二章:九、偽の予告

 大猫だいびょうが駆けつけ、兵士たちと共に鷹翔おうしょうを運び出した。

 治療を行うそうだが、あの足は素人の俺が見ても治しようがないとわかった。皇子一の武闘派がこれからどうなるのだろう。


 煬烏よううは扇の上から覗く目を伏せた。

雲嵐うんらん、大事ないか」

「ひとまず大丈夫ですよ、ありがとうございます」

 こいつに心配される日が来るとは思わなかった。他人を心配してる場合じゃない。今度は俺が死ぬ番かもしれないんだ。


「殿下……」

「私の部屋に来い。ひとりでいるよりは危うくなかろう」

 煬烏は黒衣を翻し、兵士たちの喧騒から離れた。



 煬烏は部屋に入るなり、硯と筆をとった。

 机に向かう煬烏の前に腰かけ、墨を擦る音を聞いている。

 静寂に、抑えていた不安が首をもたげそうだ。予告殺人は順番が決まっているだけでいつ起こるかわからない。そうだ、本当に神の意向なら時間や日にちも指定できておかしくないんじゃないか?


 そう思ったとき、煬烏が筆を置いた。

「行くか」

「何処にです」

「ついて来い」

 煬烏は墨が乾く前の文を丸め、さっさと歩き出した。



 向かった先は牡丹畑だった。鷹翔が襲われた場所には、白い花弁に赤い雪のような血飛沫が散っていた。


 煬烏は現場に屯する兵士たちを見渡し、大きく息を吸った。

「皆の者、聞かれよ!」

 鼓膜が吹っ飛ぶかと思った。鷹翔と半分血が繋がってるのも頷ける馬鹿デカい声だった。

 目を丸くする兵士に、間髪入れず煬烏は携えた巻紙を解いて見せつけた。


「ついに第三の殺人の予告が為された!」

 煬烏の字で書かれた文にはこう記してある。

 "はん方士、今宵に全身を刺されて死す"。

 思い知った。こいつに心配や同情なんて備わってる訳がない。


「先刻、我が部屋にこの文が貼られていた」

「さっきあんたが書いてたじゃねえか!」

 紙を引ったくろうとした俺を、煬烏は素早く払い除け、喉に扇で一撃喰らわした。衝撃で言葉が出ない。


 煬烏は驚く兵士に言い聞かせる。

「これは宮廷への宣戦布告。第一、第二の殺人がみすみす行われた今、名誉挽回の機会は此しかあるまい」

 皆が混乱する中、頬に傷のある若い兵士が進み出た。

「勝算はあるのですか……鷹翔殿下に傷を負わせた、不敬の咎人を捕らえる術はあるのですか!」

 幼いと言ってもいい兵士は唇を噛み締める。煬烏が獲物に狙いを定めた猛禽類の目をした。

「左様」


 煬烏は庭の隅を指した。天鸞の部屋から運び出された小型の宝物庫だ。

「今宵、我が方士はこれに閉じこもって夜を過ごす。誠に天罰であれば何処に隠れようとも無駄だ。しかし、そうではないと証明しよう。雲嵐は必ず生き残る」

 俺の命は神ではなくこいつに握られてるらしい。



 宮中に、兵士たちが宝物庫に鉛の板を打ち付ける激音が響き始めた。

「夜には鉄の要塞になるであろうな」

 煬烏は自室の窓から響く音に耳を澄ませて笑う。

「逃げ場もないってことでしょう。何してくれたんですか、あんた」


 普段なら今更問い詰める気にもならないが、今回は命懸けだ。こいつの嫌がらせで死んだら堪らない。

 怒鳴りかけた俺の唇に、煬烏は扇の先端を押し当てた。指の代わりの、黙れの印だ。



「これは時間稼ぎだ。時間と場所と方法が予告されれば、奴はその通りに動かねばならん。それを活かし、犯人を捕らえる算段だ」

 俺は押し黙る。確かにいつ来るかわからない天罰に怯えるよりはマシだ。だが、今夜までに打開策が浮かぶんだろうか。

「……俺にできると思いますか?」

 煬烏は力強く頷いた。


 俺は扇を押し付けられたまま頭を回す。

 犯人は悪徳商人も贋作絵師も探り当てた。この偽予言も聞き入れても不思議はない。予言に基づいて動いている以上、奴は自分の策に嵌った状態だ。

 だが、天罰でないならどうやって殺しを行ったんだ。


 一件目の殺人、蠆盆孔、二件目の殺人、星の簪、鷹翔とおう宝輝ほうきの姉。


 俺は扇を押し退け、煬烏の手を取る。目を丸くした奴の掌に指で書いた。

 "紙と筆がほしい"と。


 俺は煬烏と向き合って朱の卓に座る。窓の緞帳を下ろし扉も閉め切った部屋に、交互に紙を回し、筆を走らせる音が響く。

 俺は黒く染まった紙の隅に書いた。


 "最後に、確証がほしい。宝輝がいる蠆盆孔より高い場所はありますか。"

