ACT.05/港町ライル
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港町ライルには、大きく分けて三つのエリアが存在する。
まずは、港を中心とした商業区だ。これは、もっとも古くからあるエリアであり、その名の通り、店であったり、あるいは、交易を主とする業者などが立ち並んでいる区域のことだ。
二つ目は、その周囲に広がる居住区。
町が広がりを持つに連れ、自然に拡大していった、人が日常生活を営むために必要なエリア。多くの市民たちはここに家を構えている。
最後に、上層区。
これは、一番新しくできたエリアであり、つまり――ライルの町が発展していくにつれ、大きな『財』を持つようになった人物たち――交易で成り上がった大商人たち――が住む区域だ。貴族の別荘なども存在する。
明文化され、どこからどこまでがどのエリア――などと決まっているわけではないが、町の歴史が長くなるにつれ、半ば自然により分けられるようになった。その境界線は、初めて町を訪れたナキアですら、はっきりと感じられるほどであった。
司祭ロイドが指定した、ビンス商会の空き家も、上層区に存在していた。
「カネを持っている者たちは、〈渇き
夜の大通りを、ふたりで歩く。騎士団の詰め所に馬を預けたため、ふたりとも徒歩であった。
「呪いにかかる前までは、この町で一番治安が良い区域だったんだが、いまでは真逆だな」
「……火事場泥棒ですか?」
「そう。もちろん、高価な物は家主が逃げる際に持ち出してはいるが、大きな家具だったり、どうしても置いて行かざるを得ないものなんかもあるからな。そういった物を狙う輩は、想像以上に多い――と、ここだな」
目的の家にたどりついた。通りの端にある、大きな家だった。デザインも瀟洒であり、まだ建てられたからそれほど経っていないように見えた。
扉に手をかけたカルラの動きが、はたと止まった。
「どうしました?」ナキアが尋ねる。
「いや――そうだな……、ここはやめておこう」
「え?」
カルラはそう言うと、河を挟んで反対側の――斜向かいの家へと移動した。
「ここにしよう。この家も、空き家だ」
カルラはノックをすることもなく扉を開け、家の中へと入っていく。
「……でも、いいんですか?」ナキアは恐る恐るカルラの後に続く。「勝手に家を変えてしまって」
「なに、念のため、だ」
カルラの釈然としない物言いに、ひっかかるところを感じたナキアではあったが、とにかく、疲れ切っていたため、それ以上追求するのはやめることにした。旅の疲れもあるが、先ほどのロイドとの対面での精神的疲労も大きい。
――なので、ここでカルラが言った『念のため』の意味を理解するのは、もう少し先のこととなるのだった。
ふたりが寝床に決めた家も、ビンス商会の家ほどではないが、十分すぎるほど立派な造りをしている。部屋はいくつもあり、二階の寝室には、おあつらえ向きにベッドがふたつ付いていた。机やテーブルなどの家具も残されており、生活には不便しなさそうである。ベッドには毛布などは敷かれていなかったが、それでも、固い土の上で寝ることに比べれば、雲泥の差だ。
カルラは、家の中を見回りし、その間に、ナキアは荷物の整理を始めた。とはいえ、もう時間帯は遅い。本格的に準備をするのは明日からにして、まずは一刻も早く身体を休めたかった。
「鍵がついているのはありがたいな」見回りを終えたカルラが寝室に入ってきた。「多少はこころを落ち着けて休むことができる」
カルラは、ナキアの隣のベッドに腰を下ろした。旅の途中では、野宿をするときはもちろん、宿に泊まる際も、カルラは常に周囲を警戒していた。無論、ふたりで見張りを交代しつつ休みをとったのだが、それでも睡眠時間は圧倒的にカルラの方が短かかった。「騎士団なので慣れている」との弁だったが、それでも心配になってしまうのが、人情というものである。どうやら、ここでなら多少はカルラも気を休めることができると聞いて、ナキアはほっとした。
「ごめんなさい」ナキアは、ぽつりと呟いた。
「何がだ?」
「……〈剣の誓い〉のことです」
