二章:八、星の花嫁
幸い、一度で済む機会が訪れた。
寝込んだ皇太子を鷹翔が見舞っているらしい。あのデカい声で病状を聞かれたら余計悪化しそうだが。
黒衣に着替えた
「五弟、
天鸞は青白い顔で微笑む。
「御加減は如何ですか」
慇懃に礼をした煬烏を、鷹翔が鋭く睨んだ。
「声が大きいぞ! 御身体に障ったらどうする! 兄上は今侍医に診せたばかりなのだ!」
「二兄も耳を診てもらったら如何です」
大猫は肩を竦めた。
「幸い軽い貧血でしたよ。それより、樊方士。下の薬が用意できましたが」
「誰が要るか」
何も知らない天鸞が目を瞬かせた。
「雲嵐、どこか悪いの? 大猫の薬は良く効くよ。遅くなってからじゃ大変だからね」
「一兄、彼は早すぎるのが問題なのです」
俺は煬烏を無視して、促されるまま長椅子に腰を下ろした。
「大猫は天鸞殿下の御付きの方士なんですか」
「違うけど、そんなものかな。昔からずっと世話になっているんだ。今もこうして遊んでくれるしね」
「療養中の患者を見守るのも医者の役目ですから」
「サボりじゃねえか」
大猫は散らばった紙牌を掻き寄せた。
通貨を模した四十組一束の紙牌だが、墨で絵柄を描く代わりに金箔が貼られている高級品だ。
煬烏が興味深そうに覗き込んでいるのがわかった。
「五弟もやる?」
「いえ、私はやり方を知りませんので」
煬烏は不意に顔を背けた。俺ですら遊んだことがあるのに知らない訳はないだろうと思ったが、きっと煬烏には相手がいなかったんだ。
「不勉強だな、煬烏! では、我々をよく見て学べ!」
鷹翔は大猫が集めた紙牌をひったくって再び並べ出す。奴の単純さがかえってありがたい。煬烏は呆れ顔で俺の隣に腰を下ろした。
紙牌を操りながら、天鸞は目を伏せた。
「宮廷はまた大変なことになってるみたいだね……」
「嘆かわしい! 兄上の威光を損ねようなど恐るべき不敬です。俺が直々に締め上げなければ」
「いいよ、鷹翔。私は元々政に向いてないんだ。二弟が皇帝になってくれた方がずっと……」
「何を弱気なことを仰る!」
鷹翔が勢いよく立ち上がったせいで、並べた紙牌が吹っ飛んだ。呆然とする天鸞と大猫の間を紙が舞う。
「申し訳ございません! とんだ失態を!」
鷹翔はデカい身体を折り曲げて紙牌を拾い集める。煬烏が扇を口元に押し当てた。
「声も身振りも何もかもが大袈裟よな。小さいのは頭だけか」
「聞こえますよ」
鷹翔を問いたださなきゃいけないが、機会がない。煬烏は声のデカさを悪用するが鷹翔のそれは乱用だ。いつ切り出していいかわからない。
煩悶していると大猫がくすりと笑った。
「遊戯が台無しになってしまいました。ここはひとつ仕置きがなくては」
鷹翔は大猫を睨んだが、困り果てる天鸞に気づいて急に肩を落とした。
「よかろう。如何様な罰だ」
「何でもひとつ質問に答えると言うのは如何でしよう。隠し立てはなしです」
大猫が俺に視線をやる。渡りに船だ。助かった。
「じゃあ、いいですか」
「何故お前が聞くのだ!」
俺は耳を指で塞いで続けた。
「
鷹翔は拾った紙牌を卓に置き、静かに息をついた。
「前言った通り、宝輝の亡き姉・
王家は方力を持たない女子を宮廷の縁者に嫁がせて権力を得ている。彼女もその一例だろう。
「宝輝は自身の姉と殿下の婚姻に賛成していましたか。それとも……」
「否、だろうな」
聞き取れないほどの小さな声だった。鷹翔は腕を組んだ。
「俺と晴雯は正反対だった。無口で大人しく、考えていることの半分も言わない女だった」
「二兄も見習うべきですな」
煬烏の軽口にも鷹翔は反応しなかった。
「男子たる者、妻を慈しみ家を守るのは当然。俺もできる限りのことはした。戦場からも文を送り、南方に行ったときは名産の金簪を贈った。晴雯は病弱だったため、職人に寿命星を模した飾りを作らせた」
俺は息を呑む。宝輝がつけていた簪だ。あれは元々姉のものだったのか。
「それで、晴雯の反応は?」
「相変わらずだった。困り顔で『お気を遣わせて申し訳ありません』と言われた。いつも礼の代わりに謝る女だった。最期は遠征に出ていた俺に心配をかけないよう病を隠し続け、儚くなった。遺言にも不出来な許嫁で申し訳ないと謝罪が述べられていた」
鷹翔は顔を曇らせた。
煬烏は扇の下で溜息をつく。
「それでは、宝輝は二兄を逆恨みしているかもしれませんな」
「空気読んでくださいよ、殿下」
鷹翔は眉間に皺を寄せて俯いた。
「否定はしない。だが、他者にわからずとも、俺たちは互いに愛情を持っていた」
煬烏は目を細める。
「それは、義務ではなく?」
「違う。晴雯は……」
そのとき、天鸞の部屋が大きく振動した。
鷹翔が腰に帯びた剣に手をかける。
揺れているのは翡翠を散りばめた部屋の扉だ。物凄い力で無理矢理こじ開けようとしているように、錠前が跳ねている。
咄嗟に思った。予告殺人は二件遂行された。次は俺だ。
煬烏が俺の袖を掴んだ。
「出るな、雲嵐。狙いはお前だ」
「わかってますよ……」
流石に足が震える。冷静になれ。そうだ、本当に天罰でひとを殺せるなら、何故扉を開ける必要がある?
鋭い金属音が響き、錠前が吹っ飛んだ。悲鳴を上げる天鸞を大猫が庇って伏せる。
くそ、入ってきやがった。
「窓から出よ!」
煬烏が鋭く叫ぶ。俺は一気に駆け、窓に手をかけて飛んだ。空中で朱塗りの窓枠が弾ける音が響き、木片が飛び散る。
俺は白牡丹の上に着地した。足首が痛むが構ってられない。
身を隠せる場所はないか。辺りを見回し、開け放たれた天鸞の宝物庫が視界に入った。贋作騒ぎで空になったままだ。行くしかない。
走る俺の後を、地面が爆ぜる音が追う。獣じみた何かがついてきやがる。
黒い漆塗りの扉に手をかけたとき、真後ろの牡丹が旋風に舞った。間に合わない。
思わず目を瞑りかけたとき、背後に人影が見えた。鷹翔だ。
奴は抜き身の剣を振りかぶる。
「曲者が!」
白刃が閃き、俺の前に鷹翔が躍り出た。旋風が渦を巻いた。まるで鷹翔を避けるように。
だが、螺旋を描いた風の軌道は立ちはだかる鷹翔を掬い上げ、人形のように飛ばした。
巨躯が晴天の空に打ち上げられ、嫌な音を立てて地面に叩きつけられた。
「鷹翔殿下!」
俺は駆け寄って鷹翔の肩を揺らす。呻き声が漏れた。生きてはいる。
安堵したのは束の間だった。鷹翔の右脚が寄れた紙牌のように無惨に捻れていた。
駆けつけた煬烏が眉間に深い皺を寄せた。
「何と……」
牡丹の上に打ち捨てられた剣の刃が、星のような金の輝きを反射した。
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