』ということですからね」
「とはいえ、人を食べたりはしないだろう……」
「普通は、そうですね。ですが、歴史上には例が無いことも無いんです。かつて存在していた、ノーギッツという部族の戦士は、戦争で斃した相手の戦士の死体を食べていたそうです。特に、強い戦士の物は好まれていたようで、強大な相手の肉を食べることで、その戦士の力を取り込んでいたと言われています」
「なかなかに壮絶だな……。しかし、現在では、食人はタブー視されているし、一般的なコミュニティではまず見られないだろう? 呪いの拡散には使えないのでは――」そこで、カルラは何かに気づいたような仕草を見せた。「――ああ、そうか。『食べる』対象は人間でなくてもいい、のか」
「正解です。たとえば、水であったり食料であったり――そういったものに呪いを掛けておけば、それを飲んだり食べたりした人間に、呪いを取り込ませる――呪いを掛けることができるんですね。だから、呪いが流行している地域では、水や食料に気を遣う必要があるわけです」
「なるほど、納得がいった。そういう理由だったのか」
「先程、カルラさんは『汚れた水や傷んだ食料を食べるのとは違う』と仰っていましたが、本質的には同じだったりします。腐っているもの――状態が悪いものを食べるという行為は、その『悪い状態』を自分に取り込む、悪い状態のものとひとつになることを意味します。なので食べた人間も、お腹を壊したり、具合が悪くなったりするわけです」
話を聞いたカルラは、何度も頷いて見せた。
「いやあ、勉強になった。魔女殿は、説明がうまいな」
「うう――」
真正面から褒められ、ナキアは照れる。
「そうすると、やはり、今回の〈渇き病〉の件についても、飲食から広がっていったのだろうか」
「そうですね。まだ第一印象でしかないのですが――」ナキアは、先程までにらめっこをしていた地図を思い出す。「その可能性は高いかと思います」
†
寝室。
壁に貼られた地図。そこに書き込まれた細かい文字を示しながら、ナキアはカルラに向かって説明をしてみせる。
「この地図に書き込まれている数字が、呪いの感染者の人数と、発症が確認された日付になっています」
カルラは、地図に書かれたあまりの文字の細かさに、目を細める。
「一見ランダムにも思えるかもしれませんが、こうしてみると傾向がつかめてきます」
ナキアはそう言うと、地図の西側、海岸沿いの当たりを指し示す。
「まず一点。全体的には、海岸付近から内陸へ向けて、西から東に感染状況が進んでいってるように見えます」
「たしかに」カルラは頷く。「そういえば、最初に呪いの感染を確認できたのも、漁師だったはずだ。呪いは海からやってきた、という事だろうか?」
「その可能性もありますし、もうひとつ――」ナキアは指を動かし、地図の内何カ所かのブロックについてまるで囲んで見せた。「感染者が出るタイミングが重なっているケースですね。こういった、住んでいる家の近い一区画が、ほぼ同時に呪いにかかっていることがわかります」
「ふむ。これは自然というか、住んでいる場所が近いなら、その分接触が増えるだろう。なので必然、家が近い者同士が、同じタイミングで呪いにかかる、というのも頷ける」
「はい。ですが、不自然な点もいくつかあります。たとえばここのブロックと、ここのブロックについてなんですが――」ナキアが、隣り合うふたつのブロックを指さす。「このふたつのブロックは、すぐ近く、隣同士でありながら、感染が確認されるまでに、三週間ものタイムラグがあります」
「むっ……本当だ」
「こういった、隣あっているのに妙に感染が遅い場所、というのがいくつもあるんですね。そもそも、綺麗にブロックに分かれすぎている、というのも奇妙と言えば奇妙です。もしも、〈渇き病〉が単純に接触の法則に伴って拡がる呪いであるならば、ここまで綺麗にブロックごとに分かれず、もう少し単純なグラデーションを持ちつつ、拡がっていくように見えるでしょう」
「言われてみれば、そもそもこのブロックを分け隔てる要素はなんなのだ? 道や水路などで分断されているところもあれば、そうでないところもある。隣通しの家でも、ブロックが分かれているケースも見受けられるが……」
「おそらくは――」ナキアが、地図上のある点を指し示す。もう一カ所。さらにもう一カ所。さらに――。
「――井戸か」
ナキアは頷いた。
感染状況が固まっている一区画は、井戸を基準にして分かれていた。地理的に、「同じ井戸を使用しているであろう区画」が、そっくりそのまま呪いの感染確認のタイミングが同じ区画と一致しているのだ。
「はい。この〈渇き病〉は、井戸が呪いの感染経路となっている可能性が高いです」
「城や町を
「断言はできませんが、おそらくは」
「それで、魔女殿は、今後、どういう風な戦略を取るのだ?」カルラが尋ねる。
「大きくは聖東教会とは変わらないと思います。感染経路の特定と、感染源である呪いの解析ですね。具体的に言うと、いま立てた仮説の『井戸が感染経路である』が正しいかどうかを確認するために、ライルの町の井戸を調べるというのがひとつ」
「この町の、全ての井戸を、か?」
「そうですね。教会も、井戸については当然調べているでしょうから、どういう検査を行ったのかの記録をいただければ、多少は楽にはなるかもしれませんが……難しいですよね」
ナキアが作成した地図は、聖東教会の資料を基にしている。で、あるならば、当然教会も同じようなものは作成しているはずだ。むしろ、ナキアとは違い、直近のデータもある分、精度はより高い物になっているだろう。必然、感染がブロック化していることにも気づいていると予想されるし、それが井戸を起点としていることも把握しているに違いない。教会が、港町の井戸に対してどのような調査をしたのかがわかれば、同じアプローチを避けることもできるし、魔女という立場の第三者から見て、調査方法に何かしらの『抜け』があるならば、そこを潰すような対策も立てられる。だが――、
「ダメ元で資料の閲覧申請は出すが……、おそらく断られると思う」
カルラは溜息をつく。井戸に対する調査情報というのは、機密に属する物になるだろう。閲覧を申請すれば、それは間違いなくロイド司祭まで上げられ、彼の判断に委ねられる。司祭の魔女に対する憎悪を見れば、申請が却下されることは、火を見るより明らかであった。
「嘆いていてもしかたがありません」ナキアは言った。「もうひとつは、感染源の解析です。これは、実際の患者の方に会って、直接問診を行うしかないでしょう」
「やはり、治療の記録だけでは難しいか」
「はい。どうしても、患者の生の声や、様子を目で見ることができないと、気づけないことは絶対にあります。情報量が段違いですので。呪いに掛かった患者を診ずに呪いを解くなんていうのは、木を知らないまま森の絵を描くようなものです」
魔女はそう言うと、仕事用の鞄を肩に掛ける。
「と、いうわけで行きましょう。調査中の護衛、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼む」
ふたりは、顔を見合わせると、頷き、出発した。
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