「ああ、あれか」カルラは、なんてこと無いように微笑んだ。「特に問題はないし、魔女殿が謝ることではないだろう。たしかに、許可無く勝手に誓いを立てるのは禁じられているが、あの状況では他に手立ては無かったしな」
「そうじゃなくて、もしかしたら、カルラさんが死んじゃうかもしれないでしょう」
「それはないだろう。魔女殿はこの町の人間を害するつもりがあるのか?」
「ありません。ないです。でも、そのつもりがなくても結果的に――という可能性は否定できないから。たとえば、今回の件で私が〈渇き病〉の呪いを解くために、薬を調合したとして、その『副作用』で患者の方が亡くなった場合――誓いに抵触するんじゃないでしょうか?」
「意図せずに、か――」カルラは、少し思案する。「そうだな……実際にそうなってみないとなんともいえない部分はあるが――たしかに、その可能性はあるだろう。むしろ、ロイド司祭のあの狂気からするに、もしかしたら私に〈剣の誓い〉をやらせた狙いは、そんな風に誓約を逆手にとって、私を殺すためだったのかもしれないな」
「でしょう。だから――」
「仮にそうだとしても、魔女殿の責任では無い。むしろ、考えが足らずに、司祭の命ずるがまま、リスクのある誓いを立て、魔女殿が呪いの解決に対して取れる手段を減らしてしまった、私こそが責められるべきだろう」
「それは……」
ナキアは言葉に詰まった。謝るはずが、逆に謝られることになるとは、ちぐはぐだ。
「魔女殿は、長旅で疲れているところに――ロイドの凄まじい憎悪に
「……わかりました」
ナキアは、それ以上何か言うのを辞めた。自分が彼女に謝りたかったのは、そういうことではない。言語化は難しかったが、強いて言うならば、ナキアの行動によりカルラの命が天秤に乗ったこと、それ自体に対する――『責任』について、とでも表現すればいいだろうか。しかしそれは、ナキアの感情に起因するものであり、自分でもはっきりと輪郭を捉えられていない。そんな曖昧模糊とした感情をカルラに共感してもらうのは、言葉をいくら尽くしても難しいだろうと予想できた。それに、理解してもらったところで、何か明確にメリットが生ずるわけでもない。ただほんのちょっぴり――ナキアの気が晴れるだけだ。そう、何のことは無い。言ってしまえば、ナキアは、謝罪をすることで、気を軽くしたかっただけなのだ。ただ、赦しが欲しかっただけ。そう考えると自身の行いが、ずいぶんと卑怯な行為に思えた。
思考が泥沼に嵌まる。ナキアは、そこで考えるのをやめた。カルラの言うとおり、疲れているのはたしかだったからだ。脱いだ外套を毛布代わりに包まり、身体を横たえる。身体の疲労が極限に達していたのだろう。目を閉じると同時に、ナキアの意識は、底のない泥沼へ足を踏み入れた時のように、静かに、それでいて一瞬で、夢の中へと落ちていった。
†
町の地図というのは、一種の軍事機密に当たる。仮に、町を攻め落とそうとする勢力がいるとして、城壁のなか、どこに何があるのかが事前にわかっていれば、効果的に進軍のプランを建てられるからだ。
なので、カルラから地図を渡された時は、くれぐれも紛失をしないようにと念を押された。町全体の大まか見取り図ではなく、どこに何があるのかまで、正確な測量技術により書き起こされた物――それの、複製である。事前に必要になることはわかっていたので、旅の途中にカルラに頼んでいたのだ。カルラは、報告で鳩を飛ばす際に、地図の複製を用意して欲しいと騎士団に伝えていたのである。
地図は、大きさもかなりのものだった。横幅は、下手をすればナキアの身長ほどもありそうだ。ナキアは地図を壁に貼り付けると、もうひとつ、別の資料を用意する。
それは、聖東教会が管理している――呪いの感染者情報と、彼らの診療記録だ。どこに住んでいる誰が、いつ呪いに掛かり、どのような症状が出て――そして、いつ死んだのか。そういった情報が、詳細に記録されている。
これは教会から借りた物ではない。昨日、ダメ元で貸し出しを依頼をしてみたが、機密情報だという理由で、当然のように却下された。予想されていたことではあった。
