二章:七、神の偽称

客桟の騒がしさで目が覚めた。


安い部屋の寝台は硬く、全身が痛い。いつの間にか宮殿の高価な布団に身体が慣れていたらしい。贅沢なもんだ。

煬烏よううは隣の寝台で眠っている。皇子なのに俺より図太いんじゃないか。



女将が俺たちの部屋に駆け込んできた。

「お客さん、無事ですか!」

流石の煬烏も目を覚まし、眠そうな声で言った。

「何事か」

「物盗りがあったんですよ! 絵師さんが刺されて……犯人を見ませんでしたか!」

眠気も吹っ飛んだ。赤い緞帳の向かいの部屋に人集りができている。

野次馬の肩の間から寝台に倒れる夏赦の背中が見えた。寝ている訳じゃないことは、背中に突き刺さった匕首と血の海でわかった。



刑部の連中が来て面倒事になる前に、俺の煬烏は客桟から出た。

安馬車に乗り込み、都の大路を進む。馬車の揺れが寝起きで混乱する頭を揺さぶった。


「やられましたね。隣にいたのに気づかなかった」

「お前が酒など呑んで寝こけておるから」

「俺のせいかよ! 殿下も起きなかったじゃないですか」

扇の代わりに骨張った指が俺の肩をどついた。


ふざけている場合じゃない。

俺たちは隣の部屋で寝ていたのに、夏赦が刺殺されたことに気づかなかった。女将の慌てぶりからして、他の誰も気づかなかったんだろう。

俺たちが部屋に戻って寝た頃、客桟は静まり返っていた。騒ぎがあれば流石に誰か起きる。物音ひとつ立てずに殺したってことだ。


「本当に天罰ですかね」

信じたくないがそうも言いたくなる。煬烏は窓の外を眺め、饅頭や野菜を売る商人で賑わう朝の露店を見つめていた。


「誠に天罰ならば、何故殺し方が違うのだろうな」

「確かに。何でだ……」

「あのときとは状況が違うだろうよ」

夏赦は刺し殺されていた。前の犠牲者のように捩じ切られて死んだ訳じゃない。状況の違いは宮殿と客桟。昼間と深夜。俺は頭を回す。


「前回は天罰だと見せつけたかった。今回は隠したかった、ってことですか?」

煬烏は肩を竦めた。

「妙な神もいたものよな。私たちの前では天罰を見せつけるが、客桟では寝入る客に気遣って静かに殺すとは。随分と俗なものだ」

「犯人は前回と違って万一俺たちに見つかったら困る理由があった、ってことですね」

「左様。兎角宮殿に戻り、事を改めなくてはな」

煬烏はまた窓の外に視線をやった。



馬車を降りて朱の大門を潜ると、同じく今さっき帰ったばかりという顔の燕雙えんそうがいた。

煬烏が肩を竦める。

「もう夜遊びを再開なさったのですか」

「いろいろと付き合いがあるんだよ。五兄も朝帰りかい? 珍しいな。雲嵐うんらんも一緒に妓楼へ?」

「まさか、都の客桟ですよ」

燕雙は俺と煬烏を見比べ、気まずそうに首を振った。


「……五兄、悪いことは言わない、やめた方がいいよ。身分が違う。茨の道だ」

「ろくでもねえ勘違いすんなよ!」

「そうかい? 相性は良いと思うぜ」

「そう見えるなら侍医に今すぐ毒を処方してもらいますよ」


煬烏は袖で口元を隠した。

「私も御免だ。これ以上気の置けぬ仲になれば骨を折られかねんからな」

「どういう意味ですか」

「昨日市井で私と商人を脅すのを見てな、皇子でなければ斯様に扱われていたのかと思うと……」

袖口の下で奴は歯を見せて笑っていやがる。


燕雙は合点が言ったように頷いた。

「ああ、贋作絵師を探しに行ったんだね。それで長引いた訳だ。収穫は?」

忘れていた暗い気持ちが戻ってきて気が滅入った。

「見つけましたが、殺されました。目の前で」



