ACT.03/依頼主


 いきなり襲撃者に襲われるという、出発から最大級の困難に見舞われたナキアとカルラの旅路だったが、その後は、逆に、驚くほど平穏と言って良かった。


 新たな刺客に襲われることもなければ、それ以外のトラブルも起きない、平和な旅だ。片方は剣誓騎士団とはいえ、傍からみれば若い女の二人旅。夜盗の類いが襲ってきてもおかしくはないが、そういったこともない。馬が怪我をしたりだとか、橋が流れていて川を渡れなかったりだとか、旅に付きもののアクシデントもない。


 出発当初は、常に周囲を警戒をしていたふたりだったが、平穏な時間が続けば、少しずつ緊張がほぐれていくのが人情である。特に、ナキアの方が顕著に緩んでいた。騎士団で訓練を積んだカルラと違い、常に緊張感を持ち続けるだけのメンタルは、常人にはなかなか持ち合わせることができない。


「カルラさん――見てください!」


 出発から五日目、道の脇の湖で休憩中のときだった。

 ナキアは、湖の近くを指さす。


「どうした魔女殿。む……あれは、スライム、か?」


 スライム。

 水棲の魔物の一種である。粘液状の、透き通った見た目をしている。大きさはまちまちであるが、いま二人の目の前にいるのは、大型犬ほどのサイズだった。


 不定形で、自在に形を変える――例えるなら、意思を持った水、のような魔物だ。

 水回りや、湿度の高い洞窟内などに生息することが多いため、湖の周囲にいても不思議ではないのだが――、


「なんだ、あれは……」カルラは目を細める。「もぞもぞと動いて……食事中、だろうか」

「惜しいです」ナキアの声は少し喜色ばんでいる。「交尾です。ちょっとわかりにくいんですけど、二匹のスライムが交わっているんですよ。珍しいんですが」

「スライムも交尾をするのか?」

「そうなんですよ。面白いのが、交尾はするけど、スライムに雄と雌の概念はないんですよね」

「なに……?」

「つまりですね。どっちも雄でどっちも雌と言えばいいのかな……。スライム同士が出会えば、誰とでも交尾ができるんです」

「知らなかったな」

「しかも、交尾のあとに子供を産むわけじゃ無くて――、スライムに『核』があるのはご存じですか?」

「それはわかるぞ。固くて色が付いている、球体みたいな部分だろう。基本的にスライムに物理攻撃は効かないが、そこを潰せば殺せる急所だ」

「そうです。まさに心臓部分みたいな感じですね。そこがですねぇ、交尾の後に、増えるんですよ――こう、分裂するっていうのかな。二匹それぞれ、ひとつずつ核を持ってるんですが、それがふたつに分かれて」

「すごいな」

「条件によって変わるんですが、二つに分かれた核が、そこからさらに分かれて四つに、さらに分かれて八つに、という風になるんですね。だいたい一回の交尾で、もともと二匹だったのが、十六匹から三十二匹ぐらいになるんですが、ある魔女が気温や水分なんかの環境条件を整えて実験をしたところ、一回で二百五十六匹まで増えた記録もあるんですよ」

「そんなに増えるのか――大変だな」

「もっと増えるのもいて――そう、ひとくちにスライムと言ってもいろんな種類が居てですね。砂漠の国のアレーナに棲むスライムなんかは、乾燥に強くて、かぴかぴに干からびても仮死状態になって一年ぐらい生き延びたりしますし、この国のスライムと違って、交尾の後に魚みたいに卵を産むんですよ。卵は、乾季の時は全然孵らないのに、雨季になって周囲が水と栄養で満たされると、一斉に、何万匹もの目に見えないくらい小さいスライムの幼体がぶわーって――」


 そこまで早口で捲し立てたナキアは――冷静になり口を抑える。


「す、すみません……。また関係ない話をべらべらと早口で……」


 出不精でひきこもりがち。必要が無い限り外出を滅多にしないナキアではあったが、一度外に出てしまえば――旅自体は嫌いでは無かったりする。テンションが上がり、本で読んだものの、実物がその場にあれば、思わず興奮してしまうし、さらに側に聞き手がいれば、つい早口で披露をしてしまうのも、無理からぬ話だった。そして、極めつけは――、


「謝ることは無い。魔女殿の話はどれも非常に興味深いし、勉強になる(たおやかな微笑み)」

「う、ううう――」


 同行者が、飛び抜けて聞き上手なのだ。ナキアの蘊蓄に対して、つまらなそうな顔でもしてくれれば自重できるのだが、嫌な顔一つせず、むしろ笑顔で「さすが魔女殿はそんなことまで知っているのか」「知らなかった。自分の無知を恥じるばかりだ」「すごいな」「世界は広い」「そうなのか!」といった良いリアクションをしてくれるのだ。どんなことを喋っても、顔の良いとびきりの美人が、自分の話に対して、微笑みながら面白そうに反応をしてくれるのである。ナキアでなくとも、唇の滑りが良くなってしまうのは、責められないだろう。


(いや、いくら口では面白いと言ってくれても、それはあくまで建前! 魔女に優しい女騎士が、実在するわけない――)


