ナイトーを待ちながら

戸塚由絵

1

有栖ありす?」

 通学路の脇道に生えた細い木の下、ちょうど日陰になっているところに有栖が座っていた。真夏の猛暑の中、こんなところで座り込んで熱中症にでもなってしまったんだろうか。三角座りをして膝に顔を埋めている有栖の名前を呼ぶと、ゆっくりと顔を上げ、僕の顔を一瞥して小さくため息をついた。

「何や、クルミか」

「失礼やな」

 だるう、と呟いて有栖はまた下を向く。耳の後ろで二つに結んだ長い髪がだらんと垂れてぬるい風に揺れた。熱中症ではなさそうだけれど、どこか元気がなさそうに見える。隣に腰を下ろすと僕を睨んで「なんか用?」と言った。相変わらず愛想が悪い。

 有栖とは三年間同じクラスでそこそこ喋る仲だった。お笑い芸人みたいなノリの有栖は学年の人気者で友達も多いけど、男子にはいじられキャラみたいに扱われている。

「いや。こんなところで何してん」

無藤ないとう待ってんねん」

「無藤さん?」

 無藤さんは有栖の親友で、二年生までは僕も同じクラスだったのでよく知っている。

 無藤さんは有栖とは違って落ち着いた性格で、すっきりした顔立ちのきれいな人だった。黒髪のショートヘアがさらさらとうつくしくて、黒猫に似ていると僕はひとりで思っている。

 普段あまり笑わなくてクールに見える無藤さんは有栖のくだらない話を聞いてはいつも口を大きく開けて笑っていて、そのギャップが好きだった。

 そう。僕は無藤さんが好きだった。きれいで、凛としていて、大きく笑う無藤さんに一年生のときから惹かれている。

「僕も待と」

 横に座ると有栖が僕をまた睨んだ。

「なんでやねん」

「クラス離れてから無藤さんの顔見てへん」

「わたしはめちゃくちゃ会ってるけどなあ」

 ここぞとばかりに無藤マウントをかましてくる有栖のうざさが暑苦しくて手で扇ぐ。蝉がじわじわと響き、空を見上げると青い空に入道雲が広がっていた。日差しがアスファルトをじりじりと灼く。ばか暑い。

「でも無藤来おへん」

「約束してるん?」

「してへんよ。勝手に待ってんねん」

「なんで待ってんの」

 何気なく聞いた質問だったけれど、一瞬有栖の眉間に皺が寄ったから喧嘩でもしたのだろうか。まずいことを聞いてしまったかもしれない。おそるおそる有栖の方を見ると僕の質問に十分な間をとって彼女は口を開いた。

「無藤に告白しよ思て」

「えっ!?」

 今まで発したことのないくらい大きな声が喉から飛び出した。こんなに大きな声を出したことがなかったから喉の変なところが痛くなって咽せる。

 告白? 有栖が無藤さんに? 有栖って無藤さんのこと好きやったん? 嘘やろ。突然のライバル登場にたじろぐ僕を無視して有栖は続ける。

「わたし、無藤が好きやねんか」

「え、ガチ?」

「クルミが驚いてる顔初めて見たわ。ガチやで」

「好きって恋愛感情で?」

「女子が女子好きなんておかしいんかな」

「い」

「まあ仕方ないやんな。好きやし」

 ほんとうは「いやそんなことはないけど」と言いかけたけれど有栖は僕が全て言う前に言葉を被せてきたので黙る。僕の否定は必要なかったのか、それとも否定してくれないと思ったからそうしたのかはわからない。

「わたし今日無藤に告白すんねん」

 有栖はもう一度そう言い、僕から顔を逸らして後ろの木に止まった蝉を見た。

「ちょお、待ってや。僕も無藤さんが好きなんやけど」

「え、ガチ?」

 今度は有栖が驚いた顔で僕を見る。大きな目を更に大きく丸く開いた顔がおもしろくて少し笑える。

「ガチやけど」

「だっるう。帰れや」

 有栖はしっしっと僕に向けて手を振り払う。それを無視をして立とうとすらしない僕に有栖がわざとらしく大きなため息をついた。

「クルミは無藤のどこが好きなん?」

「意外と大きい口開けて笑うとこやな」

「あとは?」

「きれいなとこ」

「うっすい理由」

 確かに僕が無藤さんを好きな理由は見た目だけだなと自覚する。

 またマウントをとられたのがだるくて、「有栖は?」と同じ質問を返すと、急にまじめな顔をしたから少しぎょっとした。有栖の真剣な顔なんて初めてみたし、これが最初で最後かもしない。