燕雙は俺たちの話を聞き終えると、「参ったな」と顎を摩った。

「俺も懇意の娘たちから話を聞いてみたんだけどね。ほら、俺は妓楼だけじゃなく市井の娘とも縁があるから」

「自慢はいいですよ。本題は?」

「言いにくいんだよ。あれから贋作と断じられた絵画や骨董を調べたんだよ。それの殆どが二兄が贈った者だったんだ」

鷹翔ようしょう、皇太子に異様な敬意を捧げるあの男か。


「二兄が贋作とわかって贈るとは思えませんなあ」

「それはそうさ。でも、二兄は単純だろう?」

「騙されたと」

「ああ、まずいぜ。一兄はただでさえ皇太子の立場が危ういのに、得意の芸術にも暗いとなればいよいよ信用が落ちる」


「じゃあ、天鸞てんらん殿下を陥れたい誰かの犯行ってことですか」

煬烏はくぐもった声で言った。

「誰か? 皇位継承権二位は知っての通り鷹翔兄上だぞ。武勇に優れ、王として申し分ない。その上、宝輝ほうきとは顔見知りだ。裏で繋がり、玉座を求めたとしたら?」



あの男がそうするとは思えない。

俺は凝った首と痛む頭を回し、苦し紛れに言った。

「本当に天罰を下せるなら、まどろっこしいことせずに皇太子を殺せばいいんですよ。暗殺の証拠なんか出てこないんだから。そうしないってことは違うはずだ」

「お前らしい暴力的な意見だな」

煬烏は袖を下ろし、牙を隠さず微笑んだ。

「では、振り出しに戻ったということだ。地道に調べるとするか」

煬烏は俺を置いてさっさと歩き出した。また試されてたということだ。



向かった先は宝輝が閉ざされる蠆盆孔だった。


昨夜、俺たちの気づかないうちに少し雨が降ったらしい。土が濡れ、青の濃さを増した木々が雫を落としていた。


俺は頼みもしないのについてきた燕雙を見る。

「鷹翔殿下は?」

「禁軍の訓練で出ているけど、午後には戻るよ」

「天鸞殿下にはこのこと伝えたんですか?」

「伝えた。また寝込んだ」

「駄目じゃねえか」

「そういえば、侍医が君を探してたぜ。薬が都合できたって」

大猫だいびょうが? 何の?」

「下の」

「まだそのネタ引きずってんのかよ」



吐き捨てたとき、蠆盆孔が現れた。すり鉢じみた石牢は変わらず禍々しい。


衛兵に断って入り口まで来ると、錆びた檻の向こうで宝輝が待ち構えていた。

「言った通りでしょう。天罰は私を捕らえても変わらないと」

勝ち誇った笑みを浮かべる彼女の肩は、赤黒く汚れていた。


「血がついてるぜ」

ハッタリだが効果があることを願って、俺は指を指す。宝輝は怪訝に眉を顰め、また笑った。

「錆ですよ。昨夜の雨で鉄格子の汚れが落ちたので」

確かに鉄柵はまだ雫で濡れ、宝輝の足元にも雨水と落ち葉が溜まっていた。

「苦境に身を置いて潔白を示していること、お分かりいただけましたか?」


慇懃で苛つく口調だった。何かおかしな点がないか、俺は視線を巡らせる。

牢の中がキラリと輝いた。

宝輝の髪に星の髪飾が煌めいていた。こんな牢獄で取り上げられなかったのか。自ら入ったから囚人と待遇が違うのか。

宝輝は俺の視線に気づき、手で髪飾を覆い隠した。


「私が犯人だと決めつけるのは早計です。少しゆっくりした方がいいのでは?」

宝輝は不敵な嘲笑を漏らした。

「早漏」

「……詐欺師がよ」

「どちらが」


牢から引き上げた俺を煬烏が出迎える。

「収穫は?」

「奴はやっぱり大嘘つきですよ」

「何が根拠だ」

「根も葉もない噂を信じてる」

煬烏はいつの間にか手にした扇で笑みを隠した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る