 つい要らないことまで話して、つまらない人間だと思われたくない。ナキアは、自分を戒める。


「では、そろそろ出発するか」


 カルラはそう言うと、交尾中のスライムに近寄り、剣を抜いた。そして、ふたつの核をひと突きにする。核を破壊された二匹のスライムは、形を保てなくなり、ぐずぐずと溶解した。


「あ」

「――む、まずかったか? 念のため、処理をしておきたかったのだが」

「いえ、何も問題は」


 ひきこもりの魔女は忘れがちだが、弱くても魔物は魔物。人の命すら奪いかねない、恐るべき存在だ。


「獣とは違い、まさか食べるわけにもいくまい」

「あ、でも実はスライムも食べられるんですよ」

「そうなのか?」

「まぁ直ぐって訳にもいかなくて、結構手間が掛かるんですけどね。スライムを干して乾かした物を、スープに入れて戻したりして食べるのが、お金持ちの間では珍味みたいに流行して――」



 †


 休憩を終えたふたりの進む道の先に、一軒のあばら屋が見えてきた。

 馬を操りながら、カルラは隣を並んで進むナキアに声を掛ける。


「あそこだな――魔女殿、少しあの小屋に寄る」

「わかりました。ところで、何の用なんですか?」

「報告だ」カルラは地図をナキアに渡した。「このあたりは王都が近い。鳩で簡単に経緯は伝えているが――やはり、直接の報告も、できるならば、しておく手はずになっている」

「なるほど」


 ナキアの小屋を出てから何度か、町に着くとカルラが伝書鳩を飛ばしているのを見ていた。


 ふたりは、あばら屋の近くに馬を留める。

 入り口の扉を、カルラが叩いた。二回、一回、二回。


「どうぞ」


 中から、若い男の声がした。

 扉を開け、カルラとナキアが中に入る。黴の、すえた臭いが、ナキアの鼻孔をくすぐる。あばら屋の中は薄暗く、中央に置かれたランプが室内を照らしていた。家具らしいものは一切置かれておらず、殺風景だ。


 部屋の隅に、男が立っていた。

 若い。二十代の半ばほどだろうか。先ほどの声の主だろう。

 美しい男だった。ウェーブの掛かった柔らかな金髪を、後ろでゆるく一つに纏めている。宝石のような瞳が、暗い部屋の中でも輝いて見えた。温和そうな顔立ちではあるが、芸術家の彫った彫刻のような、どこか浮世離れした美しさだ。


 カルラと同じ、紺を基調とした旅裳に身を包んでいることから、おそらく彼女の上司なのであろうと、ナキアは推察した。


「お疲れ、カルラ」男は言った。「無事に――という訳にはいかなかったみたいだね」

「はい。申し訳ございません」カルラが頭を下げる「ディオルとゲーニスを失いました」

「報告通り〈梟〉を相手取ったのだとしたら、全滅していても不思議ではなかった。謝る必要はないよ」


 カルラは、簡潔にではあるが、この五日間の旅路を報告する。

 ナキアは、それをぼんやりと聞きながら、目の前の光景に見惚れていた。

 室内の暗がりの中、橙色のランプの光に照らされながら、カルラと男が話をしている。


(うわぁ……カルラさんと並ぶと、美男美女で絵になるなぁ……)


「――そちらが、今回の仕事をお願いした魔女さんで間違いない?」


 報告が一段落し、男がナキアの方へ顔を向ける。


「へ」


 話題が急に自分のことになり、焦る。


「はい、こちらが〈焜耀こんようの魔女〉エルトナキア殿です」

 カルラが助け船を出してくれた。


「そうか。依頼を受けてくれてありがとう。私からも、礼を言わせてくれ」

「いえ、そんな……」


 男が握手を求めるので、ナキアはそれに応じる。

 そのタイミングで、カルラがなんてことのないように、サラっと言った。


「魔女殿。ご存じかとは思うが、こちらが第八王子ディルヘルム・XXXX・ハーザイト様だ」

「ぶっほ」

 吹き出した。


 そこからの、ナキアの動きは俊敏だった。

 握手をしていた手を離すと、蝗虫バッタのように後ろに飛び跳ね、そのまま頭を地面にこすりつける。ダイレクト五体投地。


「し、しし失礼をばいたしましたァーッ!」


 そんなナキアの挙動に、くつくつと喉を鳴らしながら、ディルヘルムは言った。

「いや、そんなにかしこまらなくていいよ。公の場でもないわけだし」

「へあ」

「面白い女性ひとだね、エルトナキアさんは」


 這々の体で立ち上がったナキアは、カルラの背中に隠れるように王子の視線を避ける。親の背中を盾にする、人見知りの子供のような仕草だった。それはそれで失礼な態度ではないか、と盾にされたカルラは思ったが、今この場でそれを指摘しないだけの親心(?)は存在していた。