「わたしは無藤とずっと一緒に居りたいし、笑わせたいんよ。わたしが」

 圧を感じさせる大きな目は今度は謎に上の方を見ていて、僕も同じ方を見る。ただ青いだけの空と大きな入道雲以外に何もない。

 まあ僕は、ほんとうの好きとか知らんしな。

「そっかあ。ほな諦めるわ」

「はあ? 何それ。そんな気持ちで無藤のこと好きやったんか」

 めんどうくさいな。何を言ってもだるい反応をしたに違いない。

「ちゃうけど。でも僕が好きなんは有栖とおるときの無藤さんやったから」

「僕が笑わせたろとか思わんのん?」

「思わへんよ。だって僕、無藤さんのこと何も知らんしな」

 僕が知っているのは有栖の隣にいる無藤さんだけだった。いつも楽しそうに笑っている無藤さんで、二人きりで話したことなんてほとんどなかった。「あ、そ」と興味なさそうに有栖は言う。

「無藤が好きすぎて苦しいとかそんなことないん?」

 有栖の言葉に、少し考えてから「ないよ」と答えた。だって僕は無藤さんを見ているだけでよかったから。別に僕のものにしたいとか、気持ちを伝えたいとかそんなこと思ったことがない。

「さっき無藤のこときれいや言うたやん?」

「言うたけど」

「今日の私はどう?」

 有栖は二つ結びした黒髪の毛先を触りながら僕を見た。有栖は目も大きいし、顔立ちはきれいだと思うけどうざさの方が勝るから全くきれいには見えない。なんて言えるわけがない。殺される。

「きれいやな」

「目ん中虚無やん」

「きれいって言うしか選択肢ないやん」と返そうと思ったけど殴られそうだからやめる。

「虚無太郎はさ」

 虚無太郎が僕のことを指しているのだと一瞬で理解して、「何?」と返す。僕は虚無だから虚無太郎はなかなかいい渾名かもしれない。戒名とかにしようかな。

「好きって伝えたいとかないん?」

「ないよ。僕は無藤さんは有栖と付き合ったらええ思うし」

「何でよ。わたしがフラれたら告白したらええやん」

「せえへん」

「何で? チャンスやん」

「僕は有栖の話聞いてわろてる無藤さんが好きやねん。てか有栖はフラれる前提で告白するん?」

「ちゃうけど。女同士なんて引かれるかもしれへん」

 どうなんやろ。考えてみる。僕がもし同性に告白されたとして、好きな人だったら全然付き合うけど。ああ、でもだめだ。僕は虚無太郎だから思考はあてにならないんだった。

 無藤さんが何を考えているかなんて想像もつかない。彼女とは二年間同じクラスだったけれど、深い話なんて一度もしたことがなかったなと今更気づく。見るだけでいつも満足していた。

「知らんよ。それは」

「だるう」

「けど成功させてほしいで。成功したらフラッシュモブしたるわ」

 僕が踊るような動きをすると八重歯を見せて有栖が笑った。ここで初めて見せた笑顔に少しだけほっとする。

「絶対嫌や。きしょいなあ。一人でフラッシュモブしたらそれはただの不審者やで」

 告白が成功して僕が踊りながら現れたらおもしろいだろうな。不審者には違いないけど。

「ういー。二人付き合ってるん?」

 僕らに声を掛けたのは同じクラスの初谷はつたにくんで、彼の横にはいつも通り上終かみはてくんがいる。フラッシュモブ要員が現れた。

「ちゃうよ。無藤待ってんねん」

「何やねん。つまらん」

「俺らも待とか」

 初谷くんがそう言って僕らの横に座る。上終くんも同じように腰を下ろした。何もないところで四人一列に並んだ僕らは、遠くから見たら不思議な光景だろう。

「ええって。はよ帰れや。邪魔や」

 生ぬるい風が僕らに吹いて、有栖の二つに結んだ髪の毛をまた靡かせる。有栖の言葉を無視した上終くんが「あちー」と言ってペットボトルのスポーツドリンクを飲み始めて、僕も思い出して水筒の水を一口飲んだ。生ぬるい水が口に広がって喉を潤した。おいしいけど冷たかったらもっとおいしかったのにな。暑い。

胡桃沢くるみざわも無藤待ってんの?」

「僕はちゃうで。意味もなくおるだけ」

「なんやそれ」

「まあオレらも同じか」

 初谷くんも上終くんもクラスでは割と仲がいい方で、たまに遊んだりすることがあった。二人はクラスの中心人物で盛り上げ役で、よく有栖とは漫才みたいな掛け合いをしていてそれがおもしろい。有栖をいじっている男子は主にこの二人だった。