 煬烏が筆を奪う。

 "物見に使われた北の楼閣がある。"

 俺は煬烏から向けられた紙に記す。

 "誰かそこへ行ってくれるひとはいますか。できれば護衛もつけたい。"

 "三兄に頼むとする。護衛は登緋とうひでよかろう。何を確かめたいのだ。"

 "鷹翔が蠆盆孔を覆った雨除けの牛皮がどうなってるか見てきてほしい。"


 煬烏は牙を見せて笑った。



 夜が訪れた。

 牡丹の花弁が月光を反射し、禍々しく揺れる。


 俺は煬烏に伴われ、兵士たちの輪に相対した。中央には宝物庫がある。黒漆に金箔を貼った豪奢な外装は武骨な鉛板で補強され、無機質な直方体と化していた。


「我が方士が入った後、鎖をかけよ。如何様な剣であろうと何重もの鉛は貫けまい」

 煬烏は扇の下で高らかに告げる。俺は兵士が見守る中を真っ直ぐ進み、宝物庫の中に入った。

 俺ひとりが何とか収まる大きさだ。冷え切った鉛が死人に抱きしめられたように肌を刺す。


 昼間見た若い兵士が扉を半分閉め、気遣わしげに俺を覗き込んだ。

「息ができないのでは……?」

 そうだった。俺たちの計算が正しければ問題ないが、それを告げる訳にもいかない。


 俺は誤魔化しのために笑みを浮かべる。

「心配するな。俺には真実が見える」

「真実が見えても呼吸とは関係ないでのは?」

「いいから! さっさと閉めてくれ!」

 兵士は困惑気味に扉を閉めた。鉛の向こうから声が聞こえた。

「鼻呼吸で空気を節約してください。苦しかったら扉を叩いて」

 適当に返事をしたが聞こえたかはわからない。


 扉に鎖が巻かれる音が聞こえる。床板は俺の体温を吸って生暖かくなっていた。俺は手を伸ばし、煬烏に言われた物を探る。



 永遠にも思える静寂が続いた後、ぴしりと亀裂が入る音がした。

 何かと思う間もなく、兵士の叫びが続く。

「剣が、剣がない!」

「私もだ!」

 煬烏の鋭い声が飛んだ。

「武器も持たず護衛に来たのか」

「違います、さっきまで持ってたのに…….!」


 若い兵士の泣きそうな声が、雷鳴のような激音に掻き消された。

 闇の中で火花が燦然と輝く。


「殿下、あれを!」

 鉛で厳重に補強された宝物庫が紙細工のようにひしゃげた。流星に似た白刃の閃きが夜空を掻く。

 兵士たちが奪われたばかりの無数の剣が、捻じ曲がった宝物庫を貫いた。



「樊方士!」

 駆け寄った若い兵士がその場にへたり込む。煬烏は何も言わない。

 佇む兵士たちの間を一陣の風が吹き抜けたとき、夜闇が赤く染まった。


 白牡丹を紅蓮の炎が包み、火の円が兵士たちごと庭を取り囲む。

 炎を操る方士、登緋が堂々と佇んでいた。傍には燕雙えんそうがいる。

「捕らえたぞ、逆賊よ!」


「それは俺が言うやつだろ!」

 飛び出した俺を見て、兵士たちは幽鬼を見たようにどよめいた。

「樊方士が、何故……?」


 煬烏は扇を下ろし、犬歯を覗かせて笑う。

「あの宝物庫の床は二層になっておる。希少な骨董や絵巻をしまうのに使っていたようだが、床板を外せば抜け穴になる。このことは皇太子殿下と私しか知らぬ」


 煬烏は視線を向けた。今度こそ俺が言う番だ。

「神の目を持ってるなら見通せたはずだがな。王宝輝」

 炎に行手を阻まれて立ち尽くす宝輝は唇を噛み締めた。

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