「もう大分仲良くなったみたいだね」ディルヘルムが言った。

「そう――だと嬉しいのですが」カルラが答える。

「そうだ、ひとつ、今回の件で、新たに判明したことがある」


 王子は、懐から紙の束を取り出すと、それを見ながらふたりに向かって話し始めた。


「ライルでの犠牲者たちの遺体が、すべて火葬されていることは知っているね」

「はい」カルラが頷いた。「呪殺による被害者の遺体は、それ自体が媒介となり、新たに呪いを広げてしまう可能性があるので、火で処理をする必要があると説明を受けました」

「そう。だからこそ発覚が遅れていた――というより、教会が隠していた、というべきかな」

「遺体が変なのですか?」

「ああ、腐敗のスピードが、普通より早いらしいんだ。腐敗の仕方も、どうも『奇妙』とのことだ」

「腐り方が?」

「報告書によれば、単純に腐る、というわけではなく、死後一日から二日ほどで、赤黒い水疱のようなものが全身にできるらしい」

「死ぬ前、ではなく、死後に?」

「そのようだ。切開してみたところ、血液が固まったものが流れでてきたそうだ」

「それは……確かに『奇妙』ですね」

「エルトナキアさんは、どう? こういった呪いって、心当たりある?」


 それまで黙って話を聞いていたナキアは、少し考えてから口を開いた。


「そう、ですね……。前例は知りませんが、話を聞く限り、たしかに何らかの呪的作用によって引き起こされた可能性が高いと思います。考えられる目的とすれば、さきほどカルラさんが言っていた通り、やはり呪殺範囲の感染拡大が挙げられるのではないでしょうか……。もしかしてですが、その赤い水疱って、勝手に破れたりはしませんか?」

「ちょっと待ってくれ」ディルヘルムは、紙の束をめくる。「ああ、そうだね。聖東教会が対処に本腰を入れる前の話だから、例は少ないけど、死後三日ほどで自然に破れて、血が流れ出すみたいだ」

「呪殺範囲の拡大ということは――」カルラが、背中にくっつくナキアの方を見る「その流れた血に触れると、触れた人間も呪いに掛かる、ということか?」

「確証はありませんが、おそらくは」ナキアは頷く。「詳しいことは直接見てみないことにはなんとも――。その報告書って、ディルヘルム王子の部下の方が直接調査したものじゃなかったりしますか?」

 王子の言葉がやけに伝聞系だったのが気になったので、ナキアは質問をした。


「ああ。教会が記録しているのを、部下に盗み・・読ませた」

「……もしかして、思っている以上に聖東教会とは、対立しているんですか?」

 不穏な言葉に、ナキアはおそるおそる確認する。


「そうだね。そもそも教会と円卓議会の王族側は仲が悪いんだけど、特に枢機卿が代替わりしてからは顕著だな。魔女狩りの制度も復活させたい、みたいな噂もあるし――」

「うう……」


 教会が魔女を憎んでいるという話はカルラから聞いていたが、仮にも同じ王国の組織同士で、情報の共有すらなされていない部分がある、というのは、さすがにナキアの予想外であった。


 町が崩壊するほどの一大事だと言うのに、身内同士で脚を引っ張り合っていていいのだろうかと思ってしまう。もっともそれは、ナキアが権力争いのゲームから遠い立場にいるから言えるだけなのかもしれないが。


「そうだ、これを渡すのも、ここに寄ってもらった目的のひとつだったんだ」


 ディルヘルムはそう言うと、自身の指に嵌まっている指輪を外し、カルラに渡した。カルラは、その指輪を、背中で震えるナキアへ差し出す。


 シンプルなデザインだった。金で出来ており、王家の紋章が飾りに施されている。


「え……私に?」

「そう。無くさないようにね」

「この指輪は……?」

「一種のお守り、みたいなものかな。ほら、今回は、一応、俺からの個人的な依頼――って訳だから。王家の人間の客人である、っていう身分をはっきりさせて置くための目印だね。それをつけておけば、まあ、聖東教会も、町の中でおいそれとは手を出せないってこと」

「あ、ありがとうございます」

「もちろん完全に無敵のバリアってわけじゃないから気をつけてね。直接手を出せなくても、やりようはいろいろあるだろうから」

「ひぃん……」

「カルラも、頼んだよ」

「はい。命に代えても、魔女殿をお守りいたします」


 †


 あばら屋での用件を済ませたナキアとカルアは、馬での旅を再開する。


 指輪は、サイズが大きかったので、紐に通して首から提げることにした。おそらく町に着けば薬品の作業などを頻繁にする予定なので、そういった点でも都合がよかった。


 手綱を握りながら、ナキアが息を吐き出す。

「はぁー……、き、緊張したぁ」

「すまなかった。魔女殿。万が一ということもあり、事前に知らせることができなかったのだ」

「王都が近いとはいえ、あんな場所に王家のひとがいるなんて思いもしなかったですよ。っていうかさすがに危険すぎません? 護衛も付けずに」

「護衛はいたぞ」

「えっ」

「室内に、三人ほど。忍びの者だったから、気配を掴むのはなかなか難しいだろうが」

「嘘……」

「借りにあの場で私が乱心し、王子に斬りかかったとしても、刃が届く前に即座に無力化されていただろうな」


 あの狭い室内の、どこにいたのだろうかと思い返す。どう記憶をたどっても、魔女と女騎士と王子以外の人間がいたようには思えなかった。

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