 周りの中学校は荒れているところもあるけれど、僕が通う中学は平和でいじめもないし、みんなが分け隔てなく仲が良い。他中の友達の話を聞くととても恵まれた環境だと思う。

「帰れやぼけー」

「口悪」

「なんで有栖は無藤と仲良いん。絶対合わんやろ」

「合うで? 世界で一番合う」

 自信を持ってそう言えるのはすごいことだ。確かに無藤さんを一番笑わせているのは有栖だから、まあ、そうか。

「みんな何してるの? こんなとこで」

 僕らにそう声を掛けたのは無藤さんと同じクラスの犬伏いぬぶしさんだった。不思議そうな顔を浮かべて僕らを見下ろしている。四人並んで座ってたらなんかあると思うよな。

 犬伏さんはこんなに暑いのにいつも通りの涼しげな目元で僕らを見ている。標準語も相まって犬伏さんはいつも清しくて、うざくてだるい僕らとは違う人種に見える。

「琴ちゃんやあ」

 有栖が僕らと話すときとは違う声の高さで犬伏さんに手を振る仕草を見て、有栖は女の子には優しかったことに気づく。男子と言い合いばかりしている印象だけれど、女子とうまく関係を築けていたのは女子が好きだからだろうか。そもそも有栖の恋愛対象は女子だけなのか、それとも無藤さんだけが好きなのか一瞬気になったけど、どっちでも僕には関係のないことだからその疑問は胸にしまうし、今後も聞くことはないだろう。

「四人並んで何かあったの? 遠くから見たらおもしろいよ」

 上品に笑う犬伏さんに有栖が「無藤待ってんねんか」と答えた。犬伏さんは無藤さんと同じクラスだから、無藤さんがどうしてるか知っているんじゃないだろうか。そう思って犬伏さんの表情を見ると彼女は少し驚いたような顔を浮かべていた。

「え。無藤ちゃん今日早退したよ」

「ガチ?」

 有栖は「ああー!」と叫んで膝に顔を埋めた。「なんやこいつ」と初谷くんが馬鹿にして笑う。上終くんが「うるさいで」と有栖を小突いた。

「明日やなあ」

 僕が言うと有栖は「最悪や」と力なく呟いた。覚悟を決めてここで待っていた時間は何だったんだろう。最終的に四人で意味もなく並んで座っただけの時間になってしまった。

「みんなで帰ろか」

 上終くんがそう言って有栖が渋々腰を上げた。こういうときの有栖は意外と素直だったりするからおもしろい。

「寄り道しようや。コンビニでアイス買って帰ろ」

「せやな」

 初谷くんの提案に上終くんが同調して、僕も同じように「行く」と答える。

「犬伏さんも来るやろ?」

「行く行く」

「有栖は?」

「はっつーの奢りやろ?」

「おかしいやろ。なんで俺がお前に奢らんとあかんねん」

「奢るために座っとったんちゃうんか? おい!」

「うるさいなー。みんな行くで」

 上終くんの言葉で僕らは歩き出す。五人で並んで車の通らない広い道の遠くに逃げ水が見えた。近づくと消える逃げ水をゆっくり追う。

 僕と有栖は初谷くんたち三人の後ろをとぼとぼと歩く。というよりとぼとぼ歩く有栖の横に並んだら自然とそうなった。

「なんで今日告白しよ思たん」

 前の三人には聞こえない声で言ったけど、三人は先生の愚痴で盛り上がっているし、蝉の鳴き声がうるさくて聞こえるわけないからいらない配慮だったかもしれない。

「今日は蟹座が一位やってん。恋愛運エグいって」

「なんそれ、きしょ。スピってるやん」

「うるさい」

 有栖が僕の腕に強めのパンチを入れてきて、二の腕がじんじんと熱を帯び始める。

「スピちゃうしな」

「わかったわかった。ほな次告白するとき呼んでな」

「呼ぶかカス。ボケが」

 有栖はやっぱり怒った顔がおもしろい。

 有栖は告白するどころか無藤さんに会うことすらできなかったのに、僕だけ薄い失恋をする結果になってしまった。なんで?

 有栖が言った通り、薄い理由で好きになったから失恋しても心が痛まなくて、いっそ胡桃沢虚無太郎に改名した方がいいのかもなんて考えて馬鹿らしくてやめる。

 心は痛まないくせに有栖に殴られた腕はじんじんと熱く痛くて、それもすぐになくなっていくんだろうなと思うとほんの少しだけ惜しい気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ナイトーを待ちながら 戸塚由絵 @tozukayue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