なので、いま手元にあるものは、旅の途中、第八王子から渡されたものだ。王家の諜報部隊――カルラが『忍び』と呼んでいた彼ら――が、盗み出した情報を記したものになる。なので、情報が若干古く、最新の日付が二週間ほど前のものにはなってはいるが、それでも、ナキアにとっては値千金の価値があった。
ナキアは墨ペンを取り出すと、診療記録を元に、地図に直接書き込みを始めた。どういう風に呪いが広がっていったのか、それを把握するためだ。どこに住んでいる誰が、いつ感染したのか、朱いインクで地図に書き込んでいく。医者にかかった場合はその情報も。呪術汚染が広がると、教会だったり町に住む医師たちが、人の居なくなった区画や建物を利用して、患者を隔離しておく臨時の治療院も用意していた。カルラからそういった情報の補足を受け、さらに書き込みを増やす。
また、既にこの町を去って行った人間も多い。呪いの存在が確認されてから、爆発的な流行へと至るその前に、家財を纏めてこの町を後にした者。そういう者は、割合でいえばやはりこの上層部の商人たちなどが多かった。つまり、住む家をひとつ失っても生活できるだけの財力を持ち、商機を見極める先見の明が求められる豪商たち。『機を見るに敏』ということだ。逆に言えば、この程度の未来予想と、思い切りの良い決断力がなければ、この高級住宅街に家を構えるまでの大商人になるのは難しい、という意味でもある。これらの人間たちの記録は、青色で記入していく。町への出入りは聖東教会が管理をしているが、管理体制が敷かれるより早く出て行った者たちもいるため、完全に網羅されてはいない。なので、剣聖騎士団の巡回による記録を元に書き込みを続けていった。
根気のいる作業だった。朝早く、陽が昇る前から始めたにもかかわらず、一段落が付く頃には、太陽が高い位置にあった。
ナキアは、書類をベッドの上に置き、一息吐く。壁に貼られ、細かい字でびっしりと書き込みが施された地図は、この状況を知らぬ者が見れば、それだけで何か呪術めいた――狂気的な何かを感じることができただろう。
ふと、香ばしいかおりが魔女の鼻孔をくすぐる。ナキアが地図の作成を終えるのを見計らったかのように、カルラが部屋のドアを開けた。
「お疲れ、魔女殿。どうだ? そろそろ食事にしないか?」
そういえば、昨日の夜からずいぶんとお腹にものを入れていなかったな、と思い出す。ナキアの胃が、食い意地がなさ過ぎる宿主に抗議をするように、くぅと小さな音を鳴らした。
「ありがとうございます。いただきます」
階下に降りる。食事をするための部屋は、一階にあるからだ。
カルラが用意してくれた昼食は、蒸かしたジャガイモにチーズを乗せて溶かしたものと、キャベツとカブと豚肉の塩漬けの入ったスープだった。
「そういえば、この食材は……?」テーブルに着きながら、ナキアが尋ねる。
「騎士団の詰め所に保管してある食料を拝借してきた。スープに使った水も、そこのものを使用している」
アザリア剣誓騎士団にも呪いにかかった者はいたが、それでもライルの町の市民に比べれば、ずっと数は少ない。食事から呪いにかかるリスクは低いと言えた。万全を期すならば持参した食料の方が良いことはたしかだが、あまり怖がり過ぎても仕方が無い。そもそも、ナキアたちが持っている食料はどう見積もってもあと三日分程度しかない。この町で呪いを解くのにどれほどの時間が掛かるかは不明だが、まず間違いなく足りなくなることは確実だ。で、あるならば、早いか遅いかの違いでしか無い。なにより、味気ない保存食よりも、あたたかい食事をしたいというのが、ナキアの偽らざる本音であった。
「いただきます」
まずは、スープをひとくち。あたたかく、コクがあり、塩気のある液体が、空腹の胃にじんわりと染み渡るのを感じる。
「……おいしいです」
スープに入っているカブはよく煮込まれており、やわらかい。口の中に入れると、ほろほろと崩れるほどだった。味もしっかりと染みている。
「そうか、それはよかった」
カルラは、安心したように笑みを浮かべると、自身も食べ始めた。
しばらくの間、ふたりが食事をする音だけが、ダイニングに響いていた。
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